情報コミュニケーションは人権

障害者のくらしとパソコン通信の可能性

薗部 英夫


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(1)桃が食べたい

 「桃が届きました。おいでください。必要ならば駅までもっていきますよ」。そんな電子メールが届いていた。メールの主は隣町のアパートに住む数学専攻の大学生だ。さっそくその夜、缶ビールを片手に彼のアパートのドアをたたいた。

 パソコン通信上での生産者と消費者との生産物を介しての交流を「電直」といっている。彼は山梨の果樹園のメンバーと通信上で知りあい、そこの桃がどうしても食べたくなり、私と「共同購入」したというわけだ。冷蔵庫に冷やしておいてくれた新鮮な桃を、彼がむいてくれ、2人でかぶりついたら、黙々といっきに食べてしまった。本物の桃のなつかしい味がした。

 彼は小さい頃、視力を失っている。そして、ディスプレイ(画面)に映る文字を音声変換装置で「音読」させて、パソコンをフルに活用している(34ページ参照)。彼にとってパソコンと通信は社会参加への決定的なツール(道具)だ。


 パソコン通信の主な機能を紹介しよう。

 「電子メール」は、文字どおり電子の郵便。さまざまな連絡や原稿のやりとりにとても便利だ。電話とはちがい、相手の都合がどうであれ、こちらの都合のいいときに送れ、相手は自分の都合のいいときに読めばいい。また、FAXとも違い「電子原稿」となるため、受け手は新たな入力作業なしに、かんたんに加工修正ができる。しかもパソコンやワープロの機種のちがいは問わない。これは編集「革命」で、印刷スピードやコスト削減に大幅貢献する。現に「スポーツ新聞」などは、スタジアムから新聞社へ電子メールで送られた原稿でつくられている。機関紙や同人誌などの編集には抜群の力を発揮する。

 さらに、電子原稿(情報)は他の活字メディアと容易に結びつく。全障研では『障害者問題研究』第65号・特集「障害者のコミュニケーションと福祉工学」や本書などをフロッピー版としても作成している。電子化された情報は、必要に応じて、活字として印刷すれば雑誌や本となり、フロッピーやCDなどに保存すれば電子出版物となる。音声で出力することも、点字としてプリントアウトすることも可能となる。

 このような電子情報が多数蓄積されたものが「データベース」だ。コンピューターの得意技は、計算はいうまでもなく、「検索」と「コピー」といっていい。全障研の<みんなのねがいネット>では、障害者基本法や障害をもつ人びとのアメリカ法(ADA)なども資料として蓄積している。大手商用ネットを使えば、1985年以降の新聞記事データベースなどから、たとえば「障害者」「体罰」などをキーワードにして、関連する記事をすべて検索し、抽出できる。世界中をむすぶインターネット(79頁参照)ともなれば、たとえば国連事務局とも直結して、「障害をもつ人びとの機会均等化に関する基準規則」などが、瞬時にやりとりされている。こうした機能は若手研究者のなかでの調査研究への積極的な利用例も少なくない。一方、ボランティア的奮闘によって、障害者の直接体験した、「車椅子の使いやすい街マップ]や「体験的宿舎ランク」などを蓄積するこころみがはじまりつつある。

 また、新刊情報を見て、オンラインで申し込み、宅配便を利用して本を自宅で購入することもできる。東京・府中市では、市立図書館の蔵書がパソコン通信上ですべて検索できる。自宅で検索し、必要なものが見つかれば図書館に連絡すればいい。


(2)だれもが主人公 時空間と障害をこえる

 みんなのねがいネット(略称・ねがいネット)は、全国障害者問題研究会(略称・全障研、茂木俊彦委員長、会員4500名)が設置しているだれもが参加できるパソコン通信ネットワークだ。1990年4月にスタートし、94年5月で参加者は800名を越えた。障害者問題の情報提供と交流をミックスさせ、障害者の情報アクセス、コミュニケーションを権利として保障していくことをめざしている。

 電話回線を介したパソコン通信が一般に知られるようになったのはわずか10年ほど前のことだ。しかし、PCーVANやNIFTY-Serveなど大手商用ネットの利用者は年々増加し、すでに200万人を突破したといわれている。でも、客観的にはわが国の人口の1%程度にすぎず、障害をもつ人々の参加はまだはじまったばかりだ。 ところが、「パソコンなんてさわったことがなかったのに、今はキーボードをたたくのが楽しくてしょうがない。それにたくさんの友だちができそうだし」と交通事故で車椅子生活となったKさんたちが「電子掲示板」上にいる。残された力をめいっぱい活かしながら、キーボードをたたく。

