【福島 相馬市】 加賀重哉 福島支部長からのメール (相馬市は105人死亡、4000人以上が避難、福島第一原発群から北へ約40キロ) <福島県相馬市からの発信>2011.3.19(土) ■相馬市では、地震と津波で目を覆うような惨状を呈しています。  地域によって状況は異なりますが、ほぼ海岸線から6号国道まで、  津波が押し寄せ、船や車が陸地のいたるところに残されている有様  です。人的被害も、まだまだ明らかでない状況です。何か、まだ夢  を見ているようで……。 ■そんな中での原発の放射能漏れ。まさに三重苦の中で、過ごして  いる状況です。余震におびえ、放射能漏れにおびえです。ここより  南の南相馬市では、避難所も避難を終えるなど住民の大多数が姿を  消しつつあります。相馬市でも、避難する人が日に日に多くなって  います。 ■私は、職場が避難所になっており、そのサポートに入っているた  なかなか踏ん切りがつけられないのですが、放射能漏れ関連で、避  難勧告がでれば、避難ということになると思ってます。いずれにせ  よ、放射能漏れがどうころぶかです。 ■職場では、子どもたちの安否確認をするために、自宅や避難所め  ぐりをしました。かつて養護学校にいた時の教え子の親さんにも会  い、近況を語り合いましたが、  「避難所にきたのはいいが、2日目にして『帰ろう』と言われて。   しょうがないよね、出歩けないし、うるさいし、眠れないから」  と。なにせ、体育館に150人詰め込まれているのです。  別の学校の体育館では、やはり体育館の中で、放心したように座り  込んでいる自閉症の子どもさん。あいさつすると、覚えているのか  いないのか、律儀にあいさつを返してくれました。 ■昨日、ようやく電話が通じたので、(災害時には、ひかり通信はだ  めですね。ダイヤル式の方がしっかり通じたのです)地域の障害児の  サークル「ふきのとう」の主要メンバーである方と連絡が取れ、家に  来ていただきました。子どもさんは、ダウン症の青年ですが、太平洋  の海岸の崖際に立つ自宅が流され、義父さんが流され、命からがら逃  だしたことをリアルに語ってくれました。7,5mの津波は事実です。  「話すと涙がこぼれるんですよね」と言いつつ、それでも気丈に。 ■今、すべてを投げ出してメールを書いていますが、一瞬これまでの  悪夢を取り去ってくれたようです。そんな効果があるんですね。 --- <2011.3.20 大震災・相馬からの報告 bQ (加賀)> ■障害児サークル「ふきのとう」のメンバーのひとりと偶然会い、立ち話。  その方は、障害を持つ子どもさんは、40キロ先にある施設(富岡)にいた  のですが、地震後、三春町に避難。隣に共同浴場のある施設で、非常に恵  ているとのこと。ご本人は、保育士をしていたのですが、避難所を回って、  子どもたちの避難状況を少しでも改善したいと、絵本やビデオの提供をして  いるそうです。何か、強さを感じます。 ■私の自宅は、津波から200mの所にあるのですが、その近所に「中島ス  トアー」という食料品を扱う小さなお店(コンビニ規模)があるのですが、  今回の大震災後も、全く休まず営業。卸売市場や旅館から食材を手に入れ、  連日開店し、地域住民の食の確保に貢献しています。なんと、この時期に、  タラバガニや刺身が販売されているのです。嘘みたいな話です。  実は、この店の専務は9条の会の事務局長で、民商の会員です。  この専務曰く  「おれは、逃げないよ。残っている人の食を確保したい」  と、親族や従業員、ボランテイアを巻き込んで、本来の商売のほかに、断  水時には、給水活動にも手を染めていたのです。 ■現在、地震と津波の後遺症、放射能漏れの脅威さらには燃料不足と食糧  不足にさいなまれています。そんな中、家に引きこもり、いつ避難したら  いいか考え、テレビだけを見ながら生活していると、だんだん悲観的にな  ってきてしまいます。心模様は少しずつ後ろ向きになっていくようです。  それが、先のふきのとうのメンバーや専務のように、1歩前に踏み出すと  また、違った心の持ちようが生まれてくるようです。1歩先へ1歩先へな  かもしれません。