国際連合マーク障害者権利条約を考える      

国連では、障害者の権利条約制定の動きが急ピッチですすんでいます。5月には第3回、8月には第4回の特別委員会が開催され、
条約交渉に入りました。
全障研は、玉村公二彦(奈良教育大学)、青木道忠(大阪支部長)、中村尚子(全障研副委員長・立正大学)の3名を派遣し、
加盟するJD(日本障害者協議会)の一員として日本を代表するNGOのJDF(日本障害フォーラム)で任務をはたします。
また「障害者権利条約資料集1」を作成するなど、特別プロジェクトチームによる情報収集や分析活動を行っています。

第4回特別委員会開催中には前半の8月25日、後半の9月1日に、日本政府・NGO共催でJAPANセミナーを開催。
10月31日(日)には、JDF(日本障害フォーラム準備会)主催として「総括セミナー」が東京で開催されます


■速報  国連・第4回特別委員会(ニューヨーク国連本部) 2004年8月23日〜9月3日(終了しました)

**速報性を重視していますので、まちがい等があるかもしれませんが、その点はご容赦ください**

特別委員会の様子(中村撮影) なかむら たかこ
中村尚子さん
たまむら くにひこ
玉村公二彦さん
障全協副会長・いちはし ひろし さん
市橋博さん
あおき みちただ
青木道忠さん

■NY 中村レポート<Last>
9月4日
 長かった1週間がやっと終わった。朝、目覚めると、ドアに電話代の請求書が届いていた。$40とちょっと。意外と少ないと思ったら、インターネット接続は定時間定料金らしい。1.25の数字が並んでいた。そうか。知っていればつなぎっぱなしで作業をするんだった。
 隣のお店(お世話になったのに名前を知らない)で最後の朝食をとる。卵とハムとチーズをクレープで巻いたようなものを注文。またしても思った量の2倍を手にする。味わって食べた。
 チェックアウト。ロビーにみんなが集まってきた。東京でまた会えるのに、なんだかみんな散り散りになってしまうような挨拶を交わしている。それだけ、苦労をともにした感慨があるのだ。もっとも、宮本さんはこれからDPIの会議のためにカナダに向かうそうだ。そういえば東さんも、成田から熊本だ。しばらく会うことはないだろう。
 1週間前と同じく、市橋さんと二人でタクシーに乗り込んだ。いつかまた、この景色を見ることはあるのだろうか、と思いつつ、ハイウェイの向こう、飛び去るビル、家々、木々を目で追っていると、横で市橋さんが言う。「1月は誰か他の人にして、採択の時は来たいなぁ」(次回は1月10日から2週間と言われています)
 いま、前半参加の青木さんと同じ思いだ。条約審議という世界史の一場面に直接立ち会えたという感動と同時に、それを日本の仲間たちに伝える仕事の一端に参加できたこと、そしていろいろな人たちと語り合い、共同するチャンスを得たことに感謝したいと思う。
 玉村さんと私は、JDFで権利条約委員会の事務局を担当しているDPI事務局次長の金さんから課題を与えられた。10月31日の報告集会・JDF結成集会までに、前半組と協力して会議内容の概要をまとめるというものだ。ほとんど、玉村さんヨロシク、という気分だが、JDFの仕事の一端を任せられたということなのだから、責任を果たさなければならない。
 帰ったら、仕事と「夜の会合」で果たせなかった、全障研の「日報」や、今回の会議に関わるいくつかの原稿を、素早くまとめること―このまま時間よ止まれ、という気分!

     
 ○●○
 さて、病気もけがもなく帰路についた私たちだが、最後にとんでもないことが起こった。JFK空港でタクシーを降りた二人の足下に、見慣れない黒いカバンがあるではないか。「あれこれイッちゃんの?」「違うよ」、という短い会話。タクシーのトランクで荷物が増えた?? 失礼してちょっと中身を見たら、同じく今回の国連参加の外国さんのもののようだ。とりあえず二人のチェックインをすませ、もう少し中身を見てみた。ヘルムズリーホテルのチェックアウトの請求書も出てきた。さあ、どうする。とにかく東京に持って帰るわけにはいかないのだから何とかしなくては。あわてても仕方がないので、電子辞書を片手に、英語で事態が説明できるようメモをつくって、空港の案内のようなところを探した。と、見ると、ANAのカウンターに、さっき別れたみんながいるではないか! ということで事情をDPIの崔さんに話したところ、このカバンの持ち主は宮本さんと同じく、カナダに向かったらしい。カバンは日本のDPIの事務所に行くことになりました。めでたしめでたし。
 これで、ほんとうに、さよならNew York!

■NY 中村レポート<9>
9月3日(金)最終日

 いよいよ最終日。午前中は前日からの続きで、「第7条 平等と非差別」について論議する非公式全体会合。冒頭、コーディネータのマッケイ氏からロシアの人質事件に対する同情の意が表明された。
 第7条の後半、EUの提案などを受けて「合理的配慮」に関する集中した論議が行われた。合理的配慮は国が提供するものではなく民間が提供するものであることがわかる表現にした方がよい、配慮の内容は「個別性」が強いものである、「不釣り合いな負担…」の一文の扱いなどについて、ここでも細かい表現を各国が提案して議論をたたかわせた。

「締約国は、合理的配慮が提供されることを確保するためのすべての適当な行動をとることを約束する。合理的配慮は、障害のある人に対し、すべての人権及び基本的自由の享有及び行使を他のものと平等に確保するため、特定の場合に必要とされるときの、不釣り合いな負担を課さない、必要かつ適当な変更及び調整と定義される」

 会議の最後にマッケイ氏は、この時点での「合理的配慮」についての定義をこのように行い、さらにこう付け加えた。
 「不釣り合いな負担の部分が含まれることを理解する国もあるし、理解してもらえない国もある。話し合って妥協を探りたい。合理的配慮は、障害者にとって必要な変更と調整と考える。ある状況において変更が合理的でないという場合もある。ここに『不釣り合いな負担』がでてくる。バランスをとりたい」

