全国障害者問題研究会
 第32回全国大会(大阪)基調報告

                           常任全国委員会


はじめに

 消費税、健康保険本人二割負担をはじめ、国民に大きな負担増を強い、生命、健康、生活を平気で犠牲にする政治によって、広範な人びと、とりわけ障害者とその家族、高齢者や病弱者、低所得者の生活不安はますます深刻化しています。大蔵官僚の金融業界との癒着や厚生官僚の汚職事件が次々と発覚、さらに大手銀行や証券会社の倒産、廃業が相次ぎ、中小零細企業の倒産件数も急速に増加しています。長引く不況による失業者の増加も過去最高となり、景気の低迷は長期にわたって続いています。政府はこのような事態に対応する能力を完全に喪失しているにもかかわらず政権にしがみついています。そればかりか、消費税率をせめて3%にという声にも耳を傾けず、銀行やゼネコンの救済に「公的資金」という名の30兆円もの血税を投入し、そのうえ景気回復に役立たないことが明白な公共事業に国家予算の大きな配分を行うなど、大企業奉仕の政治を強行し続けています。 「どうにかして現状を変えたい」というねがいや要求が強まるなか、私たちは”元気じるしの大阪”で第32回全国大会を開催します。

 大阪では、障害者の親、教育・保育関係者、研究者などが協力し、「障害児者の家族の健康・生活実態調査」を実施しました。3200件をこえる詳細なデータの分析によって、障害児者の介護の負担が家族とくに母親に重くのしかかり、心身の疲労の蓄積が介護者の健康状態を悪化させていることや、無業層や低所得層ほど障害者制度・施策を知らず利用できていないことなどが明らかにされ、課題解決の一つとして、親の自立と子の自立に向けての新しい生活づくりの運動が進みつつあります。また、大阪府は「財政再建」の名の下に、重度障害者医療助成制度への所得制限の導入や施設機能強化推進費の廃止など、福祉・医療・教育をつぎつぎと切り捨てる政策を打ち出してきましたが、98年2月26日に、2000人の府民とともに多数の障害者や家族が大阪府庁を取り囲み、怒りの声を挙げました。

 私たちは、この大会を、障害者や家族の実態や要求をほりおこし、多くの人々とともにねがいを実現する運動を展開している大阪の経験を学び、研究運動の課題も明らかにして各地へ持ち帰る大会、まさに元気をわかちあう大会にしたいと思います。いま、全障研の会員数は過去最高となっています。きびしい情勢の中、障害者の権利を守り発達を保障するために、事実・真実を知りたい、問題解決の方法をつかみたいという学習と研究の要求が確実に広がり高まっていることの反映です。全参加者の協力によって本大会を成功させ、全障研がますます裾野をひろげた研究運動団体として発展していくための大きな契機にしたいと思います。


1 社会保障・社会福祉をめぐる動き

 今日の社会保障・社会福祉においてもっとも重要なことは、国民が戦後50数年にわたる運動によって守り発展させてきた理念・制度が、「社会福祉の基礎構造改革」といわれる政策によって根本からくずされようとしていることです。政策的に強調されてきた「みんなのためにみんなでつくり、みんなで支える」福祉という言い回し、「自立・自助・自己責任」といったスローガンは、このような政策意図を表現したものです。

 中央社会福祉審議会の本年6月の「社会福祉基礎講構造改革について(中間まとめ)」では「措置制度」の廃止が打ち出されました。そこでは、日本の社会保障・社会福祉はすでに成熟し欧米なみになったなどと事実に反することが言われ、戦後初期に作られた諸制度はもう古くなって制度疲労を起こしていると強調されます。政府は他分野と同様に「規制緩和」をさかんに言い、公的責任で原則無料とされてきた社会保障・社会福祉サービスを民間委託し、市場原理をいっそう徹底して強化しようとしています。「福祉見直し」の域を出て、文字どおりの「福祉切り捨て」へと政策転換がはかられているのです。

