小野隆二さんのことば


全障研埼玉支部長で
社会福祉法人青い鳥福祉会理事長
あかつき園園長の小野隆二さんが、
2001年6月7日午前9時8分に癌のため永眠された。
64歳だった。
とてもかなしい。

わたしが、小野さんとはじめて出会ったのは、
全障研に勤務したての頃、20年も前になる。
小野さんが「みんなのねがい」に連載していた「施設にくらしをきずく」の
原稿を受け取りに、免許取り立ての車で、
東松山市郊外にあるあかつき園にうかがった。

あかつき園の広い庭にはにわとりが駆け回っていて、
原稿を待つ間にと、
とれたての卵と仲間たちが作ったんだという米のごはんが
猛烈にうまかった記憶がある。
あれ以来、あかつき園と小野さんが好きになった。

以後、全障研の経営委員としても長くごいっしょし、
全障研の将来構想を検討する委員もお願いした。

小野さんの母校の信州大学の後輩で、
わたしの友人でもあるSくんの結婚式は
小野ご夫妻が媒酌人でわたしが司会だった。

1993年、わたしたちにとっては6年遅れの子連れの「新婚」旅行も兼ねていた北欧ツアーもご一緒した。
スウェーデンのイエテボリの船員たちが来るという場末の居酒屋を
たしか、北海道の松葉杖の石田弁護士と
いまは「きょうされん」理事長の滋賀の施設長の立岡さんが見つけてきて
ちょうど誕生日だった小野さんをさかなに、みんなで飲んだ。
みんな楽しそうに笑っていた。
そんな場面が、フラッシュバックするようだ。

あれから小野さんは、東松山市議を1期務め、
以後は保母さんだった奥さんの美佐子さんが勤め
いまは2期目の議員さんである。

小野夫妻はまさに同志であった。
障害児の通園施設・青い鳥学園の前身となる男先生と女先生だった。
二人のなれそめを聞くと、赤くなっていた。

小野さんにお別れを言いにいった夜
そんな思い出話を涙顔と笑顔くしゃくしゃで奥さんとしてきた。
北欧旅行当時3歳だった娘は、
一人になってしまった美佐子先生がかわいそうだと
一晩かかって書いたという励ましの手紙を渡していた。


小野さんは『施設にくらしをきずく』 の最後の章で
精神障害のある「武夫」さんとの別れに
「お互い、一生けんめい生きたね」
と言葉をかけている。

かなしいけれど、
人間のからだは、いつかは消えていく
けれど、その意志は
わたしたちが継承することによって
永遠となるのだと思った。


『施設にくらしをきずく』の「あとがき」から
 本文に登場してくる幾人かの仲間たちは、すべて実名で登場する。
 ただ本人の名誉にかかわるような部分は仮名にさせてもらった。
 仮名の仲間は本文のどこかで笑顔で登場しているはずである。
 仲間たちはみんなどこかに足りないものがあって、
 しかもどこかの部分では足りなさを補い
 それをのりこえるようなすばらしさをもちあわせているものだ。

 人間誰でもそうだと私は思う。
 どんなに足りない部分があっても、
 どこか一点だけでも人は輝きをもっている。

 私たちは、
 この輝きを仲間のなかに見出して
 そこを目いっぱい輝かしてもらうことを考えたいと思う。
 それが私たちの仕事なのだから。

 そこにさえ目をやれば、貧しさや、
 厳しさをやがて私たちはのりこえることができると思うのである。



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