バルト海の休日9
   番外編2 エレベータと石畳の街


ドイツに生まれドイツを追われた
かのカール・マルクスはいったそうな
「機械の全発達史は小麦製粉工場の歴史によって追求できる」

すなわち、
小麦は粒で食うにはうまくない(^^;)
だから、うまく食べるには粉にし、ヨーロッパでは良いパンをつくった。
(中国は粉から麺をつくったぞ)

この主食のための加工技術は、
その時代の文明をささえ、
機械技術全体の進歩に深くかかわった。
さて、そのヨーロッパが生み出したエレベータという福音。

ヨーロッパやアメリカ映画を見ると、
蛇腹のドアを開けて、乗り込むエレベータが出てくる。
日本では木造で高層建築物がなかったためか
いいところ梯子がでてくるくらいだ(^^;)
ところがこのエレベータ、これは実に便利で、車いす利用者には革命的だ。

風呂ではなく、シャワーという文化の違いも、
なるほどそういう文化の違いからも
お風呂の介助というとってもたいへんな仕事が
シャワー文化の国では、けっこうたやすくできてしまっている
ことに、素朴に驚いたものだ。

しかし、このシャワー文化。
理屈ではわかっていても、
どうも湯船にゆったりつかって、鼻歌混じりに「襟裳岬」なんか歌わないと
疲れがとれないような、満足感が得られないなあというのは
極東の異端児なんだろうか(;_;)

それはさておき、エレベータの話。
ヨーローパでは、1階の表示が実は「2階」であったりして、
初日はつい階段を上がり下りしたけど、
入った進行方向が次の階では突然ドアとなって開いたりすることがある(^^;)
これははじめは「ええっ!」という感じで驚いたのだが
なれてくると、車いすなどでは、入ったままの方向で、そのまま出ることが
できたりしてけっこう楽ちんなのだ。
どうして、日本のエレベータは、ドアが一方向だけなんだろうか。

このエレベータ。
一説によれば発明したのは紀元200年、かのアルキメデスさんなんだけど
現代のエレベータが確認できるのは1880年。
意外に最近の話で(日本だと自由民権運動のころね)
ドイツのジーメンス社が開発。
このジーメンス社って、ドイツではフォルクスワーゲンにつぐ大企業で
日本史でも海軍の汚職事件のシーメンス号事件にもかかわってるし、
古河財閥といっしょに、その後の富士電気や富士通をつくってるんだねえ
しーーらなかった。
(このネタは平凡社の百科事典によります)


エレベータとともに印象に残ったのは石畳。
キールの市役所広場も
オーフスでは旧市街はほとんど石畳の街で
ストックホルムでも旧市街のガムラスタンは美しい石畳の街だった。

この石畳の光景はもの思いにふけるにはけっこういい雰囲気なんだけれど
車いすだとやっぱあんばいが悪い(^^;)
ガタガタするから揺れるだけでなくけっこう頭にまでひびくようだ(^^;)

でも、それでもガムラスタンの街並みをせっかくだから
見てもらいたくて、
日曜日の昼に、車いすの八重子さんをさそって
後輩の某助教授とともにガムラスタンをめざした。
電動の車いすは数台見かけたが、
手動式はわが面々だけではあった。

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でも、2万部でている月刊誌の巻頭グラビアになる(はずの)
この一枚。
北欧の国だなあと感じさせるでしょ(^_^)

さて、この石畳。
歴史的な建造物は外見はそのままで
内装をその時代のものにして、暮らしている北欧の人たち。
ガムラスタンの真ん中には小学校もあり
アパートにはけっこうな人が暮らしているし、
オフィスもたくさんあって、
歴史遺産として観光資源としてそこにあるのではなく
たしかに不自由さはあるのだけれど、
すてきな歴史を継承しながら暮らしている
そんな感じがしたものだ。

なんといえばいいのだろう。
車いすで、この石畳の街に暮らすのはとても不自由だとおもうけど
たとえばそこが美しいと、そこに住もうと自ら決めたとき、
点字ブロックも、音声誘導装置もありそうにないのだけれど、
暮らすには不自由だけど、「不可能ではない」
そういうところがけっこうありそうだなあと感じた。

けっこう「不自由さ」はあるけど、
なにかしようとしたとき「不可能はない」国。

税金はそれは半分でたいへんだけど、
食えないわけでもなく、いざというときは社会が確実に守ってくれる

建物は古くて、エレベータはゆっくりだけど
車いすで、3階でも5階でも住もうとすれば住める

  けっこう「不自由さ」はあるけど、
   なにかしようとしたとき「不可能はない」国。

そんなことを、2度目の北欧の訪問で
石畳に車いすの車輪をとられながら、ぼんやりと感じていた。
(つづく)


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世界で最も狭い路地の前で


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