第30回全国大会(高知)基調報告

                  常任全国委員会


 1 障害者をめぐる情勢の特徴

はじめに
 今年1月、埼玉県秩父市で母親(介助者)と障害者の2人が自宅の浴槽で死亡しているのが発見されました。4月には東京豊島区のアパートで老母と寝たきりの長男が餓死しました。福祉事務所は1年以上前に母子の生活困窮の実態を知っていたにもかかわらず、これを放置し見殺しにした形です。全障研大阪支部の支部総会議案書の冒頭には、障害者は「患者にもなれないのか」という見出しで、次の事実が書かれています。
 例年になく厳しい寒さだった今年の1月、作業所に通っていた知的障害者のAさん(40歳の女性)は風邪をこじらせ食事も受け付けなくなりました。体重も低下してきたので、病院に通い点滴を受けました。母子家庭で母親も70歳という高齢のために、入院加療を希望しました。しかし、ひとつめの病院は入院拒否、ふたつめの公的な病院も「現在のうちの体制ではベッドにくくりつけ状態になってしまうので自宅で対応してほしい」と遠回しに拒否されました。Aさんは2月に入り死亡しました。死因は肺炎とされています。  議案書は、この死因は額面どおり受け取るわけにはいかず、社会的な原因によることは明らかだと述べています。
 また、最近、障害者を多数雇用している会社や福祉施設における金の不正使用、障害者にたいする虐待をはじめとする人権侵害事件も多発しています。  暗い悲惨な事実ばかりをあげたように思われるかもしれません。たしかに、障害者の福祉、医療、教育、労働、まちづくり、電気・通信などの諸分野を見渡すと、広範な障害者・国民のねばり強い運動によって、新しい施策を実施させたり、後退をくいとめたことも少なくありません。
 しかし、ここにあげたいくつかの事実は、まさに氷山の一角です。私たちは、成果を正しく評価するとともに、それを突き崩し、後退さえさせかねない動きにもきびしく目を向け、障害者の権利を守り発達を保障する研究運動を力強く前進させなければなりません。

(1)障害者プランをどうみるか
 昨年12月18日、総理府障害者施策推進本部は「障害者プラン〜ノーマライゼーション7ヶ年戦略」を発表しました。これは、1993年に制定された障害者基本法(心身障害者対策基本法を改正)の規定にもとづく国の障害者基本計画にあたるものです。このプランは、その最終年度を2002年としており、国が今世紀の最後の数年間の障害者施策をどうすすめ、新しい世紀の出発をどのような質と水準の施策をもって迎えようとしているかを示したという意味で、きわめて重要です。
 プランの特徴の一つは、わが国の障害分野でははじめて施策の数値目標を示したことです。これは「障害者対策に関する長期計画」(1983年度〜92年度)や「障害者対策に関する新長期計画」(1993年度〜2002年度)が、理念やメニューを提示しただけだったのに比較すると前進だといえます。  もう一つの特徴は、障害者問題に係る諸分野の施策が全般的に盛り込まれ、方向性としては障害種別を越えた施策の総合化・横断化の必要性が強調されたことです。
 さらに、自治体レベルの障害者計画の策定をうながし、とくに、これまで遅れている知的障害者や精神障害者の施策の拡充と水準の向上の必要性を強調していることも特徴としてあげられることです。
 これらは、この間の世界の障害者運動、国内の障害者の人権保障運動の成果が反映したものとして積極的に評価できる点です。
 しかし、問題点もたくさんあり、すでに各方面からきびしい批判もだされています。たとえば、プランの目玉とされた数値目標自体、具体的に示されているのは厚生省管轄の部分だけとなっています。しかも、数値のかかげられた部分もあまりにも低水準で、障害者・家族の期待・要求からはほど遠いものにとどまっています。2002年までの施策の数値目標だけをみると、一見おおいに拡充されるように見えるところも、過去の年次変化を基礎に計算してみると、自然増さえ下回る目標が掲げられているところもあるのです(たとえば授産施設・福祉工場の定員増目標)。民間の努力によって相次いで増設置されている共同作業所などに係るまともな対応が、ほとんどなされていないことも大きな問題です。
 施策の裏付けとなるべき事業費の予算も同様です。地方分権推進委員会(委員長・諸井虔日経連副会長)による地方分権論と相補い合って、地方自治体と住民に大幅な負担増(約半分)を強いるものとなっていることも見落とせません。
 また、厚生省以外の各省庁のプランは、ほんの少しだけ見るべき新規事業も打ち出されていますが、現行施策や「新長期計画」にすでに書かれていたものを転記したにとどまることが明白な部分が多く、真剣な検討を経たものとはとてもいえない内容となっています。  こうして今回のプランは、積極的に評価してその実現をはかったり、今後の障害者運動の重要な手がかりとすべきところがあります。しかし、現在進められている自治体の障害者プランの策定に参加・監視することとあわせて、国レベルのこのプランの内容を、障害者の権利を守り発達を保障する観点から具体的に吟味し、見直しを要求する運動を展開していかなければ、わが国の障害者施策が大きく前進するという明確な保障はありません。

