瓦礫の街で 5


95/02/07 23:18:06 瓦礫の街から<5>
兵庫区荒田小学校の避難所を訪問した。
大通りに面した家や店はしかりとしている感じだが、
一歩路地裏に回ると、全壊、半壊の家やアパートと被害は激しい。

小学校の入口には、臨時電話に臨時の郵便ポストがあり、
掲示板には、視力や聴力障害者団体、障害者支援センターの
「障害者がいらしたら連絡ください」などのビラが張り巡らされている。

入ってすぐの保健室には医師と若い看護婦さんがいた。
「目の不自由な方でOさんという方はごぞんじですか」と聞くと、
看護婦さんは一度部屋の中に入って、
医師に聞き、「そこの職員室で聞いてください」と丁寧に指示してくれた。

職員室は騒然としていて、体操服姿の人たちがいそがしそうに出入りしている。
ドアの外から、管理職あたりが座るであろう机に座っている若い女教師にOさんの居場所を問うと、
彼女はすぐに名簿をめくり、
「Oさんならば、4班ですから、体育館です」と教えてくれた。

4班??この避難所には班分けがある!
みれば廊下には班ごとに新聞や広報が袋に入れてある。
ということはここには班長がいて、被災者による自治がうまれているのだろうか。

体育館には10近い班があり、それぞれがテープできちんと分けられてあり、
そのマスのなかに、一人1畳くらいのスペースで、びっしりと布団がおかれている。
毛布一枚をかぶっている人、寝ながら天井をじっとみつめている老婆、老人が多い。

正直、だれに、Oさんの居場所を聞いたらいいか躊躇した。
「目の不自由な方なら、あそこです」と教えてもらった場所には、
まだあどけなさの残った、娘さんがいた。

0さんは、自宅の方にいっているのだそうだ。
矯正中の歯が目に入る。 チョコレートや飴やカイロの入ったプレゼントを娘さんに渡し、がんばってね!
といいながら、とても無力な自分を感じた。

後を振りむくことができず、そのまま、体育館を出る。
出口で井上吉郎さんが
「無料 法律説明会ご案内 内容・・借地・借家、営業、雇用など、
さまざまなトラブルについて弁護士さんが 説明し、ご相談にも応じます。
 主催 新日本婦人の会兵庫支部、兵庫生活と健康を守る会、*、*」のビラを見ていた。
「ひょっとすると、この法律説明会にいってるかもしれない」と、
井上さんは、自衛隊の給水車の横をもう歩き出していた。

会場の「キッサヒライ」は、大師筋の商店街のなかにある。
商店街のアーケードはぼろぼろだ。
開いていた店のりんごは150円。
わたしが東京と連絡をとっている間に、もう井上さんを中心に輪になって話がはじまっている。
熱っぽく話している男の人はここの区議会議員らしい。

 兵庫区は老人世帯が20%で、一人ぐらいの老人がとても多いのです。
 私の父親も92歳で、家は全壊しているので、
 大阪の兄弟のところに「疎開」してもらったのですが、
 どうもみすてられたとおもったのか、喧嘩や徘徊が起こって、、、
 こっちに帰ってきたらなおりました。
 たとえ避難所生活でも、ずっと生まれ育ったところがいいんですかね。
 そういう老人の疎開先からのUターンがはじまっているようです。
 1、2日ならいいけれど、10日以上となると、行く方も受け入れる方も
 双方ともに負担になってくる、、、。

「住まいとは基本的人権である」と説く神戸大学の早川和男さんによれば、
(「週刊金曜日」95.2.3 災害無防備都市・神戸はこうしてつくられた)
神戸市の在宅福祉政策は全国の自治体のなかでも最低水準にあり、
ヘルパー、ショートステイ、ディサービスなどの対人口比は
59都道府県・政令都市の間で下から3番目。兵庫県下21市の中で下から3番目で、
「防災の欠落はそれだけが単純に生じていたのではない。
 市民生活軽視の証拠なのである」と明快だ。

「Oさんの治療院ならすぐそこですよ!」というので、0さんに会えるかもしれないと家を見に行く。
家は立っている。
外目では、隣の家もだいじょうぶそうだ。
しかし、幸いにしてわずかの修理で家が住めるとしても、
地域一帯が崩壊してしまった中では、治療院の経営は、それもまた地獄に違いない。

少し歩くと荒田神社の境内があった。
蒼い荒田神社の幟の下には、
ぺったりと倒れたブロック塀でボンネットがペシャンコになった軽自動車が乗り捨てられており、
そのむこうに、
まだ芽吹くには早すぎる神戸の山々が見えた。


イメージ

真ん中が井上吉郎さん(喫茶・ヒライ)

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