デンマークの確信<8>
幸せになりたい



 コペンハーゲン市庁舎・結婚式のメッカ
 ▲コペンハーゲン市庁舎

『名優・滝沢修と激動昭和』(新風舎文庫)という息子さん(東大新聞研出身の国際政治学者・ジャーナリスト)の書いた本が、じつに読みやすいので止まらない。
滝沢修といえば、15年ほど前、「芝居が見たい!」という身重の妻をタクシーに乗せて池袋のサイシャイン劇場に行ったのはゴーギャン役の「巨匠」だったか、ゴッホ役の「炎の人」だったか、、、

はっきりと覚えているのは92年の銀座セゾン劇場の舞台だ。滅亡する平家を支えながらも裏切り自滅する阿波民部役は平家物語の「子午線の祀り」。平知盛の嵐圭史、その愛人の巫女・影身の山本安英とともに、圧倒的な存在感があった。

「無限の彼方に黒々と拡がる天空が、無数の星々をちりばめて音もなく巡って行く・・・
 鳴りどよむ辻風に捲きこまれまいと闘っているのは、影身よ、おれも同じなのだぞ」
こんな知盛のセリフがよぎる。

デンマークも猛烈に動いている。
前回の総選挙後の保守政権下で、全国に275あるコムーン(市)は、約3万人をめどに12月末には統合される。教育、保育、高齢者福祉はコムーン(市)の仕事。病院や障害者福祉、補助器具センターはアムツ(県)の責任だが(わたしたちが訪問したコペンハーゲン市補助器具センターは、コペンハーゲン市がアムツと同じ権限をもつ特別な市のため市の運営)。「歌う議会」の人口8000人のejby(エイビュー)コムーンは、住民投票の結果、ミゼルファートなど3つのコムーンと統合するそうだ。
そして来年、総選挙がやって来る。

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シュター・クリステンセンさんは、Lev(デンマーク育成会)の会長だ。
1952年設立の伝統ある協会で16の県支部がある。
そのLevの本部で、おいしい菓子パンとコーヒーを楽しみながらお話をうかがった。
シュターさんは今年来日し、「きょうされん(共同作業所全国連絡会)」主催の講演会で息子さんの話を聞いたことがあった。
 シュターさんの話を聞く
  ▲Lev本部でシュターさんの話を聞く

息子のラースさんは知的障害者。普通の幼稚園から養護学校に学び、学童保育は普通の学童保育を選んだが、12歳のころ仲間はずれにされ、自分で他者との違いも認識し、女の子も相手にしてくれなくなって、知的障害者の学童保育に決めたことがあったそうだ。
 30歳を過ぎた現在の彼の収入は
 基礎年金 4660KR(約9万円)
 住宅手当 2661KR(5万)
 **手当 3021KR(6万)
 付加年金 4000KR 
 合計   14709KR(約28万円、デンマークの平均賃金は35万程度)

この収入に加えて、作業所で週3日、町のレストランで2日働き、2DKのアパートで一人暮らしている。支払いは家賃(補助がある)に税金が40%、手元に2000KR(4万円)残るそうだ。それで好きなボーリングやクラブ活動をしている。
ちなみに、ワークショップやデイアクティビティセンターの職員の勤務時間は週37時間。週休は完全2日、年間6週間の休暇がある。

暉峻淑子『豊かさとは何か』(岩波新書、1989年)は、
「物的な、あるいはおかねの分量だけでなく、生活の自立や自由、創造的活動、地域社会での連帯や人権、自然環境も含めて、豊かさの重要な要素と考えなければならなくなった。豊かさは、それぞれの個人の生き方の問題であると同時に、社会や政治の問題と切り離すことができない」
とのべていた。
たしかにそうだよなあ。

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「幸福になるためのイタリア語講座」というデンマーク映画が日本で上映されて、けっこう若者の支持を集めたそうだ。
introductionには
 仕事や恋愛、家庭などに悩みを抱える6人の男女。
 イタリア語講座での出会いがきっかけに、ベニスの街で小さな奇跡を見つけ、
 未来を変えていく、、、、
 人生はいつだって、新しい可能性に満ちている。

