全国障害者問題研究会
 第39回全国大会(北海道)基調報告
 

                               常任全国委員会




1 いのち・くらし・夢は奪わせない

1)障害者自立支援法と私たちのねがい

 「車いすは障害者にとって靴でなく足なんです。生きる上で必要な足を持つことが「利益」だからお金を払えというのはおかしい」「トイレに行く、食事をする、風呂に入る。人間として普通に生きるための最低限の介助にも1割の負担金をむしり取るのか」「作業所で一生懸命働いても工賃は1万円にもならない。それなのに今度は、作業所の利用料や食費で月3万円も払わなければならないの? 働くのに金を払えというのか!」
 5月12日、日比谷公会堂や野外音楽堂をうめつくした6600名の大集会(日本障害者協議会(JD)がよびかけた「障害者自立支援法を考えるみんなのフォーラム」 http://www.jdforum.jp/ )での障害者、関係者の発言です。「応益負担に異議あり!」の声は、各地に広がり、国会を揺るがす大きな世論となりました。さらに7月5日には「このままの"障害者自立支援法案"では自立はできません!」とする史上最大の1万1000人の思いを一つに束ねて、国会への要請を展開しました。
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 障害者自立支援法(以下、自立支援法)案は、障害によって格差のある福祉法の統合、身近な市町村での福祉、複雑で多種な施設体系の整理など、私たちが長年にわたって要求してきたことに着手しようとしています。しかし、それらの前進面を帳消しにして余りある抜本的な改悪であり、重大な問題があります。
 障害者・家族の切実なこえに押されるかたちで、政府・厚労省は医療費1割負担実施日を2006年1月に延期するなどの修正案と附帯決議を提案しましたが、最大の問題である「サービス」の利用量に応じ、費用の一割を支払う「応益負担」の導入を変更しようとはしていません。「応益負担」とは、障害者が生きていく上で必要な福祉を「益」とし、それに応じて費用を払えという考え方であり、これにより生じる月2〜4万円が負担増は、障害基礎年金を主な収入としている人たちの生きる権利を根本から奪うものです。施設利用者の食費等の自己負担化、さらに、心臓病や腎臓病などの治療、精神障害者の通院費など障害をもつ故に必要な医療に対する公費負担制度も自己負担が大幅に増え、新たに入院時食費も負担させられます。たとえば、全国心臓病の子どもを守る会の試算では、手術にかかる医療費の自己負担額は、現行1万5千円だったものが、23万円になるとしています。総じて、障害者福祉の制度を介護保険制度に組み込もうする意図がますます鮮明になってきました。
 「聖域なき構造改革」をかかげた小泉政権は、国民に「痛み」と「自己責任」を露骨に求めます。医療、福祉、教育など生活全般にかかわる法・制度を改悪し、私たちの生活不安をますます深刻なものにしてきました。とりわけ社会保障・社会福祉では、国庫負担の削減、保険主義の徹底、利用者の負担増、規制緩和・市場原理の導入などを共通事項として、年金・医療・介護等の関係法・制度が連続的に改悪され、結果的に公的責任を後退させてきました。この自立支援法は、こうした一連の「福祉切り捨て」路線の一環であり、人として生きる権利をうたった憲法第25条を空文化するものだといえます。
 
2)戦争と障害者の幸せは両立しない
 「障害者を排除する社会は弱くてもろい」と指摘したのは1981年の国際障害者年でした。障害者を「役に立たない」「社会のお荷物」などとして排除する社会は、同時代を生きる多くの人々の幸せに生きる権利を奪うものです。
 発達保障の歴史の先駆けとなった近江学園の糸賀一雄園長は、戦争によって放り出された戦災孤児、障害児に、「なによりも温かく楽しい、そして腹のくちくなる家庭」をつくろうと福祉を切り拓きました。まさに福祉と反戦平和は表裏一体の課題なのです。
 ところが、小泉内閣は、自立支援法で障害者に年間1000億円の負担増を強いる一方で、匹敵する財政でイラク派兵を継続しています。そして、憲法「改正」の動きです。
 平和憲法第9条、とくに戦力保持の禁止と交戦権の否定を規定した第2項の改悪が焦点です。改変されると日本は「海外で戦争のできる国」に一気に変質します。戦争に国民を動員する体制が必要とされ、現憲法にある人権や民主主義の条項が後退・変質・侵害させられることは必至です。
 「障害者のうち多数の者は、戦争及び他の形態の暴力の犠牲者であるという事実」から、国際障害者年では障害者の「完全参加と平等」をめざすとりくみを世界平和に結びつけることが強調されました。平和と民主主義を求めるすべての国民、世界の人とともに連帯してきた私たちは、戦争への道、侵略への道をひらく憲法改悪の動きを断じて許すことはできません。
 いま、文化人が提起した「九条の会」が全国に広がっています。「障害者・患者9条の会」のよびかけで、9月には本格的に活動が開始されます。こうした運動とも連携しながら、世界の平和を守る運動に連帯したいと思います。