(2)社会保障・社会福祉の制度改悪、施策の後退
 障害者プランが、このような大きな問題をはらんでいる背景には、この間のわが国の社会保障・社会福祉政策をめぐる重大な変化があります。
 1995年7月、総理大臣の諮問機関である社会保障制度審議会は、「社会保障制度の再構築−安心して暮らせる二一世紀の社会をめざして−」という「勧告」(95年勧告)をだしました。第二次世界大戦後のわが国の社会保障・社会福祉は、憲法第25条の生存権規定に立ち、国や地方公共団体の公的責任を明確にし、国民のすべてが安定した文化的な生活を送れる方向で前進してきました。それは、広範な国民の社会保障・社会福祉の充実を求める運動によって、一つひとつ制度化・施策化され、構築されてきたものです。95年勧告は、これを根本から否定するねらいをもっています。すなわち、それは、「みんなのためにみんなでつくり、みんなで支えていく」ことをうたい文句にして国の公的責任を大幅に縮小し、財政負担を国民に転嫁していこうとするものです。そして、この基本的な考え方は「障害者プラン」「新ゴールドプラン」(高齢者)「エンゼルプラン」(子ども)の3プランに共通して貫かれているものです。  しかも、国民生活の破壊、生きる展望を見失わせるような社会保障制度の改悪、施策の後退はすでに進んでいます。
 周知のように、悪評高い消費税をさらに5%に引き上げることがもくろまれています。96年度予算では、厚生年金、国民年金などの支給額が13年ぶりに据え置かれ、同時に厚生年金保険料は10月以降月収の16.5%から17.35%へ、国民年金保険料は4月から月額600円アップです。入院給食費もあがります。
 公的介護制度の創設は、障害者や高齢者のいる家族の介護の負担を軽減する上で重要な課題であり、多くの国民の願いです。しかし、現在政府が構想しているのは、保険方式を採用して自治体と国民の負担によってこれをまかない、さらに民間の介護保険の利用をも促進しようとするもので、「公的」とは名ばかりのものにされてしまう危険があります。同時に、介護体制とその質についても多くの人びとから批判的な意見がだされています。
 障害の早期発見にはじまる障害児関連の施策についてもいくつもの問題があります。たとえば「母子保健法」の改悪にともなって保健所が統廃合されるとともに、乳幼児健診の地域医師会等への委託化が進み、今でも少なくない発見もれ、対応もれの増加が心配されています。また、厚生省は障害乳幼児の療育システムの再編の方向をとっています。障害者プランに盛り込まれた内容をみると、総合的な療育センターの増設など専門性の強化という点での積極面もあると思われます。しかし、障害乳幼児施策を診断・相談・コーディネート機能に重点化することによって、障害児が発達の基礎を固めるために重要な役割をはたす日常的な集団保育については、軽視することになるのではないかと危惧されています。
 95年勧告に盛り込まれた措置制度解体の動きも見過ごせません。勧告は、社会福祉施設の入所に関して「地方公共団体が入所に関する調整機能を果たし、公的な費用負担を前提としながら、施設への入所は一方的な措置によるものから利用者との契約に改めるよう検討すべき」だとしています。措置制度は社会保障・社会福祉の整備がまだ不十分な時代につくられたもので、利用者の選択の権利を制約する側面をもっています。しかし、同時に国や自治体の財政支出を含む責務をも伴った制度であり、これの存廃については障害者・国民の権利を守り発展させる見地から慎重に検討しなければなりません。95年勧告が打ち出している措置制度解体のねらいは、「公的な費用負担を前提と」はせず、それを実際には削減し、福祉を商品化していくことにあることが明白であり、経済的に苦しい障害者・家族ほど施設が利用できなくなることが十分に予測されるものであることに注意が必要です。

