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「みんなのねがい」10月号刊行されました!

「みんなのねがい」10月号 刊行しました 

特集は「思いを綴る」
思いを表現すること、言葉の力、そして書くことについて考えます。
新型感染症流行で気兼ねなく人と会って話せない。折からの現場の多忙化で子どもや仲間、同僚の話をゆっくり聞く時間がなかなか持てない――。
そんな今こそ、自分の思いを表現すること、それを誰かに受けとめてもらうことを大切に考えていきたいと思います。
特集に掲載されているみなさんの自分の生活と思いをくぐった文章から、綴ることの奥深い世界を感じずにはいられません。

「みんなのねがい」10月号の詳しい目次

2022年09月12日

「教育と保育のための発達診断セミナー2022秋」申込受付がはじまりました

「教育と保育のための発達診断セミナー 2022秋」
参加申込受付がはじまりました
 9月5日~10月15日

上下巻がそろった『新版 教育と保育のための発達診断』の上巻=発達診断の基礎理論をテキストとしたオンライン(ライブ)の学びのセミナーです。
詳細は
教育と保育のための発達診断セミナー

 


2022年09月05日

障害者問題研究50巻2号 特集=乳幼児期の療育と発達保障 読む会 10月14日

「障害者問題研究」50巻2号
特集乳幼児期の療育と発達保障

▶「読む会」情報
日時=10月14日(金)19時~21時/zoomによる開催
話題提供=近藤直子さん(あいち障害者センター)
 障害の早期発見・早期対応,子育て支援における発達保障

・参加費は無料です。
・お手元に当該号をご用意ください。
・読む会参加申し込みフォーム(右)からも注文できます。
・お申し込みは以下のフォームから↓
 https://forms.gle/gNLThxLkvd8S6iY79

●読む会へのおさそい●
 乳幼児健診から、その後の対応としての親子教室、親子で通う療育、そして通園療育や、保育所・幼稚園での支援……療育の制度化を求めるとりくみと制度改変の、そのせめぎあいの中で療育がどのように変化してきたか、そして、そのことがどんな意味をもっているのか、療育という言葉で発達保障をめざす運動は何を創ってきたでしょうか。
 パッケージされた商品のような「療育」セットでなく、断片の寄せ集めのモザイクのようなぶつ切りにされた生活ではなく、信頼できる大人や友だちとともに過ごす遊びや生活の時間の、ゆったりとした流れこそが子どもには必要だと思うけれど、ひろがる営利主義・訓練主義に抗して、発達を保障する療育をどのようにつくっていけるのか、と保育・療育の現場での悩みはつきません。
 この特集をもとに語り合いませんか。
 療育とは何かを考えたい人、児童発達支援・保育・教育の関係者にひろく参加をよびかけます。ぜひ職場や地域の仲間を誘ってご参加ください。

 


詳細案内 「ちょっと見」やオンラインでのご注文は以下のホームページへ
 「障害者問題研究」50巻2号  特集=乳幼児期の療育と発達保障

2022年09月02日

連載<もう一つの「発達のなかの煌(きら)めき」>第6回解説版

 


第6回 「二次元の世界」を開く

 いつも「もう一つの『発達のなかの煌めき』」(以下では「もう一つ」)をお読みいただき、ありがとうございます。プリントして持ち寄り、『みんなのねがい』連載とともに読みあわせをしていただいているとのお便りを拝見しました。どちらを先に読んだ方がよいかとのお尋ねもありました。

 そこで、「もう一つ」を書くことになった動機を改めてお話ししたいと思います。私たちの『みんなのねがい』連載企画には、「発達を学びたい」「実践とつなぐ視点を得たい」との要望をいただいています。少し困ったのは、限られた文字数で、それにお応えする内容が書けるかということです。説明的な文章になりすぎて発達の理論を一方的にお伝えするような内容にしたくない。むしろ子どもやなかまの姿と発達の理論の接点を探しながら、発達へのまなざしが開かれていくようなものにしたい。しかも職場や地域の集団で読みあい、議論していただくことによって、その理解が拡がっていくような、いわば「行間」のある文章にしたいと思いました。それは、なかなか難しいことですが。

 連載をそのように書こうとしたときに、「発達を系統的に学びたい」という要求にどこまで応えられるかという心配があります。一方で、すでにテキスト『新版・教育と保育のための発達診断・下巻―発達診断の視点と方法』(以下では『下巻』)『教育と保育のための発達診断』(旧版)をたくさんの方がお読みいただき、「発達診断セミナー」を受講してくださっている事実もあります。そこで、連載とテキストの学習をつなぐ「解説版」を出そうということになりました。それがこの「もう一つ」です。

 したがって、まず連載をお読みいただき、想像力をめぐらしながら語りあっていただければと思っています。「もう一つ」は、その議論のなかで、これまでの発達の学習を整理して、理解を深めていくきっかけになるように書き進めていくつもりです。

 さて、長らくお待たせした『新版・教育と保育のための発達診断・上巻―発達診断の基礎理論』(以下では『上巻』)を刊行することができました。執筆者一同、がんばって書き上げた新刊です。ぜひ、お手元において学習の友としてください。


幼児期の「次元可逆操作の階層」の3つの段階

 「もう一つ」の第1回と第2回で、田中昌人さんらの「可逆操作の高次化における階層‐段階理論」に依りながら、乳児期から学童期にいたる発達の質的転換期と発達段階について説明しました。『上巻』の4ページ、『下巻』の6ページの図を参照していただきながら、少し復習をします。

 通常、生まれてから9,10歳に至るまでに、3つの種類の「可逆操作」を取り出すことができ、それを「回転可逆操作」「連結可逆操作」「次元可逆操作」と言います。生後半年間は「回転可逆操作」を特徴とする時期で「回転可逆操作の階層」(「乳児期前半」にあたります)、生後半年を越えて1歳前半までが「連結可逆操作の階層」(「乳児期後半」)、さらに「1歳半の節」からが「次元可逆操作の階層」となり、この第3の階層は7,8歳頃まで続きます。「階層」とは複数の段階を含み込んだ、より大きな段階のことです。階層のなかには複数の段階を含むと書きましたが、上記理論では、それぞれの発達の階層に3つずつの発達段階があるとします。第1段階、第2段階、第3段階と進んでいき、次は第4段階かと思いきや、そうではなく、新しい質をもった次の階層の可逆操作の獲得に進んでいくのです。つまり、まるで螺旋(らせん)階段をのぼっていくような過程です。この螺旋構造については、『上巻』「Ⅲ 第1章 乳児期の発達段階と発達保障」で説明しています。

 「回転可逆操作」から「連結可逆操作」、「連結可逆操作」から「次元可逆操作」などと可逆操作の質が大きく変わる「飛躍的移行の時期」、すなわち「大きな発達の節」として取り出せるのが「6、7か月の節」「1歳半の節」「9歳の節」です。

 先に述べたように、「1歳半の節」に始まる階層が「次元可逆操作の階層」です。第1段階が「1歳半の節」である「1次元可逆操作期」、第2段階が「4歳の節」である「2次元可逆操作期」、第3段階が「7歳の節」である「3次元可逆操作期」です。

 乳児期の「6、7か月の節」(「示性数1可逆操作期」)では、2つの対象、つまり「対」を操作して見比べや持ち替えという活動を行ない、違いがわかり、選択したり、つなげたりという「可逆操作」を獲得していくのでした。「1次元可逆操作期」では、同じように新しい「対」の操作ができるようになるのですが、今度は頭のなかに「対」を形成し、それを並列させて、「…ではない…だ」と可逆操作し、頭のなかで選択したり、活動を切り替えたり、関係をとらえる思考ができるようになります。「2次元可逆操作期」では、「対」を並列させるだけではなく、「大きい-小さい」「よい-わるい」などの対比、比較という「もう一つ」の操作が可能になり、ものごとの意味や価値を理解したうえで、選択や思考ができるようになります。さらに、たとえば一方の手でハサミを持ち、他方の手で紙を持って、意図した通りに曲線を切るというように、左右の手の活動を分化させたうえで、「…しながら…する」と協応させることができるようになります。つまり、「2次元」とは二つの操作が結合することなのです。「3次元」の入り口(「3次元形成期」)になると、「大‐小」など二項の対比のなかに「中」をとらえはじめます。だから、ものごとを「だんだん大きくなる」というような「つながり」と変化において「すじ道立て」て理解したり、文脈を作りながら話すことができるようになります。このつながりと変化をとらえる力によって、時間軸などの3つめの単位も加えた操作の結合になるのが「3次元可逆操作期」です。たとえば、「きのう‐きょう‐あした」の関係を理解し、「きのうのつぎがきょう」「あしたのまえがきょう」などとわかるようになるでしょう。こういった「3次元の世界」については、『みんなのねがい』連載の第9回と第10回でお話しする予定です。

 すでに述べてきたように発達は、欲求を自分の発達への要求に高めつつ、他者を含む外界にはたらきかけ、外界をよく知りつつ新しく創造し、自分に取り込んでいく過程です。そのとき、自分自身をも対象としてはたらきかけ、新しい自分を創造していくことになります。その外界と自分にはたらきかける活動に共通する特徴として取り出されたのが「可逆操作」です。そこには、「行き‐戻り」すなわち「可逆」という性質の操作があり、各階層において一つから二つ、二つから三つというように、新しい操作が加わって複雑化していくのです。

 それぞれの段階には、まだその可逆操作が未確定な、文字通り作られつつある「形成期」があり、「1次元可逆操作期」には「1次元形成期」(1歳前半)が先立って存在しています。この「形成期」は、未確定ゆえの不安定さを子どもの心理に惹き起こし、それをいかに乗り越えていくかが大切なことになります。「2次元形成期」は、「大きくなった自分」を認めたい、認めてもらいたいゆえに葛藤が大きくなり、人格形成にとって大切な時期です。「3次元形成期」は、「だんだん大きくなってきた」自分の変化への手ごたえを感じつつ、「9、10歳の節」を乗り越えていくための「生後第3の新しい発達の力」を誕生させていく発達の画期です。これらの発達の階層‐段階についての理解をより深めるために、『上巻』「Ⅱ 発達理論と教育・保育の実践」をお読みいただければと思います。


「二次元の世界」を開く

 「もう一つ」の第5回で、「器への積木の入れ分け課題」について説明し、次のように予告しました。

 「1歳半の節」を越えて2歳になる頃には、ていねいな入れ分けを行なわなくなり、一方にたくさんの積木を入れて、他方に残りの少しの積木を入れるようになります。そういった「重みづけ」を創り出すようになるのが「二次元の世界」の入り口の姿です。

 2つの器(お皿)と8個の積木を用意し、「こっちのお皿とこっちのお皿に半分ずつ分けてね」「おんなじずつ、ワケワケしてね」と子どもに声をかけます。「1歳半の節」の前、1歳前半の子どもたちは、器に入れるという定位的活動を続けて行なっていくのですが、片方の器だけに「…ダ、…ダ」という入れ方をしていきます。「1歳半の節」になると、片方の器に入れていき、「こっちデハナク、こっちダ」とばかりに、もう一つの器にも入れ、結果的に両方のお皿に入れ分けることがよく見られます。また、一つの器に全部を入れた後に、もう一つの器に入れ替え、また元の器に戻すといったお皿ごと入れ替えるような行動をみせる場合もあります。ただし、決して「半分ずつ」「おんなじ」といった関係理解ができているわけではありません。2つの器という対をとらえ、「こっちにも、こっちにも」と両方に気持ちを配っていこうとするプロセスが面白い時期です。お砂場でも、2つのコップに交互に砂を入れていったり、コップからコップへと何回も入れ替えを繰り返すことを楽しむ時期ですよね。これを「もう一つ」第5回では、「…ではない…だ」という「1次元可逆操作のリハーサル」と説明しました。同じことを食事の際にもしようとするので、おかあさん・おとうさんの苛立ちが強まることもあるでしょう。

 では、2歳になる頃には、なぜそうしたていねいな入れ分けをしなくなるのでしょうか。実際のやり方は様々ですが、片方の器に1個だけ入れて、残りはもう片方に入れたり、片方の器に全部を入れたあとに、もう一つの器に1個だけ入れ替えるといった分け方をすることがあります。また、ちょっとだけ入れた器を相手(検査者)にさしだしたり、逆にたくさん入れた器を隣にいるお母さんに渡すような行動をすることもあります。そこには、子どもが、単に対をとらえているだけではなく、「こっちにいっぱい」「いっぱい入っているのを大好きなお母さんに」といった何らかの重みづけをしようとしている姿があるのだと考えます。赤い積木と白い積木など2色の積木を使うと、よりそうした選択性が強まります。

 そして、「大きい―小さい」「半分」といった比較がしっかりしてくる2歳後半になると、しっかり見比べて半分ずつになるように分けるようになります。さらに、「こっちがあなたのお皿、こっちがお母さんのお皿」などと意味づけると、その意味づけがわかったうえで、自分の思いを込めて分けようとするようになります。

 この配分課題は、正解がはっきりしているようなものではなく自由度の高い課題であるために、発達検査として標準化することは難しいですが、だからこそ面白いと思っています。そもそも「分配する」という行為は、人間の進化の歴史においても重要な意味をもつ行為であり、そうした人間や社会の歴史も感じさせてくれるというのは大袈裟でしょうか。


「みかけの重度」問題について

 『みんなのねがい』9月号では、重度の脳性マヒ、難治性てんかんなどのある重症児のなかに、その機能障害の重さからは推し量れない言語や概念による理解が可能な子どもがいることをお話ししました。

 「アヤちゃん」は、発達検査を通じて「大きい-小さい」などの対比的概念の理解が可能であることがわかりました。そして、お姉さんの学校の「給食」という包含性のある言葉に興味をもち、そのメニューの一つである「海苔」に心がひかれたのです。対比的概念を理解してはいますが、自信をもってそれを選択し、決めきることができない心の動揺もあり、3歳頃の「2次元形成期」にあるとみられました。

 こういった機能障害の重い子どもたちに対しては、通常の発達検査を用いての発達診断を行なうことはできません。たとえば、「新版K式発達検査」(京都国際社会福祉センター刊)は、「姿勢・運動」「認知・適応」「言語・社会」という3領域で検査の項目が構成されていますが、運動や言語の機能障害がある場合には、わかっていたとしても、いずれの領域の項目も応答することはほとんどできません。

 そこでアヤちゃんに「大小比較」課題を問うときには、視線での応答を求めることになったのです。さらなる発達診断のために、5つのだんだん大きくなる系列化した●を示し、「一番大きい」「一番小さい」「中くらい」などを問うこともあります。「だんだん大きくなる」という系列や「中くらい」がわかるということは、先に述べたように二項の「対比」「比較」から進んで、「大中小」などの三項の理解ができるということです。

 アヤちゃんは随意的な眼球の運動と視覚認知をもっていたことによって、視線の応答による発達検査が可能でしたが、重症児の場合、視覚障害をあわせてもっていることがあります。そのときには、たとえば「口はどれですか」「耳はどれですか」などと身体部位を訊ねてみます(新版K式発達検査では「身体各部」)。口を開いてくれたり、頸を回して耳を検査者側に向けてくれるようなしぐさをしてくれることがあります。こういった身体部位をわかって応答できるのは「1次元可逆操作期」です(「もう一つ」第4回の写真解説)。そのうえで「もう一つの耳はどれですか」と訊ねると、頸を動かして反対の耳を向けてくれることもあります。一方と他方(反対)という「対」の関係を認識するのは、ちょうど2歳頃です。

 視覚障害があると、「大きい-小さい」などの対比的概念の弁別について、図版を示して訊ねる課題は行なえません。そのときは、「口を開けてごらん」を問うてから、「もっと大きく開けられるかな」と訊ねてみます。対比的概念を獲得している場合には、明瞭に大きく開けてくれるでしょう。また「新版K式発達検査」には「泣いている顔はどれですか」「笑っている顔はどれですか」を図版の顔の絵から弁別する「表情理解Ⅰ」(2歳前半の課題)、6つの表情の絵から「怒っている顔」「喜んでいる顔」「ビックリしている顔」「悲しんでいる顔」を弁別する「表情理解Ⅱ」(3歳前の課題)がありますが、これも視覚の制約のもとでは行なえません。そんなとき「うれしい顔をしてごらん」「怒った顔をしてごらん」「泣いている顔をしてごらん」と問うてみます。視覚障害ゆえに他者の表情変化を認知しにくい子どもたちなのですが、自分の表情で表現してくれることがあります。「喜ぶ」「怒る」「泣く」といった日常的に生起する自分の感情を理解して、イメージすることができるようになっているのだと思われます。「親指はどれですか」「小指はどれですか」に、その指を動かしたり、手首をゆっくりと回して答えようとすることもあります。こういったはたらきかけをするときには、ゆっくり、じっくり、子どもを信頼して待つ気持ちで向きあいます。詳しくは『上巻』「Ⅳ 第2章 重症児と発達診断」、白石正久『障害の重い子どもの発達診断』(クリエイツかもがわ、2016年)を参照してください。