3)日本国憲法は権利保障、発達保障の土台
 日本国憲法は、300万人をこえる日本国民と2000万人をこえるアジア諸国民の犠牲者を出した侵略戦争への反省に結びついて制定されたもので、日本国民の財産であるばかりでなく、世界の宝物でもあります。
 障害者の人権保障、発達保障を求める運動は、この憲法を羅針盤にしてとりくまれ、多くの成果を獲得してきました。しかし、障害者の視点で見ると制度が確立していないものも数多くあります。そこで私たちは障害者・家族のねがいや要求を掘り起こし、それを束ね、制度要求に高めながら、制度のない中でも実践をはじめ、それを理論化し、新しい制度をつくってきました。
 盲・ろう教育の義務制を求める運動はその端緒となり、養護学校義務制を求める運動は、憲法第26条の「能力に応じて」の規定を「発達の必要に応じて教育を受ける権利」へと読み深めつつ、国民的な合意を得て、制度のより適切な運用を実現しました。私たちの運動は、憲法に依拠しながら、同時に憲法原理の徹底を図ってきたといえるのではないでしょうか。
 全障研の研究運動もその中で大きな力を発揮してきました。「現行制度の対象になっていない人たちに対して、先駆的な取り組みをし、制度の改善や新しい施策を作りだしてきたことに、発達保障論の意義をみいだす」(第37回全国大会の成果と課題)と述べ、それを私たちの研究運動の真骨頂と位置づけています。
 障害者の人権保障、発達保障をめざす運動は世界の歴史の発展方向の大道を歩んでいます。歴史を切りひらく主体者として日本国憲法を土台にして、障害者・家族のねがい、要求にもとづく研究運動を大いに発展させましょう。


2 権利としての障害乳幼児施策の充実を

1)後退が懸念される子ども期のケア
 障害者自立支援法によって、障害乳幼児の生活と保育・療育も、児童福祉法制定後最大の危機にひんしています。児童福祉法の障害児に関する条項のほとんどが自立支援法に組み込まれ、乳幼児期、児童期など発達途上にある子どもの施策としての位置付けが後退してしまうのです。たとえば、地域療育の中でなくてはならない役割を担ってきた児童デイサービスは、自立支援法の「介護給付」の一つにすぎなくなります。また、通園施設を含めた児童施設は2006年10月からすべて利用契約制度に移行し、措置制度は虐待などに限定されます。
 利用契約制度のもとで、利用者は利用料の1割を自己負担し、さらに通園施設の利用においては、1食600円と試算される給食や通園バスの乗車料などを実費で負担することになります。結果として、1家庭あたり1か月の推定される平均自己負担は、3万円を超えることも懸念されます。さらに、育成医療が廃止され、自立支援医療に移行するために、医療費の1割が自己負担になり、各種の補装具も1割負担が強いられることになります。このように累計すると、障害が重複し重度である子どもたちほど、多額の費用負担を新規に背負うことになります。「療育も金次第」と言うことになり、高額の負担に耐えうる家庭でのみ、「ニーズに応じた」利用が可能になる制度改変です。
 ただでさえ障害が発見されたばかりの親子にとって利用契約制度は越えることのむずかしい大きなハードルです。「応益負担」は高額すぎる負担であるとともに、障害の受容に苦しむ保護者への冷たい仕打ちです。