(3)障害児教育をめぐる動向と課題

 今日、子どもの権利と民主主義の息づく場になるべき学校は、いじめ、体罰、不登校、中途退学者の増大など、きわめて深刻な危機に直面しています。たとえば今年5月に発表されたいじめに関する文部省調査の結果では、5割のクラスにいじめがあり、小学校では、4割の担任教師がクラスの「いじめ」に気づいていないということが明らかにされています。いじめに起因する子どもの自殺も多発しています。受験競争の激化・低年齢化によって、勉強の「できない子」「わからない子」がますます増加しています。
 このような状況の中で、経済同友会は提言「学校から合校へ」を発表しました。これは学校の機能を「基礎基本」の教育と道徳教育に限定し、「自由教室」を認めて子どもが受験産業を利用するのを奨励し、「体験教室」において地域住民の教育への参加・協力をうたいつつ、そこへの企業の参入を促進する教育改革の構想です(『合校』と「学校」「自由教室」「体験教室」を合わせたものという意味)。
 政府・文部省は教育の危機を作り出した自らの責任には触れずに、もっぱら、管理強化と多忙化の中で教師をしめつけ、子どもたちを競争と管理の対象にする文教政策を取り続けています。  「21世紀を展望した我が国の教育のあり方について」審議中の第15期中央教育審議会は、6月に「審議のまとめ」を提出しました。この「審議のまとめ」には、教育内容の重点化などとともに、地元企業や市民団体を交えた地域教育活性化センターを設置することなど、経済同友会の提言に連動する方向と内容が示されています。このような教育改革の動きは、今後どのように具体化されていくのか、慎重に見守らなければなりませんが、受験競争がさらに強化され、学業不振、不適応の子どもがさらに増大するのではないかという懸念をぬぐいさることができません。
 ここにふれた「審議のまとめ」には、障害児教育についても述べられています。しかし、教育条件の整備については抽象的にしか言及されていません。障害児と健常児の交流の時間と場を設ける必要があるとされていますが、「このことは、障害等のある子供の職業的・社会的自立と彼らへの社会的な理解を深めるためにも重要である」という位置づけになっています。盲・聾・養護学校の高等部の拡充整備も社会的自立のためとされています。ここでいう社会的自立は、適切な教育課程の編成によって、障害をもつ子どもにも文化・科学・芸術の基本を身につけさせ、基本的人権の主体として「生きる力」(これは本「審議のまとめ」全体にわたるキーワードです)を本格的にはぐくむという観点を欠いています。この点は、本年3月にだされた「盲学校、聾学校及び養護学校の高等部における職業教育等の在り方に関する調査研究協力者会議」の報告(案)と重ねてみると、いっそうはっきりします。積極的な批判的検討と私たちの自主的な教育課程の編成と提案がなされなければ、わが国の「特殊教育」の主流が進めてきた職業教育偏重の教育がさらに強化されるおそれがあります。
 近年のユネスコ等による障害児教育への問題提起は、障害児をふくめて、社会的・文化的・経済的な原因で学習と発達に困難をかかえる子どもたちを「特別なニーズをもつ子ども」ととらえ、特殊教育の対象の拡大とインクルージョンの推進をおもな内容としてなされています。これは、すべての子どもが生き生きと学校生活を送り、その能力を伸ばしていけるように学校を改革することを基本的なねらいにしています。インクルージョンは、通常学級を改革して特別な教育的ニーズをもつ子どもをそこに包摂して教育するというものですが、障害児学校や障害児学級を否定する考えにたつものではないことは、すでに多くの指摘があります。提起されている問題の焦点は、障害児教育機関の改善・充実と機能の拡大、通常学級で学習可能な子どもが、むやみに障害児教育機関に送り込まれることなく、通常学級で学べるようにカリキュラムの改善、条件整備等を進めること、通常学級で学ぶ特別なニーズをもつ子どもの教育のために、障害児教育の経験を生かす方向で、連携と協力を強化することです。中教審の審議では、このような問題提起を真摯に受けとめるものにはなっていないといえましょう。
 同時に今日の障害児教育の現場は、たとえば、敏速な運動の展開によって一部は食い止めましたが、強行された東京における障害児学校の学校給食の民間委託化、子どもの実態(重度重複化、医療行為を必要とする子どもの増加など)に合わない教職員定数の改善の遅れ、教職員に対する管理統制のいっそうの強化、これらと密接に結びつき、また深刻化する多忙化のもとで多発する健康破壊など、深刻な状況におかれています。困難な状況におかれているのは教職員だけではありません。最近何カ所かでとりくまれた父母の健康調査では、心身の慢性疲労の蓄積、腰痛・頚腕症候群が多く発生していることが明らかになっています。
 障害児教育は、しかし、このような状況の中でも前進しています。たとえば養護学校中学部卒業者の進学率はついに80パーセントを越えました(1988年3月は65.9%だったのに対し、95年3月には、82.7%になった)。中学校障害児学級卒業者の進学率も95年3月には70.7%に達しています。訪問教育対象児の後期中等教育についても、全国訪問教育研究会、親・関係者の力強い運動によって、本年2月の参議院文教委員会で文部大臣から「学習指導要領にも記入して、前向きに取り組みたい」との答弁を引き出しました。
 障害児と父母の教育要求は、さらに教育の継続保障(専攻科および高等教育機関)の要求へと発展しています。これまでいちじるしく立ち遅れていた病弱児の義務教育と後期中等教育の完全な保障についても、国公立病院の院内学級の設置にみられるように、不十分ながらも貴重な前進をとげています。昨年6月、大阪のいわゆる向井裁判(腰痛公務災害認定裁判)で勝訴したことも、全国の教職員をはげます成果でした。
 今、教職員組合でも全障研でも、21世紀に向けての障害児教育改革の展望を明らかにするための検討が進んでいます(全障研では昨年の大会で『障害児教育改革の展望』を発刊しました)。きびしい現実を見据えて、問題を一つひとつ解決していくことと結合して、制度改革の展望をいっそう明確に描き出すことは、当面する重要課題の一つとなっています。