 さらに大切なことは、発達検査への応答だけではなく、子どもの「まるごと」の姿を受けとめることです。たとえば親御さんと私たちの会話を聴こうとしていることに気づくこともあるでしょう。「きょうだい」が学校に通えなくなっていること、お父さんのお給料が減ってお母さんが働き始めたこと、学校の先生がなかなか親子の思いをわかってくれないことなどが話題になると、つらそうに涙を流すのでした。その傾聴、つまりおとなの話に一生懸命に耳を傾けている姿に、言語の理解が確かにあるだけではなく、ともに生きるものとしての感情とその機微への共感をもっていることを強く印象づけられるのです。


機能障害の重い自閉スペクトラム症と「みかけの重度」問題

 この「みかけの重度」問題は、重症児に限られることではありません。たとえば、自閉スペクトラム症(以下では自閉症)があり、発語がほとんどなく、行動の困難がある子どもたち、あえていうならば発達の障害が重いように見え、重度感のある子どもたちのなかに、概念や文脈の理解が可能な子どもがいるのでした。

 彼らは、モノを噛む、隙間に次々と入れる、水道の蛇口の水を叩いて飛ばすなどの行動をしていることがあります。学校から帰宅すると台所や洗面所で水遊びを飽かず続けたりするので、家族にとっては大きな負担になっていることでしょう。手首の運動によって筆記具などの道具を操作したり、目標を定めてそこにあわせるという定位的活動を続けることが苦手なようです。「はめ板回転」では、回転後に円板を入れようとしなかったり、「お手つき」をして、しばらくしてから入れ直すことがほとんどです。

 つまり、いっけん、「…ではない…だ」と切りかえながら調整する1次元可逆操作の獲得に向かいにくい、発達の障害の重い子どもたちでした。そういった操作が求められると、手にしたモノを口に入れて噛む、口に入れて引きちぎるなどを始めることがあり、それを制止されると、跳びはねたり、着衣を破ったり、自分の手首を噛むようなことがあります。こういった口を基点とした行動は、不安や緊張とたたかい、かつ自分の思いを表現できず、理解してもらえないことへの訴えのようにみえます。そうせざるを得ない背景状況にある文脈を理解することが、まず求められているのです。

 私は、こういった事例を整理しながら、可逆操作が求められる苦手な活動や、結果の「出来-不出来」「成-否」が問われる活動に取り組まなければならないときに、それを求めてくる他者の意図への不安感や拒否感が強くなっているように思いました。とくに、自分のことを試すように接近してくる他者や、そういった他者のいる場所への不安や拒否が、ありありと感じられるのです。それは、運動障害とも言える自分の機能の制約をよく理解していること、それなのに、そこにあえてはたらきかけようとする他者の意図に強い感受性と洞察をもっていることの結果にみえました。さらに重症児の場合と同様に、周囲の会話へ耳を傾けたり、チラッと目を向けようとする姿がありました。つまり、重度感のある姿とは対照的に、確かな自己認識と他者心理への認識を窺わせるのです。

 発達検査では、「だんだん大きくなる」系列化した5つの●が描かれた図版を提示して、「最大」「最小」「中くらい」を尋ねると、からだや手を振るような行動をしばらく繰り返してから、手を伸ばして応えてくれたりするのでした。それは、人さし指をまっすぐ伸ばす「指さし」ではなく、手先でそっと触れようとする示し方です。これらのことは『障害の重い子どもの発達診断』「機能障害が重い自閉症の子どもの発達とその診断」(211~223ページ)で解説しました。

 全障研の委員長であった茂木俊彦さんの『障害児教育を考える』(岩波新書、2007年)を読まれた方は多いでしょう。「筆談で表現する自閉症児」(169~174ページ)で、大阪の教員であった三浦千賀子さんの『自閉症の中学生とともに-松原六中・青空学級担任日誌』(未来社、2006年)のなかの知世ちゃんへの実践が紹介されています。

 三浦さんは知世ちゃんを絵本の世界に導きたいと願いましたが、のってきてはくれませんでした。しかしある日、『すてきなひらがな』(五味太郎、講談社)の「て」の絵のページで「手のひらを太陽に」を歌うと、本をチラッと見ようとしたことに気づきます。知世ちゃんは歌が好きなのでした。「赤とんぼ」の歌の情景描写にうっとり聴き入っている姿にも出会います。「負われてみたのはいつの日か」を聴きながら窓際に走り寄り、指で輪をつくって、そこから空を見上げていたのです。

 「赤とんぼ」の歌の頃、「知世ちゃんとの距離は一歩近づいたように思えました」「内言語は、たくさんあると思えました」とあります。きっと三浦さんが知世ちゃんの本当の心に気づいた時期だったのだと私は思います。それらをきっかけとして、「ひらがな」に興味がもてるように、ていねいな教材の工夫と指導を始められます。この指導は、試行錯誤のある粘り強い道のりでしたが、ここで紹介する余裕はありません。

 そしてある日、知世ちゃんの手に三浦さんの手をそっとのせて語りかけると、知世ちゃんは手にした鉛筆を動かして文字を書き始めたのです。そのやりとりのなかで、映画「対馬丸」を観て、「学童疎開」などの意味まで理解していることがわかっていきました。そして、「あんなせんそうは もう二どとおこらないでほしいとおもいます。ちかこせんせいはどうおもっていますか」と書いたのです。

 三浦さんは、入学直後の窓ガラスに突進して舐めようとする姿などに翻弄されつつも、常にステキな絵本や歌・リズムの世界に誘い入れたいという思いをもって、いっけん無関心な知世ちゃんの前で、まるで一人芝居を演じるように、読み聞かせたり、歌ったのです。そのなかで、「チラッと見てくれた」「うっとり聴き入っている」などの姿をとても大切なものとして受けとめ、知世ちゃんの本当の心に接近していきました。その実践者としての感受性に、子ども理解の要諦があるように思われます。

 これらの事例は、「僕たちは、見かけではわからないかも知れませんが、自分の体を自分のものだと自覚したことがありません。いつもこの体を持て余し、気持ちの折り合いの中で、なげき苦しんでいるのです」(東田直樹『自閉症の僕が跳びはねる理由』角川文庫、56ページ)という当事者の言葉が、ぴったりと説明してくれているようでした。こういった当事者の「筆談」などによる手記に、真実性を疑う見解が述べられることがありますが、そう簡単に否定できるものではないと考えます。もともと自閉症はその「スペクトラム」という概念通りに拡がりと多様性をもった症候群であり、一人の事例が自閉症のすべての特徴を包含したり代表するわけではありません。さらに大切なことは、一人ひとりの心のありようは、他者によって容易に解釈され、決められるものでなく、ただ一つの真実として本人のなかに存在しているということです。先入観をもたず、行動に目を奪われることなく、いつも子どもに問いかけ、思いを聞き取りながら、子どもの真実に近づいていきたいと願います。


胎児性水俣病の人びとのこと

 「みかけの重度」問題を提案して30年近くが経ちました。事例検討を積み重ねる私たちの研究方法について、実証性が乏しいとの意見もあり、それを受けとめていくことは容易ならざることだと思っています。その実証性の求めに応じて「実験」という方法を用いたとして、子どもたちはその課題に応えてくれるでしょうか。仮に実験によって子どもの能力のある部分を取り出すことができたとして、それは大切な認識ではありますが、その外にある子どもの心の事実に目を向けないならば、狭い子ども理解で終わってしまうように思います。

 私たちの研究は、私たちのためのものではなく、この子どもたちの心の表現を拾い、子ども自身にそれが事実であるかを尋ね返して、一つひとつの事実を子どもとともに確定していく共同の所産です。そこには長く続く子どもとの心の対話があり、それを実際に展開する教育や療育の実践が必要です。それゆえに、実践とのつながりのなかで、私たちにはみえていないたくさんのことにも視野が広げていけるのでした。

 実は、「みかけの重度」問題の提案を後押ししてくれたのは、胎児性水俣病の人たちであり、彼らと向きあう人びとの姿でした。なかでも、患者の立場に立って水俣病の原因を追究し続けた故・原田正純さん(熊本大学医学部)の言葉でした。

 原田さんは、胎児性水俣病のなかでも最も障害が重かったという中村千鶴さん(23歳で亡くなる)が、自分(原田)の写真を欲しがっていると施設でいっしょに暮らす清子さんから聞いて、千鶴さんに尋ねました。

 「同じ胎児性患者の加賀田清子さんが、『ちーちゃんが先生の写真をくれって(くださいと)言っている』と意外なことを言いました。清子さんの言葉は辛うじて分かるので、びっくりして『うそだろう。わたしをからかうなよ』と言いましたが、清子さんが真顔なので、千鶴さんのベットへ戻り『写真が欲しいのほんとう?』と覗き込むようにして訊ねました。千鶴さんははにかむように笑いながら、うなずくように全身で表現するではありませんか。医師としての経験がまだ未熟だったとはいえ、この子たちにそのような感情の動きと表現力があるとは考えていませんでした。無知な自分を恥ずかしく思いましたし、そのような教育を受けなかった(当時の)医学教育とは何であったかと思いました。それにしても、わたしには『あーあー』としか聞き取れない千鶴さんの言葉が、同じ障害をもつ清子さんにどうしてわかるのでしょうか」(原田正純『宝子たち-胎児性水俣病に学んだ50年』弦書房、2009年、111~112ページ)。このことについては、『上巻』「Ⅳ 第2章 重症児と発達診断」でもふれました。また、このエピソードは、原田正純『水俣病は終わっていない』(岩波新書、1985年)でも述べられています。

 事実に対して誠実であるだけではなく、水俣病に侵された人びとを単に研究の対象とはせず、一人ひとりを慈しみ、救済のための研究に人生を捧げた研究者の姿勢には、あまりにも多くのことを学びました。胎児性水俣病の人びとは私たちとまったく同年齢であり、その痛みのあるからだをもって同じ長さの人生を生き、老年期を迎えています。そのことを想うときに、この人たちの発達保障に無自覚ゆえに何もしてこなかった自らの無力さを感じます。

 千鶴さんが生まれたのは水俣の茂道(もどう)です。その海とミカンの丘は、今は本当に美しく、訪ねることしかできない私たちを、やさしい光のなかに迎えてくれます。

 

今回の学習参考文献
・白石正久・白石恵理子編(2022)『新版・教育と保育のための発達診断・上巻』
・白石正久・白石恵理子編(2020)『新版・教育と保育のための発達診断・下巻』
・白石正久(2016)『障害の重い子どもの発達診断』クリエイツかもがわ


もう一つの「発達のなかの煌めき」第6回 PDF版

「みんなのねがい」9月号紹介ページへ

2022年08月31日

白石正久・白石恵理子編『新版 教育と保育のための発達診断 上 発達診断の基礎理論』刊行しました

白石正久(龍谷大学名誉教授)・白石恵理子(滋賀大学教授)
新版 教育と保育のための発達診断 
 発達診断の基礎理論


定価2750円 ISBN978-4-88134-036-3 2022年8月31日


もくじ

はじめに


執筆者一覧


Ⅰ 子ども・障害のある人たちの権利と発達保障

子ども・障害のある人たちの権利と発達保障/玉村公二彦(京都女子大学)
 はじめに
 1 「子どもの世紀」における精神発達の発見と歪曲―― 知能・能力の測定による選別から発達診断へ
 (1)ビネーの知能検査の開発
 (2)測定運動とテスト法の緻密化――能力の「量」への還元
 (3)測定運動への批判と発達診断・アセスメントの萌芽
 2 発達の権利と発達保障の提起――「この子らを世の光に」する取り組みの中で
 (1)人権認識の発展と国際人権規約――国連における自由権・社会権を中心とした人権条約の成立
 (2)「発達の権利」と「発達保障」の胎動――障害の重い子どもたちへの取り組みから
 (3)「学習権宣言」と「発達への権利宣言」
 3 子ども・障害のある人の権利の総合保障
 (1)「子どもの権利条約」と意見表明権
 (2)「障害者権利条約」
 4 インクルーシブな社会の実現と参加主体の形成(インクルーシブ教育の権利)
 5 子ども・障害のある人の権利保障のための発達診断を


Ⅱ 発達理論と教育・保育の実践

発達理論と教育・保育の実践/松島明日香(滋賀大学)
 1 発達の基本的理解
 (1)子どもの手応えを想像する 
 (2)自己変革の「ねがい」に導かれる
 2 子ども理解のための発達理論
 (1)発達理論を学ぶ意味
 (2)「可逆操作の高次化における階層―段階理論」とは 
 (3)発達の質的転換期 
 (4)「新しい発達の力」の誕生
 (5)人格形成の発達的基礎
 (6)発達における連関
 3 発達理論は保育・教育実践にどのように寄与するのか
 (1)ヨコへの発達姿勢を変換させる 
 (2)新しい発達の力と保育・教育実践 
 (3)「問題行動」を発達要求ととらえて実践のなかで実現をはかる
 4 結びにかえて


Ⅲ 発達の質的転換期とはなにか――その発見と実践研究

1章 乳児期の発達段階と発達保障/白石正久
 1 障害の重い子どもたちが教えてくれたこと
 (1)映画『夜明け前の子どもたち』から 
 (2)シモちゃんの笑顔 
 (3)三井くんの「心の窓」
 2 乳児期の発達の階層―段階
 (1)乳児期前半の3つの発達段階 
 (2)乳児期後半の3つの発達段階 
 (3)発達の段階間の移行で芽生える力
 3 発達の源泉としての心輝く自然と文化

2章 1歳半の質的転換期と発達保障/白石恵里子
 1 「1歳半の節」がどのように認識されてきたか
 2 はめ板課題と1次元可逆操作
 3 「発達の節」は「発達の危機」
 4 障害の早期発見・早期対応において
 5 1960年代後半の近江学園での実践から

3章 4歳の発達の質的転換期と発達保障/張 貞京(京都文教短期大学)
 1 ある4歳児クラスの話
 2 発達研究にみる4歳の質的転換期
 (1)近江学園を中心とする発達研究のはじまり 
 (2)「精神作業過程測定装置」にみる質的転換期 
 (3)2次元可逆操作を獲得していく難しさ 
 (4)2次元可逆操作期と生活年齢の効果
 3 実践研究にみる4歳の質的転換期
 (1)質的転換期をふまえた実践指導の検討 
 (2)近江学園の指導体制の変遷 
 (3)指導実践の歴史からみえた4歳の質的転換期と生活の広がり 
 (4)友だちを見ながら,自分と比べて考える―4歳の質的転換期にいる成人の姿から
 4 さまざまな指導実践における諸問題
 (1)4歳児の悩みと願い 
 (2)青年期以降の実践について

4章 7歳の発達の質的転換期と発達保障/川地亜弥子(神戸大学)
 1 発達の質的転換期と保育・教育の節目
 2 なかまとともに筋道をつくる――生後第3の新しい発達の力の誕生から3次元可逆操作期へ
 (1)道順描画やその説明にみられる変化 
 (2)自分を中に繰り込んで,みんなで達成する
 3 自分の視点と他者の視点を調整しようとする――3次元可逆操作期の特徴
 4 書き言葉の中に見えてくる子どもの発達と内面世界の深まり
 (1)友だちとの世界―やんちゃな遊びと「ひみつ」の共有
 (2)信頼できる他者を支えに,自分なりの筋道をつくる 
 (3)思考や感情「の理解の深まり
 5 発達に課題をもつ子への実践からみえてくること


Ⅳ 障害と発達診断

1章 自閉スペクトラム症と発達診断/別府 哲(岐阜大学)
 1 自閉スペクトラム症と発達診断
 (1)鑑別診断である診断基準(DSM-5)と発達診断 
 (2)機能連関,発達連関―機能間のズレ
 2  1歳半の節と自閉スペクトラム症
 (1)定型発達時における1歳半の節 
 (2)自閉スペクトラム症における1歳半の節 
 (3)こだわりと破壊行動を頻発した成人の自閉スペクトラム症者 
 (4)アタッチメント――発達連関の視点より
 3  自閉スペクトラム症の発達診断の課題
 (1)ユニークな機能連関,発達連関の解明 
 (2)目の前の子どもの好きな世界を知る