 午後は公式の会議。これまでの非公式会議で討論した到達点が配布され、修正を求める意見を受け、第4回特別委員会の報告がまとめられた。この内容の詳細については、ホームページに掲載されるようだ。
 会議ではイタリア代表(厚生行政に関わっている脳性マヒの障害者)、世界盲ろう者連盟とランドマイン・サバイバーズ・ネットワークが特別な発言をし、条約制定過程への当事者の参加を強く訴えた。
 また、財政的な理由で政府代表の参加も減少しているという点に懸念を表明する発言もあり、基金への拠出がよびかけられた。NGOの参加も同様に減少しており、日本の傍聴団の雑談の中でも、今回は日本の人数が一番多いこと、資金の面で派遣が困難な国が多いことが話題になっていた。
 次回、第5回の特別委員会は1月だが、会議進行上、重要な役割を果たしてきたニュージーランドのマッケイ大使が全日程に参加できるのかが危ぶまれていた。今年の作業部会を経験した人たちは、異口同音に「ニューヨークの1月は寒い」と言っていた。すでに1月への心の準備が始まっているようだ。

■NY 中村レポート<8>
9月2日

 午前中は第7条「平等と非差別」に関する討論のつづき<非公式全体会合>。
 冒頭、コーディネータのマッケイ氏が次のように発言したことが印象的だった。
 今週に入って詳細な文言の検討をつづけているが、このペースで特別委員会の討議を進め、しかも年2回開催であれば審議の終了まで5年かかる、策定に5年10年かかるのであれば障害者の権利にとって重大な時間の損失だ、妥協(会議では自らの主張を取り下げることが「柔軟な姿勢」と表現されていた)や保留も含めて、スピードアップを図ること。
 またこの日は最初に、八代議員が特別に発言した。
 「平等と非差別」は条約でも根本的な条項の一つであり、後半には合理的配慮と差別の関係にふれている。それだけに、マッケー氏の最初の発言とは反対に、一文一文に対するきわめて細かな修正案を検討する会議となった。とくに第1項は平等、すなわち差別の禁止をうたった部分で、これまでの人権規約、女性差別撤廃条約や子どもの権利条約などの該当条項(既存の条約には、差別の根拠のとして人種、皮膚の色、性、言語などの言葉が並んでいる部分)を下敷きに、障害に起因する差別をどう組み込むかが論議された。
 第2項は「差別の定義」に関わる文言である。すでに草案に書かれている直接的差別と間接的差別を記述することについて、「障害にもとづく差別」とか「あらゆる形態の差別」という包括的な表現の方がよいのではないかといった意見との調整がつづいた。この討論の背景には、障害の定義(第3条)の論議が保留されていることがあって、なんどか差別の原因である障害とは何かということになりそうになった。当然のことながら、午後へと討論はつづいた。

 午後の討論は、草案で「直接的差別、間接的差別、体系的差別」と書かれている差別の定義と「合理的配慮」という条約の心髄に関わる部分。やはり「障害の定義」にややシフトした論議となった。「過去に障害や病気であったこと」によって差別的扱いを受けるという現実を見なければならないという意見は説得力があったが、ここに書き込むべきことかどうかという点では異論があった。第3項の「締約国が客観的な根拠を示す基準や慣行は差別ではない」という文言、第4項「合理的配慮」の「不釣り合いな負担がある場合はこの限りでない」は草案にもたくさんの脚注がついている部分であるが、マッケー氏は注意深く脚注とすべき内容をまとめていた。「不釣り合いな負担…」については、これを削ることのできない国々の現実を認めつつ、この文言が「乱用、抜け道」となってはならないという発言が何回か聞かれた。このあたりは、最近の日本の課題でいうと、欠格条項の廃止の論議と関係づけて考えるといいかもしれない。

 私自身は、この日午後の討論の記録係であったが、第1週目の討論で出された修正案が頭に入っていなかったので、細かい英語の直しにメモが追いつかず苦労した。記録しても討論の流れがわからず、「日報」にするという作業を通して、少しだけ理解ができた。

■NY 中村レポート<7>
9月1日(水)(午後)

第5条 障害のある人に対する肯定的態度
第6条 統計及びテータ収集
非公式小会合

 第5条に関しては8月31日(火)非公式全体会合の論議を、第6条については1日の午前中の小会合の論議を受けて行われた。
 このあたりの論議のすすめ方で、キーワードになっているのがless is more、つまりより少ないものが多くを含むということだ。「障害のある人」という言葉に対しても、たとえば「さまざまな障害を含む」「程度や種類に関わりなく」とする、「障害の重い人も含んで」とするなど、形容詞(句)が提案される。「固定観念」や「偏見」に「否定的な」という言葉をのせようという提案がされる。しかし、じつはシンプルな言葉の方が包括的であるというのが、less is more のいわんとするところだ。ちょうど、日本の法律の制限列挙方式が対象を狭めているという論議に似ている。「否定的でない偏見があるだろうか」という発言もあった。
 そうはいうものの、スリムに、簡潔にという提案のもとに、どうしても「形容詞(句)」は増えていく。
 5条の2項bあたりは、日本でいう共同教育や障害理解学習に関わる内容だ。また、障害のある人に関わる仕事に携わる人々の意識・態度についても論議されていた。

 夜、食事をしながら、統計について話題になった。「どうして統計にこんなに時間をかけるのか、いまひとつわからないね」。私は当然プライバシーの問題だ、ということしか浮かばなかったが、統計を取ること自体が政府の事業として課題となる国があることを見なければいけないのだろうという話になった。そして、日本は統計を取っているはずだが、「手帳ベース」の抽出調査で本当に実態がわかるのか…。
 条約が成り、日本で批准された段階で、ここでの話が思い出されることになるだろう。

 
○●○
 ニューヨークの飲み物は大きい。ジュースや水のペットボトルは最低450ml。そのくせ、ビタミンがプラスされているとか脂肪が少ないとか書かれている。もう少し小さくて、ふつうの飲み物があったら飲み残すこともないのにと、生ぬるくなったミネラルウォーターをホテルで飲みながら思った。
 飲み物で思い出すのは、ニューヨークの街には自動販売機がみあたらないこと。ホテルにもない。そのことに気づいたのは、ニューヨークに着いてすぐのことだった。食事のあと、ホテルでのどが渇いたら、と思って、ドラッグストアのような雑貨店で水を購入。日本でも見かけるメーカーのにしたら、という市橋さんの助言を無視して、少し小さめの「水」を手にホテルに戻った。
 さて、やっぱりのどが渇いたな、と思ってキャップをゆるめたら…。ジュバーッ! 床に滴が…。炭酸入りでした。