映画のDVDが出たので見てみた。
コペンハーゲン市郊外のオールロケ、手持ちキャメラで特に照明は行なわず、音は自然音でバックミュージックは流さないという手法(「ドグマ95」)もあってか、すごいリアリティがある。
わけありの6人の生活の背景は、まさに現代デンマークの抱える社会問題だ。
 ・アルコール依存症の母親に手をやいていた美容師の姉。
 ・偏屈な父親と二人暮らしの不器用な妹。生まれて初めて父親の反対を押し切り講座参加
 ・妻を亡くしたばかりの新任牧師
 ・イタリア人(移民の子?)の恋するウエイトレス
共通しているのは、デンマーク語でいう「イェンレ」=寂しい。誰かに自分を受けとめて欲しいと願っている。

デンマークに半年間留学していた小賀久さんの話では(留学の成果は「みんなのねがい」10月号からの連載をお楽しみに)、福祉大国といわれるなかで、たしかにそれはゆるがぬ制度なのだけれど、「孤独」という問題は、とても大きいようだ。
それ故に、余暇活動(市が主催するイタリア語講座もそうだ)や海外旅行などに多くの人が参加するのだろうか。
「デンマークを美化することなく原寸大の評価をしよう」
は小賀さんのメッセージだ。

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日本に帰って、目につくのは、「お得」「激安」「当る」の見出しのオンパレードだ。
 よーーく 考えよう〜 お金は大事だよ〜 
だから、安ければいい、得ならいいのだろうか
ものの値打ちを計るものさしはそれだけではないはずだ。

電車の中にはエロ広告が溢れ、テレビや新聞は膨大な量の拝金主義の情報を垂れ流す。必要な情報はなかなか届かず、知らない間に溢れる情報の中で、けっこう世論誘導されちゃってる自分も感じる。

10月12日には、今後の日本の障害者福祉の抜本改正をはかるグランドデザインが示される。
柱は、
1)身体、知的、精神の3障害にごとにわかれている施策を一元化する新法をつくる
2)都道府県から市町村に事務委譲
3)支援費は全面見直し。利用者の費用負担の導入
グランドデザインの提示や法改正を示唆するなどは、この間の障害者運動の反映だろう。
しかし、肝心の財政の裏付けや決定的に不足している社会資源の量を増やす展望は示されるのか不透明だ。
しかも、デンマークでは、障害者福祉は徴税件のある市単位でさえムリなので県(アムツ)の担当となっているに、日本は財源もあいまいなまま市町村に丸投げしてしまうのだろうか?
さらには、「応益負担」は「扶養義務」を温存したまま強行実施されるのか??
「負担額」は障害者自身の収入ではなく、「扶養義務」により(親だけでなく)家族の「世帯」単位で認定されるというのは世界レベルではどうにも理解されないだろう。
もちろん障害者自身のゆるがぬ所得保障が追求されなければならないことはいうまでもない。

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今回の「旅の仲間」の一人・上杉重幸さんは元和歌山支部長の上杉文代さんの弟さんで、大阪でろう学校の教員をされていた。

清水寛編『障害者と戦争 手記・証言集』(新日本新書、1987年)
の中で文代さんは「よみがえった海辺の教育 もう戦争は許せない」と侵略戦争の拡大を節目として成長し、教師となったこと、
そして5番目の弟さんが戦時下の貧困な医療の下で聴覚を失なったこと、その弟さんが入学した元海軍の道場だった海辺の学校(和歌山ろう学校)で、文代さんもろう教育の教師となっていく姿を感動的に綴っていました
(重幸さんと手話でよく話していたカミサンの話では、重幸さんは重幸さんで、代用教員をやめざるを得なかった姉の結核も、当時の貧困と医療が原因だったと嘆いていたそうです)。

お二人の戦後史は、まさに日本の戦後民主主義の下での障害者運動史そのもの。戦争と平和、貧困、差別、医療、教育、就労と一つたりともゆるがせにできない大事なテーマがあります。
そんな大先輩たちと楽しく、学べる旅をいっしょできたことを誇りにおもいます。


最後に、滝沢修が治安維持法により逮捕・投獄(1年4か月)されたいわく付きのセリフを紹介してわたしの今度の旅の記録をしめくくりたいと思います。

島崎藤村「夜明け前」
幕切れ
主人公の青山半蔵が旅立とうとしている。
半蔵は雨戸をガラリと開けて、夜明けの空を見ながらつぶやく

「もうすぐ夜明けだよ」


 ベルゲン駅の夜明け
  ▲Bergen駅

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