2章 重症児と発達診断/白石正久
 はじめに――重症児とは
 1 重症児と発達診断
 2 乳児期前半の発達段階にある重症児の発達診断
 (1)感覚と運動を協応させて外界を志向する発達の連関過程 
 (2)「生後第1の新しい発達の力」の誕生と発達の連関過程
 3 重度の機能障害の背後に言語認識をもつ重症児
 (1)「みかけの重度」問題 
 (2)「みかけの重度」問題に対する発達診断と教育指導
 4 重症児の発達診断の方法を構築していくために
 おわりに


Ⅴ ライフサイクルと発達診断の役割
1章 早期発見・早期対応と発達診断
 /小原佳代・西原睦子・高田智行(大津市幼保支援課)・高橋真保子(コスモス)
 1 乳幼児健診と子育て支援・療育――滋賀県大津市を中心に
 (1)乳幼児健診と発達相談
 (2)子育て支援と発達相談
 (3)保育園・幼稚園における発達相談
 2 児童発達支援における発達診断を療育実践
 (1)児童発達支援センターのかなめとしての通園療育
 (2)発達相談の一つ目の役割――子どもがどんな発達への願いをもっているかを職員集団が考え合う
 (3)発達相談の二つ目の役割――子どもが見せる姿を保護者と担当者が共有し、子どもの育ちを確かめ合う

2章 学校教育と発達診断/櫻井宏明(元特別支援学校)
 1 実践の中での子ども理解と発達診断
 (1)子ども理解は子どもとのふれあい・かかわりから (2)子ども理解の方法
 2 アセスメントと発達診断
 (1)個別の支援計画・指導計画とアセスメント
 (2)アセスメントに心理検査等を利用する際の注意点
 3 学習意欲を取り戻したダイスケさん
 (1)ダイスケさんの内面を探る
 (2)ダイスケさんの内面を考え、学習内容を見直す
 (3)学習面での変化
 4 障害が重度の子どもの発達診断の難しさ
 5 障害が重度の子どもの行動をとらえ直す
 (1)定位的活動の獲得の検討
 (2)動作模倣の検討「あらって,あらって」
 (3)教材や活動についての発達的意義の理解を深める
 6 子どもの発達課題の理解と授業づくり
 (1)発達課題に合った教材を選択する
 (2)一歩先の発達的課題も含める
 (3)障害や生活に配慮する
 (4)教師との関係や集団を大切にする
 7 実践における発達診断・アセスメントの留意すべき傾向
 (1)表面的な子ども理解にとどまる傾向
 (2)指導と結果を短絡的に結びつける傾向
 (3)PDCAサイクルの問題
 (4)実践のマニュアル化の傾向

3章 成人期実践と発達診断/白石恵理子
 1 成人期の発達をとらえる意味
 2 発達保障とは
 3 可逆操作は行動の基本単位である
 4 発達は右肩上がりにきれいに進むものではない
 5 具体的事例から考える
 (1)1次元可逆操作期言語にある「強度行動障害」のAさん
 (2)自傷行為の激しかったBさん
 (3)期待と納得の中でのCさんの姿
 (4)陶芸に生きがいを見いだすDさん
 6 生活の歴史を尊重する
 7 ねがいや要求の内実は生活の質によって規定される
 8 「問題行動」の発達的理解
 9 集団の中で自分の価値を築く
 10 職員集団として、語り合う

あとがき


ご注文は全障研出版部オンラインへ  

2022年08月31日

川地亜弥子『子どもとつくるわくわく実践』刊行しました

川地亜弥子(神戸大学・全障研副委員長)
『子どもとつくるわくわく実践
 -ねがいひろがる教育・保育・療育-


定価1980円 ISBN978-4-88134-047-9 2022年8月31日


川地亜弥子(神戸大学・全障研副委員長)著

子どもとつくる わくわく実践
  ねがいひろがる教育・保育・療育


まえがき 3

第1章 すてきな教材・文化と出会う            13
    1 一人ひとりが輝く授業、みんなで学ぶ授業をつくる 14
    2 やってみる、なってみる 25
    3 一人ひとりの思いを深く想像して33
        コラム1 教材づくりのおもしろさ 23
        コラム2 障害児教育における教材とは 40

第2章 ねがいをひもとく、ねがいを育てる         43
    1 「むっちゃ楽しい」クラスの中で 44
    2 学校のねうち 52
    3 ゆたかな人間関係と偏食指導 60
    4 楽しい節目をつくりだす 68
        コラム3 「私は~」作文調査から見えること 76

第3章 青年・成人期を謳歌する               81
    1 青年期を謳歌する 82
    2 恋うる心を授業にする 90
        コラム4 旧優生保護法被害者の一刻も早い救済を 98

第4章 実践と発達診断のいい関係               99
    1 要求を育てる 100
    2 子どもの輝く姿をとらえる子育て・療育・発達相談 108

第5章 実践記録のねうち                   117

むすびにかえて                      127

あとがき 133

ご注文は全障研出版部オンラインへ  

2022年08月25日

全国総会で新役員が選出されました(2022年)

◆第55回全国総会で新役員が選出されました 2022年8月7日

2022年度 第56期 役員

全国委員長  越野和之  奈良教育大学教授

副委員長   河合隆平  東京都立大学人文社会学部准教授/研究推進委員長
  同    川地亜弥子 神戸大学発達科学部准教授
  同    薗部英夫  非常勤職員/日本障害者協議会副代表
  同    中村尚子  NPO法人発達保障研究センター理事長
  同    丸山啓史  京都教育大学准教授

常任全国委員 荒川 智  茨城大学教育学部教授
  同    安藤史郎  あかつき・ひばり園
  同    石田 誠  特別支援学校
  同    児嶋芳郎  立正大学社会福祉学部教授
  同    木全和巳  日本福祉大学社会福祉学部教授
  同    田中智子  佛教大学社会福祉学部教授
  同    塚田直也  特別支援学校/「みんなのねがい」編集長
  同    船橋秀彦  シャンティつくば
  同    古澤直子  特別支援学校
  同    別府 哲  岐阜大学教育学部教授
同・事務局長 櫻井宏明  非常勤職員/元特別支援学校

出版部経営委員長     越野和之 全国委員長兼任
発達保障研究センター長  中村尚子 NPO法人発達保障研究センター理事長

 

 

2022年08月19日

障害者権利条約の日本審査8月22日、23日 最新情報

障害者権利条約を考える 


日本への「事前質問事項」が2019年秋に国連で採択され、日本審査となる「建設的対話」は2020年夏が予定されましたが、コロナ禍の状況から延期されました。政府は「事前質問事項」への回答案を作成し、JDFや日弁連などと懇談しながらまとめようとしています。
そして、いよいよ2022年8月22日、23日にジュネーブの国連で日本審査が行われます。

国連TV(中継・録画)8月22日・23日 国連障害者権利条約 日本審査など

JDF(日本障害フォーラム)総括所見用のパラレルレポート等


初回の日本政府に報告に関する質問事項への回答案 2021.6.28
JDF(日本障害フォーラム)日本の総括所見用パラレルレポート(パラレポⅡ)2021.3

などを掲載しています。
詳細は「障害者権利条約を考える」ページ


「みんなのねがい」リレー連載「障害者権利条約の最前線」<公開>
障害者権利条約の最前線
(「みんなのねがい」2020年4月号~2021年3月号 リレー連載)
*権利条約をいま、学び、活用するために PDFで公開しています

第1回=人権の発展と障害者権利条約/中村尚子(全障研副委員長)

第2回=権利条約のいまの到達点/薗部英夫(全障研副委員長・JD副代表)

第3回=人権・発達の保障とインクルーシブ教育/河合隆平(東京都立大学)

第4回=最大限度の発達を保障する教育条件/佐竹葉子(全教障害児教育部長)

第5回=合理的配慮の要求主体と教育実践/越野和之(全障研委員長・奈良教育大学)

第6回=いまこそ学び、実現させたい「骨格提言」/斎藤なを子(きょうされん理事長)

第7回=家族負担のない自立に向けた課題/播本裕子(全国障害児者の暮らしの場を考える会)

第8回=働く権利と人としてふさわしい生活保障 第27条と第28条/赤松英知(きょうされん常務理事)

第9回=アクセシビリティ(accessibility)は条約の”肝”/薗部英夫(全障研副委員長・JD副代表)

第10回=表現の自由と言語としての手話/嶋本恭規(全日本ろうあ連盟)

第11回=人権水準の評価と向上に向けて/中村尚子(全障研副委員長)

最終回=パラレポⅡの意義と今後の焦点/薗部英夫(全障研副委員長・JD副代表)

◆『障害者問題研究』48巻4号
 特集=地域社会へのインクルージョンと暮らしの場
 座談会:暮らしの場に値する障害者施設をめざして/みぬま福祉会
 デンマークとスウェーデンにみる障害のある人たちの住まいと暮らし/薗部英夫(全障研)
 グループホーム制度30年と今後の課題/伊藤成康(きょうされん)
 サポートを受けながら私らしく暮らしたい/相田あづさ(埼玉)
 私にとってのインクルーシブな暮らしを考える/上野耕一(神奈川)
 北の大地の仲間たち2020 ~グループホーム編/北村典幸(北海道)
 多様な家族の形態を支える/川瀬加代子・菅原裕子(鹿児島)
 親のねがいと「全国障害児者の暮らしを考える会」の結成、運動の経過/播本裕子
2022年08月18日

大会アピール 2022年8月7日

大会アピール  2022年8月7日


大会アピール


 3年間にも及ぶ新型コロナウイルス感染症の影響。今も激しく続けられるウクライナでの戦争。そして、各地で引き起こされる自然災害。障害のある人びとのいのちと権利保障をめぐる歴史的な危機が続くなか、全国障害者問題研究会は、2022年8月6日、7日の2日間、第56回全国大会(兵庫2022)を開催しました。

 障害のある人びとの権利保障のうねりを生み出してきた開催地・兵庫のとりくみは、全国の実践や運動を大いに励ましてきました。30年前、「花ひらけ15の春」を掲げて、養護学校の高等部全入を求めた「ひゅうまん・ぼいす」の運動は、本人と親の熱いねがいを要に全県のとりくみへと広がり、高い壁をうち破って障害のある青年たちに後期中等教育への扉をひらきました。こうして無数の人びとの悲しみとねがいを刻んできた発達保障のバトンを受けとろうとする人の輪は、今、確かに広がっています。

 記念講演と特別報告を通して、人びとの暮らしを破壊し無数のいのちをうばい去る戦争、そして、障害や病気のある人のいのちの始まりとつながりを断ち切ろうとする優生思想は、国家や社会に役立つかどうかで人間をふるいにかけるという点で深くつながっていることを学びました。そして、平和と人権をねがう世界中の人びとと手を結んで、力強くあゆんでいきたいとの思いを新たにしました。子どもたちやなかまたち、そして家族のささやかなねがいを「かるた」に込めて分かち合おうとした文化交流企画では、障害のある人びとが自らのライフステージにふさわしく生活の質を高めていくことが、すべての人のいのちと権利が守られる社会の実現に向かう、ゆっくりではあっても確かなすじ道であることをユーモアたっぷりに示しました。

 兵庫の発達保障のあゆみからつむぎ出された「久しぶりに話そうや、私たちのねがい」という大会テーマは、わたしたちの内に湧き起こるねがいであるとともに、暴力の連鎖を断ちきり、社会の分断を乗りこえるために欠かすことのできない対話と連帯を呼びかけるものです。分科会の討論では、惻々と胸をうつねがいが綴られたレポートをもとに、それぞれの実態を持ち寄り、実践を語り合うことで、ねがいが明らかとなり、そのねがいを束ねてみんなで共同することが、具体的な制度の改善につながることを学びました。

 戦争と障害のある人びとの幸福は絶対に両立しません。わたしたちは「戦争をする国づくり」をすすめる憲法改悪を許さず、すべての人の発達が花ひらく平和な社会を、未来に生きる人たちに手渡していきたいとねがっています。「私たち抜きに私たちのことを決めるな」という理念の下で具体化された障害者権利条約は、一人ひとりのねがいを聴き合い、語り合うことが、人権保障の礎になるという発達保障の研究運動が大切にしてきた思想を国際的な理念に押し上げました。このことに確信を持ちたいと思います。

 身近な地域や職場で、ともにねがいや悩みを語り合い、日々の暮らしや実践をゆたかにするために譲れないものは何か、新たにつくり出すべきものは何かを明らかにしていきましょう。そこに多くの人を誘いあって参加し、語り合いと学び合いの輪を大きく広げていきましょう。日本国憲法が社会の隅々をあかるく照らし、障害者権利条約が確かに生きる輝かしい未来にむけて、発達保障の道をともに切りひらいていきましょう。 

  2022年8月7日
  全国障害者問題研究会 第56回全国大会(兵庫2022)

 PDF版はこちらに

 

2022年08月08日

連載<もう一つの「発達のなかの煌(きら)めき」>第5回解説版

もう一つの「発達のなかの煌(きら)めき」

  2022年8

  白石 正久・白石 恵理子


第5回 1歳半の発達の節(その2)

 連載第5回(8月号)の「『本当の要求』とはなにか ― 自閉症児と『一歳半の節』」では、横軸に私たちの発達相談という仕事を通して考えた、地域で暮らす、生きるということの発達にとっての意味を、縦軸に「1歳半の節」における発達の障害をとりあげました。



変化する素材と道具
 8月号では、「1歳半の節」において「Aの次にはB」「Cの上にはD」などと言う時間的空間的な「むすびつき」が先行し、それゆえに思いや期待にそわない現実とぶつかりながら、「…ではない…だ」と思考して「切りかえる」可逆操作を獲得していくことができると述べました。この「1次元可逆操作」の獲得が、運動、活動、対人関係、話し言葉、自我などの発達の土台として大切な役割を果たすことを、「もう一つ」第4号とともに、『新版・教育と保育のための発達診断・上巻』(以下では『上巻』)の「Ⅲ 2章 1歳半の質的転換期と発達保障」「Ⅳ 自閉スペクトラム症と発達診断」、『新版・教育と保育のための発達診断・下巻』(以下では『下巻』)の「Ⅱ 3章 1歳半の質的転換期の発達と発達診断」で深めていただければと思います。

 そして、自閉スペクトラム症(以下では自閉症)は、この可逆操作の獲得に発達の障害が現れることも述べました。この傾向は自閉症に限られず他の障害、あるいは障害はなくても「発達の偏り」として起こりやすいものです。

 「もう一つ」第4号のなかに「はめ板回転課題」の解説があります。

 1歳すぎの子どもたちは、さっきと同じように目の前の孔に入れようとするのですが、それでは円板は入りません。「入っていない」ことに気づいて、怪訝な表情になったり、四角孔の上でカタカタさせたり、検査者をじっと見たり…なかには、立ちあがってしまう子もいれば、入っていなくても「気にしていない」子もいます。そのうち、「ここじゃないのかな…」とばかりに、別の孔にチャレンジしようとしたり、円板をひっくり返してみたり、なかには基板の下から入れようとしたりと、様々な試行錯誤をはじめます。これらは、いずれも検査上は「不通過」、「できない」と評価される姿なのですが、そこには1次元可逆操作を我がものとしようと努力する大切なプロセスが潜んでいるのです。

 

 子ども本人は円孔に入れようとする自分なりの「つもり」の達成のために一生懸命なのですが、この「さまざまな試行錯誤」を近くで見守る人はイライラするものです。だから、「そこじゃないでしょ」と言葉をかけたり、手を出してしまったりするかもしれません。きっとそういったことは、子どもを混乱させる役割しか果たしません。「…ではない…だ」と状況のなかで自分を切りかえたり、調整していくためのかけがえのない「自分づくり」をしているのであり、その自由で主体的な活動を心から応援し、見守りたいと思います。1歳前半の子どもは、その「入れ切る」ことを目的とはしておらず、むしろ「…ではない…だ」のリハーサルを重ねているようにもみえます。そのリハーサルの豊かさをみるためには、「はめ板」ではなくて、もっと自由度があって、さまざまに操作できる素材や道具の方がよいはずです。