 たとえば保育所についてみると、その数が実際には不足し待機児も増え、保護者が保育所を選択する条件はきわめて不十分であるにもかかわらず、措置制度が廃止され、入所は保護者と個別の保育所の自由契約という手続きによるものに変えられました。これは保育を商品化し保育所設置に関する国の義務を免除するものにほかなりません。また、障害者施設の民間委託がすすみ、補助金ではなく補助事業化されて「出来高払い」の方向がとられるようになり、安定的な施設運営がむずかしくなりつつあります。介護保険制度の導入が決まりましたが、相当に運動を強化して介護者の養成・配置とそのための予算措置を要求し、また要介護者の多岐にわたる介護要求を実現する方向をうみださなければ、まさに「保険あって介護なし」になってしまいます。同時に、子どもの時からすでに種々の程度で介護を必要とする障害者の公的介護の社会的システムをどう創り出すか、それをこのたび導入された介護保険制度とどういう関係のもとにおくかも早急に検討されなければなりません。

 こうした動向にからんで、障害関係三審議会合同企画分科会の「障害者プラン」の積み残し課題に関連する「中間報告」(97年12月)は、身体障害・精神薄弱・精神障害の三つの施策の総合化、介護保険制度の導入をふまえた障害者施策の再整備、21世紀をむかえる中で社会経済や国民意識の変化にどう対応するか、などのことを検討の視点としています。また現在、障害者関連の6つの法律改正の準備作業が行われています。安易な公的責任の放棄、障害者・国民の負担をさらに強化させることのないよう、油断なくこれを監視しなければなりません。

 昨年12月に成立した「財政構造改革の推進に関する特別措置法」により、社会保障・社会福祉予算は大幅に削減されています。本年度予算では自然増だけでも8000億円必要とされるにもかかわらず3000億増に抑えられ、これにより「新ゴールドプラン」や「障害者プラン」の達成があやぶまれています。具体的には、たとえば「命が差別されている」と難病団体から強い反対があったにもかかわらず、難病医療費全額公費負担制度をくずし一部自己負担が導入されました。医療保険の本人二割負担、施設整備の補助基準額切り下げなど、種々の関係予算が削減されています。

 保育・教育・福祉・医療の市場化、公的責任の放棄が進行していますが、「地方分権」政策によって地方自治体への財政的裏付けなしの権限移譲がすすめられてきた結果、受益者負担が増大するとともに、自治体・地域間格差がますますひろがっています。障害乳幼児の分野では、「障害者プラン」による地域療育支援事業が具体的に事業展開される予定でした。しかし、プランが実施されて2年がたったものの通園施設で地域療育支援事業の適用をうけた例はごくわずかです。また保育所等を活用した小規模通園事業を開始する自治体が徐々に増え、今年から通園施設の障害種別をこえた相互利用がはじめられていますが、これらの事業も公的予算の削減、「利用者負担」を基本に運営される傾向がつよまっています。

 しかし、このような状況のもとでも、さきにふれた大阪だけでなく各地で運動が前進しています。たとえば広島市の総合療育センターの民間委託をめぐっては、父母の機敏で広く市民に訴える強力な運動によって、約2か月で27万の署名を議会に集中。議会の力関係で委託は強行されましたが、公的責任の堅持を含め、ほぼ全面的に願いを認めさせたことは、おおきな成果といえます。東京都のシルバーパス廃止、医療費の自己負担導入など福祉切り捨ての策動を、高齢者とも手を結んだ運動で阻止した障害者と家族の生活と権利を守る都民連絡会(障都連)のとりくみも全国の仲間を勇気づけました。また小規模作業所の中で障害者がもっとも多く利用している無認可共同作業所への国からの補助金削減の提案も、共作連をはじめ広範な人々のおおきな反対運動により撤回されました。

 福祉切り捨ての嵐の中で、このほかにもさまざまな実践や運動が展開されています。多くの地域で親たちが積極的に自分たちの組織をつくり、活動する姿もめだっています。「ファミリーサービス」や「レスパイト」を実現し、ゆたかなくらしの実現をめざして運動を展開している地域が増えています。また、これまで法外施設であった学童保育所についても、児童福祉法「改正」にともない法内施設に位置づけられるようになりました。70の団体が参加している日本障害者協議会は、さきにまとめた障害者に関する総合的な福祉法に関する提言に加えて、今年度は所得保障、施設体系など6つの分野にかんする政策提言をまとめあげました。また、この協議会や障害者の生活と権利を守る全国連絡協議会(障全協)などの運動によって、障害者の資格取得等にかかわるきわめて多数の「欠格条項」の見直し作業がはじめられ、後見人制度など障害者の権利擁護にかかわる法レベルでの検討も行われています。都道府県、自治体、民間の障害者権利擁護機関の設置も進みはじめました。全障研も協賛団体に加わって製作されたアニメ「どんぐりの家」は、全国で上映運動が展開され約50万人が鑑賞しました。障害児をそだてる親の苦労や、作業所建設に奮闘する姿は、多数の人のあいだに障害を持つ人々とそれをささえる家族や教師への理解と感動を広げています。