■NY 中村レポート<6>
9月1日(水)(続き)

 月曜日、第4条から始まった逐条の討論は、さらに細かい語句の修正や条項間の重複の整理などに入り、火曜日からは、スモール・インフォーマル・コンサルテーション(非公式小会合)とよばれる、特別委員会の予備討論のような位置づけの会合が開かれている。つめて検討し、結果を特別委員会に提案する方式だ。本会議より若干人数が少なくなるが、会場も同じであり、発言も途切れることなくつづく。午前に小会合で検討したことを午後の本会議で全体で討論するという形ではなく、午前、午後のそれぞれの時間帯にどのような形式で何条を検討するのか討論の成り行きで決まるので、会合の最後の議長の発言をよく聞いていないと、次のセッションで何がどんな形で行われるのかがわからない。

 水曜日の午前中は、第6条「統計・データ収集」第7条「平等と非差別」についての小会合。ここは都合で通訳がつかなかった。しかし、傍聴団として記録はとらなければならない。そこで英語の上手な人が、なんと英語の討論を日本語で記録するというたいへんな仕事を請け負うことに。玉村公二彦さんは見事にその役割を果たした。そばに寄るのも憚られるほど緊張した空気がただよっていた。またNGO政府代表の東さんには、DPIの宮本さんが横に座って小声で通訳するという体制をとっていた(外務省の政府代表団ほかのみなさんは、いつも英語のイヤホーン)。
 さらに玉村さんは、こうして聞き取った複数のメモにもとづいて、午後、その内容をパソコンに打ち込んだ。
 9月1日(水)午前の日報は、こうしてできあがった。

 さて、その日報から内容をひろうと、まず、第6条。草案のほかに、EUとランドマインサバイバーネットワークの提案を主なたたき台としてすすんだ。政策立案という目的のためにどんな統計をとるのかということまで書かれていたd号とe号を削除するかどうか、モニタリングとも関連するので25条にもっていくかどうか、といったことが論点となっていた。情報のセーフガードについては国連統計局の文書が参考にされた。
 討論の流れとしては、
 ・政策立案過程において、正確な情報としての統計は必要である。
 ・その収集・分析の過程において、@プライバシーの尊重・保護、A情報悪用を防ぐためのセーフティーガード、B障害のある人及び関係者との協力、を重視する。
といった原則的なことが確認されていったようだ。
 ほとんどの時間を、第6条に費やし、残り15分というところで、第7条に入った。日本を含む5人ほどの発言で終了した。日本の発言を「日報」から拾うと、次の通り。

 第5項の「平等促進のための特別措置は差別ではない」というセンテンスにつづく、「ただし、その結果として、いかなる意味においても不平等な又は別個の基準を維持しつづけることとなってはならず、これらの措置は、機会及び取り扱いの平等の目的が達成されたときに廃止されなければならない」という部分について、「必要ない。多くの手段があり、たとえば割り当て雇用システムは雇用制の制度としてよいシステムであるので、廃止は必要ない」。

○この日の昼休みを利用して、JDF準備会によるサイドイベントが開かれた。
 八代英太議員を迎えての企画。長瀬修さん(育成会・東京大学)のワールドワードな活動を反映して、この分野ではたいへん有名な方々がスピーカーとなった。
 全体のテーマは権利条約の与えるインパクトといったようなこと。
 八代議員は、条約のポイントして、@就労と合理的配慮、A国際協力、B教育、Cモニタリングあげ、「私たちこそ専門家。真に私たちの条約を」と第一声をあげた。「地球規模での活動が必要であり、『福祉外交』」とここへの参加を意義づけた。
 ステファンさんは今年5月にできたヨーロッパ障害フォーラム(EDF)の議長。今や世界の注目するところとなったジュディー・ヒューマンは世界銀行のスーパーバイザー。そしてもう一人は、隣国、韓国のリー教授。韓国政府代表の一員で、視覚障害者。それぞれの話の詳細はほかにアップされることと思うので、印象に残ったことのみ。
 それは、福祉法制のとらえ方。EUはすでに知られているように、東欧圏諸国の加盟により、EUは新しい課題に直面している。障害者問題にもそうした社会経済的な問題が直接的に反映しているという話のあとに、ステファンさんは、一部の国では社会福祉法があることが人権法(差別禁止法)をつくる足かせになっている、したがって、差別禁止法をつくるという点で、条約のEU諸国に与える影響は大きいだろうといっていた。またリー教授は、障害のとらえ方のパラダイムシフト、すなわち社会モデルへと転換することで、韓国では福祉から権利の視点へと移っていった、社会は障害者を通じて人権の真の意味を知ることとなったという。
 「福祉や慈善ではない権利にもとづくアプローチ」とか「self-representation=自己表明は政治と社会を変える力となった」と、つぎつぎと確信に満ちた言葉が耳にとびこんできた。
 福祉と権利が対立するものとして描かれる―たしか日弁連の差別禁止法に関する研究でも同様の構成だった。この思潮はどこから来ているのだろう。そしてどこへ向かうのだろう。権利条約の実現を求める大きな動きの中にある、さまざまな作用を感じたイベントだった。 


■番外 NY 障全協・市橋副会長のメッセージ
 昨年につづき二度目の国連となった。昨年会ったなつかしいNGOのメンバー、世界ろう者協会のキキさんが声をかけてくれ、うれしかった。しかし、昨年に比べてNGOの障害者がちょっと少ないのが気になる。
 ここに来る前は、「来年には条約ができあがるかな」などと思っていたが、とんでもない。一語一語、論議が深まり、議長が「これではあと5年かかる。促進する努力をしよう」と発言するほど、じっくりと時間をかけて進行している。細かすぎる、繰り返しが多いなど気になる点もあるが、策定に向けて前向きな発言が大部分である。
 討論を聞いて考えたこと。
@国際協力・開発について、私たちももっと考える必要がある。世界の障害者がどのような状況になるのかということに目を向けなければいけない。
A差別について、根本から考える必要がある。
B各国で「家族の役割」のとらえ方が違うこと。
 そして何よりも日本の「傍聴団」の団結が深まり、JDF(日本障害フォーラム)への一歩前進!