 保育所の砂場で遊ぶ0,1歳児の姿を見てください。片手にコップをもち、砂をすくってはひっくり返し、両手にコップをもって一方のコップですくった砂を他方のコップに移しかえ、スコップですくった砂を器に入れてはひっくりかえし…。「1歳半の節」の前後において、子どもは変化する素材と道具の創り出す活動に魅入らされていきます。

 

 そういった自由度を発揮できる発達検査にしようと、田中昌人さん、田中杉恵さんは、「器への積木の入れ分け課題」を考案しました。8月号の30ページの写真です(『子どもの発達と診断2』大月書店、また『下巻』85ページ)。1歳前半では、まだ「…ではない…だ」が内面化していないために、一方の器に8個すべての積木を入れてしまいます。しかし、他方の器がカラであることに気づいて、その器に全部の積木を移しかえます。そしてまた、カラになったもとの器に移しかえることを繰り返します。この移しかえで、まさに「…ではない…だ」のリハーサルをしている感じです。

 1歳後半になると頭のなかで考えて、一つあるいは少しの積木を左右の器に「コチラではないアチラだ」と配分していくのです。子どもは、自由に操作できる素材と道具であるゆえに、単に自由であるだけではなく、移しかえたり重ねたりと、発展性のある活動を展開するでしょう。しかも、1歳後半になれば、相手の意図を受けとめて配分を試みたことを意識しており、自分なりの入れ分け方をした器を、相手に「どうぞ」という感じで差し出してくれるようになります。自分のなかで「…ではない…だ」を操作するだけではなく、相手の意図を引き受けて、自分の意図として応え返すという自他のあいだでの可逆操作もみることができるでしょう。「もう一つ」の次号で扱いますが、「1歳半の節」を越えて2歳になる頃には、ていねいな入れ分けを行なわなくなり、一方にたくさんの積木を入れて、他方に残りの少しの積木を入れるようになります。そういった「重みづけ」を創り出すようになるのが「二次元の世界」の入り口の姿です。



変化する素材への抵抗を乗り越える
 変化する素材の代表例として、砂場の「砂」をとりあげました。皆さんのなかには、自閉症のある子どもの嫌いなものの一つだと思われた方もいるでしょう。手につき、新奇性のある素材は、彼らの教材として好ましくないと言われることもあります。

 私たちは、そのことを固定的にみてはならないと考えてきました。『上巻』の「Ⅲ 2章 1歳半の質的転換期と発達保障」で述べましたが、砂遊びの輪に入ろうとしなくても、「外れていない外れ方」「なかまにはいっていく手がかりを遠くに示した外れ方」「やりたい思いを高めつつも、ドキドキしながら背中でようすを窺っている外れ方」をしているようにみえることはないでしょうか。

 このような「行動は見えないけれど、心がみえる」という評価は、昨今の特別支援教育では、客観的な証拠がないとして「書き直し」を求められると聞きました。しかし心の動きは、誰であっても外に表れ出るとは限りません。その見えない心理を大切にして、わかりあい、互いを尊重していこうとみんな努めていると思います。障害のある子どもの心の動きは、「見える」ものだけで評価するのでしょうか(目で見えるときには「見える」、心の目でみえるときには「みえる」と、私たちは表記します)。

 証拠は、時間の経過のなかで子どもが示してくれます。ある日、気がつけば砂場の近くに寄ってきている子どもの姿があったりします。手のひらに載せた砂を「だいじょうぶ、だいじょうぶ」と応援しながらそっと差し出すと、指先で触って、走って行ってしまうかもしれません。でも気がつけば、また近寄ってきています。そうやって、気持ちを支えてもらい、ときには先生に勇気を引き出してもらって、一つひとつの矛盾、葛藤を、この子らも乗り越えていくのです。そのときの指先には、しだいに勇気が満ちていくようです。

 


 変化する素材への興味は、砂ばかりではなく、いろいろなものに拡がっていきます。手で触れたときの変化の喜びを、いっしょに抵抗を乗り越えた人とまなざしを交わしあって共有するようになっていきます。子どもは、素材にはたらきかけていくなかで、「…ではない…だ」と変化を創り出し、またその変化から「…ではない…だ」という可逆操作を、自らのなかに豊かに取り込んでいきます。変化する素材で、「…ではない…だ」という1次元可逆操作のリハーサルをしているようなものなのです。

 「1歳半の節」で、器やスコップ、スプーンや櫛などの道具の意味を発見していくと、変化する素材へのはたらきかけはいっそう豊かになり、生活で憧れたことを手がかりに、プリンを作ったり、ごはんをよそったり、「みたて・つもり」遊びもできるようになるでしょう。

 こういった素材や道具への興味は、年齢や経験の拡がりとともに変化していくものです。そのときの社会的関係のなかで意味をもつものに、心惹かれるようになります。8月号のコウジくんのように、牛乳瓶を洗う、野菜を袋詰めにするという広い生活経験に依拠したものに変化していくのです。

 だから乳幼児期には乳幼児期でしか味わえない素材や道具とのふれあいがあります。10か月頃の「生後第2の新しい発達の力」が誕生するときには、砂や水などの変化する素材に指先でそっとふれて抵抗を乗り越えていきます。その指先が散歩で出会ったアリや小鳥、花などに伸びて、指さしとしての機能をもつようになります。そして、他者とともにその変化や発見を喜び、「第二者と第三者を共有する」関係を形成していくのです(白石正久「乳幼児の生活の組織化と発達保障」『障害者問題研究』第50巻2号、最新刊)。そして、音や色の変化を楽しむ感覚玩具よりも、生活のなかで見かける道具に興味をもつようになります。

 児童発達支援は、利用契約制度になってから、「○○療法」を名乗る看板を掲げて利用者を集める動きのなかにあります。細切れの時間単位のなかで、「はめ板」をそのまま教材化したような「パズル」に取り組んでいるところもあると聞きました。そういった事業者は、乳幼児期の通園施設、通園事業、児童デイサービスが積み上げてきた発達保障の実践を知りません。狭い空間や短い時間での活動ではなく、土や砂、水、畑の作物などの変化する素材に、先生や友だちとともにからだをいっぱい使ってはたらきかけ、散歩で出会う生命あるもの、人びとの暮らしの姿に瞳を輝やかすような実践を、ぜひ知ってもらいたいと思います。そしてそういった実践が、心置きなく取り組める制度に改めていきたいものです。


幸福感においてつながる
 8月号で、「1歳半の節」では、次のような発達がみられると書きました。

 「対」の人間関係、つまり「わたしとあなた」において、自分の意図と他者の意図、自分のモノと他者のモノという自他を区別し、対立・葛藤しつつ調整ができはじめる(30ページ)。

 自閉症のある人たちは、「他者」の意図を意識すること、それができるようになっても、他者の意図と自分の意図を調整することがむずかしく、混乱や拒否、あるいは従属や指示待ちという関係になりがちです。しかし、このことも決して固定的ではないことを、私たちは発達相談や実践の過程から認識してきました。

 8月号で、コウジくんの姿を通して以下のように書きました。

 最初に訪問したときに商店主がその仕事をしており、彼に手伝わせてくれたようです。そのていねいさにびっくりされたのでしょう。彼にとっては、そう受けとめてもらえたことがうれしかったのです(29ページ)。

 コウジくんも洗瓶のエピソードにおいて、自分の挑戦をまるで我がことのように喜び、幸福感において他者とつながれる人がいるのだと実感したのでしょう。閉じてしまった活動や人間関係が未来に向かって開かれていく実感であり、そのことによって生活に「はりあい」を感じるようになっていったのだと思います(31ページ)。

 この「幸福感においてつながる」とはどういうことでしょう。それは、発達の過程のなかに、そして日々の暮らしのなかに、その大切さを認識することができます。

・「第二者と第三者を共有する」
 「生後第2の新しい発達の力」が誕生する10か月頃、子どもは自ら発見した生命のあるものを指さしで教えてくれ、入れたり、渡したり、放ったりの定位的活動ができ始めます。しかしまだ、そのことが他者の喜びや怒りにつながるとはわかっていません。「きれいなお花ねぇ」「じょうずやなぁ」「ありがとう」「そんなことしたら、アカンよ」などという言葉を添えられた他者の反応から、その意味をだんだん理解できるようになるのです。

 すでに述べたように、このように「第二者」という大切な人と何ごとかを共有できるようになっていくことを、「第二者と第三者を共有する」と言います(田中昌人・田中杉恵)。心理学では、「三項関係」と言われますが、それでは子どもの主体性が表現されていません。10か月頃は、その「第二者」がこれまでの限られた関係から、他のおとな、そして友だちへと普遍化し、拡がり始める段階でもあります。そうやって新しい他者とつながったとき、子どもは本当にうれしそうです。その幸福感があるからこそ、もっと他者とつながって生きたいという、次の時間や空間への期待や要求が確かになっていくのでしょう。

・日々の暮らしのなかで
 この「第二者と第三者を共有する」ことによって生まれる幸福感は、日々の暮らしのなかでかけがえのない姿として育まれていきます。

 かつて『発達をはぐくむ目と心』(24~32ページ)で、深見憲『ひろしくんの本Ⅰ~Ⅶ』(中川書店、1999~2017年)を紹介しました。

 「あの時の物凄い博の形相を思い出すだけで胸が痛み一生忘れることは出来ません。この時を契機に家族はどんな些細な興味の世界でも博の世界の中にどっぷりつかって楽しんで守っていこうと誓いました」(『ひろしくんの本Ⅳ』2004年、26ページ)。

 博さんは、現在55歳になった自閉症のあるかたです。お母さんの憲さんが、その成長・発達と生活の過程を、『ひろしくんの本』として刊行されてきました。4歳のときにプレイセラピーの先生から「生活の内容を改善していくため」に、「こだわり」の対象となっているクラシック・レコード、おとぎ話のレコードや本を隠してしまって、戸外で思い切り遊んであげなさいという指導を受けました。その通りに庭の物置に隠してしまった日、「奇声と泣きわめきのすさまじいパニック」になり、食事も受けつけず、瞳もうつろになった姿を目の前にして、「これから好きなレコードをいっぱい聞こうな。毎日、博の好きなことをいっぱいしよう」と言いながら、お父さんはレコードと本を物置から持ち帰ったそうです。「自分たちの一方的な身勝手な押し付けをしてきたことを反省」させられ、いつまでもわが子の「瞳の輝き」が失せない生活をはぐくんでいきたいと決意したと綴られています。そのことが、後の家族の生き方の礎になったとも言われます(『ひろしくんの本 Ⅶ』、2017年)。

 「興味の世界こそ自閉症児の至福の時であり遊びの世界である。付きあってあげるという感覚の方々には幼稚な世界と片づけられるが、年を追うごとに奥が深く夢の広がる世界はとても楽しいのである」(「成人期」『そだちの科学』第1号、日本評論社、2003年)。

 「付きあってあげるという感覚の方々」は、胸に痛い言葉です。自閉症のある人たちが、心地よさ、楽しさ、なにごとかを成し遂げた喜びなど、さまざまな幸福感を求めていること、しかしそれ以上に状況や他者と自分がむすびつきがたく、悲しみ、苦しみをもって生きる時間が長いことを私たちは感じています。私たちもそうだと思うのですが、自他つまり「わたしとあなた」の関係でいろいろな齟齬や葛藤はあっても、それを乗り越えて共感できる関係が欲しいし、我がことのように受けとめあえる人とつながりながら、日々を生きたいのです。

 自閉症のある人たちが示す行動、「特性」と呼ばれるもの、その背景にある発達の連関の「ずれ」は、本人の生きづらさの要因でもあります。それらは現実に存在しており、それを理解しようとすることは大切なことです。しかし同時に、それが「彼らは私たちと違う」という認識に留まってしまうことはないでしょうか。私たちは、ものごとを「違い」において理解する癖をもっていることを否定できません。困難をもちつつ、それを乗り越えて生きようとする人の精神、心理を、人間としての普遍性・共通性において理解しようとしなければ、「してあげる」「してあげなければならない」「はたらきかける」などと、心の離れたところから、あるいは高みから関わるようなことになってしまうと思うのです。そのことが、指導や支援の前提としての子どもを理解すること、子どもと関係をむすんでいくことを困難にしていることはないでしょうか。

 成人になった博さんは、「第九を歌う会」に参加し、ケーキやクッキーを作って販売する「プティフールヒロシ」を開き、子どもたちへのおとぎ話の紙芝居の上演へと、地域の人びととの関係を拡げていきました。すべてが幼児期の「興味の世界」に根ざしています。今は、社会福祉法人の運営する食堂で、長く憧れであった食器や調理具の洗浄の仕事をして働かれているそうです。家族は、小さいときから「よくできました」ではなく「ありがとう」と受けとめあう関係を大切にして、ともに歩まれてきました。

 地域の人びととのつながりは、自分の活動、仕事、そして存在そのものの意味を実感できる関係です。何ごとかを創造する喜びが、それを手にしてくれた人の喜びにつながったとき、明日もまたがんばろうと、未来に開かれた希望をもって生きることができるのだと思います(8月号、31ページ)。


地域、生活、労働と発達をつなぐ
 療育や教育は、子どもの発達要求を踏まえ、「めあて」をもってはたらきかけ、子どもたちの姿から、さらに指導をつないで発展させていくという「時間の単位」をもった営みです。

 一方、子どもやなかま、その家族は、家庭や地域のなかで「暮らし」という営みをつづけながら、さまざまな経験や人間関係を重ね、拡げていきます。この暮らしの営みは、必ずしも「めあて」をもたず、人生という悠久の時間のなかにあるともいえるでしょう。

 振り返れば、8月号のコウジくんもすでに40年余の人生を歩いてきました。障害を告げられてから、幼児期に通った保育所の支えのなかで、地域の空間や人間関係に親子で歩み出し、地域に見守られながら暮らしてきました。そしてやがて、地域の人たちとのつながりを彼自身が求め、牛乳屋さんや八百屋さんでの「しごと」をすることになったのです。自分の活動を、「ありがとう」と受けとめてもらいながら、そうやって活動することの幸福感を知り、「はりあい」を感じて、学校を出てからの生活の礎をつくりはじめました。

 人生を振り返ったときに、発達にとっての画期となったことがみえてくるものです。そのときに自分の活動の意味を感じ、これが自分の暮らしであり仕事なのだという意識をもてるようになっているはずです。それまでの淡々とした生活や労働の日々が、実を結ぶ瞬間です。

 そういった長い時間とともにあって、「時間の単位」をもつ療育、教育などは、どんな役割を果たすことができるのでしょう。乳幼児の療育である児童発達支援さえ、その目的を「動作及び知識技能の習得並びに集団生活への適応のための支援」(児童福祉法)と定めています。障害のある子どもたちへの指導・支援は、社会生活を営むための技能の習得や適応のためにのみあるのでしょうか。適応とは、自分の生きる環境・社会や、すでに定められたものに適うようにするという意味です。つまり、子どもが受身となってすでにある社会生活の規準を身につけていくことが目的となるわけです。そこに、自分らしい暮らしや人生を創っていくきっかけを見出すことができるでしょうか。

 結論を急がずに、私たちも暮らしと人生に視座をおいて、それに対して療育や教育に何ができるのかを考えていきたいと思います。7月号の羽田千恵子さんの実践から「子どもをつなぐ文化のねうち」を考えたのは、その答えを探す試みの一つでした。少し説明を加えておきたいと思います。


文化のねうちって?
 かつて出会った脳性マヒによる肢体不自由と知的障害をあわせもつA子さんは、視線はあいにくいのですが、リズミカルな喃語によって気持ちを表出している子でした。発達検査場面では、積木にもはめ板にも手を出さず、私が働きかければ働きかけるほど、天井の蛍光灯に視線が吸い寄せられていきます。

 そんなA子さんが、療育のなかで花瓶にお花を生けるときに、すっと手をのばし、茎の向きも少し調整しようとするのです。その姿を見て私は、「検査場面での自分の声かけの仕方が悪いのかな」「私との信頼関係ができていないからかな」と考えたり、「選択的にしか力を発揮できない弱さがある」と理屈づけようとしたりしていました。療育のなかでは、大好きな先生もいるし、お友だちもいて、個別の検査場面とは異なるのは当然です。でも、そのときの私には、彼女にとって思わず手を出したくなる「文化のねうち」には十分に気づけていなかったのです。

