バルト海の休日 7
   第3話 その2  この邦に生まれたるの不幸


どこの街の話でもない、首都・東京の話だ。

  投票所総数           1799箇所
1)入り口に段差(20センチ以上)有  543
2)道路から敷地に段差有        56
3)1と2それぞれに段差有       36

これは、98年5月の東京都議選を前に
東京都選挙管理委員会が、
障害者団体の要求によって投票所の実態調査を行った結果である。

すなわち、3割の投票所には段差があり、
車いすでは入れない可能性がある。
品川、渋谷、葛飾区、三鷹、小金井市などではスロープを設置しているためゼロ。
ゼロは当然と言えば当然のことだが、
3割といえば長嶋茂雄かイチローの打率だ。
この国の常識は世界の常識とはだいぶ違うところがある。

この3割の投票所が段差があるという状況のなかで、
衆議院選挙では足立区の車いす利用者が、
一人で投票所にいったものの、
スロープがなく、投票できなかったことが実際に起こっている。
これは投票所のバリアフリーの問題とともに、
どれだけ市民の投票行為を広げるのかという思想の問題だろう。

政治にそれぞれが参加することは基本的人権のひとつであり、
「参政権」といわれている。

障害をもつ人の参政権保障の要請は、
ひとり障害をもつ人のみの要請ではなく、
高齢者や病気の人はじめ、
多くの国民にとって「やさしく」「わかりやすい」選挙の在り方につながる。
(これは情報アクセス権の場合もいえることだ)

1996年7月、国連人権委員会において、
国民の参政権に対する保障とともに、
障害をもつ人の権利を完全に保障するため「積極的な措置」をとることが指摘された。
それは、
「投票権を有する者がその権利を実効的に行使することを妨げる
 ことになる識字能力の欠如、言語上の障害など特定の障害の克服」し、
「投票に関する情報、及び資料」については
「識字能力を欠く投票者がその選択の基礎となる十分な情報を得ることが出来るように」
 投票方法の工夫を指摘し、
「身体障害者、視覚障害者または識字能力のない者に対する援助は
 独立したものであるべきである」と明記している。
障害者の参政権保障は世界の流れだ。

しかし、日本の現実は、、、、
先の段差有の投票所が3割であり、
「選挙に対する情報が不足」(聴覚、言語障害者)
「点字選挙公報は義務でなく、地域によって発行されない街がある」(視覚障害者)
「郵便による在宅投票は、申請のための切手は自己負担である」(肢体、内部
などなど、、、、

極め付きは、
最高裁で「障害者の参政権保障」が問われた玉野訴訟だ。

玉野事件は、1980年の衆参同時選挙の際に、和歌山県御坊市に住む
言語障害者の玉野ふいさんが、自分の支持する候補者の応援のため、
後援会加入申込書などを9軒に配布したところ、
法定外の選挙文書配布として公職選挙法違反で、逮捕、起訴された事件だ。

第1審は86年に罰金1万5千円、公民権停止2年の有罪判決
91年大阪高裁は控訴棄却、同年最高裁に上告した。
その後93年に被告が逝去し、10月5日公訴棄却が決定された。

第1審では、公職選挙法が、
基本的人権の表現に自由の保障などに違反するかどうかが問われ、
第2審では、さらに加えて
障害をもつ人の参政権保障の在り方、とくに選挙活動の自由が問われた。
(「障害児教育大辞典」旬報社より)

この玉野さんの支援を現地で中心となってささえた
全障研和歌山支部長の上杉文代さん(74歳)は、
雑誌「みんなのねがい」99年1月号の座談会で
(9月17日にストックホルムのホテルで収録)
つぎのように語っている。

「あらためて思うのですが、日本がいかに公職選挙法によって、
 個人の選挙活動の自由が奪われ、民主主義が育てられていないなーと」

「玉野さんは私より一つ年が上でしょ。古い人間なんですよ。
 これまで選挙行ったことがなかったって、自分と関係ないと思っていたそうです。
 ところが御坊市で大水害があって、その復興のことでいろんな人と出会い、
 彼女は目覚めていくし、自分で学んで、自分でこの候補者をこそと思った。
 警察は逮捕して「だれに頼まれた」って、そこだけ聞きだしたかったようだけど、
 絶対それはいわなかった。
 何が真実か見抜けたんやと思うの。
 それで10年以上裁判、がんばったと思うね。
 あの人、ほんとうにもう、お粥食べても舌が痛いっていうんかな、
 そういうつらい、話をしても針で刺すような痛い身体で
 ずーーと闘ってきたんやからね。
 えらかったあ」

日本のピネルといわれた
精神医学開基の大功労者・呉秀三は、
1918年、全国の精神障害者の「座敷牢」の実情を調査し、
「わが邦10何万の精神病者は実にこの病を受けたる不幸の外に、
 この邦に生まれたる不幸を重ねるものというべし」
という有名な「二重の不幸」を報告している。

それから1世紀近く時は流れた。
「この邦に生まれたる不幸」は、参政権の分野ではどうだろうか。

それを、
当たり前のことが当たり前に行われている
幸いの国・スウェーデンで確認してみたいのである。
(つづく)

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(ストックホルムの投票所で)


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