夜明けを待ちながら(5)
デンマークの学校




 帰国後の10月26日。朝日新聞の「声」に載った千葉県の主婦の意見が気になった。
 
 :中学2年の長男は自閉症で言葉が出ず、私との会話も筆談ですが、
 :先生方の努力や周りの支えで、ずっと普通学級に通っています。(略)
 : 「同じ人間なのだから、同じ場所で」。これは当たり前の、
 :基本的な人間の権利だと思います。(略)
 :「子どもの権利条約」やユネスコの「サマランカ宣言」にあるように、
 :世界は、健常児も障害児も共に学び合おう、という方向で動いています。

でも、わたしが見たのは違っている。要は何を大切にするのか。だれの人権を大切にするのかというきわめて具体的なことなのだとおもった。

 旅の6日目、10月8日、デンマークの第2の都市(といっても人口は30万に満たない)オーフス市で、統合教育が行われている小・中学校(義務教育学校は9年制+1年選択制)とその夜、知的障害者が学ぶ「夜学」を訪ねた。

 デンマークの小・中学校は8年前、コペンハーゲン郊外の人口5万の町の学校を見たことがある。
http://www.nginet.or.jp/~kinbe/SAS/hokuou3.htm

 今回の訪問先のトウスホイスコーレは、人口規模の大きさと生徒の60パーセント以上がトルコやアラブ、ソマリアからの移民で所得が低いという特徴があるそうだ。

 統合教育担当責任者のリーサ・トーレンのレクチャーによると、生徒数435名。学校職員は100名、うち58名が教員。その他、言語療法士、心理専門職、PTなどが他の学校との兼任で配置されている。

 通常学級は「27人学級」だが、ここでは現在17名で1学級。学校内に歯科治療医院があり、18歳までは無料で治療できる。

 障害児は26名で4クラスにわかれて勉強している。6名の教員は特別クラス専門。義務教育は市町村(コムーン)が管理するが、この特別な教育を行う4クラスだけは、さまざまな対応を行うための職員を配置するなど特別のコストがかかるため県(アムツ)が管理している。(70年代にデンマークは14の県、275の市町村に整理された。国、県、市町村の行政責任・財政も明確である)

 特別クラスは、
学校に入る前の準備クラス(6〜7歳) 5名
       8〜11歳のクラス 7名
       12〜14歳のクラス 7名
       15〜18歳のクラス 7名
 障害児の多くは、交通事故、脊髄損傷、小人症などの身体障害児で軽度から重度の児童まで通学している(県費負担によるタクシー通学、なかには60キロ離れていて、片道1時間半かかる子もいるそうだ)。

 健常児のテンポにあわすことのできない子どもは、特別クラスに編入される。けっして子どもに背伸びをさせない。子どもをどのクラスに入れるかは、親と本人が決める。障害児で、普通クラスに入れたいと願う親も多いが、学校としては、普通クラス、特別クラスのそれぞれで何ができて何ができないのかをきちんと親に伝えることで対応している(親や今いる学校の担任教師の3か月の体験入学を積極的にすすめているそうだ)。

 最初は普通クラスに入れていた親も、10〜12歳くらいの思春期になって、子どもの活動範囲が学校を越えて広がってきたり、ボーイフレンド、ガールフレンドをさそってさまざまなパーティーやデートに出かける年齢になり、子ども自身が孤立感を感じるようになって、特別クラスに入ってくるケースも多い。

 普通クラスにいる障害児は、自分の中にこもってしまうことが多い。特別クラスに移ってきたときはすごくさびしそうで、自分をオープンにしてくれない。しかし特別クラスに移ってからは短い時間で、まわりの障害児もさまざまなハンディーキャップを持っていることを知り、だんだんと明るさをとりもどす。

 しかし、特別クラスの障害児はいつもかたまっているのではなく、健常児との交流の場がもてるよう工夫もしている。毎週木曜日には学校のパーティーがあり、自由な交流の機会も設けている。障害者がいるのがあたりまえのようになるよう、こころがけている。

         *

 8年前も感じたが、デンマークでは「場の教育」が徹底している。日本風に言うならば、小さな小さな「養護学校」が地域の小中学校に設置されている。普通校は市区町村。「養護学校」は県立で管理職も別にいて、そこには専門の教員含めあらゆるプロがいて、一人一人の発達の可能性にとりくんでいる。そんな感じだ。

 後日懇談した北シェラン島の国民学校のライフ・イエンセン校長は(彼は日本に障害児教育の視察をしたいとのことで、その情報収集をとわざわざコペンハーゲンのホテルに私たちを訪ねてくれた)「どんなに障害があっても、その人としての発達の可能性がある」
と熊みたいな大きなからだ全体で強調していた。

 わたしの師匠筋にあたる清水寛(全障研第2代委員長)が、「実質的統合」こそ大事と4半世紀前に力説していたことが、デンマークの学校では、あたりまえのこととして実践されていた。

             *

 その日の夜、郊外にあるイエセン・フリティドスコーレンを訪ねる。昼間は知的障害者の義務教育後の特別学校で、夜はそれを借用している。義務教育ではないので管轄は市町村ではなく県である。

 こうした「イブニングスクール」は、デンマークの場合、多くの国民が活用している。「手芸」や「乗馬」のコースに障害者が入る場合もあれば、今回の訪問先のように知的障害者を対象にしたコースもある。

 コースは多様で自分で選択できる。音楽やコンピュータ、パンケーキづくり、犬と遊ぶ、などなどそれぞれ14回で、秋から春の単位で35時間。受講料は600クローネ(約1万円)を自分で払う。
障害者年金の所得保障がしっかりしているので、自分の意志で払うのだそうだ。

 「音楽コース」には、近くのグループホームから3名が参加している。グループホームには好きな音楽をおもうぞんぶんやれる部屋もあるとのことだ。もうひとつ。ここは学校卒業後の男女の出会いの場でもあるらしい。

 「余暇」は人権である。日本語訳の「余りの暇」ではなく、住宅や移動、医療、収入、仕事とともになくてはならない人権としてデンマークでは考えられている。

 やさしい目をした茶色い髪の音楽教師は、昼間は特別学校の先生で春は週1、他は2週間に1度、イブニングスクールで「音楽コース」を担当している。もちろんイブニングスクールの手当は昼の仕事とは別体系で県から支給されていると笑っていた。

 ビートのきいたノリノリ音楽が響く。エレキギター、エレキベース、キーボード、ドラムス、パーカッション。ダウン症の人がいる。自閉的な人もいる。電動車いすに乗った女性とその横で、ときどき人目をさけて、チューをしている赤いTシャツとの青年(^_-)かっこいいサングラスをかけた青年。
ここは、じつに楽しかった(^_^)

イブニングスクールの様子

 デンマークにいると次の言葉の順番は逆ではなかったのかとおもう。

 一人はみんなのために
   みんなは一人のために

 「solidarity」という言葉を何度も聞いた。「連帯」とでも訳すのだろうか。まず「みんなは一人のために」の思想が教育でも社会教育でも仕事でも暮らしでも、あらゆる場面で基本にあるようだ。

 富田勲のシンセサイザー・映画「学校」のテーマ曲を聞きながら。



トップページへもどる