デンマークの確信<1>
クロンボーフスの10年



6時半にケイタイの音で目をさました。
11年前に3歳で同行した娘も中学3年の受験生で留守番だ。そのため「ホットライン」の確保にとEU対応のケイタイを持った。日本時間はプラス7時間だから、午後の1時半ごろだろう。電話はきっと職場からの定期連絡だ。

この夏から事務局次長となった圓尾(まるお)くんは、穏和な声で「今日も順調ですよ」。
つぎに改まって、「今日は二つの新聞が障害者問題でトップ記事です!」

9月16日(木)の日本経済新聞は、「障害者支援費250億円不足」「制度破たんの恐れ」との見出しで、「制度が始まった2003年度も128億円不足したが、さらに昨年度の約2倍に上る 財源不足が確実になった」と報じ、社会面では、知的障害者の親の会幹部のコメントとして「安定した財源を確保するためには、介護保険との統合は避けられないだろう」と、アドバルーン的な記事を載せている。

同じ日の朝日新聞は、「障害者「脱施設」促す 政策見直し厚労相方針」の見出しで坂口厚生労働大臣が関連法の改正を方針を明らかにしたと報じた。
「脱施設」がすすんでいないので、具体的にはケアマネ制度をつくって、障害者一人一人の計画をたてる。デイサービスを増やすため、公民館や小学校の空き教室を利用できるようにするのだそうだ(すすまないのは、予算もつけずに、地域の社会資源がなさすぎるからだろうに(^^;))。

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15日の午後、私たちはコペンハーゲン市から電車で1時間、ハムレットの舞台となった、対岸にスウェーデンをのぞむクロンボー城のある町、人口約5万人のヘルシンオア市に新設されたグループホーム・クロンボーフスを訪ねた。

クロンボーフスは、11年前に初めて訪問したときは、精神病院の跡地にあって知的障害者居住施設(1988年に改善)だった。「フス」はデンマーク語で「家」。
県営の施設で、24名の重い知的障害者(23歳から68歳)が暮らしていた。それぞれの個室(8畳くらいで、ベット以外は私物)を見せてもらった。4部屋で一組のグループで、他とは廊下でわけられていた。共用のリビングとキッチンがあった。デイケアセンターとアクティビティセンターも併設していて、障害者1名に職員が2名、24時間の活動を援助していた。
 昔は精神病院だったという 町から少し離れた静かなところだった
  ▲入口                  ▲施設の全景

「100年前は障害者は家族や社会から捨てられ、1500名も収容される巨大な施設で、職員も少なく、教育も受けられることなく、ベットに縛りつけられていた、、、、そんな歴史を経て、大規模施設ではなく町の中の小さな施設での生活に変わった」
とスタッフが教えてくれた。
障害者の自己決定と自己実現、人生の主人公になることの大切さを強調していた。

3年前にも訪ねた。
ナナカマドに似た朱色の実のなる静かな町並みが不思議に落ちついた。入居者は23歳から76歳となり、絵文字を多用してコミュニケーションをとり、7名から9名で生活する3つのユニットにわかれて生活していると紹介された。
多くは近くの県立の保護作業所に通い、残る数名が一般企業に(フルタイムでなく可能なところで)、他の数名はデイホームに通い、創作や散歩などの活動をしているそうだ。

「2年後に、現在の町はずれから、市の中心にバスで10分ほどの所に移転する」
そう言ったとき、説明してくれた副施設長の顔が輝いた。

    ○●○

そして、今年5月、クロンボーフスは移転し、新築された。
最大の変化は、この間、デンマークでの「居住」の考えが変わったことだ。一人に対して、ベットルームとリビングという二部屋に台所とトイレ・シャワーが保障された。一人あたり共用部分含め65平米(スウェーデンは35平米?)が権利として保障される。

「シーナです」
とさっそうとやってきた女性職員は、生き生きと新しいグループホームをすみずみまでにこやかに紹介してくれた。
 利用者の部屋
  ▲シーナと通訳の田口繁夫さん

「3つの家(7人のユニットで3棟(グリーン・ブルー・イエローハウス))にわかれて、21名(18名は以前からのメンバー。3人が新入居し、軽度の6名は新しい施設に移った)が住んでいます」
(スタッフの職員20名は県に所属し、運営も県の責任。グループホームの建設は民間会社で、入居者は住宅会社と賃貸契約を結び、家賃を支払う。もちろん支払える家賃は早期年金や住宅手当で十分まかなえる)
写真でその一部がわかってもらえるだろうか。
 利用者の部屋で説明するシーナ

どぎもを抜かれる快適な住環境とスタッフの支援体制だ。
夕食は毎日あったかい料理をつくる(昔の料理が多いそうだ)。毎週金曜日の夜にはパーティがある。家族が訪ねてきても宿泊できるゲストルームがある。平日には、バスが5台玄関にやってきて、作業所などそれぞれの活動の場に出かける。

「脱施設」と言われる。デンマークではだれも「施設」とは言わなくなった。まさに「家」がすべての人に保障されるように障害者にも保障され、障害のあることでの特別なニーズに対して、特別な配慮の必要性が市民の合意とされている。
「住まい」とは、単なる「寝るための場所」ではなく、地域社会ともつながりながら、人生をゆたかに生きていくための総合的な環境なのだ。

その総合的な環境は、後ほど訪ねた新築の高齢者ホームでも同様だった。
なんといえばいいのだろう、デンマークの底知れぬ「福祉への投資」の自信を感じた。

この10年余り。北欧を初めて訪ねたときは、「日本とは30年の差かもしれない」と感じ、勇み。2度目のときは、「3世代経ないと民主主義は育たないのかもしれない、、、」と、少しため息をついた。
今年感じたのは、「マラソンのトップランナーの背中が見えない(;_;)」正直な気持ちだ。

でも、東京オリンピックのアベベ選手のように、
裸足で、黙々と、一歩づつ、日本で走っていかねばならない。


PS 金沢の友人は、
「このゆびとーまれ」富山型デイサービスの生みの親の名前を連想してしまいました。
これを支える形で、介護保険の指定デイサービス施設で、支援費制度上の知的障害者児のデイもokとする特区認可も相次ぎ、高齢者介護では話題ですね。
逆に、支援費を介護保険に合流させる根拠に使われたりしかねないですが。
働く人も、地域の人も、支える人も元気にしている。
一文無しからはじめて、最初は行政に見向きもされなかったのが、今では、国を挙げて「小規模多機能だ〜」!。
安上がりに持ってゆきたいという意図も明らかだけど、やっと本流も表舞台にあがってきた。

とエールを送ってくれました。
ありがとね。
日本ではせめぎ合いの中で着実に実をとっていき、多数派を形成するしかないよね

 クロンボー城
   ▲クロンボー城の対岸、海峡の向こうにスウェーデンが見えた

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