2)健やかに成長・発達する権利の危機
 これらは、明らかに児童福祉法の基本理念と矛盾する制度改悪です。児童福祉法は「すべて国民は、児童が心身ともに健やかに生まれ、且つ、育成されるように努めなければならない」(第1条)、「国及び地方公共団体は、児童の保護者とともに、児童を心身ともに健やかに育成する責任を負う」(第2条)、「前二条に規定するところは、児童の福祉を保障するための原理であり、この原理は、すべて児童に関する法令の施行にあたって、常に尊重されなければならない」(第3条)と記されています。国及び地方公共団体の責任を明記したこれらの規定によって、措置制度と都道府県による児童福祉施設の設置義務も発生していました。憲法上の規定、あるいは子どもの権利条約による規定によって、児童福祉法の「総則」にあたる上記3条は、変更しようがありません。自立支援法による制度改定は法文上はこれらの条文を残したまま、実質制度の骨抜きを図るものです。
 このような児童福祉の権利性に忠実であろうとすれば、現行においても通園施設、児童デイサービス事業に一定の費用負担が生じている問題も含めて、子どもの権利条約第23条で規定されている「障害児の特別のケアの権利」の「無償原則」を徹底すべきです。
 養護学校義務制以降の発達保障の制度的基盤をより広い年齢層に拡充していく課題に照らしてみると15歳以後では養護学校高等部の全入運動の成果として大きな前進がみられる一方で、乳幼児分野では、そもそも権利としての乳幼児期の療育、医療を確立していくという目標をもった研究運動と要求運動が、21世紀の課題として残されています。

3)地域療育の到達点を発展させよう
 しかし、1960年代から70 年代にかけて展開された早期発見、早期対応に関わる制度要求運動は、今日の乳幼児健診、保育所での障害児保育、その後の児童デイサービス事業の広範な地域展開の始まりなどに結実しつつあり、その過程において全障研などの発達保障の理念に立つ研究と実践が地域のなかに蓄積した自治体政策は依然として大きな役割を果たしています。加えて、今日、発達障害者支援法や次世代育成政策などの社会的要請のもとで、乳幼児健診や地域の保育・療育などの資源を有機的に結合して、「特別のケアの権利」を持つ広範な子どもたちのための支援システムを作り上げていく課題は、広く国民のなかに意識されつつあります。これらの成果を後退させることのないよう、学習と実践・運動をたゆまずすすめていきましょう


3 特別支援教育と求められる障害児教育改革

1)教育を覆う黒い陰

 与党の「教育基本法改正に関する協議会」は、「中間報告」で「すべて国民は、ひとしくその能力に応じる教育を受ける機会」(第3条)の「すべて」「ひとしく」を削除し、「国民は能力に応じた教育を受ける機会」に、「教育は、不当な支配に服することなく」(第10条)を「教育行政は、不当な支配に服することなく」に書き換えました。埼玉県での「新しい歴史教科書をつくる会」前幹部の県教育委員就任、侵略戦争を美化した「つくる会」教科書の検定再合格等、真理と平和への挑戦も続いています。今年度も東京都は、卒業式で「君が代」を起立斉唱しなかった教員を処分通告しました。教師や子どもの内面にまで踏み込む行為は人間の心を踏みにじる人権侵害であり、民主主義とは相いれない行為です。東京都教育委員会による性教育を口実とした教育内容への不当な介入に対して、全国で8000名を超える人々が人権救済を求め、東京弁護士会は都教委に対して人権救済では最も重い「警告書」を出しました(05年1月)。しかし、都教委はその姿勢を改めず、「こうした事態を看過することができない」として、養護学校教員・保護者28名が東京都・都教委に対し、教材の返還などを求め提訴しました(05年5月)。政府与党も性教育に関わる実態調査などを通して教育内容への介入があたかも当然のこととするような動きを強め、直接・間接的な影響により、実践内容を変更せざるをえない現場も出ています。戦争のための人づくりをねらう教育基本法の改悪の動きと連動し、国や行政による教育支配が強まっていることの表れといえます。
 義務教育費国庫負担制度を含む、義務教育全体にかかわる問題が大きな議論の対象になっています。中教審義務教育特別部会で義務教育の制度・教育内容のあり方や国と地方の関係・役割のあり方等の審議がすすめられています。これらの審議結果は障害児教育にも重大な影響を与えるものです。
 こうした「改革」をすすめるため、教職員を個別に「評価」し、「評価」による賃金差別と人事政策等管理統制が強化されています。これでは、教師が手と手をとりあい、連帯して子どもの発達を支えるとりくみは大きく制約されざるを得ません。
 私たちが求める改革は、30人学級の実現などを含む、すべての子どもにゆきとどいた教育を保障する学校教育全体の改革であり、そのもとでの特別なニーズに応える教育改革です。国や自治体の責任を明らかにし、諸条件を整え、特別な教育的ニーズへの施策を多様な場や機会で展開し、その対象を積極的に広げるものです。

