エピソード3:発達保障と権利、集団・社会、歴史

 

発達保障の源流

 「発達保障」の源流にはいくつかのとりくみがあります。ひとつは、障害児の教育権保障をめざす教育研究運動です。また、近江学園での発達保障をめざす実践と理論化のとりくみです。保育・療育・学校教育へとつなげていく乳幼児健診のシステムづくりもありました。
 それらは合流して、どんなに重い障害があっても、教育によってゆたかに発達していくことを明らかにしながら、1967年、「障害者の権利を守り、発達を保障する」ことをめざす全国障害者問題研究会(全障研)が結成されます。

「この子らを世の光に」

 学校から排除されていた子どもたちの教育実践を担ったのは障害児施設でした。滋賀の近江学園の糸賀一雄らは、当時、重症心身障害児は「治療に値しない」とされるなかで、医療と教育を統一させたびわこ学園を設立し、重症児の発達の可能性、教育・発達への権利を訴えました。
 「この子らを世の光に」のことばに込めた糸賀や田中昌人(全障研初代委員長)らは、発達保障の理念を明確にしていきます。

「就学猶予・免除」から全員就学実現

 戦後、憲法、教育基本法に、すべての子どもたちに教育を受ける権利があることが明示されたにもかかわらず、障害があることを理由に2万人以上の子どもたちが「就学猶予・免除」されていました。
 そうした中で、障害があってもだれもが発達への権利をもっていると要求し、教育権保障運動は、障害者の全員就学、養護学校義務制を実現(1979年)します。
 発達は要求からはじまる/発達は権利である/発達は集団の中で達せられる/発達の可能性は作り出すものである。これは、「すべての子どもに等しく教育を保障する学校をつくろう」という理念を掲げて開設した京都・与謝の海養護学校で「発達の四原則」といわれたものです。
 「発達」は、「○○ができる」という知識・技能の獲得や諸機能の高次化とだけとらえるのではなく、それを使う場面や相手がちがっても発揮できるようになった変化もまた「発達」ととらえ、能力と人格の発達を統一的にとらえました。
 また、「障害・発達・生活」という三つの視点で総合的にとらえ、その内面も含めてまるごと理解していくことの必要性を訴えてきました。

発達を保障するための思想と理論、実践や運動

 どの人もかぎりなく人間発達の道を歩んでいく権利(発達権)があります。発達の権利を保障するという目的意識をもち、その目的の実現をめざして、みんなの力で、実践、制度・施策などを充実・発展させてきました。
 また、「発達の三つの系」として、個人ー集団ー社会の三つの発達のシステムが関連しつつそれらを総体としてとらえようとしました。
 発達保障の思想と理論、実践や運動は、障害のある人びとの要求に学び、その実現をめざしてとりくまれる実践・運動・研究です。そのもとで生み出された発達の事実を大切にして、みんなの研究的共同作業によって「発達とはなにか」「どうすれば発達を保障できるか」を深め、発展させてきたのです。みんなで創ってきた「発達保障」の意味と内容は、かぎなく広く深く豊かです。

だれもが幸せに生きるために

 だれもが幸せに生きることを願う心は、基本的人権の要求を通じて、歴史を動かす粘り強いエネルギーを発揮しています。
 障害のある青年たちが、はたらく場を得ることが難しかった時代に、はたらく中でこそたくましく発達すると、共同作業所づくり運動を進めました。後期中等教育の保障、障害乳幼児の療育、放課後・休日等の生活保障などを通してそれぞれのライフステージにおける人権と発達の保障を前進させてきました。

 1981年の国際障害者年から障害者権利条約につながる国際的なとりくみのなかで障害者の社会への「完全参加と平等」を求める世論づくりとその実現に、障全協(障害者の生活と権利を守る全国連絡会)やきょうされん(共同作業所全国連絡会)、日本障害者協議会(JD)などとともに努力しています。
 発達保障を理念とした実践と運動は、幸福追求権の大切な要素として、あるいは前提として、発達への権利を見出してきました。それは、戦争をなくし、憲法が謳う恒久平和を世界的規模で実現していく道すじの探究でもあります。

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