 その後の発達相談で(その日は“中秋の名月”の翌日でした)、お母さんが「昨日は、家で月見団子をつくって、A子といっしょに花瓶にススキをさしたんですよ。わかってないと思いますけどね」と話されました。「わかってほしい」「できるようになってほしい」というより、そういう生活の一コマを我が子といつくしんでいることがすっと伝わってくるエピソードでした。今思えば、彼女にとって「花を生ける」という行為は、単なる操作ではなく、周りの人とつながっていく価値ある行為であり、幸福感を共有することすら予期していたのかもしれません。

 羽田千恵子さんの言う「単に集団を保障するだけでは、一人ひとりのかけがえのない価値を引き出すことはできない、友だちとつながるには、共有できる世界、媒介する文化が必要」という思い、そして、そのために、子どももおとなもそれぞれにもっている「文化的もちあじ」を融合させていく妙味…これからの連載でもまた考えていきたいと思います。


今回の学習参考文献
・深見憲(1999~2017)『ひろしくんの本Ⅰ~Ⅶ』中川書店(博さんの50年余の記録には汲めども尽きぬ示唆があります)。中川書店は、糸賀一雄『糸賀一雄の最後の講義』『福祉の道行』も出版されています。
・白石正久・白石恵理子編(2020)『新版・教育と保育のための発達診断・下巻』
・白石正久・白石恵理子編(8月末発行予定)『新版・教育と保育のための発達診断・上巻』


もう一つの「発達のなかの煌めき」第5回 PDF版

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2022年08月03日

<重要連絡>開会全体会の実施方法について(お願い)

全障研第56回全国大会(兵庫2022)参加者のみなさんへ


開会全体会の実施方法について(お願い)

 全国障害者問題研究会
 全国委員長 越野和之


2022年8月1日

 全障研第56回全国大会(兵庫2022)に参加申し込みをいただいたみなさん、長期にわたるコロナ禍の下、さまざまなご苦労を押して、全障研大会への参加を申し込んでいただき、本当にありがとうございました。大会開催地・兵庫の現地準備委員会ならびに全国事務局では、大会の成功に向けて準備活動の追い込みに入り、みなさまとともに大会を成功させるために全力を傾けています。そうした折ですが、第七波と言われる新型コロナウイルス感染症変異株の拡大期が到来し、連日過去最高の感染者数とともに、医療機関の逼迫などが報じられています。私たちの全国大会の実施方法についても、こうした状況を踏まえて具体的な対応が求められる状況であると判断し、7月31日の大会準備委員会において、その検討を行いました。

 7月22日をもって締め切った参加申し込み状況を見ると、8月6日の開会全体会の神戸会場には、地元兵庫県をはじめ近畿各府県の方を中心に、200名近くの参加の申し込みをいただいています。「久しぶりに話そうや、私たちのねがい」の大会テーマの下、本当に久しぶりにお互いの顔を見合わせ、また初めて大会に参加する方々とも直接に出会って、日々の生活や実践の苦労と喜び、そこに寄せるねがいを語り合いたいという私たちの思いに応えていただいたものと、大変嬉しく思っています。しかし、大変残念なことですが、現時点の感染症拡大状況を踏まえると、これだけの規模の参加者を各地から現地にお迎えして、開場から閉会までの4時間の時間を屋内の会場でご参加いただく場合には、感染防止のためのさまざまな措置を含め、できる限りの態勢を持ってしてもなお、会場での感染の拡大などの危険を完全に防ぐことはできないのではないかとの判断に至りました。

 ご存知のように、私たちの全国大会に参加される方々は、その多くが、日々障害のある子どもたちやなかまたち、またそのご家族ときわめて密接に触れあうことを職業とし、あるいは家族としての日々の生活とされている方々です。大会参加を終えて帰宅した自宅で、あるいは大会を終えた月曜日からの勤務として、そうした生活に再び戻られる方も多くあります。これは、参加者のみならず、大会を準備し、当日の運営に携わる現地準備委員やスタッフの方々も同様です。

 そうした人たちの健康と生活を、万が一にも感染等によって脅かさないこと、全障研という自主的な研究運動に心を寄せていただいたすべての方々の生活と労働を守ることは、私たちの研究運動において第一義的に重要なことがらです。そのためには「完全無観客」での全体会開催も選択肢として検討しましたが、大会開催地として、初参加の方を含め、多くの方々にこの大会への参加を訴え、全障研活動を広めていただいた兵庫支部の「久しぶりに話そうや」という思いを少しでも実現し、今後の全障研活動の発展への基礎を築く上で、「兵庫の人たちだけでも集まりたい」との声も重視したいと考えました。以上を踏まえ、今大会の開会全体会の実施方法について、以下のことを提案し、ご理解とご協力をお願いします。

1. 神戸ポートオアシスでの対面型開会全体会は、原則として兵庫県内に在住もしくは在勤の方に限定して実施させていただきたいと思います。申し込みの際には「対面参加」としてご予約いただいている場合でも、兵庫県以外の地域の方は、すでにお届けしたオンライン参加のためのURL等を用いて、ご自宅などでのオンライン参加もしくは近隣のパブリックビューイング開場での参加に切り替えて下さい。ただし、自宅等でのオンライン参加がどうしても困難な場合などは、送付される「健康状態申告書」を提出し、必要な感染防止対策をご理解いただき、ご来場ください。なお、開会全体会については内容を録画し後日「見逃し配信」も準備します。

2. 兵庫県内に在住・在勤の方は、必ず神戸ポートオアシスで対面参加しなければならないということではありません。対面参加を予約された方でも、ご自宅等でのオンライン参加に切り替えられる場合はその判断を尊重します。

 全国大会当日の一週間前にこのようなお願いをお届けせざるを得ないことは返す返すも残念です。「久しぶりに話そうや、私たちのねがい」を掲げた大会でもあり、また各地の方々からの熱い思いも伺ってきただけに、残念な思いはひとしおです。しかし、上にも書いた通り、私たちには、いま、直接に出会うこと以上に大切にすべきことがあると考えました。

 「非対面」という形式でのご参加にはご不便やもどかしさも多々あると思いますが、現下の感染拡大状況と、私たちの研究運動の置かれた状況、果たすべき役割などを踏まえ、ご不便やもどかしさを、みなさんのご理解とご協力で乗り越えていただきたいと思います。どうかこの提案の趣旨を深くくみ取っていただき、知恵と力をお貸しいただきますよう、心よりお願い申し上げます。

 Word版はこちら

2022年08月01日

障害乳幼児の療育に応益負担を持ち込ませない会 会報48号刊行

障害乳幼児の療育に応益負担を持ち込ませない会
会報48号を公開しました

 


2P… 私たちは、発達への権利の保障を求めつづけます
3~4P … 2024年度「こども家庭センター」設置に向けて
5P … 今後の乳幼児施策の行方は?
6P … よかネットあいち報告集完成&全通連全国大会お知らせ
7P … 声明 暴力・監禁は「療育」ではない
8P … 8月28日相談活動セミナーのおしらせ

詳細は

「持ち込ませない会」ホームページ

2022年08月01日

第56回全国大会(兵庫2022)参加申込は終了しました

全国障害者問題研究会第56回全国大会(兵庫2022)

大会参加申込は6月1日から<大会専用ページ>で開始され、7月22日で締め切りました。
たくさんの参加申込みをありがとうございました。

今後、入金状況など整理し、
7月29日(金)に、開会全体会、学習講座の視聴アドレスや資料を
8月1日(月)に、各分科会の視聴アドレスとレポートや資料を、
神戸会場への参加申込者には、感染防止対策の資料と提出書類などをメールする予定です。

開会全体会の参加者への「見逃し配信」は8月9日~8月31日に予定します。
学習講座はオンデマンド配信で、8月7日~8月31日まで視聴できます。

 

▶第56回全国大会(兵庫2022)専用ページ

2022年07月23日

「発達保障のための相談活動」を広げる学習講演会8月28日

「発達保障のための相談活動」を広げる学習講演会


「発達保障のための相談活動」を広げる学習講演会 8月28日

6月に改正された児童福祉法を視野に入れた学習会です。

日時=8月28日(日)13時~16時<Zoomオンラインによる開催>
テーマ=地域療育のこれからと児童発達支援センターの役割

プログラム
◎療育の課題を共有する 『障害者問題研究』第50巻2号から学ぶ
 /白石正久さん(龍谷大学名誉教授)
◎地域の子どもたちの育ちを支援する役割のこれまでとこれから
 /吉田文子さん(東久留米市わかくさ学園発達相談室)
◎堺市の医療的ケア児を取り巻く現状とセンターに求められていること
 /篠原純代さん(堺市社会福祉事業団)
◎意見交換(各地から)

■参加費=1500円
■申込は → http://form.run/@npocenter0828
■申込期間 7月15日~8月24日まで

 




2022年07月11日

連載<もう一つの「発達のなかの煌(きら)めき」>第4回解説版

もう一つの「発達のなかの煌(きら)めき」第4回

  2022年7

  白石 正久・白石 恵理子


第4回 1歳半の発達の節(その1)


 「もう一つの『発達のなかの煌めき』」(以下では「もう一つ」)をお読みくださり、ありがとうございます。

 先日、オンラインでの読者会に参加しました。平日の19時からだったのですが、多くの方が参加くださり、あっという間の2時間でした。就学前から成人期まで、さまざまなライフステージにかかわる皆さんがつながって、担当している子どもやなかまのこと、職場や地域のこと、そして自分自身のこと…糸賀一雄さんが、発達保障とは子どもだけではない、指導者自身も親も地域も行政も、みんなが発達の主体でなければならないと言われていたことをしみじみと思い返していました。

 さて、連載第4回(7月号)の「言葉の世界を拓く―障害のある子どもといっしょに創る文化を通して」では、横軸に故羽田千恵子さんの実践を通しての教師や指導者の授業づくりへの想い、縦軸に1歳半の発達の節をとりあげました。


1歳半の発達の節
 これまで、通常の乳児期前半にあたる「回転可逆操作の階層」、乳児期後半にあたる「連結可逆操作の階層」についてみてきました。乳児期、まさに赤ちゃんと呼ばれる時期だったわけですが、生後1年をすぎると、ヨッコラショと立ちあがり、直立二足歩行の世界に入っていきます。さらに1歳半ば頃になると、道具を使用し、話し言葉を獲得するようになります。赤ちゃんを卒業し、幼児期に入っていくわけです。この大きな変わり目を「1歳半の発達の節」と呼んでいます。「可逆操作の高次化における階層-段階理論」では、生後第3の階層にあたる「次元可逆操作の階層」に入っていくことになります。連載第4回(7月号)、第5回(8月号)では、この「1歳半の発達の節」をとりあげます。

 「1歳半の発達の節」をこえると、子どもたちはそれまでとはずいぶんと異なる姿をみせてくれます。直立二足歩行の確立、道具の使用、ことばの獲得、などが目に見える変化としてあげられるでしょう。もう少し立ち入ってみていくと、①全身運動や手指の操作などのさまざまな活動や生活において、目的(つもり)をもち、活動の達成感を自らのものとし(活動の内面化)、達成感ゆえに「もっとしよう」と活動を再生産し、「つもり」通りにならなくても立ち直っていこうとする主体の誕生、②他者と自分を区別し、他者の目的(つもり)をとらえ、ぶつかったり、自分の行動を調整したり、他者と目的を共有する力の誕生、③「…ではない…だ」をくぐった認識・表象の獲得、④指さしやことばに代表される表現手段を媒介にしたコミュニケーションの成立、などが大切な特徴としてあげられます。

 以下、もう少し詳しくみていきます。


目的(つもり)をつくって行動する
 乳児期段階の子どもたちは、たとえば、ハイハイするときに、面白そうなおもちゃや大好きなお母さんを見つけて這っていきますね。そこには、おもちゃやお母さんという目標はあるのですが、「ぼくが這っておもちゃのところにいくんだ」とか「わたしが這ってお母さんのところにいく」というように自分の行動の目的を意識しているわけではありません。1歳半の節をこえると、自分が行動の主体であるという意識がはっきりし、「ぼくが歩いていく」「わたしが積木を積む」といった自分の行動の目的をつかむようになるのです。

 積木を積む遊びをしていても、1歳前半の子であれば、横にいるおとなが積んだことでも喜ぶことがありますが、1歳半になると、人が積んだ積木は嬉しくありません。「自分が積む」という目的意識、すなわち自分の「つもり」がはっきりしてくるからであり、その「つもり」が実現したときに、はじめて達成感を得ていくわけです。達成感を得ると、今度は「もっと積みたい」になり、さらに積んでいこうとします。しかし、当然ながら「つもり」通りにならない、すなわち失敗するということにも、今まで以上に向きあわざるを得なくなります。しかし、生活や遊びのなかで「自分でできた」「自分で(パンツを)はけた」というような達成感を積み重ねていくと、失敗してうまくいかなくても、「もう1回やってみよう」と繰り返していくようにもなります。


相手のつもりにも気づく
 このように自分の目的(つもり)ができていくと、相手の目的(つもり)にも気づいていきます。二つの器を示して「こっちにも、こっちにも分けてね(はんぶんこしてね)」と声をかけたとき、まだまだ「はんぶんこ」の意味はわからなかったり、比べる認識には至っていないのですが、両方の器に入れ分けてくれるようになっていきます。二つの器に入れ分けることができてくる時期、子どもの心のなかにも、自分のつもりを入れる器と、相手のつもりを入れる器ができてくるのです。

 すなわち、「もっと遊びたい」という自分のつもりがはっきりすると同時に、「もう片付けよう」という相手のつもりにも気づいていくわけです。「もう片付けよう」と言われていることがわかるからこそ、「でも、ぼくはもっと遊びたいんだ」という自分のつもりがより明確になり、「いやー」と怒ってひっくり返って「だだこね」をするようにもなるでしょう。「だだこね」「かみつき」については、『新版・教育と保育のための発達診断・下巻』(以下では『下巻』)94~96ページで詳しく触れられています。でも、いつもぶつかるだけではありません。「もっと遊びたいんだね」という気持ちを受けとめてもらえると、多少時間はかかっても、今度は「先生の言うことも聞いてあげるよ」とばかりに、次の活動に切りかえてくれることもあります。さらには、自分と相手を区別するからこそ、「一緒にやったね」「一緒にできたね」と目的を共有したことが、今まで以上に嬉しくなることもあるのです。


「…ではない…だ」
 まもなく発行予定の『新版・教育と保育のための発達診断・上巻』(以下では『上巻』)では、近江学園の子どもたちのテレビドキュメンタリー番組『一次元の子どもたち』(東京12チャンネル制作、1965年4月放映)の中の、はめ板課題に取り組む子どものようすを紹介しています。

 「きよしくんは右のきき手にもった丸い板を、すぐ前の丸い穴にはめることはできる。穴の位置が反対に変ると、もうついていけない。きよしくんは、自分の体と心にぴったりとくっついていた行動をいろいろとくりかえすことはできるのだが、まだ外のようすが変ったとき、その意味がくみとれない。すべての正常な子どもも、1歳半までにこの段階を通る。そのことを明らかにしたのは、正常児ではなく、実はこのきよしくんたちである…」。

 1946年に戦災孤児と知的障害児の総合施設として創設された近江学園では、1950年代以降、発達年齢4歳ごろまでの知的障害が比較的重い子どもたちが多くなっていきました。しかし当時はまだ、「重度」とひとくくりにされており、学校教育からも排除される状況があったのです。近江学園では、そうした子どもたちの発達を明らかにしていくことこそが、この子どもたちに必要な教育のありかたを明らかにすることはもちろん、「教育の成り立つ基盤に何が必要なのか」を知らしめることになるという思いをもって実践や研究が進められていきました。

 『一次元の子どもたち』では、子どもたちの食事や洗面といった日常生活の場面、あそびや労働の場面が生き生きと紹介されています。そのなかに子どもたちの発達検査の場面があるのですが、はめ板課題に取り組むきよしくんは、目の前の円孔に円板をはめ込むことはできるのですが、基板が180度回転したとき、その変化についていけず、目の前に現れた四角孔に円板をはめようとしてしまいます。はめ板課題については、『下巻』82~83ページを参照してください。

