ひめゆり


94/06/27 10:42:09 NGI00001

ひめゆりの塔周辺は観光地化している。
沖縄そば屋にみやげもの屋。
南国風の極彩色のTシャツがめにとまる。

しかし、「ひめゆり」に誘われるように、「ひめゆり平和祈念資料館」をみる。
茂木委員長は、「みんな、子どもじゃないか、、、」と2度もつぶやいていた。
わたしは、ことばがでなかった。

第4展示室<鎮魂>には高さ14メートル、幅16メートル、奥行き12メートルの
実物大のジオラマ(幻視模型)と200余名の遺影がしずかに並んでいた。
特別展示室<ひめゆりの青春>にある、笑顔の彼女たちの写真とだぶる。

「私たちは国のために尽くすことを誇りに思い、夢や希望を語り合ってきました」
沖縄日本軍は、なんの法的根拠もなく、少女らの戦場動員を強行した。

3月23日深夜、
沖縄女子師範・沖縄県立第一高女の寮生全員と自宅生219名と職員18名が
南風原(はえばる)陸軍病院に強制配置される。

米軍上陸は4月1日、
以来90日間、沖縄は殺戮の島となった。
負傷兵の看護、死体処理、医薬品食料水の運搬、
4時間以下の睡眠時間の日々で何人かはここで過労でなくなっている。

5月下旬の日本軍の南部への敗走時、
日本軍は重症人には青酸カリをひめゆり部隊にわたさせ、
その青酸カリも少なくなると、致死量にいたらない分量をわたさせ、
苦しんだ病人は、銃殺したという。

米軍はすべて包囲した。
しかし、投降は許されない。
戦場に放り出されたひめゆり部隊は、219名が殺される。
沖縄戦終了は6月23日。

沖縄は「捨て石」だったのか。
戦争をはじめたものは悪い。
しかし、それをやめずに放置させたものの責任は。

そして、8月6日 ヒロシマ
そして、8月9日 ナガサキ


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