■NY 中村レポート<5>
9月1日(第8日目) 午前 統計とデータ収集のための小会議
 第6条に関するインフォーマル・メイン・コンサルテーション(非公式全体会合)の続き
 この会議は通訳者なし。午後のサイドイベントの通訳の準備をするためだ。玉村さんは英語を聞きながら記録する係。最大級の責任者。私は責任感からとりあえず座っていた。市橋さんは、東さん(日本政府代表団)のために小声で通訳するDPI事務局の宮本さんの隣に座って、会議の進行に耳を傾けていた。
○13時15分〜14時45分 サイドイベント
 テーマ:各国の法制度と障害者権利条約の策定―各国の批准に向けて

■NY 中村レポート<4>
31日(第7日目) 午後3時〜6時

 正式の委員会として第5条「障害のある人に対する肯定的態度」について討論。草案のこの条項の性格をひと言でいうと、「社会啓発」だ。社会の意識変革。この条約のめざすところ、権利の主体としての障害者を社会的に認知させる、というような条項だ。
 草案の「イメージを促進する」とか「固定観念とのたたかい」といった言葉だけみていると、どうしてこのような内容が条約に必要なのか、いまひとつ理解できない。日本の障害者計画などでも必ず啓発は項目がたつ。そうした各国の個別な施策の段階ではあり得ても、はたして国際条約の必要なものなのだろうか。また必要であるとしても、こういった条約の性格づけをするような前の方の位置に置かれるものなのか。こうした疑問は、これまでの経過や他の人権条約の内容を振り返ってみれば、自ずと解決することあろうから、この会議場では、イヤホーンから聞こえる声をひたすらメモすることに努めた(もちろん通訳者の声です)。
 討論では、メディアが障害者をどう描くかも大きな課題になっている。しかし、たとえば、古くさい障害者観で描かれたドラマがあったとして、それがふさわしくないという判断はどんな基準なのか。もちろん人権を踏みにじる内容かどうかという基準であることは理解できるのだが、ほんとうに規制できるのか、規制していいのか―途中では、こんな気持ちもよぎったが、そんなことに思考の回路を回すゆとりはなく、ひたすらペンを走らせた。

 討論をふりかえっても、私自身の理解はあまり深まっていないのだけれど、まず二つに分かれた項目の整理されることはたしかである。またその「イメージ」とか「態度を促進する」といった文言をどういうタームにするかがかなり論議になっていたので、この点もすっきりすることだろう。
 ここでこれらを日本語にする際の問題に気づいた(たとえばportray (=表現する、描き出す)という言葉が論議になった際、スペイン語圏ではあまり正確な意味づけができないといった意見が出たように)論議の趣旨が伝わる日本語を選択するということがとても大事な作業になる。その点で、ここに参加した人間の責任は重いな、と思った。
 このあと第6条「統計とデータ収集」について討論。詳細は1日午前のファシリテータによる会合で行うと議長が宣言し、終了。

○31日夜
 私の名刺入れに、とんでもない名前が飛び込んできた。「特命全権大使 原口幸市」。夜、この人の招待による夕食会が公邸で行われた。セントラルパーク沿いにたつ古い建物。1900年に建てられたものだという。大理石(かな?)、壁の絵画、天井の彫り物、、、ちょっと場違いなところに来てしまった。八代議員を中心に和やかに懇談。給仕の方がワインをついでくれるが、私はもちろん一杯だけ。食事をゆっくりといただいた。最後にでた雑炊についていたキュウリのぬか漬けと緑茶がしみた。

■NY 中村レポート<3>
31日(第7日目) 10時〜1時
 30日の最後に提案のあったとおり、午前中は第4条「一般的義務」の論議の整理と焦点化のための非公式会議。この課題にあたるファシリテーターが指名されて、議事を進めた。参加者はやや少ないが、関心のある人(国)が出席しているためか、焦点を絞った話し合いが進んでいた。

 第4条は条約の基本、背骨になる部分なので、言葉の定義などたいへん細かいな点、あるいはその含意について、切れ間なく発言がつづく。焦点となっているのが、社会権と自由権の区分の問題。一般の人権条約では、社会権は「漸進的に実現すべきもの」、自由権は「即時的に実現すべきもの」とされているが、この対比から漸進的=progresive は「即時」ではない、と理解され、保障を先延ばしにされることがあってはならない(たとえば教育権)。また自由権に位置づく権利であっても、社会的な条件を整えなければならないことがらがたくさんある(たとえば参政権の一環としての投票の権利は法律上保障されていても障害者がこれを行使するためには環境や条件を整えなければならない、というように)。区分をすべきかどうか、新しい権利となるのか、「漸進的」には本来即時性を含んでいると理解すべきだなどといったさまざまな意見が出された。

 論議は今週に入って、これまでと打って変わって、ゆっくり、じっくりすすむ。一つの語句の意味、含意(言語の違いによる含意の違い)、条約相互の関係、条項間の齟齬などを確認することに特別委員会の性格が移ってきたからであろう。発言の中には、「条約の第1条の目的については完全に合意をみていない」という趣旨のものもあり、すべての参加国が納得する内容にするための努力には、まったく脱帽する。

 昼、1:15〜 時間を使ってINTERNATIONAL DISABILITY CAUCUSというNGOの会議が開かれた。各障害別の代表が壇上に並んだ。

         ○●○
○初めての国連ビルは、当然のことながらセキュリティがきつくて、気後れがしてカメラを向けることもできなかった。首に下げた入館証は「村尚子」。直筆を写す機械の調子が悪かったのか、書き方が悪かったのか…。
しかしひとたび中に入ってみると、見学ツアーがかなりあって、掲示板に、ドイツ語やフランス語など各国のガイドの時間が示してあった。
土産物のコーナーもあるが、立ち寄る気持ちのゆとりなし(市橋さんはよりたそうだったけど)。
さすがに手慣れた玉村さんは会議場入り口近くのテーブルにおいてある資料を片っ端からとっていく。