2)特別支援教育政策の動向の特徴
 特別支援教育への転換が強引に進められています。
 一つは法改定を伴う制度改定の動きです。文部科学省は2004年2月、中教審に特別支援教育特別委員会を設置し、2004年末に最終答申し、2005年の通常国会で関係法改定をする予定でした。しかし、「固定式の障害児学級をなくさないで」「教職員の定数を増やし、条件整備を進めて」といった関係者の声が高まる中、審議は大幅に遅れ、中間報告は2004年12月に提出されました。中間報告は、@通常学級に在籍するLDなどの子どもたちの教育条件整備に対する国の責任を放棄し、切実な課題であるこの子らへの教育推進を地方行政・学校・教職員に丸投げする方向が基本になっている、A特別支援学校において障害種別の専門性を担保するはずの教育部門を制度化せず地方教育行政の課題とし、障害児学校のセンター的機能の役割に小中学校に在籍する子どもたちへの巡回指導など膨大な内容を位置づけながら教員配置など国の責任は放棄している、B障害児学級を将来的になくす方向を明示し、当面も実態的に特別支援教室化する方向を打ち出した等の問題があります。中間報告の意見募集には「特殊学級制度の維持」と「人的・予算措置の拡充」に多くの意見が寄せられましたが、4月末の特別委員会に提案された最終答申案にはほとんど反映されず、「教員免許制度の見直し」に関する加筆にとどまっています。
 もう一つは、文科省関係者が「すでに特別支援教育は始まっている」と吹聴する法改定を経なくてもすすめられる特別支援教育への具体化の動きです。センター的機能に向かう障害児学校の体制整備、障害児学校・寄宿舎の統廃合、交流・共同学習推進による障害児学級の特別支援教室化、一人学級や障害種別学級の統廃合、小中学校の校内委員会設置やコーディネーター指名、個別の教育支援計画の策定、特別支援教育を推進する学校管理システムの全面的な見直しなど、全国各地で表れ方は多様ですが具体化が始まっています。しかし、センター的機能充実の一方で授業担当教員を削ってこれに充てる教員を捻出するのでは、結果的には在籍する子どもたちの学習条件を低下させることになります。特別支援教室への制度見直しは当面結論先送りとなりましたが、特殊学級の弾力的運用と担当教員の活用が研究され、実質的な特別支援教室化に向けた準備がすすめられています。
 東京都のろう学校と寄宿舎の廃止計画、滋賀県の寄宿舎の縮小・廃止計画等、地方自治体レベルでリストラを特徴とする特別支援教育構想が検討されています。給食の民間委託の動きも広がっていますが、子ども・保護者不在の教育改革の象徴といえるでしょう。

3)後期中等教育の充実と専攻科
 後期中等教育について、前述の中間報告では「早急な検討の必要」「(特に)就労を目指した職業教育の充実を図ることは重要な課題である」と強調され、東京や埼玉、大阪など各地で高等養護学校の設置計画が広がっています。後期中等教育の充実は大切ですが、一方で、学校の機能を障害の程度で差別化する動きには注意しなければなりません。
 「花ひらけ15の春」を合い言葉に、高等部全入運動と豊かな人間として青年期を育む青年期教育の創造のための実践と運動を進めてきた、青年期教育全国研究集会も今年の仙台集会で第17回を数えました。青年期教育の実践をより発展させるためにも、ゆっくり学ぶための高等部5年一貫制の専攻科の設置が課題になっています。青年期集会に参加した和歌山の保護者が中心となり「和歌山専攻科を考える会」が結成され、青年期教育の学習会や専攻科実践交流集会にとりくむ中で、「全国専攻科(特別ニーズ教育)研究会」も結成(04年11月)されました。専攻科設置や18歳以降の教育を保障する制度づくりの運動も求められています。全障研の研究推進委員会では、本年度、指定研究として「養護学校専攻科設置の理論的根拠を検討・整理する」ための研究をスタートさせました。 

