バルト海の休日 5
   番外編1  ジャガイモ・ロード


今回の旅も、5年前と同じ北欧にこだわりのある小さな旅行代理店
「ホライゾン」の代表・深井さんにお願いした。
現地での通訳者が粒ぞろいなのはじつにありがたい。

それと、細かいことだが、料金に旅の全行程の食事が全部含まれている
これは旅慣れてない者にとって意外に便利なことなのだ。
北欧の旅で一番物価の高さを感じるのはレストランでの食事だ。
一般市民は外食なんてめったにせずに、
つつましく暮らしてるから料金も高いのだ。

この旅にドイツから同行してくれたわたしの友人の某大学助教授。
彼の友人(語学の研修生らしい)
がストックホルム大学で文学と語学を学んでいるというので
そのヨーハンと王立図書館近くのホテルのロビーで待ち合わせた。

身の丈約2メートル。
足は長く、わたしと並ぶと彼のズボンのベルトがわたしの胸くらいにくる(^^;)
アゴの髭は無精髭っぽいが、笑うと好青年だ。
彼は6か国語をマスターし
将来は文学関係の出版の仕事をしたいといっていた。

「ストックホルムの美しいところを歩きましょうか」
というので、わたしもつきあうと、
「ストックホルムの街中は日頃出てこないので、、、」
といいながら、中心地の東の方、緑が多い、海縁の散歩道を
長い足のストロークで歩く。
(わたしは彼が1歩あるくのに、3歩あるかねばならなかった(^^;))

バイキング博物館やストックホルムの「チボリ」の脇を抜け、
動物園の道を、かれこれ2時間ちかく歩いたろうか。
日はうっすらと沈み、
お腹もすいたので食事をしようということになった。

「どんな料理が食べたいか?」
とヨーハンが聞くので、
ドイツでもデンマークでも魚とジャガイモだったから、
「そうだ、ヨーハンの彼女に敬意を表してスパゲッティにしよう」
といったら、
某助教授は
「そのべさん(^^;) 彼の彼女はスペイン人ですよ(^^;)」
とわたしの学生時代の後輩らしく、ぼそぼそといった。

スペインとイタリア料理の違いはわからないが、
ともかく「麺」が食べたい。
本当は、こってりした、みそラーメンが食いたいのである。
(旅の9日目の話だ)

で、律儀で好青年のヨーハンは、
いつもは大学とアパートの往復で、
外食なんてとんとしたことがないビンボー学生というのに、
あっちの店で、こっちの店で
「スパゲティの食える店はないか?」
と聞いてくれた。

3軒目にして、
「あの公園のレストランなら食べられる」と聞いて
訪ねると、今日は日曜日。
そういえば、開いている店が少なかったはずだ(;_;)

しかし、律儀なヨーハンは、高い目線で、
見つけた見つけた、「パスタ」のお店(^_^)
さっそく、
わたしはスウェーデン産のビール(最近作り始めたらしいが、今後に期待)
とパスタ料理を頼んだ。

すると、ヨーハンは
「二人は食べてて、ぼくはちょっとその時間、散歩してくる」
といって席を立とうとしたので、
そこで、日本人二人は、
ヨーハンにとっていかに外食が高いかがわかったのだ。
その場は、両国民の友情に乾杯することになるのだが、、

そそ、
いいたかったのは
食べ物は高い、
いや、「麺」だとかほかほかの「ご飯」だとかそういうものは異質。
ここ、北ヨーロパはジャガイモこそが主食なんだ
ということなのです。
(長いまえふりだった(^^;))

ドイツの北の果てバルト海に面したキール市。
その市役所の地下には、
昔の農村風のレイアウトのすてきなレストランがあり、
じつにしぶい味の地ビールがあった。

ドイツ通の某助教授によれば
ハンザ同盟諸国というか、
ドイツの市役所の地下には、
それぞれ自慢の地ビールがあって、
商取引がそうした場で行われていたらしい。

ビール好きにはドイツは最高の国だ。
デザートも、州名が「シュレスビッヒ・ホルスタイン」というように
乳牛のホルスタインの故郷だから、ヨーグルトに木苺のジャムと満足満足(^_^)。
でも、わすれてはならじ、
最初にどーーんと出ていたのは、ふかしたてのおいしいジャガイモだった。

翌日の昼のカフェテリアでの軽食も
ちょっとだけほしかったつもりが
「普通盛り」というジャガイモ料理がバケツででるかのようにどーーーん。
でも、まわりの地元の人は、やっぱり
その分量をぺろっと食べている(^^;)

数えれば、全食事の4割強はジャガイモが”主食”であり、
夕食のレストランの簡単な料理の9割はジャガイモ。
もちろん、こうした食事でない食事も可能である。
5年前の旅では、日本料理なども入れていた。
が、とりわけ日本料理と現地で言われている
「テンプラ」や「スキヤキ」のかなしいこと、、、、
値段が高いだけで、とんでもない味の数々だった(^^;)
ストックホルムの「スキヤキ」屋はすでにつぶれていた。

NHK取材班『人間は何を食べてきたか』日本放送出版協会 1985年
はこう伝えている。
 アンデスの高地にあった巨大なインカ帝国を支えたのは
 ジャガイモとトウモロコシで
 トウモロコシが神や支配者のための主食とすればジャガイモは庶民の主食。
 栽培された品種はじつに450種といわれる。

 1532年、スペイン人ピサロの200人の軍隊によって一夜にして
 インカ帝国は消滅し、略奪の限りが尽くされたが、
 このとき誰かの手によってジャガイモは海を渡った。
 しかし、聖書にも1行の記載もない(あたりまえ!)、
 種もまかずに地中でイモが増えていくことも、
 悪魔の食べ物として忌み嫌われる。

 しかし、17世紀、ヨーロッパ全土を巻き込んだ30年戦争によって、
 やせた農地や山間高冷地でもよく育ち、
 高い収量をあげるジャガイモの優秀さがいっきに見直される。

 18世紀、ジャガイモはイギリスを経由してアイルランドに伝わる。
 人口はこの100年間で5倍にも増える。
 しかし、19世紀、ヨーロッパに蔓延したジャガイモの疫病が直撃。
 餓死者100万。400万人が新天地アメリカに移住した。
 その移住者の群の中にジョンFケネディの曾祖父にあたる一家もいたという。

 日本への伝来は1598年、オランダの植民地のジャワから長崎に着いた。
 だから「ジャガタライモ」。
 南蛮渡来の不思議な作物として疎んじられる。
 これを普及したのは大飢饉がうち続いた江戸時代の天保年代、
 蘭学者・高野長英であったという。


ジャガイモは毎日食べた。
確かに胸焼けしそうにもなった。
しかし、それぞれはじつにおいしいものであった。
そして、そのジャガイモによって
ヨーロッパは存在することを身をもって体験した(^_^)

イメージ
素敵な老夫妻


イメージ