 はめ板課題について、京都児童院式のテスト(今の新版K式発達検査です)では、「できる」か、「できない」かで評価されることがほとんどだったのですが、田中昌人さんたちは「できない中にも位置反応があるし、お手つき反応がある」と「できなさ」の中身をみていきます。さらに、「発達に障害があるばあいにはこの位置反応やお手つき反応が長く続き、神経症症状などもそなわっている。これができるということはそれら諸問題が大きく解決することになる」という事実に気づき、それが質的転換期だと認識していきました。そして、「180度入れ代わったことに対する可逆操作ができるという」ことから、1次元可逆操作と命名しました。

 これまでみてきたように、乳児期後半の第3段階(「示性数3可逆操作期」)である11か月頃になると、「入れる」「渡す」「のせる」といった定位的活動がしっかりしてきます。したがって、はめ板課題でも目の前の丸い孔に円板をはめることが可能になります。はめ板回転課題は、そうして「入った」ことを子どもと一緒に確認したあとに、基板を180度回転させて、今度は子どもの目の前に四角い孔がくるように基板をおき、再び「ナイナイしてね」と声をかけます。1歳すぎの子どもたちは、さっきと同じように目の前の孔に入れようとするのですが、それでは円板は入りません。「入っていない」ことに気づいて、怪訝な表情になったり、四角孔の上でカタカタさせたり、検査者をじっと見たり…なかには、立ちあがってしまう子もいれば、入っていなくても「気にしていない」子もいます。そのうち、「ここじゃないのかな…」とばかりに、別の孔にチャレンジしようとしたり、円板をひっくり返してみたり、なかには基板の下から入れようとしたりと、様々な試行錯誤をはじめます。これらは、いずれも、検査上は「不通過」、すなわち「できない」と評価される姿なのですが、そこには1次元可逆操作を我がものとしようと努力する大切なプロセスが潜んでいるのです。「入れられる」かどうかよりも、このかけがえのない努力に心をよせていきたいものです。

 「…ではない…だ」の力は、指さしやことばの力とはどのように結びついているのでしょうか。犬をみて「ワンワン」と言う、すなわちことばで表出するようになるには、犬=ワンワン等と、事物と名称が結びつくだけではありません。相手(第二者)に、このこと(第三の世界)を伝えたい、共有したいという関係が成立してくることが必要です。そこに至るまでには、「この人に伝えたい」という思いがふくらんでくること、そして、「このことを伝えたい」という伝えたい中身ができてくることが必要になります。加えて、「〇〇ちゃんのお目目はどこですか?」と問われて目を指さす、「ワンワンはどれかな?」と問われて犬を指さす…といった「可逆の指さし」が成立してくることも、とても重要な意味をもっています(『下巻』87~88ページ参照)。

 こうした「指さし」を「可逆の指さし」とよぶのはどうしてでしょうか。一つには、自分から一方的に指さすのではなく、相手から聞かれたことに指さしでこたえ返すという可逆性が成立していることがあげられます。もうひとつは、「お目目どれ?」と聞かれて、「お口じゃなくてお目めなんだ」「お鼻じゃなくてお目めなんだ」という認識も関わっています。「ワンワンはどれ?」に対しても「ブーブーじゃなくてワンワンだ」という、その子なりの認識の過程があるのです。この「…ではない…だ」というつながりと、「…は…だ」というつながりの両方ができてくることによって、子どもの認識は大きく変わっていきます。

 以前、休日の早朝に散歩をしている親子を見かけました。道端に置かれたゴミ袋をつついているカラスをみて、お父さんに肩車をしてもらっている男の子が嬉しそうに指をさして「ワンワン!」と言うのです。お父さんは、「ワンワンじゃないよ、カアカアだよ」と答えていたのですが、きっと男の子にとって、道を歩いている(?)動物は「ワンワン」だったのでしょう。彼なりに、まわりのものをカテゴライズし、それを共感的に受けとめられたり、修正されたりして、徐々にことばを獲得していくのだなと面白く思ったものです。

  「おなかはどれですか?」(新版K式発達検査には「おなか」の問いはありません。)



道具を使う主人公になる
 1歳半の節においては、目的と手段の分化と統合が可能になる、というのも大きな特徴です。これは道具の理解や使用とも結びついています。たとえば、スプーンは「食べる」という目的のための手段であり、鉛筆は「かく」という目的のための手段です。乳児の場合、目的と手段の分化には至らないため、スプーンも道具ではなくモノということになります。おにいちゃんやおねえちゃんがスプーンを使う姿を見て、自分もスプーンを持ちたがるけれど、実際に食べる際には手づかみで、という姿もよく見られます。

 しかし、道具としてスプーンを使おうとしても、最初からうまく使えるわけではありません。うまく使えないからと言って、道具を使いたいという願いがうまれる前に戻れるわけではありません。そこに大きな矛盾と葛藤がうまれることは7月号に書いた通りです。

 7月号では、おはなし遊びを中心に羽田千恵子さんの実践を紹介しましたが、『文化に出会い、友だちに出会う―障害の重い子どもたちと創る授業・教育・学校』(クリエイツかもがわ、2019)には、「ふれる・えがく・つくる」の実践も載せられています。肢体不自由をあわせもつ子どもの担任をした教師は誰もが、「口腔内や手のひらが過敏で、物に触れることを拒否したり、触ったとしても、教師の“やらせ”に終わり、子どもの表情はピクッとも変わらない、こわばる、あるいは寝てしまう」(羽田、89ページ)子どもの姿に、悩むのではないでしょうか。

 7月号に登場する“ありちゃん”もそうでした。しかし、ある日、お家でお姉ちゃんが寝そべって絵を描いているそばで、ありちゃんも寝そべりながら、いつのまにか、同じようにクレヨンを手にもって絵を描き始めたということをお母さんから聞いた羽田さんは「これだ!」と思ったそうです。おとなの「描こう!」という意図を強く感じて拒否をしてしまうありちゃんに対し、教師が並ぶ形でさりげなく見本をみせたり、友だちの姿をみせたりしながら、あとはひたすら待ったそうです。あわせて、感触あそびでは物足りない、すなわち「1歳半の発達の節」を獲得してきつつある子どもたちに対しては、自分の「つもり」がつくりやすいようにと、「鯉のぼりをつくる」「運動会で自分たちが着るTシャツにアイロンプリントをする」「自分で使うお皿をつくる」などの取り組みにしていきます。陶芸の際には、ほんものの芸術家(県、美術館や博物館、学校の連携事業を活用)にも来てもらいました。こうした授業のなかで、肢体不自由の子どもたちも自分の手を使うことに少しずつ喜びを感じていきます。


おわりに
 最後に、羽田千恵子さんの思い出を少しお話しします。私たち二人の職場の大学でも非常勤講師として長年、重症児の教育について講じていただきました。感銘を受けたのは、学生の感性のユニークさ、隠れた慈しみの深さなど、ともすると私たちが見落としてしまっていた「もちあじ」を、限られた交流のなかでも見つけてくださっていたことです。子どもと向きあう教師のまなざし、その基底にある人格には、だれに対しても、どこにあっても、一筋の芯が通っているのだと教えられました。

 羽田さんの『文化に出会い、友だちに出会う―障害の重い子どもたちと創る授業・教育・学校』は、『みんなのねがい』の連載原稿を中心としつつも、新たな検討を加えられて生前から出版を準備されていました。遺された原稿を前に「編集委員会」の仲間と目をとめたのは、何度も書き直した形跡のある「はじめに―重症心身障害児教育に携わった32年を振り返って」の結びの言葉が、「今後も、重症心身障害児といわれる子どもたちが予想を越えた姿をみせる授業づくりのおもしろさや、人間として大切にされる教育課程づくりについて、より理解を広げるための活動を続けていきたいと考えます」であったことです。その記録媒体の最終更新は、亡くなる2週間前になされていました。

 この「今後も」に込められた思いが私たちに遺された羽田さんの精神なのだと思います。羽田さんは、教師の集団としての発達の事実を創り上げることを、自らの課題として厳しく課していました。つねに教育実践を共同の財産と位置づけ、私有物にはされませんでした。だから7月号に写真で掲載した教材は、引き継ぐものとしてていねいに解説文を添えられて私たちに託されました。そして仲間と作り上げてきた教育実践の生命力を確信し、若い教師や仲間への信頼を「今後も」に込めて、「はじめに」と人生を締めくくられました。

 『文化に出会い、友だちに出会う』を開くと、羽田さんが遺してくれたものの豊かさに心があたたかくなります。私たちはそれを紹介しながら、教師も集団のなかで輝き、仲間とともに育っていくものであることを、日々、「未来の教師」たちに語りかけています。 

  「三上山のムカデ退治」



今回の学習参考文献
・羽田千恵子著、編集委員会・白石恵理子・白石正久編(2019)『文化に出会い、友だちに出会う―障害の重い子どもたちと創る授業・教育・学校』クリエイツかもがわ
・白石正久・白石恵理子編(2020)『新版・教育と保育のための発達診断・下巻』全障研出版部
・白石正久・白石恵理子編(まもなく発行予定)『新版・教育と保育のための発達診断・上巻』全障研出版部



「もう一つ」の第4回 PDF版

「みんなのねがい」7月号紹介ページへ

2022年07月06日

第56回全国大会(兵庫2022)基調報告案にご意見ください 7月25日まで

全国障害者問題研究会
第56回全国大会(兵庫2022)基調報告案

 常任全国委員会    2022年7月1日




はじめに

 新型コロナウイルスの世界的な感染拡大から2年以上が経ちました。コロナ禍といわれる社会状況は、私たちの生活や行動、人とのかかわりを大きく変化させ、暮らしや子育て、教育、労働を制約してきました。その影響は、障害のある人とその家族の暮らしにいっそうの困難をもたらし、保育・教育・福祉現場に疲弊と苦悩を招いています。

 『みんなのねがい』2022年2月号の特集「新型コロナ禍から2年 ~これまでとこれから」で、京都の池添素さんは、働きながらシングルで障害のある2人の子どもを育てるお母さんからの相談を紹介しています。お母さんは、感染拡大が収束してからも在宅勤務が続いているため、「子どもと過ごす時間が格段に増え、イライラしてよくないことばかり」「誰かと会って話したい!」と話してくれたそうです。「誰かとしゃべりたくて、聞いてほしくて」というのは、障害のある子どもを育てる保護者の多くがもっている切実なねがいです。日々の悩みごとや子どもの困りごとなどを誰かに聞いてもらうことで、子育てに向き合う力を得ている保護者もたくさんいます。人とのつながりやかかわりが大きく制約されるなかで、保護者が「困っている」「助けてほしい」という声を上げづらくなっていないか、また支援する側もそうした保護者のSOSを聴きとりにくい状況が放置されていないか、確かめ合うことが必要です。

 この2年余りの教訓が活かされないまま、感染拡大のたびに事業所や家族にケアの責任が押しつけられてきました。感染を抑え込むために行動を制限することは、障害のある本人と家族に大きな負担をもたらす場合があります。医療体制が逼迫するなか、障害福祉行政の現場で住民の命と健康を守るために奔走してきた二見清一さんは、障害のある人の「日々のくらしを大切にする視点」をもった感染症対策が必要であるといいます(『みんなのねがい』2022年2月号)。

 2002年2月、新型コロナウイルスオミクロン株による感染が広がり、障害の有無にかかわらず、すべての人の命が守られ、安心して暮らすことのできる社会の仕組みを作り出すことに知恵と力を結集することが求められたこの時期に、ロシアがウクライナに軍事侵攻し、多くの市民が犠牲となりました。反戦平和と停戦を求める声が世界をかけめぐるなか、全障研の常任全国委員会は、2022年3月10日に声明「ウクライナにおける武力行使と戦争に反対し、障害のある人と家族のいのちと安全を守ろう」を発表しました。

 しかし、日本政府は、この国際危機に乗じて「非核三原則」を捨て軍事費をGDP比2%に増強する方向を打ち出しています。さらにこれに同調する勢力とともに、「核共有」を主張し、憲法9条改正を強引に進めようとしています。唯一の戦争被爆国であり、憲法9条をもつ日本には、戦争の停止と平和の実現に向けた国際的な共同を進める役割が求められています。武力で平和は実現しません。戦争は障害のある人びとのいのちと暮らしを脅かします。政府が求める防衛費倍増は「自助」・「共助」を推し進めて社会保障費を削減する動きと一体であり、この動きを許せば、障害のある人びとの生活はいっそう不安定になります。

 いまだ感染の収束が見通せず、物価も高騰し、日々の生活を成り立たせることに多くの困難が押し寄せるなか、障害のある人と家族が安心して暮らすことができるよう懸命の努力が各地で重ねられてきました。そして、多くの人が、毎日伝えられるウクライナの人びとの厳しい状況に心を痛めながら、自分たちに何ができるのかと逡巡しています。すぐには解決の糸口が見えないこれらの問題に向き合い続けるためにも、私たちは、目の前にある事実から出発し、日々の暮らしや実践のなかで感じたこと、考えたこと、思っていることを手放さず、一人ひとりのねがいや悩みを自由に話し合うことを大切にしたいと思います。

 私たちにとって、目の前にある実態やねがいをみつめ、実践や運動のなかに問題解決のすじ道を見出していくための道標が、日本国憲法と障害者権利条約です。旧優生保護法にもとづく強制不妊手術をめぐる国賠訴訟では、大阪高裁(2022年2月)と東京高裁(同3月)はともに、旧優生保護法の違憲性を認め、20年の除斥期間の適用は著しく正義・公正の理念に反するとして、国の賠償を命じる画期的な判決を下しました。また、65歳になると障害者総合支援法による支援を打ちきり、介護保険適用へと強制的に移行させることは、障害のある人を年齢で差別し、憲法25条が保障する生存権を奪うものだとして、制度の改善を求める「天海訴訟」が東京高裁で闘われています。これらの裁判闘争は、日本国憲法に依拠しながら、障害のある人の尊厳と権利を取り戻そうとする闘いです。そうしたねばり強い闘いにも学びながら、障害のある人びとの暮らしを障害者権利条約にふさわしいものにしていくための多面的なとりくみが求められます。

 障害者権利条約をめぐっては、新型コロナウイルス感染拡大の影響により延期となっていた日本の審査が2022年8月に開催される予定です。今回示される「総括所見」を日本の障害者政策の未来を拓き、障害のある人びとの権利保障を前進させるための手がかりとしていく上でも、みんなで語り合い、学び合うことでねがいを掘り起こし、そのねがいの実現に向けたすじ道を明らかにする研究運動が求められます。

 今大会のテーマは「久しぶりに話そうや、私たちのねがい」です。私たちの身近なところにある問題やねがいは、権利保障のための歴史的な努力と国際的な動きと深くつながっています。日本国憲法と障害者権利条約を手に、多くの人たちが集い、実態を出し合い、ねがいを大いに語り合い、私たちの足元に芽吹いている発達保障、権利保障の取り組みを大きく育てていきましょう。


Ⅰ 乳幼児期の情勢と課題

(1)子どもに合った生活を
 全障研の結成間もない1970年代、高度経済成長が終焉を迎える中で、住まいや遊び場の貧困が指摘され、科学技術の導入とひきかえに自然と人間の関係が壊され、子どもの生活が解体され、発達の土地を耕す時間も仲間もなくなっていないかと問題が提起されました。50年経った現在、さらなる資本主義の利潤追求のために、情報通信機器の拡大化、遊び場や交流の場の減少、そして気候変動により、子どもたちの発達の土壌はさらに貧しいものになっていないでしょうか。「暑すぎてプールに入れない、さんぽに行けない」「ゆたかな四季を感じられない」といった状況は年々深刻化しています。さらに、障害のある子をもつ保護者は、「すみません」と謝らざるを得ないわが子のふるまいに公園や公共の遊び場に行くのもためらい、地域の子どもたちと遊ぶ機会を失っています。親子で孤立させられているのです。

 長引くコロナ禍のもとでの生活はこうした状況にさらに追い打ちをかけました。触れ合って遊べず、おとなもマスクをとって一緒にごはんを食べたり笑い合う経験をつくりづらくなっています。実践現場では、「なんとか、子どもたちにゆたかな経験をしてほしい」と工夫を凝らしていますが、時間、空間、集団の解体はその度合いを強めています。

 人と人とが触れ合う関係、自然やいのちのきらめきとの出会い、子ども自身が「これはなんだろう」「やってみたい」と心を動かしながらゆるやかに続く生活や遊び、そしてそのようなかけがえのない時間を一緒に過ごす仲間。子どもの生活や発達にとってなにが大事なのか、実態と実践を出し合い、語りあいながら考えていきましょう。