4)各地に広がる放課後保障のとりくみ
 昨年の全障研大会(長野)期間中に「障害のある子どもの放課後保障全国連絡会」が結成され、全障研の「放課後保障と地域生活」分科会も母体の一つとして役割を担いました。学校5日制実施を契機として、地域で「友だちと一緒に遊びたい」「子どもに生き生きと活動させたい」との声がより切実なものとなり、障害児を対象とした放課後や休日の活動が各地で広がりました。しかし、自治体の対応には依然として大きな格差があります。
 厚労省は2005年度より「障害児タイムケア事業」を実施しました。これは、障害のある子ども対象の放課後対策として、国が初めて打ち出した施策で、障害をもつ中高生などの放課後活動の場の確保、保護者の就労支援、家族の一時的な休息を図ることが目的とされています。補助金額や条件面は支援費制度と比較にならないほど貧弱な制度で、今後改善を求めていく必要がありますが、放課後保障にさまざまな思いを込めた、全国各地での地道な運動の成果としての側面もみていくことが大切です。同時に、廃止案のあった学童保育の障害児保育加算が、関係者の運動によって継続されたことも特筆されるべきでしょう。


4 研究運動の課題

 再来年2007年には、全障研は結成40周年を迎えます。この間、「障害者の権利を守り、発達を保障するための研究運動」は実践面でも、理論面にも着実に深化・発展をとげています。また研究運動に参加する人びとが量的に増えたこととあわせて、障害者、家族のねがいにもとづいて、それまで放置されていた課題に果敢に立ち向かい、発達保障をめざす実践がさまざまな新しい分野へと広がってきたことにも注目したいと思います。結成40周年を迎えるにあたって、未来に向かって発達保障の理論と実践を発展させることを展望しながら、その歴史に学び、そして眼前にある多様な課題に取り組んでいきましょう。そうした立場にたって、以下、当面する研究運動の課題を提起します。

(1)今日的課題との関わりで発達保障をめざす実践を発展させよう
 こんにち、あらゆる局面で実践を発達保障の立場からとらえ直すことが重要になっています。「個別の指導」に例をとってみましょう。学校教育では学習指導要領で求められている個別の指導計画や特別支援教育推進の要とされる個別の支援計画など、個に視点をあてた指導と支援の計画化が奨励されてきました。これらの「計画」は、乳幼児期はもちろんのこと、支援費制度下の成人期の実践にも広がっています。「個別の指導や支援」は、教職員の多忙化や実践のマニュアル化を招く側面がありますが、だからといって一面的に否定しきってよいものではなく発達保障の視点から検討することが課題となりつつあります。この問題を考えるにあたって、たとえば全障研が提起してきた個人、集団、社会の3つ発達の系との関連で、あるいは障害、発達、生活の視点との関わりで「個別の指導や支援」を組み立てていく試みなどが求められているのではないでしょうか。

@個別の指導・支援計画の作成
 学校教育では個別の指導計画の立案にあたって、保護者のねがいを受けとめ、子ども理解の視点、指導の目標などを十分吟味する必要があるでしょう。いずれの場合も、個人の障害や発達、さらには生活について、どのような見方をするのかがまず問われます。子どもを理解するためには、機能ごとにチェックするのではなく「教える中で子どもをつかむ」といった視点が必要です。東京都や埼玉県ではじまっている統一した書式の計画書では、計画の出発点である子ども把握はたいへん不十分なものとなってしまいます。形式的・強制的なものでなく、納得できる内実あるものをどう作っていくのかが重要なのです。成人期の施設実践でも、既成のアセスメントシートを見直し、利用者のこれからの生活も見通した計画とするためにはどんなことが書き込まれなければならないのか、十分に検討することが必要です。