 それぞれがパソコンを通信につないだままで、短文のやりとりを行なう「チャット」という機能を使えば、たとえば聴覚障害を持つ彼と視覚障害をもつ彼らと、脳性マヒのため言語障害をもつ彼女との直接の「会話」もできる。「手話は見えない」「音は聞こえない」「言葉が不自由だ」。そうしたハンディはパソコン通信の上では感じられなくなってしまう。 還暦を前にした普通の主婦が、知的な障害をもつわが娘への子育てを回想しながら、小さな施設づくりの夢を毎週少しずつ「連載」し、100回を越えた。ねがいネットはそうした自己表現、自己実現の場でもある。信頼し、共感しあえる人と人との関係は、新しいメディアのパソコン通信を介してさらに大きくひろがっていく。


(3)同時代をともに生きる地球人として

 世紀末、激動の世界史、病んでいる国・日本。障害者問題に視点をおいた議論は人間の生き方やものごとの根源にせまる。

 駅の「自動改札口」設置をめぐって、「駅員さんの鋏の音は視覚障害者にとって、どこに改札口があるかを知らせてくれる音です。あの鋏の音と駅員さんの”おはようございます”という声は大好きでした」というある高校生の書き込みがあった。「新都庁の点字ブロックは黄色ではない。弱視者にはじつに見ずらい」の指摘もある。「ただいま国会議事堂前、電話ボックスからアクセス中。湾岸戦争やめろ、PKO反対!」の意見もよせられ、小さな戦争反対キャンペーンもおこなった(資料 朝日新聞参照)。

 湾岸戦争全記録『ドキュメント1000時間 世紀末戦争』と題した毎日グラフ別冊(1991年4月)は、「人間のナマの叫びが聞こえる 湾岸戦争で”燃えた”パソコンネットワーク」を紹介している。管理された一方通行ともいえる巨大マスコミとは違った双方向性のメディアであるパソコン通信は、それがたとえ小さな声であっても、ときには瞬時の早さで全国をラジカルに駆け抜け、大河のよび水ともなりうる。

 小さなものでも情報は「結びつく」ことで、情報の受けては発信者ともなり、新しい価値をもって、雪だるまのようにふくらんでいく。


(4)新聞が読みたいー電子情報と著作権

 視覚障害をもつ青年がためしにと大手商用ネットのデータベースから新聞一日分の記事を引き出してみた。通信に要した時間は約45分、電話料金と商用ネットの使用料金で約4200円、点字に打ち出すと600枚になったという。

 「文字を見ることのできる人と同じように新聞記事が読めたら、私たちの情報量はもっと変わってくるのに」という彼らの声。私たちは「新聞記事、情報サービスによって得られた記事の転載許可」を、朝日、毎日、中日、東京、北海道、埼玉、北國、赤旗各新聞社、および共同通信社に正式に依頼した(1992年10月)。

 著作権法は「第5款:著作権の制限」に、
(点字による複製等)第37条1:公表された著作物は、盲人用の点字により複製することができる。
            第37条2:点字図書館やその他の盲人の福祉の増進を目的とする施設で政令で定めるものについては、もっぱら盲人向けの貸出しの用に供するため、公表された著作物を録音することができる、としている。 しかし、パソコン通信で新聞の電子情報を得、それを第三者に知らせて意見を求めようとするときには、著作権者にそのつど使用許可を受けなければならない。

 この第37条を、多くの障害者の情報アクセスを促進するため、積極的にとらえて、たとえば「障害者使用のための複製等」とし、「公表された著作物は、障害者が個人的に使用することを目的とする場合には、同年齢の市民と等しく情報を受ける権利として複製することができる」などとすることはできないものだろうかと考えた。

 結果、毎日新聞社は「障害者の皆さんに役立てたいとのご趣旨に賛同いたします」と全面的に転載を了承し、中日新聞グループ3社、埼玉、北海道、赤旗各新聞社、共同通信社も「転載記事にたいする障害者の意見をフィードバックすること」という転載条件で了承してくれた。


 香港では、数年前から「サウスチャイナポスト」という英字新聞が毎日点訳され、希望する視覚障害者に無料で配布されている。 スウェーデンでは「デジタル新聞」というシステムによって地元紙を「購読」できる。目が見えないことで新聞の情報を得られないのは社会的な不利だ。新聞の一部を読んでもらうリーデイングサービスではなく、自分で読む箇所を「選択できる」ことがポイントだそうだ。読者は全国で450名(最高齢は96歳の女性)。

