子どもたちに幸せな日々を
   
子どもと保護者の発達を保障するために

近藤直子
(日本福祉大学名誉教授、あいち障害者センター理事長、全国発達支援通園事業連絡協議会会長)
定価1200円+税  ISBN978-4-88134-645-7 C3037  2018.6.1
 

 目 次

はじめに 子どもたちに幸せな日々を

第1章 発達とあこがれ
子ども時代は、物理的世界もこころの世界も大きく広げていく時期。その時に大切なのは、周りの人々の存在です。ステキな大人、惹かれる仲間。でも外にこころを向けていくうえでは、実はこころの安定が大事。こころの安定の基盤に「愛されている実感」があることを、「あこがれ」をキーワードに考えてみました。

第2章 こころに残る子どもたち
こころに不安定さを抱えていた私は、障害のある子どもたちとの出会いで、人間として大切なことも、そして生きがいも見つけました。小学生時代から、近所のダウン症の少女が私たちの通学姿をじっと見ていたことや、教室から授業中に飛びだしていく同級生のことが気になってはいたけれど、一生障害児と付き合うとは思いもよらなかった私。そんな私が障害のある子のステキなこころを見つけた時のこと、そこにはすべての子どもに通じる何かがあります。

第3章 こころに残る保護者たち
大人だって発達することを、障害児の親から学んできました。生活への支援が親の気持ちを変え、親の「幸せ観」を変える。心がけだけでは無い支援を保障するのが、子育て応援団の仕事。私に学びの場を提供してくれた親たちのこと、あなたにも伝えたい。

第4章 オッパイは出ないけど 父さんだって子育て!/近藤郁夫
私を変えてくれたのは障害児とその親たち、そして私のことを愛してくれた夫と息子、そして可愛い教え子さんたち。今は亡き夫が、息子の子育てについて「オッパイは出ないけど お父さんだって子育て!」としてまとめています。夫は「育メン」なだけではなく、保育園父母会会長として、学童保育所の運営委員長として父母を組織してきた、子どもたちの応援団長。夫のステキさを感じてください。私ののろけとして。

第5章 子どもの幸せの土台を築く
子どもの「問題」を親の責任に付しがちな昨今の雰囲気。保護者のみなさんも子育てをプレッシャーとして感じておられたりしますよね。仕事でも子育てでも、一人で頑張らずに応援団と共に取り組むために、社会的施策のあり方に関してもひと言。

おわりに 息子一家にバトンを渡して

はじめに  子どもたちに幸せな日々を

 ほとんどの親御さんたちは、わが子の幸せを願っていることと思います。では「幸せって何?」と尋ねられた時、あなたはどう答えるでしょうか。答えはさまざまでしょう。自分が歩んできた人生を踏まえて、それぞれがそれぞれの「幸せ観」をもっているからです。

 多くの人は「自分の人生で十分得られなかったこと」を、幸せの条件と思うことが多いのではないでしょうか。家族、健康、財産、仕事、友人、生きがい、学歴、名誉等々。

 私の母は、太平洋戦争中に親たちの意向で、いとこである父と一八歳で結婚させられました。現在とは違って、親が絶大な権力を有していた時期ですから、たぶん「有無を言わせず」ということだったでしょう。女学校を卒業したら進学したいと考えていた「勉強大好き少女」だった母にとっては、「思うように勉強できなかった」ことが「幸せの欠乏感」につながっていたのでしょう。私が2歳になった年に、女子大の通信教育課程に入学し学びはじめました。ところが次の年には、妹が生まれただけでなく、姉が結核性の関節炎に罹り、一年間ギプスをはめて暮らすようになり、勉強どころではなくなってしまいました。しばらく休学したのち、妹が五歳児の時に復学し、改めて学習に勤しむようになりました。スクーリングのために夏休み期間中は父と私たち三人を残して、一人で東京に下宿して勉学に勤しみ、優秀な成績で表彰され、婦人雑誌や新聞の取材を受けたほどでした。それでも飽き足らず、卒業後、別の大学の通信教育課程に編入した、学ぶことの好きな母でした。

 「自分が学びたい」という思いが強く、私たちには「女も大学に行くこと、そして仕事をもつこと」を願っていましたが、「勉強しろ」とうるさく言われることはありませんでした。大学出のお母さんはクラスに一人いるかいないかという時代に、勉強好きな母のことは自慢ではありましたが、私たちはそれ以上に、母に温かさや人間臭さを求めていたと思います。

 「食べるだけで大変」という生活ではなかったから、温かさや人間臭さを求めたのでしょう。中学の同級生の中には、母子家庭ゆえに高校進学をあきらめた子もいました。幼児期に母親が自殺したという子もいました。そうした人たちからしたら、私の思いはある意味「贅沢」だと言えるでしょう。でも、一人ひとりのこころにとっては、求めても得られないでいるものは、実は切実なものなのです。特に、まだこころの世界が狭い子ども時代では、家庭と身近な地域社会がある意味で世界のすべて。

 だからその狭い世界の中でも「幸せなこころの世界」を築いていきうるよう、大人たちは支えていく必要があるのです。「子どもの最善の利益の保障」が「児童福祉法」にもうたわれましたが、それは日本国憲法一三条の「幸福追求権」を子どもに即して保障することのはずです。日本国憲法一三条は、子どもも含めすべての国民が個人として尊重されること、生命、自由、幸福追求の権利を保障されることが規定されています。何よりも生命が尊重されることが最優先課題です。「居所不明児」「無戸籍児」が存在していること自体、憲法上は許されないことですよね。安全な環境で、住居も食事も睡眠も保障されることが幸せの大前提なのです。保育所も学校も給食を保障しているのは、生きる安心の基盤に食事があるからです。

 そして自由であること。自由とは「わがまま」ということではありません。障害があって体が思うように動かなかったとしても、また病気のために入院生活を送っていたとしても、子どものこころは自由を求めています。好きなことを思う存分したい、関心のあることに取り組みたい、そんなこころを最大限尊重することが、大人たちの責任なのです。病室では世界は「真っ白」で魅力に欠けます。長期入院児が集うことのできる遊戯室や、病床まで読み聞かせに来てくれる病棟保育士がいる、そのことが子どもの世界を広げるとともに、「楽しい」と感じられる幸せを保障するのです。子どものこころを障害や病気から自由にする取り組みを可能にする、社会的な制度が求められるのです。

 思う存分走り回りたいという子どももいます。家の中では走り回れないけれど、広い園庭で、先生や仲間と共に走り回っているうちに満足し、先生や仲間のしていることに気持ちを向け新たなことに取り組みはじめる時、子どものこころも行動も自由の翅をひろげていくのです。家庭ではできないことを保障するために、子どものための施設や施策があるのです。

 「子どもの教育の第一義的責任は親にある」というのが、この間の政府の考えですが、家庭では保障できないことがあるから、保育所も幼稚園も学校も発展してきたのです。親では保障できないことがあるから、保育士や教員という専門職が確立してきたのです。子どもの生命と自由を尊重しうるように親の生活条件を保障することなく、親の責任を問題にすることで、結果として「居所不明児」や「無戸籍児」が生み出されているのです。親がどうであれ、まずは子どもの生命・自由・幸福追求の権利が保障されることが児童福祉のはず。

 わが子だけでなく、わが子につらなる子どもたちすべての幸せを保障するために、大人は何をしていく必要があるのか、一緒に考えてみませんか。
 この本の構成は次の通りですが、私の思いも一緒に読み取ってくださるとうれしいです。
      著者

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