(2)障害・子育てを自己責任にしない社会に
 乳幼児期の子どもたちの発達保障の場や実践を考える際、昨年秋に行われた「障害児通所支援のあり方に関する報告会」の報告、2002年6月に国会で決まったこども家庭庁の設置、こども基本法の制定、児童福祉法改正などに見られる政策の動向に注目する必要があります。

 2023年4月、こども家庭庁の設置がスタートします。障害児支援が厚労省からこども家庭庁に移管されます。障害があっても「子どものことは子どもの部局で」という私たちの声が届いたかに見えます。一方で、こども家庭庁推進を掲げた閣議決定「こども政策の新たな推進体制に関する基本方針」では、必要な財源について「社会全体での費用負担の在り方を含め、幅広く検討」すると提案しており、育児保険の導入を検討しているとも考えられます。また、「基本方針」には、「保護者が子育ての第一義的責任を果た」すという表現もみられます。ここには、子育てへの公的責任を回避しようとする厚生労働省の従来からの姿勢が現れています。障害があることによって生じる特別な支援に自己負担を強いることはおかしいと訴えてきたことに立ち返って、こうした動向を厳しく批判していく必要があります。子育ての負担や障害があることを自己責任に帰さない、地域や社会でともに安心して子育てをしていける仕組みづくりが求められます。

 こども基本法も制定されました。基本法自体は子どもの権利条約以来、長く求められてきたものですが、このたびの基本法は、条約に明示された諸権利を誠実に遵守するものにはなっておらず、国内外の子どもを守る取り組みの上に積み上げられてきた発達への権利が軽視されていると言わざるを得ません。常任全国委員会は、5月、真に子どもの発達と権利を保障する法を求めて声明「日本国憲法と子どもの権利条約を遵守し、子どもの発達の権利を真に保障する基本法を」を出しました。

(3)子どもの発達を保障する普遍的な仕組みを
 障害種別ごとの施設が再編されて10年、地域差はありつつも児童発達支援事業所は急増しています。そういった現状を踏まえて、2021年10月に取りまとめられた「障害児通所支援の在り方に関する検討会報告書」では、多様な主体の参入によって課題となる療育の質の確保について言及しています。しかし、日額制、契約制度、応益負担という現行制度の根本的な問題については触れられていません。療育の事業は運営の心配をせずに実施される必要があり、またわが子の障害に向き合う保護者の気持ちの揺れが大きい時期であることを考えると、利用契約や費用の応益負担は適していません。

 報告書は、女性の就業率全体が高くなっている状況も踏まえ、「保護者(とりわけ母親)も就労を継続できる社会を目指す観点からは、発達支援の提供を通じて保護者の就労を支えることも、障害児通所支援の役割」と述べています。このこと自体は重要な視点です。しかし、保護者の就労を支えるためには児童発達支援の場にはどんな機能が必要か、一方で保育所を選択した場合にも、どのようにして行き届いた支援を保障するのかなどの検討はなされておらず、さらには子育て中の親の労働条件の改善等について検討する方向にも向かっていません。児童発達支援も保育所も、家族の生活と労働の権利を守りつつ、何より子どもの発達を保障するものでなければなりません。

 「あしたもまたやりたいな」と、安心できる共感関係のなかで、自分のタイミングでじっくりたっぷりと遊びこんでいく時間、「ほんとはやりたい」というねがいやもどかしさに寄り添ってもらいながら、おとなや友だちと一緒に生活や自分をつくっていくこと。これらは保育でも療育でも共通して大切なことであり、それを実現するために、療育ではよりていねいな関わり、条件が必要なのです。働く親の「預け先」として子どもの生活を営利の対象にしたり、子どもを部分的に捉えて「力をつける」「足りないものを補う」ようなこま切れの「支援」、生活・発達から疎外した「サービス」にしてはいけません。療育をスポット的サービスとして一般の子育て施策から切り離すのではなく、子どもの生活と発達を保障する保育・教育といった普遍的な体系に組み込んでいくことが求められます。

 乳幼児期において保護者を支援することの重要性はいうまでもありませんが、近年「ペアレントトレーニング」が推奨される傾向にあることに注意が必要です。2021年報酬改定において「ペアトレ」が事業所内相談支援の一つとして例示されたことから、マニュアル化された講習などが広がっています。子どもや保護者を一方的に変えようとする発想ではなく、時間をかけながらも子どもの姿を一緒に見守り、時には「思ったようにならないよね」と悩みや悔しさも分かち合いながらともに変わっていける保護者支援を大切にしたいと思います。

 また、児童発達支援センターについては、乳幼児期における中核的な支援機関として、「高度な専門性」の確保、地域の児童発達支援事業所や保育所などに対する支援、発達支援の入り口の相談機能が示されました。乳幼児期の支援の歩みを振り返ると、住民の要求を紡いで自治体が公的責任をもって地域療育を築こうとしてきたことがわかります。母子保健はすべての子どもの出生から把握し、発達と健康を保障しようとするシステムを地域の中につくってきました。障害の早期発見・早期療育をめざしたネットワークはそうした子どもの発達を保障しようという実践と結びついています。それは、すべての子どもと親の子育てと発達を応援するものであり、もれのない健診、親が子育ての主人公になっていくような親子教室などの整備は大切な課題です。それぞれの地域のなかで、これまでの蓄積と到達点を踏まえた療育システムの構築をめざし児童発達支援センターの役割、児童発達支援事業との連携のあり方を考えていかなければいけません。『障害者問題研究』第50巻2号では保護者支援をふくむ乳幼児期の療育の課題を特集しています。


Ⅱ 学齢期の情勢と課題

(1)続く「コロナ禍」での学校教育の困難と課題
 新型コロナ感染症オミクロン株の感染拡大による第6波は、これまでにない感染者数を記録する大流行となり、若年層、学齢期の児童・生徒にも感染が拡大しました。学校現場ではこの間、学級閉鎖、出席停止などが相次ぐ一方、子どもの学び、生活を保障しようと、感染症対策、さまざまな配慮を講じながら、教育活動が続けられてきました。

 この時期、GIGAスクール構想の突出した推進もあいまって、タブレット端末の個人配布や学校におけるICT環境の整備が急速に進められ、オンラインによる授業も当たり前のように行われるようになりました。登校自粛や出席停止の中、オンライン授業を「出席」扱いとすることも行われました。それが必要な局面もありましたが、オンライン授業をつなぐことがあたかも教育保障であるかのように正当化される風潮は見過ごせません。子どもたちの学びは、オンラインで行っているからよいというものではありません。画面に注目することが難しかったり、直接的なふれ合いや教材を通してようやく外界を感じることのできる障害の重い子どもたちもいます。感染症に弱い医療的ケアが必要な子どもたち、病院や施設にいる子どもたちの教育保障は、オンラインか対面かの二者択一ではなく、両方があってこそだと言われます(『障害者問題研究』第50巻1号特集「入院中の子どもの教育」)。オンラインでは学びにくい障害のある子どもたちが置き去りにされていないか、子どもたちの学ぶ権利がきちんと保障されているか、改めて問う必要があります。

 そのような中で教員の働き方は、ICTの活用方法を身につけるための研修やICT活用の準備などに多くの時間を要し、ますます多忙化しています。また、ICTを活用する能力が教師の専門性として評価されたり、授業でICTを活用することばかりが求められたりし、教材を製作したり子どもたちについて話し合うといった教員に本来必要な時間が奪われています。ICT機器の使用が「子どもたちにとってどうなのか」といった検討なしに、「コロナ禍だから仕方がない」という風潮に流されてしまうのではなく、何のために活用するのか、どのように活用していくのかを問い直し、考えることが必要です。

 感染症の変異と感染対策の見直しの中、これまで中止とされてきた学校行事が、再開の方向へと動いています。しかし、3年も続く「コロナ禍」の影響は、けして小さくありません。たとえば卒業式、入学式、始業式などの学校行事は、縮小、簡素化され、それがスタンダードになりかねません。コロナ禍以前の学校へと動き出した今、教員の働き方改革を名目に必要以上に簡素化が進んでいないかを問い、学校の主人公である子どもたちにとっての意義や学び、そして各行事をはじめ、学校教育に込められていた教員の思いや願いを改めて確認し合うことも必要です。

 感染症対策の中での教育活動はまだまだ続くと思われます。それらが及ぼす子どもへの影響をきちんと捉えつつ、その中で、子どもたちの願いや学びを保障する教育活動をめざし、保護者や同僚としっかりと手をつなぎ、思いを確かめ合って教育実践をすすめていくことが求められます。

(2)子どもに合った学びの創造
 「コロナ禍」が続く中、学校現場では、ICT環境の整備が急速に進められ、GIGAスクール構想も相まって、「一人一台端末」という状況が作り出されました。「新しい時代の特別支援教育の在り方に関する有識者会議」の報告は、新時代の特別支援教育が目指す方向性として、ICT環境の充実と教師の活用スキルの向上を強調し、「令和の日本型学校」を謳う中教審答申では「協同的な学び」と並べて「個別最適な学び」が示されています。ICTを活用した教育の「個別化」は、対面授業とICTの組み合わせが想定されたもので、従来の校教育の仕組みや形態を少しずつ変えていこうとする意図が読み取れます。

 タブレット端末ありきのこの流れは、これまでの対面での授業の価値、集団での学びの価値を軽視していると言わざるをえません。改めて、学習指導だけにとどまらない学校の役割や、そこで行われている実践の価値、子どもたちの発達や学びの事実を確認し合うことが求められます。

 経済産業省のかかげる「Society5.0」は、人材育成に応じた教育を進めようとする文科省の姿勢にも重なり、個別に能力を伸ばすという「個別最適な学び」につながっています。そもそも学校は「人材育成」の場ではありません。能力重視、人材育成という教育観を問い、私たちが大切にしてきた、子どもの発達を保障する豊かな学びと、それを実現する教育実践を創造していくことが求められます。

 教育のICT化は、教育現場にさまざまな産業、企業参入をもたらそうともしています。教師の働き方改革、専門性の向上などを名目にした学習アプリなどでの導入は、一人ひとりの子どもに向き合い、創意工夫をして行われてきたこれまでの実践の価値や教師の専門性をゆがめてしまいかねません。教員免許更新制が廃止される一方で、教員の特別支援教育に関する専門性向上を名目に、通常学校の教員が特別支援学校等での勤務を経験することを義務化するといった動きがあることも見過ごせません。教員の専門性は、決してICTの活用スキルなどに解消できるものではありませんし、特別支援学校での勤務経験があればいいということでもありません。子どものねがい、保護者のねがいに寄り添い、集団的に子どもを深く理解することや、目の前の子どもにあった学びを創造していくことこそ、譲り渡すことのできない専門性の核心なのではないでしょうか。
 
(3)教育条件整備をめぐる現状と課題
 2021年9月、これまで特別支援学校にだけなかった「特別支援学校設置基準」が、ようやく制定されました。これは、十数年にわたる保護者、教職員、市民のねばり強い運動の成果です。設置基準は、学校を設置する上での「最低の基準」であり、今後、特別支援学校で学ぶ子どもたちの教育条件の改善を図っていく上での土台を築くことができたという大きな意義があります。けれど、制定された基準は、決して十分なものとは言えません。在籍児童・生徒数の上限が規定されなかったため、過大校の問題は容認されます。また、特別教室の種類や数はまったく明記されませんでした。さらに、既存の学校については適用が猶予されたため、「カーテン教室」に代表されるような教室不足、過大・過密といった待ったなしの教育環境の問題が直ちに改善されることにもなりません。文科省による「公立学校施設実態調査報告」では、7000以上の教室不足が生じています。新たな学校建設の計画が示されていない、教室が新設された特別支援学校でさえ、すでに教室不足が生じているなど、教室不足は常態化し、未だ放置されたままです。設置基準は制定されましたが、引き続き、基準の見直し、改善や教室不足の解消をめざす運動が求められます。

 教育条件が劣悪なのは、特別支援学校に限ったことではありません。特別支援学級、通級による指導、通常学級においても同様です。特に教員不足の問題は深刻です。昨年4月の文科省の調べでは、2500人以上の教員不足が生じています。そのしわ寄せを受けるのは子どもたちです。

 通級指導教室では、在籍に年限が示される地域があったり、担当する児童生徒の数が増やされ、子ども一人あたりの指導時間が減ってしまったりといったことが生じています。そのような中、文部科学省は、特別支援学級に在籍する児童生徒については、「原則として週の授業時数の半分以上を目安として特別支援学級において(略)授業を行う」ことなどを、特別支援学級などの「適切な運用」として全国に求める通知を発出しました。どこの地域、どこの学校でも通級指導が自校で必要なだけ受けられるための条件整備を欠いたまま、こうした機械的な「目安」を教育現場に押し付けるなら、その子に必要な特別な支援を基礎づける制度的基盤を欠いたまま通常学級に放り出される子どもたちは確実に増加します。

 どの子にも行き届いた教育条件のもとで豊かな教育保障をというねがいは、教育環境の整備に留まらず、教師一人ひとりが、子どもにじっくりと向き合い、子どもとともに豊かな教育実践を繰り広げることのできる自由をも求めます。このことこそが教師の名にふさわしい専門性を培っていく条件だからです。こうした観点からも、行き届いた教育条件を整え、必要な教員配置を求める運動続け、広げていきましょう。
 
(4)ゆたかな生活のための放課後保障
 放課後や休日の生活を支える放課後等デイザービスは、この間も感染症対策を講じ、さまざまな工夫をしながら子どもと家族への支援を続けています。感染症拡大の中で、「通所自粛」ややむを得ない休所もあり、日額報酬制=出来高払い制度のもとで大幅減収となった事業所が多発しました。にもかかわらず、これに対する策は講じられていません。

 2021年4月からの報酬改定によってもたらされた問題にも目を向ける必要があります。この報酬改定によって、事業存続と実践のあり方の両方にわたるさまざまな問題が持ち込まれました。改定で基本報酬が引き下げられ、資格のある職員の配置に対する加算が廃止されたことによる減収は大きく、事業所運営を困難にしています。一方、新設された個別サポート加算、専門的支援加算の二つの加算は実践にも影響します。個別サポート加算は、子どもの障害の状態を判定して加算をつけるかどうかを決めるというこれまでにない仕組みです。子ども一人に対する働きかけ、支援ごとに値段がつけられるようなこの仕組みは、子どものねがいに寄り添い、ゆたかな生活や発達を保障しようとする放課後実践をゆがめかねません。専門的支援加算は、事業所に理学療法士等の配置をした場合の加算ですが、放課後活動における「専門性の高い支援」とは何かという問題と関わります。次期2024年報酬改定では「特定プログラム特化型」(仮)という放課後活動の類型化も予定されており、子どもたちに、ゆたかな放課後生活を保障する実践とその専門性について検討を深め理論化していくことがいっそう求められることになります。

 学校、家庭、放課後の場は、学齢期にある子どもたちにとってどれも欠かせない時間と空間です。子どもたちの生活、健康やいのちを守るために、それぞれの関わる人びとの連携は不可欠です。コロナ禍により、学校との連携が以前にも増して難しくなったとの声が聞かれます。学校教育と放課後等デイサービスなどの事業とが相互に連携、協力する関係づくりを意識的にすすめ、地域の関係者をむすぶ全障研らしい活動を広げていきましょう。


Ⅲ 成人期の情勢と課題

 新型コロナウイルス感染症の流行が続く中、成人期施設では仲間が安心・安全に生活するために細心の注意を払いながら実践を展開しています。一方、障害のある人たちの暮らしが、長期にわたって多面的な困難に直面する中で、青年期から高齢期にいたるいくつものライフステージにわたって、生活を保障する制度的な基盤の脆弱さが鮮明になっています。

(1)働く場の課題
 障害者総合支援法による日額報酬制は、コロナ禍において障害者の働く場の運営や障害者の生活に対しても大きな影響を与えています。

 きょうされんは3回の「新型コロナウイルスの影響に関する生産活動・工賃実態調査」を行っています。第3回の調査では、6割の事業所でコロナ禍以前より生産活動の収入が減収となったことが報告されています。一方で、減収を補うはずの「生活活動活性化支援事業」補助金は、対象事業が就労継続支援に限られているという問題点をもつ上に、上述の調査では、就労継続支援事業所であっても、申請した事業所の6割強が「要件に該当しなかった」ために給付されなかったと回答しています。こうしたことを背景として、半数以上の事業所で障害者の賃金・工賃が減額しています。しかし、行政による対応は不十分であり、それぞれの事業所で新たな収入源を確保する独自の努力が重ねられているのが現状です。