 夜のうちに新聞社からラジオ電波で送られた新聞データは翌朝自宅で音読できる。フィンランド、ベルギー、オランダでもこのシステムは活用されているという。

 アメリカの「ワシントンポスト」も、94年夏ごろから電子新聞を開始するそうだ。モデムとパソコンがあればだれでも購読できるというものだそうで、購読料は普通の新聞と同額か、あるいはやや安めになりそうとのことだ。 技術的には日本は世界のトップレベルにある。経済力も強大だ。わが国に必要なのは、”何を大切にするのか”という豊かさの「ものさし」と政治的決断である。


(5)第3世代の新しい人権ー情報アクセス権

 政治的・市民的権利は
第1に「自由権」として獲得され、
経済・社会・文化的権利は第2に「社会権」として承認されてきた。
歴史的には民衆のまさに闘いによってかちとられたものだ。それは現在国際法や各国の憲法として結実し、日本国憲法は障害者を含むすべての国民の基本的人権を規定している。今日、環境・平和・開発への権利などが、新しく第3世代の人権として提起され、その一つに情報アクセス権・コミュニケーションの権利は位置づけられる。

 一方、障害者権利宣言(1975年)が「障害者は同年齢の市民と同様の基本的権利を有する」とうたってから20年あまり。1981年の国際障害者年とその後の障害者の10年のとりくみを経て、いま、世界の主流は、ノーマライゼーションの思想として、障害をもつものももたないものも共に幸せに生きられる社会づくりをめざしている。

 国連は1993年12月20日、「障害をもつ人びとの機会均等化に関する基準規則」を採択した。「政府は社会のすべての領域での機会均等化の過程でアクセシビリティの総合的な重要性を認識すべきである。どのような種別の障害を持つ人に対しても、政府は、情報とコミュニケーションを提供するための方策を開始すべきである」と明快だ。

 わが国では、92年の国会逓信委員会で、「情報に接する権利、文化を享受する権利というのは、基本的な権利であるとともに今の社会で生きていくためには不可欠ものだ」と菅野悦子議員によって郵政大臣に厳しく質問された。その後、93年の障害者基本法の改正で、「国及び地方公共団体は、障害者が円滑に情報を利用し、及びその意思を表示できるようにするため、電気通信及び放送の役務の利用に関する障害者の利便の増進、障害者に対して情報を提供する施設の整備等が図られるよう必要な施策を講じなければならない」(第22条の3)と位置づけされた。

 全障研は93年の全国大会(新潟)で「障害者とパソコン・ワープロ」の特別分科会を新設した。共同研究者の加藤直樹さん(立命館大学)は、パソコン・ワープロ通信がもつ障害者の生活にとっての意味を次のように指摘した。
 (1)障害者が、さまざまな情報を獲得することに寄与する
 (2)障害者が自分の内面を表現することに寄与する
 (3)障害者のさまざまな人とのコミュニケーションに寄与するそして「全障研の研究運動の課題にてらすならば、
 (1)これらが発達論的にどのような意義があるのか、
 (2)人権論としてどのように位置づけられるのか、等を検討する必要があります」と強調した(資料 93.8.19赤旗参照)。


 1993年は障害者関連のパソコン通信ネットがあいついで新設された年でもあった(東京都社会福祉協議会、品川区、横浜市、東京都聴覚障害者連盟、人間発達研究所など)。少なくない人たちが行政も含めて障害者の社会参加への大きな武器ともなるパソコン通信に、いま熱い期待をよせている。


(6)2001年をむかえるために パソコン通信の課題 

 しかし、である。さまざまな可能性をもつパソコン通信だが、一人一人の障害者にとって普及するにはさまざまな困難が山ほどある。みんなのねがいネットなどの運営を通して感じたことを列挙してみよう。

1)パソコン本体やモデム、通信ソフトなどの価格が圧倒的に高い。しかも、障害者の日常生活用具には認められていない。重度障害者にようやく認められたワープロの給付基準も「文書作成レベル」にとどまっている。自立と社会参加のための機器としての視点での改善が求められる。

 日本IBMがパソコン購入に障害者割引を実施したり、仙台市が10人分という数ではあるが、モデムと通信機器の購入助成を今年からスタートさせた(「厚生福祉」94.4.23)。今後のとりくみに注目したい。