A発達を規定する集団と生活の場
 集団については、子どもや施設利用者にとっての集団・場という面と、実践者にとっての集団・場という面と双方の視点が不可欠です。
 学校教育に例をとると、@でふれたように、個別の指導計画が一面的に強調されるなかでの実践は、子ども(個)対教師(個)という個対個の関係にのみ着目してすすめられがちであり、そのようなもとでは、教育的人間関係が「子ども(個)と教師(個)」の一対一の関係に矮小化されてしまいます。そうではなく、一人の子どもを見るにも、さまざまな場面で示す子どもの事実を複数の教師集団で吟味する、あるいは集団との関わりの中での子どもの行動に着目するなど、発達保障のためには、障害児・者のねがい、思いに寄り添った集団的なとりくみがますます求められています。
 特別支援教育の議論の中では、障害児学級をなくそうとする意見に対して、多くの保護者から「子どもたちの居場所をなくさないで」との声があがりました。その言葉は、自分が肯定的に受けとめられ、主人公になれる場が、子どもの発達とって不可欠であるとの訴えでもあります。私たちは子どもの発達を規定する「集団」と「生活の場」の意義について理論的に深めていく必要があります。

B制度や社会的基盤づくり
 発達保障を実現する社会の条件整備についても、ライフサイクルごとに課題が山積しています。ここでは権利保障という点から地域間格差や公的責任において看過できない問題をはらんでいる乳幼児期の問題を指摘しておきたいと思います。
 障害が発見されてまもない障害乳幼児とその家族の生活実態や発達保障へのニーズを具体的に把握し、研究運動を通じてさらなる要求の掘り起こしをはかり、これまでの療育システムの不十分さや実態に応じて修正を求められる点を明らかにして、望ましい制度を提起する政策研究をすすめましょう。そして、発達保障の実践や諸外国の現状に学びながら、権利としての乳幼児対策の内実を、要求にもとづいて政策化していくことが大切です。そのためにも、障害乳幼児の特別なケアの権利性をふまえた法制度研究を集団的にすすめていく必要があります。

(2)発達保障の理論を深めよう
@権利論の究明を
 支援費制度の下、「利用者主体」とか「利用者の意向にそったサービス」という文言が広く定着していますが、本当に権利と結びついているのでしょうか。障害者自立支援法案の内容とも関わって、「利用者主体」をあらためて権利論の課題として検討する必要性が指摘されています。利用契約制度下の介護保険制度を先例としてみると、同制度は介護サービスを選択し受給する権利は認めているものの、それは行政が認めた範囲内の契約履行の権利でしかありません。これと同様のしくみが自立支援法で確立するとなると、障害者基本法、各福祉法で規定されている当事者の権利や行政の義務・役割規定を実質的に狭める働きすることになります。これらの関係、矛盾の検討は、障害者の願いの実現を、権利として根拠づけていくための重要な作業となるでしょう。

A障害の定義・認定と教育・支援のあり方
 WHO「国際障害分類」の改訂、すなわち国際生活機能分類(ICFの公表、2001年)ともかかわって、ここ数年の基調報告では障害概念の検討を研究課題として掲げてきました。障害者自立支援法では、現行の障害福祉三法の手帳制度は残したままで、福祉サービスの供給にあたっては、三障害共通の障害程度区分にもとづいた認定制度を導入しようとしています。障害程度を調査するチェック項目の内容、審査のプロセスの両方で介護保険の要介護認定がモデルにされています。しかし、介護保険との「統合問題」で明らかになったことは、障害による生活上の困難や必要な配慮は一律のチェック項目では測定できない、多様な年齢層にわたる障害者の場合、高齢者とは異なるライフスタイルがあり、そこでの支援の重要性などでした。社会参加やその人らしい暮らし方とのかかわりにおいて障害をとらえるICFの障害論や国連「障害者権利条約」の動向を十分に検討しつつ、障害の概念・認定と支援の関係を研究することが重要です。
 また、この4月から発達障害者支援法が施行されました。この法律は、LD、ADHD、高機能自閉症など障害者施策の対象とならない人々に対して、乳幼児期から成人期にわたる支援を総合的に推進することを目的としています。このことは前進面ではありますが、さらに障害の種別や程度にかかわらずすべての障害者が必要なケアを受けられるよう総合的な福祉法を検討する課題があります。

B専門性の探究
 特別支援教育への「制度見直し」の中で教員免許のあり方(「特殊教育免許の総合化」等)も検討されていますが、中教審ワーキンググループの「審議のまとめ」によると障害児教育の本質にかかわる教育原理や教育史を軽視する傾向にあり、本質を知らずともマニュアル通りに動ける教員づくりがすすむのではないかと懸念されます。同様の傾向は、ほかの職員養成でも指摘されています。ともすれば、ある特定の方法論の知識や指導計画作成スキル等が専門性であると思われる今日、障害のある人の実態をつかむ、集団の中で自分らしさを発揮する活動をつくる、家族の願いに寄り添いつつ、連帯して発達を支える、そういった専門性を改めて大切にしたいと思います。
 また、福祉、教育を問わず、コーディネーターという仕事が注目を集めています。コーディネーターには、まさに「人と人をつなぐ」役割があります。専門性の質とその力量形成、労働条件などについても議論を広げていきましょう。