 今年は、「障害者プラン」の実施3年目ですが、このプランの予算は、今年度わずか132億円増にとどまっています。数値目標も、ほとんどの事業が前年度よりも低い数値となっています。「障害者プラン」が進展しないひとつの理由として、市町村障害者計画の策定が努力規定にとどまり、その結果、現在策定済みの市町村が全体の17.9%(97年3月現在)にとどまっていることがあげられます。また、障害者プランの具体化の過程でも、さまざまな課題が積み残されています.行政当局に「著しくたちおくれている」現状を認識させ、そこにおける公的な基盤整備を要求していくことが大切であり、障害者や家族の願いや課題にこたえられる「障害者プラン」づくりにむけて声をあげていく必要があります。


2 障害児教育をめぐる動向と課題

 21世紀を目前にした現在、わが国の障害児教育は前進の成果ととともに解決を要する課題もたくさん抱えています。第一は、ひんぱんな通院や入退院をくりかえす各種の病弱児をはじめ、学習権保障がまだ十分でない子どもたちがいることです。また重症児にたいする訪問教育の実施は歴史的に見れば前進ですが、子どもの状態によっては、もっと時間も回数も学習可能な子どもまで一律の限られた教育しか保障されていないという実態があります。医療的ケアを必要とする障害児にたいする学校教育の整備も地域によっては少しずつ前進し、教職員と医師・看護婦と教師などが協力体制を組むことによって訪問教育籍から通学籍への移行に成功している例もみられます。しかし、全国的にみると救急医療体制、教師等学校職員の研修機会の確保その他が不備なところが多く、改善が求められています。

 第二は、教育年限の延長の問題です。養護学校義務制実施後、後期中等教育とりわけ養護学校の高等部増設の運動が広がり各地で成果があがってきました。また、昨年度から高等部での訪問教育が「試行」としてはじまりました。京都や滋賀では、父母中心の運動で、今年の4月からこれまで、訪問教育対象者で高等部教育を受けられなかった三十代、四十代の人々の高等部教育を認めさせるという成果を得ています。高等部における訪問教育の「試行」は、作業学習偏重の高等養護学校構想推進の文部行政を改めさせ、希望者全員進学にむけて展望を開くものとして積極的に評価できるでしょう。しかし、現在の訪問教育対象児の中には、義務教育段階の訪問教育と同様、高等部数を増やす、通学手段を確保する、そこにおける医療機能を充実するなどの行政努力があれば、通学して学習可能な子どもも多数いることは明らかです。進学率は高まったが学習権保障は不十分だというようなことのないよう、実態を調査するなどして取り組みを強化しなければならないでしょう。さらに、養護学校の高等部の上に専攻科を設置し、制度的拡充を図る取り組みも、具体的課題となりつつあります。

 第三は、教育内容・教育方法をめぐる問題です。この点では98年6月の教育課程審議会の「審議のまとめ」に注目する必要があります。そこでは、知的障害教育での「合科・統合」に加え、他の障害においても「総合的な学習の時間」の創設が打ち出されており、障害児教育全体にわたって、各教科の系統的学習がなおざりにされることも考えられます。また、「養護・訓練」(「自立活動」と改称)を中心に個別の指導計画の必要性が強調されています。「個別の指導計画」に関連して、すでに東京では教育委員会が強力に「個別指導計画」の作成を教育現場に押し付け、この影響が他県にもおよびはじめています。個別指導一般が拒否されるべきではありませんが、都教委などが強制している個別指導計画は、子どもたちの集団的なとりくみと育ち合いを過小評価したり、教育を訓練で置き換えることにつながる危険性を帯びており、また学習指導要領を押しつけ、教育課程編成に関して行政的に介入する手段とされている点に目を向けなければなりません。全障研は今大会に間に合わせて「個別教育計画」をどう考えるべきかについての書籍を刊行しました。これも素材の一つとしながら、学習・研究を深めることが期待されます。さらに、この「審議のまとめ」は、軽度児を中心に職業教育編重の教育をいっそう進めるべく、新たな教科や学科の新設も行うとしています。