2)ハード面での改善も必要である。片手でも使えるキーボードの工夫、音声入力などキーボード以外の入力方法の開発は大いに期待したい。「障害者電子機器アクセシビリティ」(104頁参照)を最低のガイドラインとし、とくに使用説明書は希望者にはドキュメントファイルで提供することを徹底すべきだ。

3)アメリカではゴア副大統領の「情報スーパーハイウェイ構想」(超巨大な情報環境づくり)が国家プロジェクトとしてすすめられている。行動綱領の「全米情報基盤(NII)行動アジェンダ」では、通信ネットワーク+コンピュータ+データベース+家庭用電子機器などのマルチメディア化によって、新しい雇用を創出し、差し迫った社会問題を解決すると壮大な夢をえがく。

 わが国でも「日本版ゴア構想」が急浮上している。アメリカとくらべると段ちがいに高い電話料金は大問題だが、21世紀の高度情報化社会ににむけて、障害者が、より簡単に情報にアクセスでき、生活が豊かになる視点からの「完全参加と平等」の情報環境づくりが求められている。

4)著作権問題は大きな課題だ。しかし、たとえば、東京都社会福祉協議会が運用する「ふくしネットワークTOKYO」では、同会が入手し整理した論文や蔵書などの電子データが自由に閲覧できる。郵政省につづき通産省も電子情報の公表をネットワーク通信上で開始したが、新聞社、放送局など社会的な存在のマスメディアや政府、行政、民間団体などの公共的な情報については、障害者の情報アクセス促進のために、ぜひ公開させるとりくみが必要だろう。

5)政府から市町村にいたる行政情報や生活・文化・スポーツ・交通をより充実させる視点での福祉機器・補装具やそのノウハウなど、障害者自身がくらしのレベルで必要としている情報をデータベースとして蓄積し提供していくことも必要である。

6)人的なサポートシステムはかかせない。神奈川県が第3セクターとして設置したK−NETは、パソコン通信教室終了者を「ケイメイト」とし、主婦のインストラクターを活用して、市町村単位のセミナーやホームセミナー(家庭での小規模講習会)を開催している。

 障害をもった人たちへのサポートには、どんな障害をもっているのか、どんな環境で生活しているのかなど、ユーザーの数と同じだけのさまざまなケースがある。たとえば、企業のエンジニアや学生などのボランティアも活用して、新しい出会いのもとに、ともに学びあっていけるような要素も含めた人的サポートシステムは構想できないものだろうか。

 わが国の70近くの障害者団体が結集する日本障害者協議会(前身・国際障害者年日本推進協議会)が、こうしたパソコン通信に着目し、加盟団体の範囲にとどまらず、多くの障害者が利用し、活用することのできる共同資産として、政府や行政、地方自治体の関連情報の公開、海外情報の集約、マルチメディア社会にむけての情報ネットワーク通信を問題提起しはじめている。21世紀にむけての情報社会づくりのなかで、障害者の新しい権利保障のとりくみとして、今後のとりくみに期待したい。

 1993年秋に北欧を訪ねた。スウェーデンのイェテボリ市で出会ったブリッダは、とても56歳にはみえないすてきな女性だった。製薬会社で働いていたが筋ジストロフィー症を発病、85年に動けなくなり、現在、1日に5、6回のヘルパーによって一人で暮し、週10時間は愛用のパソコンで在庫管理の仕事をしている。「ハンディがあっても、自分は社会の中で必要とされている。そのことがとても大事です。だれもが社会に何かできることがあるはず。日本はコンピュータがすすんでいるのだからそういうサポートをぜひしてほしい」。 彼女が別れ際にいってくれた言葉が、私にはわすれられない。               
                   (金ベエ・全国障害者問題研究会)

 参考文献
 1)浅野史郎編、高松鶴吉・太田茂著『障害者の可能性を拡げるコンピューター』 中央法規 1990
 2)『障害者問題研究』第65号 特集・障害者のコミュニケーションと福祉工学 全国障害者問題研究会 1991
 3)薗部英夫「だれもが情報の主人公に」『月刊社会教育』国土社、1991
 4)太田茂『暮らしが変わる、ハイテク福祉』中央法規 1992
 5)佐々木夏実「視覚障害者のための機器」『みんなのねがい』全障研1992
 6)金子郁容『ボランティアーもうひとつの情報社会ー』岩波新書 1992
 7)宮下純一「障害者のコミュニケーション手段としてのパソコン通信」『リハビリテーション工学』1993
 8)日本障害者協議会「全国障害者パソコン通信ネットワーク(仮称)構想委員会中間まとめ」1994


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