(3)あらゆる角度から障害者・家族の実態に光をあて政策課題を明らかにしよう
@ねがい、要求から政策提言できる研究運動を

 障害者自立支援法がもたらすさまざまな困難が関係者の間に広がるなかで、これまでつながりのなかった人々が全障研などの主催する学習集会などに参加し、率直に思いを語っています。また、昨年障害者の生活と権利を守る全国連絡協議会(障全協)のよびかけでとりくまれた「障害児者の社会的支援ニーズ実態調査」は「家族介護」に依存した障害者・家族の生活実態をするどく明らかにしました。このように、障害者・家族のねがいや要求をあらゆる方法で掘り起こし、それを束ね、障害者、家族とともに制度要求に高める学習・研究運動をすすめていきましょう。

A国連「障害者権利条約」と日本の課題
 障害者権利条約は、第二次世界大戦後、人種や性などによる差別をなくしすべての人の人権を保障しようという世界中の人びとが追求してきた課題の延長線上に位置づく条約です。この点からすると、私たちが掲げてきた発達保障の理念と実践は、日本国内において権利条約の内実を作り上げるために重要な役割を果たすべきものです。条約は、障害の定義やアクセスやコミュニケーションの権利など、わが国の法制が曖昧にしたり視野に入れてこなかったことがらを盛り込もうとしています。他の国際条約同様、成立・発効後、批准すれば、条約の内容にそった国内法の整備が求められますから、より高い水準の条約としていくとりくみと日本における権利侵害の実態を明らかにし、障害者差別禁止法など権利保障のすじ道を検討する活動とを、並行しつつ総合的に進めていくことが重要です。

B憲法と発達保障の関係を深める課題
 朝日訴訟、堀木訴訟、そして無年金障害者訴訟など現在もたたかわれている社会保障裁判を見渡すと、憲法に書かれていることを政府が実行しているかという基準をもつことが障害者と家族の権利を守る上でとても重要だということがわかります。とりわけ憲法第9条を争点とした「改憲論」が声高に展開される情勢のもとで、私たちは「平和のうちに生存する権利」の意義、すなわち平和が保たれることを基本的条件としてだれもが人としてあたりまえの生活をおくる権利があるということに深く学び、これを生かした実践や運動をすすめていきましょう


(4)地域に根ざしたとりくみを進めよう
 内外で連続して起こる自然災害。全障研は、新潟中越地震、兵庫北部・京都北部水害による被災障害者・関係者への救援を緊急によびかけ、その成果は有効に活用されました。それぞれの地域では、障害者・関係者を一人ひとり訪問し、声を聞き実態把握につとめ具体的な支援に努力しました。全国事務局は支部やサークル、役員と連絡をとりあい、「みんなのねがい」「全障研しんぶん」、ホームページなどで情報発信しました。
 どのような理論や実践も、関係者の具体的で切実な要求に基づいたものでなければ、力を発揮しませんし、広がってもいきません。研究運動を進めていくためには、地域に根ざした日常の地道な取り組みが不可欠です。
 それぞれの地域において、障害児・者やその家族の生活実態と発達保障へのニーズを具体的に把握し、人権・発達保障の制度・機能がどこまで整備されているのか、調査活動を積極的に展開し、実態を把握していきましょう。そうした取り組みを通じて、さらなる要求の掘り起こしを図っていく必要があります。
 法律で義務づけられた障害者基本計画など市町村を単位とした課題も増えています。全障研はこの間、「地域」「つながり」「集団」を大切にして「接着剤」としての役割を果たしていくことを提起してきました。こうしたよびかけに応えて、小さな集まりから支部活動まで、横断的取り組みが各地で多彩に展開されてきています。
 「手をつなぐこと」「要求し提案すること」を各地域で、いまこそ大きく広げたいと思います。学習と組織に「みんなのねがい」を大いに活用しながら、全障研運動をさらに前進させましょう。





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