 第四は、通常学級にいる障害児や特別な教育的ニーズをもつ子どもの教育の問題です。学校では、不登校・登校拒否、高校中退が依然として増加傾向にあるとともに、小学校でさえ授業が成り立たないところが増え、中学校を中心にナイフによる殺傷事件が続発するなど、「あらたな荒れ」といわれる深刻な状況が広がっています。政府・文部省は、このような状況を生み出した最大の原因がこれまでの文教政策にあることを隠蔽(いんぺい)し、責任を父母・教師・国民に押しつけています。しかも、財界と文部省は規制緩和といいながら日の丸・君が代の強制は一段と強化する方針をうちだし、「生きる力」「心の教育」などを前面に押し出しつつ、財界の21世紀生き残り戦略のために、ごく一部の「天才」「異才」と多数の中間・末端労働力としての「凡才」「非才」を、個性の名のもとに選別する教育を推進しようとしています。このような政策では子どもも学校もよくならないことは目に見えています。教職員組合の全国組織や「日本の教育改革をともに考える会」をはじめ、多数の団体・個人が真剣に教育問題を考え始めています。長野県下の小さな自治体のように町村負担による教員の採用で30人学級を実現するところもでてきています。教育をめぐる父母、国民の危機感と子どもへの発達への願いには、力強いものがあるといえましょう。通常学級に多数いる障害児、いわゆるLD(学習障害)児、行動的・情緒的に不安定な子ども、学習がいちじるしく遅れている子ども、不登校児など、いわゆる特別な教育的ニーズをもつ子どもへの関心が高まっており、障害児教育関係者と通常教育関係者の協力・共同の必要性が増しています。

 最後に指摘しておきたいのは障害児の放課後生活の場の拡充の問題です。各地で2002年からの完全学校五日制も意識しつつ、障害児の放課後生活を充実させる条件整備のとりくみが前進し、児童館・学童保育への障害児の受け入れ件数が増加し、障害児を対象とする学童保育の自主的な設置もすすみはじめています。


3 研究運動の当面する課題

 以上のような情勢と課題の認識にたつとき、研究運動の当面する課題として、どのようなものを設定すべきでしょうか。昨年の大会では、@人間としての尊厳、人権の主体としての障害者、A政策立案能力の形成に向けて、Bさらに広範な国民と手をつないで全障研運動の発展を、の3つを柱に研究課題が提起されました。これらは、全障研運動30年の蓄積に立ち、21世紀の全障研運動の課題を意識して、大局的な見地から提起されたものです。

 今年はこれら3点を念頭におきながら2つの課題を提起しますが、そのまえに研究運動における相互批判を大切にすることの重要性をあらためて確認しておきたいと思います。それは、全障研運動を誰でも自由に発言できる民主的な運動としてただしく発展させるとともに、実践的にも理論的に向上させていくために不可欠なことです。これには、2つの意味がふくまれています。一つは、互いの願いや悩みを要求にねりあげる過程で相互批判を大切にしようという意味です。障害者やその家族、ボランティア、ヘルパー、教師、指導員、それぞれの悩みや願いは切実であるがゆえに、時として対立したり矛盾する場合があります。第29回大会基調報告では、そういう時に、「わかるけどできない」「そうはいっても…」と否定するのでなく、「どうしてそう思ったか」「なぜそう願うのか」など、みんなでていねいに深めていくことで、現行の制度の矛盾、新しい制度の創設の要求へと発展していく可能性があることを提起しました。いっけん対立する要求のなかから、新しい運動の方向を導き出すためにも、建設的な相互批判とそれを可能にする運動が必要となるのではないでしょうか。二つは、この間の実践や運動の前進のなかで生じている理論的課題を、相互批判的に検討するという意味です。学校教育制度や社会保障制度がおおきく変えられようとしています。同時に親や障害児者、関係者の運動であらたな課題も明らかになり、展望もきりひらかれています(例えば、医療的ケアの必要な子どもの教育、放課後生活)。しかし、これらのあらたな課題の解決を追求する場合、絶対的に正しく障害児者の人権と発達保障を確かに実現できるといえるモデルがあるわけではありません。データを集め、経験と理論に学び、みんなで意見をたたかわせ、いったん要求が実現しても、それについてまた民主的に討論をかさねるということが必要です。