■NY 中村レポート<2>
30日(第6日目) 午後3:00〜6:00
 ひきつづき第4条について。当事者の積極的な関与をめぐる整理、および「救済」について。

 議長の提案はつぎのようなこと。
障害者が関係するすべてのことに参加、関与すべきであるという内容が、たとえば5条、6条、18条、19条、21条(注をふくめて)などにある。これらの共通要素を第4条に含めるべきではないか。
 これに対して、4条にまとめることにほとんどの発言者は賛成ではあったが、これこれの条項は独自の意義があるから残した方がいい、さらに新たにモニタリング条項にも記述すべきといった個々の分野に関わる意見もあった。

 この問題で議論になったのは、インドからの提案で障害者の関与に家族を含めるべきかどうかとう点。
and their families を加えるかどうか。障害者を支えているのは彼らの家族であるという現実から出発したインドの主張に、「反対はしない」という意見を出したのはアジアの国であったような印象。そのなかで日本は「障害者本人の活動についてネガティブに作用することもある。したがって熟考が必要」と発言。
 「救済」については、人権一般で保障されていることであれば、条約で救済を明示する必要はないのではないか―たとえば「移動の自由」や「表現の自由」のようにすでに一般の人権で保障されていることは、当然のこととして障害者にも保障される。しかし、現実に差別がある。したがって「差別の全面的な禁止」ということで、ことさら「救済」を記載しなくてもいいのではないか。このようなことを論点に、障害者にとって、人権の救済とは、条約第4条に明記されるべきか否か、という話し合いがつづいた。

 現在、草案は日々整理されているようだが、まだまだ盛りだくさんの状態。条約に盛り込むべき事柄を整理するとは、現実を切り捨てることではなく、人類が到達した権利の水準をより高めること、「表現の自由」ひとつとっても、そこに新しい豊かな内容を盛り込むことだと思った。その豊かさをふくむものであるということを、どのように条約に表現するか、あるいはどの国にも適合する水準でまとめあげるかという、たいへん難しい山道をのぼりはじめているようだ。


■NY 中村レポート<1>
30日(特別委員会 第6日目)
○NYは曇っているけど蒸し暑い。
 8:00AM  ホテルロビーでミーティング。今日からの参加者を中心とした先週の会議の内容を聞く。
 9:00AM  国連本部に到着してももちろん入れない。この間、玉村さんはすでに到着し、中に入っていた。
11:00AM  会場へ。ちょうど第4条(一般的義務)の討論を議長が宣言したところ。玉村さんはこの日JDFの記録担当。

第4条:一般的義務(第3読)
 第3回特別委員会で、5条、7条と一つにまとめるというEUの提案があったが、やはり第4条は独立して検討することになった。それほど重要な条項であるということが初参加の私にも伝わってくるほど、深い討論が続いた。
 「経済的、社会的、文化的権利について積極的コメントを」という議長の発言にはじまり、漸進的実施の可能性、経済的制約などの関係が、子どもの権利条約の4条などを参考にしながら論議された。(続きは続報で)

○ホテルの部屋でインターネット状況を探してみたが古い作りのこの部屋にはない。試しに電話線を抜いてやってみたが、パソコンからホテルの女性の声がして、あわてて切った!(その後Internetは通じました)
○昨晩の夕食はNYは3度目という、障全協の市橋さんの案内で、セントラルステーションへ。地下のファーストフードのような店はあらかた終わっており、階上のイタリアレストランでよくわからないけどパスタを食べる。
○街角、駅構内に警察官と迷彩服を着た軍人が多数警備に当たっていた。女性も、それもcoloredの軍人が目立つ。
○フロ、洗面所、かなり旧式。水道の栓の開閉に力がいる。シャワーにホースがなく、口もシャワー上ではない。上から「打たせ湯」のようなお湯が落ちてくる。


青木1
NGO代表の政府代表団=東さん(左)、金さん(右)と
青木2
JDF権利条約委員会事務局のみなさんと
■NY 青木レポート<7>
27日(5日目)
第13条:表現及び意見の自由、情報へのアクセス
 この項は、第3回において作業部会案を前提にしながら、「タイトルを権利性の強い表現に」、「民間機関への情報、サービスのアクセス化を義務づける表現にする」などの意見が出されていた。また、「手話を言語として位置づける」意見も出されていました。
 今回も、点字、手話、とりわけ手話を言語として位置づけることを求める発言がありました。この点について日本は「(手話などの)教育や訓練を障害のない人にも行い、コミュニケーションの拡大を図る」必要性について言及。その他、韓国は「電子的な情報への言及がない」として「エレクトリックインフォメーションへの平等なアクセスの権利」を唱えていました。

第14条:プライバシー、住居及び家族の尊重
 たたき台としての作業部会案を評価した上で、構成と内容にかかわる発言が行われた。
 構成については、「この条を『プライバシー』に関わるものと『結婚・家族』に関わるものとに分けて2つの条を立てる」意見が出されいくつかの国の支持を得ていた。
 内容的には、
 「強制的な不妊・断種手術の禁止」「自発的な意志に基づく結婚と子どもをもつ権利」「障害のある人も養子をもつことができる権利」「子どもの養育と管財人・後見人」「障害のある子への後見」「子どもが家族と離れてくらす場合には、一時的なものであり、定期的なレビューを受けること」などの発言が印象に残りました。
 日本は、基本的な視点について「障害のある人のセクシュアリティーは他の人々と同じように尊重されるべき」を強調した。
 難しいと思ったのは、「子どもの最善の利益」と「障害者が子どもをもち親として家族を持つ権利」との関係。個人的な問題としてではなく、まさしく社会的な関与・サポートの充実なくして解決を図れないという障害者問題の象徴と思える。

第15条:自立及びインクルージョン
 論点は、「障害者の施設収容」の問題。
 発言は、「コミュニティーにインクルーズされる権利」、「家族・地域にインクルーズしていくための支援、選択の自由」、「強制収容の禁止、選択できる条件の整備の締約国への義務づけ」等、作業部会案の内容を確認・強化するものが続いた。
 最後に、NGOから「施設の存在によって障害者の排除、隔離が続いている」「施設の中では非人間的な処遇が行われている。医療的ケアさえ受けられない」(以上インクルージョンインターナショナル)、「施設にとじこめられ、地域生活を知らない」(DPI)、「施設の廃止を」(オーストラリア人権)などの発言があった。
 どの国の、どんな障害の施設の、いつ頃の話で、政府等の対応はどうなのか等、詳しい話が聞きたいところであった。

