上杉文代 「人生の旅」<2>
北欧の民主主義(1998年)


2回目の旅は1998年の9月だった。
一男はもう居なかった。
もう一人、旅の重鎮だった埼玉の障害者授産施設「あかつき園」の園長小野隆二氏も不帰の客となっていた。

初めは一男の夢を叶えたい一心の旅だった。
今回義妹と二人で行くのは辛い。娘の由祈恵が仕事の都合をつけて今度も「三人」で参加した。定年退職したばかりの保健婦の貴志さんも誘って。

テーマは「バルト海沿岸の福祉と介護を訪ねて」だった。日本で介護保険が導入されていた。それに9月20日に行われるスウェーデン統一選挙(総選挙)の視察が弾みをつけていた。

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最初の訪問は、デンマークに隣接するドイツのキール市だった。
立命館大学の社会保障法の研究者・山本忠氏が北ドイツに留学していたからである。山本氏にまず「ドイツの社会保障と介護保険」の話を聞いた。
ドイツの社会保障は社会保険制度で始った。介護保険制度についても多くの議論がつくされ、加入者のサポート体制もある。

実際に高齢者の老人ホームを訪ねたのだが、施設長は介護保険になってから経費削減でクリーニングも食事も下請けになったと介護保険に異議を唱えていた。
でも80歳という婦人は若々しく装い、整備された住居は快適だった。

また、様々な障害をもつ200人の働く作業所は有限会社だった。金属加工や溶接、木工、など、下請けの簡単な袋詰めまで11の職場に分れ、専門職のスタッフがついていた。
彼等は共に働くのではなく、障害者がどうしたら効率的に働けるかを常に研究しているのだと言う。
羨ましいのは障害者の収入と住居が保障され、余暇を楽しむゆとりがある生活であった。自治会があり、代表は運営に参加する。現に責任者が我々に説明する時、二人の青年が同席した。二人は知的障害者であり結婚もしていた。

ゴミ処理場も見たが、ダイオキシンの規制は既に1991年から始まり、ゴミの再利用も徹底して行われているということだった。

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デンマークへの移動は特急列車で、ユトランド半島のオーフス市へ。人口25万のデンマーク第二の都市である。ここで「福祉国家デンマーク」の民主主義の実践を実感した。

市の行政は5つの部に分れている。
その第3部が高齢者施策を担当する社会部だ。ここで算出した高齢者施策に必要な時間を議会に提出し、承認されれば予算が決まる。予算の施行は37あるローカルセンターに任される。私たちはその一つであるオビュゴー・ローカルセンターを訪問した。

地域のリーダーであるカーン保健婦から説明を聞いた。
地域の人口は1万5千人。65歳以上の高齢者は1800人、市の職員は275人いる。実際に施策を実施するのはリーダーの下さらに6人のリーダーによる。6人は活動内容・介護・看護・食事・清掃管理等のリーダーである。また、使用者団体の代表=使用者委員会がある。委員の一人がどんな要求をリーダーに伝えているかを熱心に語ってくれた。

この地域には高齢者用住宅205、ケア付住宅105、特養ホームがある。必要な人が希望すると地域のリーダーがそれを査定する。地域でサービスを受ける場合ホームドクター、本人、家族が申請しリーダーや訪問看護婦がサービスの内容をチェックする。制度を利用するグループ、働くグループが協力し合って情報を交換し、よりよい生活を創り出そうとしていることが伝わって来た。

実際ヘルパーに従いて一人ずつ在宅老人を訪ねた4人はそれぞれ個性的に生きる老人の生活に触れてきた。また特養ホームでは痴呆の始った高齢者が広くはないが自分らしい個室を持ち、規制されない自由な時間を暮していた。父親は船乗りだったと船の写真を指さす老女は少女のように明るくあどけなかった。この旧い建物は2年後には建て替えられる、と通訳は語った。もっと広くするのだという。

やはり古い市営住宅を利用している知的障害者のグループホームを訪ねた。
半地下にある会議室で責任者の話を聞いた。
赤いトレーナーを着たアネッタと煙の出ないパイプをくわえたケネスが傍に立って話を聞いていた。2人は部屋に案内してくれた。

シャワールームと簡単なキッチン、ベッドルームと居間、4つの空間があり、イブニングスクールで絵を習っているアネッタの居間に描きかけの絹地の絵があった。
ケネスの部屋は壁といい棚といい彼の作品とコレクションで埋っていた。黄色い太陽に目鼻がつき羽が生えて飛んでいるような絵、馬のポスター。積み上げたCD、川原の石を紐で結んでぶら下げ、亀のような、蛇のような布製のぬいぐるみ、床の金網の中には三匹の兎。彼のイブニングスクールは乗馬クラブだ。彼は自慢げに見せてくれた。