(1)地域における政策立案能力の形成
 昨年の大会では、「権利擁護」の分科会がはじめてもうけられたことに象徴されるように、大会の討論でも障害者の人権が生活全般にわたってあらゆる角度からとらえなおされるようになってきました。これは、国際的な障害者運動の障害者年以降の特徴的な動向ともかかわっているものです。人権を問題にする場合、障害者の人権が暴力や虐待によってふみにじられるような事態をなくしていくことはもちろんですが、それにとどまらず、社会の中で「同年齢の市民と同等」の権利を保障するために、なにが必要かという積極的な視点にたった検討が必要です。この間、全障研では、「一支部・一サークルがすくなくとも一項目の権利保障点検運動をすすめよう」(第28回大会)、「願いや悩みを要求にねりあげる過程を大切に」(第29回大会)、「障害者・家族の多面的で豊かな要求にねざす『市町村障害者計画』策定のための調査研究活動の推進」(第30回大会)と、毎年この点での研究運動の重要性を強調してきました。それにもとづいた形で、大阪・京都での父母の健康実態調査、障害児の放課後実態調査(例えば、滋賀や北海道)などが、各地で独自の要求を掘り起こしながら精力的におこなわれてきました。しかし、さきに述べたとおり、教育・福祉の切り捨てをいっそうおしすすめる動きがさまざまな形で強まっています。
 こういった状況だからこそ、以下の点での研究運動が重要となっています。一つは、「障害者プラン」の充実をはかるためにも、各地域・各サークルでひきつづき市町村障害者計画の策定にむけた取り組みを精力的におこなうことです。この間、市町村への権限委譲がさまざまな形でなされる中、障害者施策を推進する上で市町村の占める位置が今まで以上におおきくなっています。しかし、市町村障害者計画の策定は障害者基本法において「努力規定」にとどめられたことも影響して、策定済みの自治体はあまりふえていません割に達していません。その計画策定の際には、障害児者自身の生の声をどう反映させるかも大きな課題となります。障害児者も、教員も研究者も、対等な立場で学びあう全障研の優位性を発揮しつつ、この課題に取り組むことが求められています。二つは、そのためにも、地域サークルの組織・充実をはかるということです。さきほども指摘したように、地方分権による自治体への権限委譲により、要求実現の窓口が市町村の自治体になってきています。さまざまな地域間格差がある中では、県や国レベルでの要求だけでなく、市町村独自にかかえている課題を解決することもとても重要です。そして、それを実現していく際に、地域の要求をくみあげねりあげる場としての、地域サークルの存在が重要となってきます。サークルの形態は、理論の研究や学習だけでなく、お互いの会員の自由な要求(例えば「お母さん達だけでお茶を飲んで、自由に話したい」)にもとづいたものであっていいでしょう。そういうものもふくんで、さまざまな要求で生まれたサークルの自由な話しあいの中でこそ、いろいろな疑問、願い、要求が生まれてきます。それが、地域の障害児者と家族にとって住みやすい地域を作る原動力となっていくのではないでしょうか。

(2)相互批判にもとづく、理論問題の学習・研究の充実
 全障研運動は、「実践から理論へ、理論から実践へ」という、理論と実践の還流関係をいっかんして大切にしてきました。そして、理論問題についても、実践と運動が進展する中で、あらたな検討課題を生じてきています。ここでは、4つを例としてあげておきます。

