沼が消えた


94/01/04 23:13:17 NGI00001 亡国・日本

 沼が消えた

わたしの故郷は群馬県の東南部。東毛地方といい、
利根川と渡良瀬川に挟まれた肥沃な、群馬の穀倉地帯といわれた、
小さな湖沼の多いところだ。

上州名物・からっ風のふくなかでも昔の人たちは川や沼に漁にでて、
ふなを捕り、なまずをとって貴重なタンパク源にしたそうだ。
その名残りが田山花袋(群馬・館林出身)の小説『田舎教師』に
川(利根川)向こうの板倉沼でとれた雑魚を
漁師が売り歩いてくるという場面があるくらいだ。

足尾の鉱毒で有名な田中正造の旧谷中村(現在・渡良瀬川遊水池)は
その東北部に接している。

友人がC型肝炎でふせっていると聞いて、
5年ぶりぐらいに彼の家を訪ねる。
彼の家は、そうした小さな沼のほとりに一軒家でたっていた。
高校生の頃は、彼の家によく仲間があつまり、
隣の家を気にすることなく、わいわい語り合ったものだ。
夏は沼をわたってくる風がここちよかった。
その沼が消えていた。

正確にいうと消えようとしていた。
彼のいうことには、その沼の地権者がある日その沼を売った。
するとある日からどこから来たのかわからないダンプカーがあふれ、
産業廃棄物らしものを捨て、沼を埋め始めた。
彼の家の隣の沼はあっというまもなく埋め立てられ、
北側の隅のみがまだ沼であったことを示していた。

沼を渡ってきた風は二度と吹かず、
カエルのなく声も、釣り糸をたれればとれた魚も、いまはいない。
それだけでなく、
どこから運び込まれたかもわからず、どんな内容かも知らされない産業廃棄物が、
ある日から、家の隣に埋められ、
それは時とともに地中にしみこみはじめることはまちがいない。

沼を持っていたのは彼の家ではない。
沼は売られたのだ。
でも、それでいいのか。
それが許されるのだろうか。

彼の娘は春に3キロ北の小学校に入学する。
入学者は20人で一つの学級だという。
通学路には、2年後の開校めざして某私立大学の大工事が本格的にはじまり
数十台のダンプが走り回る。

そのわきを、頭に小さなヘルメット、学校指定のおきまりの揃いのジャージを来て、
赤いランドセルが歩いていく。



イメージ 前に戻る