北欧の国から 9


93/10/12 01:50:02 NGI00001 北欧の国から(15) そしてわが祖国

コペンハーゲンの北の海岸にルイジアナ美術館という
奥行きの深い近代絵画の美術館がある。
その喫茶室。

大きな窓を背にして通訳の田口繁夫さんとその横に熱血石田弁護士。
その向かいに市っちゃん、その隣がわたしである。
田口さんのむこうには北の海が白い波頭をあげてうねっている。
この海峡は南東にいけばバルト海、北西へむかえば北海だ。
窓に小雨と海からの風がはげしくぶつかっている。

田口さんは東京の大学を卒業した後、恋人の生まれた国・デンマークにやってきた。
情緒障害児の施設に勤務し、いまは医学関係の翻訳をしている。
男4人のコーヒーを飲みながらの会話である。

石田:デンマークはどこの田舎町でもあまり貧富の差がないように感じるが、、
田口:80%が中流といえる。それが政権交代があっても社会福祉政策の
 変化がないというコンセンサスをささえているともいえる。
 10%が生活保護の対象といわれる。
わたし:田口さんが思うデンマークと比較しての日本のいいところって?
田口:まず食べ物。日本は食べようとおもえばなんでもある。それにうまい。
 つぎに自然。四季がある自然。山がある自然は、山もなく、四季のない国にいると
 なつかしく感じる。
 そして、「あいまいさ」かな。
 この国は、いつもどんなことでも、それはどんな意味があるのか、
 社会にどのような意味をもつのか、一事が万事主張しなければ、
 だれからも認められない。
 日本のような「ツーカー」なんてあいまいな関係はまったくあり得ない。
 それはいいことでもあり、しかしときに、たまらなくなることもある。

彼は恋人と結婚し、子どもをつくり、そして別れた。
いまは年頃の娘さんと二人で暮らしているのだそうだ。
チャップリンの若い頃のような顔立ちの彼の顔がちょっぴりさみしげだったのは
暗い北の海の光の加減だったのだろうか。


旅の終わり、
ストックホルムから8200キロの空路に、途中、朝日新聞の機内サービスがあった。
1993年9月22日(水) 13版 
「夕陽妄語」 加藤周一 浦島所見強烈な印象だった。

: 故郷の岸辺にたどり着いた浦島太郎は何を感じただろうか。
: 竜宮の想い出は遠く、世界がにわかに遠ざかるのを感じた。
: 日本語の新聞を開けば、全世界の出来事についての情報は、
: すもうと野球についての微に入り細をうがった情報の2分の1
: にもみたない。

: 東京は大きな都会だから、車は渋滞し、
: 不景気とはいっても、多様な商品が溢れている。
: しかし、心理的には小さな町だから、外の世界には関心がない。

大きな小都会。
まさに、わたしが感覚的に感じたことそのままだった。
絶望的ともいえる「大きな小都会」。
でも、そのゆたかな基礎的社会資源はアンバランスなほど抜群で、
問題は社会そのもののシステムが、
社会のものの見方考え方の物差しが変われば、
すごい国になれるという直感もわたしにはある。

氏は最後にこういう。
:  しかし、その若い人々の、さらには子供たちの、
: 幸福に暮らすことを願っている。
: そして人々がみんなでどこに渡ろうとしているのかを、
: 心配している。

: いや、それより、どこへ渡るにしても、
: みんなでいっしょでなければならないという状況が、
: 再び作りだされるかもしれないことを心配している。

: かっての不幸はそこからおこった。
: そこから不幸が再びおこらぬという保証はない。

見事に時代を、そしていまの日本の状況をいいあらわしている。

妙に目がさえて眠れなくなったら、
左側に、深紅のあさやけがはじまっていた。
シベリア上空の地球を感じさせる壮大なあさやけは、
これからはじまる、わたしの祖国での新しいはじまりをつげているようでもあった。

隣には寝相の悪いもうすぐ4歳の娘と
そのむこうにちょっと疲れぎみではある妻が寝息をたてている。


しののめ
  スウェーデン・イエテボリのあさやけ


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