 一つは、特別なニーズ教育などに関連した、障害児教育制度の民主的改革を、教育実践、教育内容・方法の深化とむすびつけて展望する課題です。昨年の大会では、医療的ケアの必要な子どもの教育をめぐる議論などを紹介しながら、「これまでの課題がどちらかといえば学校教育法など既存の法律にさだめられた内容の充実や、義務教育の枠内での最低限の保障が中心的な課題」であったのに対し、ここ数年は、「医療との連携・通常の教育との関係・法律上はさだめられていても公立学校では実現していない高等部以後の教育など、いずれもあらたな飛躍がもとめられることがら」が議論されるようになってきていることを指摘しています。これらは、養護学校義務制実施より20年を経過し、実践と運動の発展があらたな理論課題を提起してきている一例といえます。しかし、医療的ケアの議論にあるように、それを終始制度・施策の問題としてだけ議論するのではなく、子どものよりよい状態・発達をうみだすためにどうすべきかというように教育実践の観点からも検討し、それに必要な条件をつくりだしていくという方向ももとめられています。そして、そのためには、保育・教育・施設実践においてしばしば取り上げられる各種の訓練法(たとえば、TEACCHプログラム)や技法について、あるいは授業そのものについても、建設的な相互批判とそれにもとづく検討が必要となるでしょう。

 二つは、障害児者の自己決定の問題をどう考えるか、といった課題です。昨年の大会では、自己決定権は当然承認されるべきだが、それは決定にさきだつ選択肢が多彩・多様であることが必要であり、両者を切り離しては考えられないことを指摘しました。教育の分野では、昨年だされた中央教育審議会第二次答申において、自己選択と自己責任を結合した教育制度改革が提起されています。しかし、この提起のように、背後に「天才」から「非才」まで、教育に能力主義を徹底させようとする発想にたつ改革は、障害児には選択肢がまずしいままでの形式上の自己選択となる危険性をもっています。そして、こういった自己決定の問題を考える際には、選択肢の問題だけでなく、障害児者自らの自己決定を行使する能力と主体的人格をどのように形成するかという議論も、欠落させてはならないことをあらためて銘記すべきでしょう。社会福祉分野では、措置制度の議論にみられるように、「利用者の選択の尊重」がしばしば取り上げられます。しかし、障害者の自己決定が、臨調行革から一貫している「自助・自立」の路線の中で、どういう位置づけをあたえられているのか、といった視点での再吟味も必要となっているのではないでしょうか。

 三つは、障害概念に関する課題です。WHOでは、機能・形態障害(impairment)-能力障害(disability)-社会的不利(handicap)の、障害の三層構造について検討を深め、impairment(身体の構造面と機能面の機能障害)、activity(活動の制約)、participation(参加の制限)と変更する方向をとろうとしています(99年に第2版を出す予定)。これは、現行の障害の概念がどちらかといえば、医学的な発想にもとづいていたことと比較すると、社会的・教育的な意味に力点を置いたものとなっている点が特徴です。また、このことは、三層の関係が現行概念の一方向的なものから、双方向的な関係を想定している点にもあらわれています。いずれにしても、障害の概念の規定のしかたは、単なる考え方の問題にとどまらず、教育・福祉、そして障害者運動に、おおきな影響をあたえるものです。その意味で、この改訂の動向をていねいに追い、それを教育実践・運動の視点から検討することがもとめられています。

 四つは、全障研の中で提起されてきた、理論的課題を継承し、それを深化発展させることです。全障研結成から30年がたち、新しい会員が多数をしめるようになっています。全障研が実践と運動の中で積み上げてきたもの(例えば、昨年の基調報告にも、「教育に下限はなく、発達に上限はない」などいくつかの発達・障害、そして運動論についての蓄積が紹介されています)を、実践・運動・制度等の発展の現段階において、その意義を深め、正すべきは正しながら継承・発展させることが重要です。昨年の第27回組織者学習会では、「研究運動の課題と展望」と題して、「ヨコの発達について」「障害児教育における基礎学力」「あるがままを尊重することと発達保障」の3本の報告がなされ討論が行われました。ここに例示したものだけでなく、全障研がその歴史をつうじて提起し議論してきた問題、多くの人のものとなったテーゼ的なものの中には、今日的課題の解決に有効なものが多くあります。同時に、10分に突っ込んで理論的に検討すべきものもあります。『全障研30年史』や「障害者問題研究」なども活用しながら、こういった議論を、活発に展開していきましょう。

 最後に、本大会に参加されたみなさんの中で、機関誌「みんなのねがい」(月刊)、「障害者問題研究」(季刊)を未購読の方々には購読をお願いすると同時に、全障研に未入会の方々にはぜひ入会して私たちとともに歩んで下さるよう呼びかけます。

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