 2 研究運動の当面する課題


 以上のような情勢と課題の認識に立つとき、研究運動の当面する課題として、どのようなものが設定されるべきでしょうか。ここでは、支部やサークルの学習研究活動を進めていくための活動のあり方について、いくつか提起します。
 昨年の大会基調報告では、1)願いや悩みを要求にねりあげる過程を大切に2)いろいろな人が参加して深めあう全障研活動を大切に、と提起されました。今年は、この提起を引き継ぎつつ、とくに次の二つの点に考慮しながら、三つの課題を提起します。

 一つは、来年が「障害をうけている人たちにとって必要な権利を今後具体的に創造していく」(全障研結成大会基調報告、1967年8月)と高らかに宣言した全障研の結成から満30年、その意味で障害者の人権保障30周年を迎える年だという点です。
 二つは、障害者の人権保障をさらに進める「21世紀のとびらを拓く」(本大会のテーマ)ために、「障害者プラン〜ノーマライゼーション7ヶ年戦略」の積極面の推進と問題点を改善させるとりくみの強化と「市町村障害者計画」の策定の推進が、避けて通れない運動の課題であるという点です。

(1)障害者・家族の多面的で豊かな要求に根ざす、「市町村障害者計画」策定のための調査研究活動の推進

 昨年の基調報告では、「願いや悩みを要求にねりあげる過程を大切に」との方針が提起されました。兵庫支部を中心に関西の支部や専門家などの協力で阪神・淡路大震災の実態調査委員会を組織し、被災時・後の障害児者の実態調査を行い、『あの人の声が聞こえるー阪神大震災と障害者』(全障研出版部)がまとめられました。これは方針が見事に具体化された貴重な成果です。大阪支部や京都支部では父母の健康実態調査活動に、北海道支部では障害児の放課後ライフ実態調査活動にとりくみました。
 こうした実態調査活動は、「願いや悩みを社会問題として深め、権利としての要求に高めていこうという方向での研究運動」にとって、また「障害者・家族の多面的で豊かな要求・ニーズを政策の枠に合わせるのではなく、ニーズに合わせて政策をつくりだす」(いずれも昨年の基調報告より)ことから見ても、大変意義ある学習研究活動の一つです。
 このような実態調査を引き続き発展させるとともに、「障害者プラン」とくに「市町村障害者計画」の策定にかかわって、行政資料の収集と分析も行うなど、いっそう積極的な調査研究活動を展開したいものです。
 そのためにはまず「障害者プラン」に関する学習を強化しなければなりません。この夏出版された『障害者プランと現代の人権』(全障研出版部)などをテキストに、支部・サークル単位での学習会にとりくむことが大切です。
 また、こうした調査研究活動の成果を「市町村障害者計画」に生かすためにも、都道府県レベル、市町村レベルで、たとえば障害者の生活と権利を守る全国連絡協議会(障全協)や共同作業所全国連絡会(共作連)のなどとのいっそう積極的・継続的な協力・共同を進めましょう。