第24条:国際協力
 南北問題が前面に出て、米・欧などとアフリカ、アジア諸国などとの間で、火花が散る発言が交わされた。
 「発展途上国」は詳細に国際協力の内容と枠組みを提案するメキシコ案を支持した。これに対し「先進国」は、「具体的すぎる。簡潔に」(ニュージーランド)、「独立した条文でなく前文に」(EU)とし、アメリカもこれに同調した。これには、キューバ等から語気を強めて「途上国が国際協力なしに障害者に支援を提供していくことは困難。先進国の援助が求められている」と発言する場面もあった。
 結局、これを受けて、後半の3読目に譲られることとなった。それまでに行われるインフォーマルミーティングが注目される。

○以上で、私の参加予定は終わり。ホッとする反面、大いに後ろ髪引かれる思いである(「教育」のところ、中村さん、よろしく!)。
*青木さんは、29日(日)夜に帰国されました。

■NY27日 11:53 青木レポート<6>
26日(4日目)
第7条、第8条はちょっとしたアクシデントで、後日のJDF公式記録を参照ください。

第9条:法の前における平等
 この条では、とりわけ知的障害者、精神障害者の法的能力の承認が大きな論点。この点については、全体として「障害があることによって法的能力は制限されるべきではない」とする、大きな合意がすでに今までに形成されてきていることが読みとれました。その上で、「法的能力のない人が、支援によって法的能力を形成する場合には、セーフガードが必要である」などの立場から、後見人制度や代理人制度についても発言がありました。それらをふまえ、「『法的能力』と『司法へのアクセス』とを分けて整理する」との意見も出されていました。
 また、コスタリカや障害コーカス等からは、「子どもが法的能力を行使する場合についても十分考慮すべき」との発言。そして、自己決定権と法的能力との相互、すなわち決定プロセス、実行プロセスへの本人の関与、その意志の尊重の重要性とそのためのシステムの必要性について、さまざまな表現で各国代表より発言されていました。

第10条:身体の自由及び安全 
 この条はとりわけ「強制的施設」とのかかわりで議論されてきていたところ。しかし、「障害を理由に自由を違法にまたは恣意的に奪われない」とする作業部会案は基本的に支持されています。そのうえで、今回の論議で次のような発言は大きなインパクトを与えたと思われます。
 「法律に基づくものと、そうでない場合の自由のはく奪の問題がある(EU)
 「自由のはく奪は国によってだけではなく、国以外によってもなされる」
 「戦争における障害者の問題も考慮されるべき」
 「障害を理由にした自由のはく奪の問題と、刑事事件における場合の権利擁護の問題を分けるべき。刑事事件においても特別な配慮が必要である」
 「障害者が拘禁についての理由を十分説明される必要がある」

第11条:拷問、虐待など
 ここも「強制収容」にかかわる項。作業部会案への基本的な支持があったうえで各項を強調・強化する発言が主。
 「強制医療、収容は適切な法的セーフガードがある場合に限るべし」
 「科学的・医学的な実験の禁止」
 なお、強制介入・強制的施設収容はここでとりあげる必要はないとする意見や12条に移すべしとする発言もあった。

第12条:暴力及び虐待からの自由
 ここでも、「強制施設収容」の問題がかかわってくる。その発言が続く。
 「本人の自由で自発的な同意が必要である」
 「当事者の最大の利益のために行われる。そのためのセーフガードに基づいて行われる」
 そのほかに
 「強制避妊・中絶の問題もとりあげる必要がある。自分の体について、自由に判断する権利がある」
 「当事者が暴力・虐待と闘うコンセプトが大切。そういう意味では、その団体の果たす役割が重視される必要がある」
などの指摘もあった。
 日本は、この項のパラグラフ1を前文に移して全体的な位置づけを高めること等を発言。角参事官とそれをとりまく関係官僚の中でJDF代表の東さんと金さんが角さんをキチッとサポートしている姿が印象的。
 なお、この項では、「自然災害・武力紛争をとりあげるべき」としたセルビア・モンテネグロ等と「前文で触れられている」とするアメリカなどとの意見の違いがあった。
       
 進行について議長より昨日今日と重要な提案があり承認されている。
 1.今週中に1〜15条 24条
 2.その後の審議は、メインのフォーマルな会議と内容細部にわたって整理するインフォーマルな会議を行う
 3.両会議は併行して行うことはなく、どの会議もオープンでクローズにはしない
 4.後者の会議は議長の指名するコーディネーターが進行する
 また、コーディネーターに指名されたマッケイ氏からは、
 1.クローズミーティングにはしない
 2.文案を整理するファシリテーターを任命するので、意見を伝えること
 3.完璧主義になってはいけない。特定の国の案をすべて受け入れることにはならない。すべての合意が得られないと最終的な合意に達したとは言えない
        ○●○
○昨夜は夜の催しのない唯一の夜。そこで大胆にも42、43番ストリートの店をずうっと見て回る。カメラ屋を見つけ、デジカメのメモリースティックもやっと購入。ニューヨークの夜景は上を見上げるものとわかりました。

■NY26日 9:45 青木レポート<5>
25日 午前
第4条:一般的義務

・各国とも作業部会案、EU案に基本的に同意する意見が続く
ただし、次の点んでは、一部政府代表とNGOとの間で主張の違いが際立つ。
・1点目は、社会権の実施をめぐって
メキシコ、オーストラリアなどは、漸進的な実施を求め、NGOからは、できるものは早急に、そうでないものもできるだけ早い実施、実現を求めた。
・2点目は、NGOから救済措置が強く求められた。「救済措置がなければ権利保障はないに等しい」「救済措置の簡素化・無料の司法アシスタントの提供」などなど
2つとも条約の実効性にかかわる部分だけにたんたんとした進行の中にも、火花が散るのを感じさせられた。