住宅の裏に空地があり畑があった。浜辺から運んだという石の堤があり、赤いバラが咲き、小鳥の巣もあった。ここに住む知的障害者は2人のほかに12人いる。キーパーは5人。1か月に2回は会議をし、一週間に1回は障害者と会食をする。決して管理せずまず受け止め、発達段階に応じて必要な援助をする。今3つのカップルが恋愛中だという。この建物も改築の計画が進んでいる。
 アンデルセンの家
「オーフス方式」という制度を使い5人のヘルパーを雇い、24時間のヘルプ体制で自立生活するペーターさんのお宅も訪問した。
彼は25歳の時水泳の飛び込みで頚髄損症となり、リハビリを続け現在42歳。電動車椅子の生活。
オーフス方式とは障害者がヘルパーを雇用し、市がその費用を障害者に支払う制度。この制度を活用できる障害者は雇用主としての管理能力があり、社会的活動(働く、学校へ行く、自分の活動をする)ができ、自分の生活を計画し、自分の時間を創造できる人。本人が市に申請すると看護婦、医師、弁護士、家族、本人が会議を開き必要性があるか判断される。必要が認められない障害者には市はそれ以上のサービスをしなければならない。

この制度は第1回スウェーデンの障害者会館の事務局長が使っていたパーソナルアシスタントの方法であり1994年、彼が言った通り制度化していた。デンマークでもペーターさんたちが努力して実現できたと言う。
今回スウェーデンで訪問した2人の在宅障害者はパーソナルアシスタント(専属介護者)制度を使っていた。

一人は公営住宅に住む58歳の女性である。30年前に脳卒中で倒れた。4年前にこの制度ができて新聞で公募した。以来、同じヘルパーとの関係が続き生活の内容は大きく変り、週2回のリハビリ、趣味の生活を楽しんでいる。

他の一人も女性で65歳。元ナース、ケースワーカーもしたが脳の手術を数回し、後遺症として少しの言語障害、手足の機能障害をもっている。広い機能的な居宅で週35時間の介護を受け、規則正しい日課を送っている。選挙も郵送で投じたと言う。

スウェーデンでは1982年1月に制定した社会サービス法(自己決定権、尊厳性を持ってサービスを受ける権利)に1994年1月LSS法(機能が満足でない人のための扶助サ−ビス法)を加えた。このLSS法の中にパーソナルアシスタントの制度があるのだ。

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9月20日にストックホルム市で国会、県会、市会議員の選挙の実際を見た。
「みんなのねがい」号で座談会
日本と比べてあっ気ないほどに明るくお祭り気分の選挙であった。障害者団体が自分たちの要求を制度化させるほどの力を持っている。彼らの意見を無視しては政策が作れない。
私は十年間闘った言語障害者・玉野ふいさんの参政権保障の裁判とその後を思わずにはいられない。

比例代表制だから支持する政党のカードを封筒に入れて投函するだけ。
投票場はバリアフリー。投票は銀行、郵便局等何処にもある。郵送も出来るが代理投票も多いという。18歳以上で3年以上住んで居れば外国籍の人も県、市の投票権はある。障害者に対して情報の提供は日常的になされているから、選挙になって特別にという事はない。この日の開票の結果も「税金を下げる」と言った右派穏健党よりも「税は高くても福祉をもっと」と主張した左派社会民主党が勝利した。

今回の旅の土産の分析は団長の小川政亮(元日本福祉大学、元金沢大学教授)氏の「民主主義と措置と社会福祉サービス―北ヨーロッパと日本―」(「みんなのねがい」1999年1月号)の報告となっている。
民主、平和、人権の憲法を持つ日本は25条こそ福祉政策の根幹である。公的保障の意味をもつ措置制度こそ守り発展させるべきなのだ。だが政府は「公的保障」を壊そうとしている。スウェーデンでもデンマークでも「措置」(公的保障)は生きていることを小川先生は具体的に指摘している。
薗部さんの旅のメモもこの点に鋭いメスを入れている。
山本氏の「ドイツの社会保障と介護保険制度」の講義内容では日本が制度の形だけを取り入れようとしている事に気付かされる。

しかし2007年の今、介護保険制度はすでに実施され、障害者自立支援法さえ実施されているのだ。「公的保障」を省くとはどういうことか。三氏が語ったことの重大さが明瞭になっている。

 おもちゃの兵隊   
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