(2)理論問題の学習と研究の充実
 障害者の権利を守り、発達を保障するために、学習を推進し研究を深めなければならない課題がたくさんあります。二、三の例をあげておきましょう。
 たとえば閣議決定を経て発行された総理府編『障害者白書』(平成七年度版)は、多くの箇所に「障害は個性」だという記述を含んでいます。障害児教育の分野において、養護学校教育義務制施行に反対し、すべての子どもを普通学級へと主張する一部の動きの中で、障害は個性だという言い方がなされてきたことはよく知られています。それは障害児教育の専門機関・専門的な働きかけを否定するために持ち出された議論でした。障害児・者から実質的に権利を奪う、いわゆる「障害個性論」は、子どもの権利条約に関連する一部の刊行物にも見られます。障害の軽減と克服、二次障害の発生予防などのとりくみとそれを保障する制度的基礎をつくりあげ、障害者の生涯にわたる発達を保障していくことと、障害をもつ人々の人格の尊厳を尊重することとは、矛盾するのかどうか、さらに突っ込んだ理論的な整理が求められています。
 また、すでにふれた特別なニーズ教育等に関連し、さらには障害児教育制度の民主的改革の展望にかかわって、子ども・障害児の多様なニーズに対応できる教育や医療の実践の内容と方法をいちだんと深く研究することも重要課題です。制度改革構想は実践とその理論の深化なしには上滑りのものになってしまうからです。
 福祉の商品化等の動向にかかわって、措置制度の歴史と現状について学び、これを障害者の人権保障といった角度から深めていくことも欠かせません。
 これらは例示にすぎません。各支部、各サークルには、会員の要求や地域の実態に応じて、ほかにも多くの研究課題があるはずです。テーマを選び、積極的な研究活動を推進していきましょう。

(3)歴史学習と未来を拓く研究運動の発展
 未来を拓くためにも、過去をきちんと見つめることが必要です。「発達保障」と「権利保障」を掲げた全障研が生まれて、来年で30周年を迎えます。『全障研30年史』(仮題)の編纂も始まっています。この本には「支部のあゆみ」の項目を設けました。各支部あっては、地域の障害者問題の歴史を振り返る良い機会にもなります。研究運動の一環として歴史の整理と学習にとりくみましよう。また、30周年記念イベントとして、みんなのねがい列島縦断セミナー(仮)、ベトナム障害者交流ツアー(仮)や学生むけの発達保障セミナー(仮)など、多彩な企画を予定しています。
 全障研結成大会の基調報告では、当時の障害者の実態を次のように報告しています。「動く重症児といわれている子どもたちは、あらゆる施設からしめだされているために、人手の少ない家庭の母親は買い物にもいけません。心ならずも子どもを紐でしばります。にげだした子どもが事故にあったという例もききました。親子心中の例もへりません」
 それから30年。今日、障害者の発達と人権の保障はどれだけ進んだでしょうか。この機会に、結成当時から全障研にかかわってきた人をはじめ、全障研運動をになってきた先達に話を聞く会を継続的に開催するなどして、そこから知恵とエネルギーをくみとり、今後の活動の糧としていきましょう。歴史学習と未来の展望を拓く研究の発展、それは今年から来年にかけての最重要課題の一つです。各支部・サークルで、研究活動としてとりくみましよう。
 本大会開催地である高知は、自由民権運動の中心地の一つです。本大会の特別分科会にも「高知の自由民権歴史散歩」があります。植木枝盛は、高知の新聞「土陽新聞」で活躍し、「日本国国憲案」(土陽新聞、1885(明治18)年9月23日付)で「日本国民及び日本人民ノ自由権利」を発表しました。それから110年がたった今ここ高知でで、「すべての障害者の権利を守り、発達を保障する」全障研第30回大会が開かれます。
 先達が拓いた人権・権利保障の思想をさらに深め広めましょう。21世紀に向けて乳幼児期・学齢期・青年期・成人期・高齢期という人生のすべてのライフステージにわたって障害をもつ人々の権利が守られ、発達が保障され、人生の幸福につながる社会を建設するために、広範な国民と手をつないで、さらに大きく前進しましょう。
 多くの方々が、全障研機関誌「みんなのねがい」の読者となり、全障研に入会していただき、ぜひ仲間に加わってくださることを、ここに呼びかけます。

 「ともにひろげよう やさしさと情熱で 
   人・自然・平和のわ 
     ともに拓こう 21世紀のとびらを」


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