第5条:肯定的態度
・「ネガティブなステレオタイプ」という言葉のあつかいや、このとりくみの強力の対象に親を加えるのかなどをめぐってのやりとりがあった。
・この項における日本政府の発言は以下の通り。
「偏見の根絶は、条約の根幹である。従ってこの目的に向け強いメッセージを発する必要がある。作業部会案を弱めるものには反対する。たとえば「即時的に」とあるものを「適切に」とする意見については反対する。また、「ネガティブ ステレオタイプ」から「ネガティブ」をとっても、ステレオタイプにネガティブでないものはないのだWG案の支持を改めて表明する」
なかなかたいしたものだ。これもNGO(=JDF)の存在があってのことを忘れてはならないだろう。
・もうひとつ、中国が障害のある人は「特別な人」「弱い人」「助けを必要としている人」とする発言をしたのに対し、韓国が「より権利性の高井表現にすべき」とやんわりとたしなめる一幕もあった。紳士的な対応だ。民主主義の基本は、相互の尊重にあることを感じさせる。

第6条:統計及びデータ
この重要さは各国とも同意している。しかし、この項目について独自の条立にするのか、25条:モニタリングの項に移すのかで意見がわかれている。日本は「どちらでもよい。ポジティブな表現にすべき。1項は具体的すぎる」と発言
以上で午前は終わり。以下過密スケジュールが続きます。

13:00〜14:45 
JDF主催のセミナー(合理的配慮と労働・教育)
参加者は約80名。
ジェラルド・クィン(RI・アイルランド国立大学)「障害者の権利条約と合理的配慮」
 ・合理的配慮(リーズナブルアコモデーション)は、うまくいかなければ訴訟で解決を図ることができる。
 ・4年前の時点で世界で45以上の国が合理的配慮を含む障害者法がある。
 ・合理的配慮の具体的な内容は非差別のところに規定付けるべきか、より大きなところにつけられるべきか。
バーバラ・マレイ(ILO) 「労働と合理的配慮」
 ・ILOの基本は「機会均等」「処遇平等」「非差別」が3つの柱
 ・雇用の中での困難さを、合理的配慮の考え方をもって改善を図りたい
 ・しかし雇用主に多大な負担はさけねばならず、法的、制度的検討が必要
原口一博(衆議院議員)「労働と合理的配慮」
 ・労働は、自立の前提であり、労働に基づく納税は義務であるだけでなく統合された社会における市民の権利
 ・作業部会案の4つの条文に加えて、医療・消費・住居あるいはコミュニケーションなどの分野も必要
石毛えい子(衆議院議員)「教育と合理的配慮」
 ・日本は別学分離教育体制。しかし、多数の障害児は地域の普通学校に入学。
  「認定障害児」制度が設けられた。
 ・子どもの個別ニードに応じて提供される「合理的配慮」は、教育の質を高めていく手立てとして不可欠
角茂樹(外務省国際社会協力部参事官)
 ・合理的配慮の各国の理解はすすんでいるが、その欠如が差別につながるのか、まだ合意に至っていない
 ・合理的配慮で重度障害者、知的障害者は本当に働く環境を整備できるのか疑問
 ・合理的配慮を否定するのではなく、雇用率システムとの組み合わせが有効ではないか
参加者との意見交換

15:00〜18:00 午後の討議

19:00〜21:00 
日本大使招待の歓迎夕食会(JDFより7名)
○大使夫妻の出迎え。16世紀のルイ王朝時代を思わせるような部屋のつくりに関心。ろうそくが立てられたなかでのフルコースの食事。リハ協の寺島さんや公使、外務省の方と近い席になり、合理的配慮の問題を中心に会話が弾みあっという間に10時でした。明日からは夕食はデリバリーの計り売りデス。


■NY25日 22:30 青木レポート<4>
24日午後
第1条:目的
・さまざまな発言はあったが、すべて作業部会案を認めた上のもので、だいたいの合意点があることがうかがえる。
・意見がわかれ、時間がさかれたのは、権利保障のあり方に「fulfill(充足?完全に満たされた?)」を入れるのかどうか。また非差別を目的の中に言葉としてもりこむかどうかであった。前者については、ニュージーランドの発言「新しい特別な権利を作り出すことではなく、他の人に与えられた権利と同等の権利が保障されることが大切」が大方の同意を得たように感じた。後者については「人権」「平等」のコンセプトに「非差別」が含まれているという理解で、他の条で非差別は位置づけられる方向へ。
・最後に議長がそれらをふまえてまとめたい旨提案し了承される。

第2条:一般原則
・作業部会案を基本的に支持するとしつつも、実に多様な「文言を入れるべき」の意見が続いた。
 「国際協力」「男女の平等・ジェンダー」「医療的ケア」「バリアフリー」「合理的配慮」「参画」「自己決定」「普遍性」「独立性」「アクセシビリティ」「尊厳」「インクルージョン」など
        ○●○
24日17:00〜20:00 政府・民主党・JDF交流夕食会
 総勢20人を越える。乾杯の後テーブルごとの歓談。私は民主党・石毛議員の左隣。教育基本法の問題では、国民、議員、ひとりひとりの身近な問題として考えていくことの大事さで一致。

■NY25日 9:32 青木レポート<3>
24日午前は、昨日からの続きで「モニタリング」をめぐっての討論。
政府、NGOの表現は異なるがほぼ次の点で一致しています。「強い監視の枠組みを」「国際機関、国内機関の双方が実効性のあるものに」。また、国際モニタリングシステムについては、メキシコのように具体的な提案をする国もありました。ポイントは、国連の財源、リソース、他の条約のモニタリングシステムの関係のようです。国内のモニタリングシステムについては、「政府から独立したシステム」「NGOなど民間人の登用」などあ共通して強調されていました。
 午後からは1条からの第2読が始まりました。
                   ・
○逐条審議で発言希望者がなくなるまで発言を保障する国連の会議方法は、言いっぱなしで問題が拡散していくという面はあります。しかし、自ずと合意点やポイントが見えてくるという面が大きいことも実感。民主主義の原点を見たおもいです。 

○初参加の私には、傍聴は緊張の連続ですが、13時から15時の休憩は楽しいものです。原口一博、岡崎トミ子、石毛えい子国会議員らと国連の売店にショッピング。冗談をいいあいながらおみやげの品定め。語学の達者な原口議員に品物の用途なども尋ねてもらいました。
        ○●○
23日 18時〜22時は、日・米・韓の交流セミナ−。主に韓国の差別禁止法制定運動の報告を同国DPI代表金氏から聞きました。3度にわたる全国行進やきめ細かい公聴会で、障害の違いをこえた大きな共同がつくられ、政府を動かしているそうです。当事者運動がすごい。日本DPIの金事務局次長の報告も、日本の情勢分析とDPIを中心とした運動を、的確でわかりやすいものでした。それにしても国際交流、連帯の大切さを、改めて感じさせられました。 

○夜の交換会では隣の席になった岡崎議員と教育問題で30分ほど率直な語り合い。議員は文部政務次官だった頃の話からインクルージョンに至るまでを。私は教育現場の実態から特別支援教育をまでを。結局、今の通常教育のあり方を抜本的に改める必要性のところにたどりつきました。
 ホテルに帰り洗濯をして寝たのが12時半。さすがに疲れました。


■NY24日 22:57 青木レポート<2>
 23日(月)は、8時にホテルロビーで顔合わせ。東政府委員(日本のNGO代表)よりスケジュールなどの説明。
 9時に国連本部到着し、登録手続きし、10時半に会議場に入りました。
 会議は、第三回特別委員会で積み残しになっていた問題の「定義」や「モニタリング」の「一読」を終了し、24日から「二読」に入っていきます。
 それぞれのテーマは、各政府代表の発言を終えた後、NGOの発言となり、発言希望者がなくなると次のテーマに入るかたちで進められます。私は日本のNGOの通訳のイヤホーンをつけながらメモしています。(議事録は日本のNGO=JDF準備会で参加者が分担しながら作成しています。近々オープンになると思いますが、私のメモは、あくまで私見の個人的なものです)
 「条約名」をめぐっても、活発な意見がありました。
 ニュージーランド:タイトルが長すぎる。内容が一目でわかるように例えば「障害者の人権条約」など
 イエメン:タイトルは短くすることに賛成。シンプルで明確であるべき。「障害者の権利に関わる国際条約」でいい。
 これらにさまざまな国が賛意を表明していました。


■NY23日 青木レポート<1>
 大阪より28時間のハプニング満載の旅の末にニューヨークの国連本部に近いホテルに入りました。日本政府関係者や民主党の国会議員も同宿です。
 特別委員会は、予定通りにはじまり、前回議論できなかったモニタリングについても検討し、順調な滑り出しのようです。心配されていたNGOの参加も、前回と同様にオープンで進行しています。
 語学が心配ですが、ホテルまではタクシーを使わず一人で会話しながらたどりついた(空港から70分かかりましたが)のですから、なかなかたいしたものでしょ(談)

○8月12日に外務省など日本政府代表とJDFとの懇談会での、角参事官からの第4回特別委の日程についての説明
 8月23〜25日 前回積み残したタイトル・定義・モニタリングを完全公開の形で行う
 8月26日以降 第2読を第1条から第15条にかけて行う。日本政府や大方の立場はこれも公開して行うべきであると考えている。
 8月24日夜 民主党議員・NGO・政府の夕食会
 8月25日昼 サイドイベント
       夜 国連大使主催の夕食会 民主党議員とNGO5名
 8月31日夜 国連大使主催の夕食会 八代議員(自民)とNGO5名
 9月 1日昼 サイドイベント
 9月 2日夜 八代議員・NGO・政府の夕食会

 ○国連・第4回特別委員会(英文・国連作成)

■第3回、第4回特別委員会でベースになった、作業部会草案

 前文
 第1条:目的
 第2条:一般的原則
 第3条:定義
 第4条:一般的義務
 第5条:障害者に対する積極的態度の促進
 第6条:統計とデータ収集
 第7条:平等及び無差別
 第8条:生命の権利
 第9条:法の下での平等
 第10条:身体の自由及び安全
 第11条:残虐な、非人間的な又は品位を傷つける取り扱い又は罰
 第12条:暴力及び虐待からの自由
 第13条:表現及び意見表明の自由並びに情報へのアクセス
 第14条:私生活、家庭及び家族の尊重
 第15条:独立した生活及び地域への包含
 第16条:障害を持った子供
 第17条:教育
 第18条:政治生活及び公的生活への参加
 第19条:アクセシビリティー
 第20条:個人のモビリティー
 第21条:健康及びリハビリテーションの権利
 第22条:労働の権利
 第23条:社会保障及び相当な生活水準
 第24条:文化的生活、レクリエーション、余暇及びスポーツヘの参加
 第25条:モニタリング

第3回特別委員会報告へ

写真動画
第3回特別委員会 (右の写真は動画です)
写真
NGOコーカスの様子
ふじい かつのり
藤井克徳さん
たまむら くにひこ
玉村公二彦さん

Advance text of the report of the Ad Hoc Committee (A/AC.265/2004/5)


■関連資料

第4回国連障害者権利条約に関する特別委員会(2004.8.23〜9.3)報告概要
(DPI日本会議)新
第4回特別委員会概要(長瀬修記録)
・国連作成 第4回特別委員会
第3回・第4回障害者権利条約特別委員会フォローアップのためのワークショップ(全日本ろうあ連盟)
障害者権利条約に関する国連総会アドホック委員会における条約作成のための議論概要(外務省)
第3回国連障害者権利条約に関する特別委員会(2004.5.24〜6.4)報告(DPI日本会議)
   
団長である角参事官の特別委員会における発言の要旨紹介、代表団内での意見交換内容を可能な範囲で報告
作業部会草案の重要条項についての意見提起(案)(JDF準備会障害者権利条約専門委員会)
国連・第3回特別委員会 デイリーサマリー(5.24-6.4)(英文)
障害者の権利条約特別委員会の報告(日本障害者リハビリテーション協会)
特別委員会への作業部会の報告(英文)
国連「障害者の権利条約」関連邦訳資料 (全日本ろうあ連盟)
びわこミレニアム・フレームワーク
国連障害者の権利条約特別委員会傍聴団報告 「アジア太平洋障害者の十年」最終年記念フォーラム組織委員会
「国際生活機能分類−国際障害分類改訂版−」(日本語版)
世界保健機構(WHO) ICF
・国際機関等による決議、勧告、宣言
(日本障害者リハビリテーション協会)


国連本部  国連本部のWebカメラ(ライブ映像)
ニューヨーク市内(Times suquare)の今の様子(日本とマイナス14時間の時差)


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