 働く場の課題は、そこで働く職員の生活にも影響を与えています。

 政府は内閣官房に「全世代対応型の持続可能な社会保障制度を構築する観点から、社会保障の総合的な検討を行う」ため、「全世代型社会保障構築会議」を設置、2021年11月から同会議を開催し、この会議の下に公的価格評価検討委員会を設けています。そこでは、障害者福祉に携わる職員の処遇改善として2022年10月以降について臨時の報酬改定を行い、収入を3%程度(月額平均9千円相当)引き上げるための措置を講じることを検討しています。しかし、この程度の引き上げでは他職種の平均月収から10万円ほど低いとされている状況を根本的に改善することはできません。福祉労働者のこのような劣悪な労働条件などを背景として、成人期施設では慢性的な職員不足が生じ、また働き続けることが困難になっています。

 こうした中でも障害者支援の場で働く多くの職員は真摯に実践に向き合っていますが、社会福祉の場にも経済競争を持ち込み、政府の公的責任を縮小しようとする新自由主義的な施策の影響が渦巻く中、実践がうまくいかないのは自分自身の力量の不足に原因があると考えさせられ悩んでいます。その背後には、職員を個別化することで孤立させる自己責任論の根深い影響があります。しかし、一人一人の職員が孤立するのではなく集団として実践に向き合い、やがて制度的な矛盾にも目を向けることができるような職場づくりの取り組みも報告されています(発達保障研究集会での茨城・あすなろ園の報告)。こうした実践にも学びながら、自己責任論に基づく孤立化の罠を乗り越える職場づくりをすすめたいものです。

(2)「暮らし」の課題
 3年ごとの障害者総合支援法見直しの作業が行われ、2022年6月に報告としてまとまっています。報告は、居住支援として「地域生活への移行」においてグループホームを強調、医療的ケアや強度行動障害のある人が利用できるグループホームの整備も求めています。またさらに「一人暮らし」をめざす計画をたてたり利用期限を設定するなど、十分な条件を示さないままさまざまな機能・役割をグループホームに課そうとしています。

 NHKの取材では入所施設での生活を希望し、待機している障害者が昨年の時点で、少なくとも27都府県で延べ1万8640人に上ることが報じられました。しかし、この数字は氷山の一角にすぎません。このNHK報道では、20の道府県は待機者の人数すら把握しておらず、国も調査を行っていないことから、実態はさらに多いとみられることも指摘されています。高齢の親が障害のある人の介護をする「老障介護」が問題となっていますが、その背景には民法の扶養義務などに代表される、障害者の生活支援における家族依存があります。

 障害者権利条約第19条「自立した生活及び地域社会への包容」には「(a) 障害者が、他の者との平等を基礎として、居住地を選択し、及びどこで誰と生活するかを選択する機会を有する」と謳われていますが、現実には、「地域生活」の名の下に、障害者・家族が、支援の貧しい特定の生活様式を強要される事態が起こっています。地域生活への移行を言うのであれば、行政は障害者・家族の高齢化・重度化などの実態を正確に把握するとともに、必要な法整備と重点的な予算措置を行わなければなりません。

 様々な矛盾や弱点をはらみながらも、医療や福祉などの発展によって、障害者が高齢期をすごすことができるようになってきました。しかし、高齢期を迎えてもゆたかな生活を送ることができる制度などの整備は、65歳を境に介護保険制度への移行を強要される「65歳問題」に象徴されるように、十分ではありません。特に、高齢化・重度化に対応できる医療制度の整備と、医療と連携した福祉制度の構築などは急務です。私たちの研究運動においても、医療関係者との連携をさらに強く、太くしていくことが課題となっています。

(3)政治的及び公的活動への参加及び生涯学習の課題
 国の政策のあり方を障害者の権利を保障する方向へ変更させていくためには、障害者自身の声を政治に反映させていくことが欠かせません。そのためには、政治的及び公的活動への十全な参加が必要です。障害者権利条約第29条には「政治的及び公的活動への参加」が規定されていますが、日本の状況は不十分です。

 玉野裁判(1980年、言語障害のある玉野ふいさんが知り合いに候補者の文書を手渡したことで逮捕されたことに対して、公職選挙法の問題性を訴えた裁判)以降、公職選挙法の改正が適切に行われておらず、障害者の参政権は十分に保障されているとはいえません。JD(日本障害者協議会)や障害をもつ人の参政権保障連絡会では、障害者の参政権の状況について調査し、障害者の適切な参政権保障のあり方を検討しています。投票においては環境整備が推進され、障害者権利条約や障害者差別解消法で定められた「合理的配慮を欠く」問題事例は正されなければなりません。また、障害者が政治参加の権利を含む人権の主体者となるための学習の機会の確保は生涯学習の課題でもあります。

 障害者権利条約第24条では、生涯学習の機会の確保が謳われていますが、日本においては障害者の高等教育を含む18歳以降の教育の保障は、障害の種別や程度による格差を含みつつ、全体としてきわめて限定的な水準にとどまっています。福祉制度を利用した福祉事業型「専攻科」が全国的に広がり、新たな学びの可能性が模索されていますが、そこでの実践のあり方とともに、教育年限の延長を含め、学びの場をどう創造していくのかを検討していくことも課題です。



Ⅳ 研究運動の課題

(1)オンラインの長所と短所をふまえて学び合いを広げよう
 2020年以降、新型コロナウイルスの広がりを背景に、私たちはオンラインを活用した取り組みを進めてきました。

 2020年8月に「全障研オンライン集会」を実施したのに続き、2021年8月には第55回全国大会(静岡)をオンラインで開催しました。今回の第56回全国大会(兵庫)は、そうした経験をふまえてのものです。

 今年の2月から3月にかけて、オンデマンドで開催した「教育と保育のための発達診断セミナー2022」には、700名以上の参加がありました。

 2017年に始まった「『障害者問題研究』を読む会」は、2020年の夏からはオンライン開催になり、参加者が広がっています。また、研究推進委員会が主催する「オンラインゼミ」も今年から始まり、第1回~第3回には障害のある子どもの療育や学校教育について学び合っています。

 オンラインによる取り組みを展開している支部・サークルも少なくありません。

 オンラインを活用することにより、地域の隔たりを超えて学習会等に集まることができます。従来は参加が難しかったような他支部の企画に参加することも可能です。そして、移動に困難を抱える人、家庭を離れにくい人なども、オンラインであれば参加しやすいという場合があります。

 一方で、オンラインによる取り組みは、ICT機器の用意が必要になりますし、機器の操作やオンラインの環境になじみにくいと参加が困難です。自宅ではオンラインの集まりに落ち着いて加わりにくい場合もあります。また、一人ひとりの「つぶやき」や仲間どうしの「雑談」も、私たちの研究運動には欠かせないものですが、オンラインでの話し合いでは気楽な発言が難しくなりがちです。

 2年間にわたる様々な取り組みを検証し、オンライン活用の利点と難点を検討しつつ、私たちの研究運動を工夫していきましょう。

(2)レポートをつくり、実態や実践を共有しよう
 みんなで話し合うこと、実態を出し合うこと、実践を語り合うことの大切さを改めて確認したいと思います。

 私たちの研究運動は、いわゆる「研究者」だけが取り組むものではありません。一人ひとりが研究運動の担い手です。

 一人ひとりが直面している実態や、それぞれの取り組みを交流することで、私たちの認識は豊かになっていきます。障害者・家族・職員といった立場を超えて語り合えること、職種や職場を超えて集まれることは、私たちの研究運動の特徴です。

 「ささいなこと」「話すほどではないこと」のなかにも、きちんと受けとめるべきものがあります。どのような規模のものであれ、実態や実践を語り合う機会は、かけがえのないものです。

 実態や実践を書いてまとめることも大事にしていきましょう。一人ひとりが自分自身の思いや願いを書くことも、研究運動の重要な一環です。

 実践を書くことで、自分の実践を振り返ることができますし、仲間と実践の経験を共有することができます。多忙ななかで実践を文章にまとめるのは大変なことですが、実践を書くことの意義は小さくありません。単行本『子どものねがいと教師のしごと』と結んでの「学びの”わ”プロジェクト」も進めてきましたが、各サークル・各支部の取り組みのなかでも実践検討の場を豊かにしていきましょう。

(3)社会の課題に向き合おう
 身のまわりの実態や日常の実践に加えて、私たちの社会の課題に目を向けることも必要です。

 障害者の存在を根底から脅かすような問題に関しても、考えていく必要があります。旧優生保護法のもとでの不妊手術の強制については、国の責任を問う訴訟運動が展開されています。一方、厚生労働省は出生前検査を全妊婦に周知する方針を示しており、出生前検査の拡大が懸念される状況があります。障害のある当事者で優生保護法等について考える集まりもされていますが、そのような取り組みを深め、広げていくことが重要です。

 軍隊・戦争をめぐる問題も、障害者の権利保障と切り離せません。ウクライナでは今年2月に戦争が始まってしまい、子ども・障害者・家族の苦難が伝えられてきました。戦争は、障害者の権利保障と両立しません。日本においては、戦争放棄や戦力不保持を定めた憲法9条を守り、憲法9条を現代に輝かせる必要があります。戦争と平和について学び、考え、話し合うことを大事にしていきましょう。核兵器の廃絶に向けては、2021年1月に発効した核兵器禁止条約の意義を確かめる学びも大切です。

 気候変動の問題も、忘れてはならないものです。世界の温室効果ガス排出量が減少に向かう流れは見えておらず、熱波、洪水、嵐、水不足、食料不足、感染症の拡大、生物多様性の喪失といった災厄が科学的に予測されています。そうした災厄は、子ども・障害者にとりわけ大きな悪影響を及ぼすものです。気候危機の克服も、私たちが真剣に向き合うべき課題です。

(4)仲間づくりを進めよう
 ここまで述べてきたことからも明らかなように、私たちの研究運動には、ともに取り組む仲間の存在が不可欠です。仲間を広げつつ、研究運動を進めていきましょう。

 その際、月刊誌『みんなのねがい』は、私たちの研究運動の軸になるものです。障害者や家族、さまざまな職種の実践者などが書き手として登場し、障害者の権利保障・発達保障をめぐる問題を幅広く考える誌面は、他誌には見つけにくいものです。読者会の開催、感想の交流も交えながら、『みんなのねがい』の輪を広げていきましょう。

 季刊誌『障害者問題研究』は、ときどきの重要な課題を深く考えることができるものです。「研究誌」であるため、一人で読み通すのは簡単ではないかもしれませんが、「『障害者問題研究』を読む会」では、執筆者と読者とが直接的に言葉を交わすことができますし、同じ課題に関心をもつ仲間と感想や意見の交流をすることもできます。

 全障研出版部が刊行する単行本も活用しながら、仲間と話し合うことを大切にして、活動を進めていきましょう。

 全障研の仲間が広がり、『みんなのねがい』の読者が増えることは、私たちの研究運動の土台を豊かにします。さまざまな人、たくさんの人が研究運動に参加することで、多様な実態、多彩な実践を共有していくことができますし、障害者の権利保障・発達保障のための力が大きくなります。

 私たちの研究運動は、「ひとりぼっちをつくらない」ことを大事にしてきました。「ねがい」を話せる場、仲間と語り合える場、実践について考えられる場を探している人は、少なくありません。私たちの結びつきを確かなものすることが求められます。

 障害者の権利保障・発達保障をめざして、仲間を増やしながら、私たちの研究運動をつくっていきましょう。

ーーーーー


基調報告案へのご意見は、7月25日までに、文書でお寄せください。

全国事務局
 メール info@nginet.or.jp
 FAX   03-5285-2603

 

2022年07月01日

連載<もう一つの「発達のなかの煌(きら)めき」>第3回解説版

もう一つの「発達のなかの煌(きら)めき」第3回

  2022年6月

  白石 正久・白石 恵理子



第3回 乳児期後半の発達の階層‐段階

 「もう一つの『発達のなかの煌めき』」(以下では「もう一つ」)をお読みくださり、ありがとうございます。

 連載第2回(5月号)を読んでくださったベテラン保育士さんから、「重症児を担当することになった同僚の若い先生にさっそくすすめました」と伺いました。ゆっくりゆっくり時間をかけて発達していく子どもたちに接していると、ときに自分の仕事の意味を見出せなくなる焦りを感じてしまうことがありますが、「人がかかわることの値打ちが、こんなふうにあるんだよ」ということを伝えたいと思ったとのことです。連載が、人と人をつなぐきっかけになっているのかなと、とても嬉しくお聞きしました。

 さて、連載第3回(6月号)の「子育てを応援する地域づくり―『新しい発達の力』が親、地域、社会を変える」では、横軸に乳幼児健診や子育て支援、縦軸に乳児期後半期の発達をとりあげました。

 まずは、乳児期後半の発達についてみていきましょう。


乳児期後半の発達の階層
 第1回の「もう一つ」で解説したように、乳児期前半すなわち「回転可逆操作の階層」につづく乳児期後半の「連結可逆操作の階層」は、6、7か月ころから1歳前半までの大きな発達段階(大きな発達段階を階層とよびます)であり、そのなかに「示性数1可逆操作期」(7か月ころ)、「示性数2可逆操作期」(9か月ころ)、「示性数3可逆操作期」(11か月ころ)という3つの段階が含まれています。『新版・教育と保育のための発達診断・下巻』(以下では『下巻』)の6ページの図2「発達段階の説明図」を参照してください。

 乳児期後半になると、子どもたちは外界の人やモノに積極的に働きかけながら世界を拡げていきます。乳児期前半では、基本的な姿勢は臥位(あおむけやうつぶせなどの寝ている姿勢)であり、まだ移動の自由を獲得していません。しかし、乳児期後半になると、寝返りでゴロゴロ動いたり、這い始めたりしながら、行きたいところに行く自由を獲得していきます。また、モノをつかんだり放したり振ったりつまんだり…と、手の自由も拡がっていきます。つまり、乳児期後半とは、外界との交流が格段に広がる時期なのです。「連結可逆操作」とは、その際の外界との結び目(結節点)とおさえておきましょう。その結び目(結節点)が順に増えていくのです。

 個人的には、外界との結び目(結節点)を連結可逆操作とよぶのはわかるし、「連結可逆操作の階層」という呼び方はすんなり理解できるのですが、そのなかの各発達段階の名称はどうして「示性数」になるんだろう???と悩みました。きっと多くの方がそうだろうとお察しします。一瞬、「連結1可逆操作期」「連結2可逆操作期」「連結3可逆操作期」としてくれた方がまだとっつきやすいのに…と思ったのですが、ただこれだと、電車の車両がたてにつながっていくイメージになってしまいますね。田中昌人さんも、それではまずいと思って、別の用語を探したんじゃないかと想像します。ちなみに、「示性数」とは、位相幾何学(位相数学)の用語らしいです。

 でも、こうした用語が並ぶと、やっぱり心が引いてしまいます。前回も書いたように、それぞれの発達段階のことを理解していくうえで、ヒントになることがその名前には隠れているらしい(・・・)というくらいでいいと思います。具体的な子どもの姿から考えていきましょう。

 ということで、前回の乳児期前半の階層から、今回の乳児期後半の階層にどう飛躍的移行をなしとげるのかについて、まずは考えます。
 

乳児期後半への飛躍的移行
 5月号「あなたといっしょに、もっと生きたい」のハルちゃんの記述を振り返ってみましょう。

  ハルちゃんは、たんに先生のはたらきかけが心地よいからではなく、それぞれの先生たちのことを知り分け、その人をその人としてわかって微笑むようになったのでしょう。そして、その人がいるから、『もう一つ』の『心の窓』をも開いていきます。この対の『心の窓』こそ、いろいろな事物や人間関係を取り込んでいくための外界との結節点になります。それはまさに、乳児期後半の発達の階層への飛躍のための『生後第1の新しい発達の力』が誕生した姿です。

 前回の「もう一つ」にも書いたように、「新しい発達の力」は、各階層の第2段階から第3段階への移行期において誕生する力で、「生後第1の新しい発達の力」は通常4か月ころに誕生します。この力は、次の大きな発達の階層への飛躍的移行を準備するものです。

 ハルちゃんは、障害によって姿勢保持にも追視にも困難を抱えていたのですが、日々かかわってくれる先生たちの声を聞き分け、さらに聞き分けるのみならず、「大好きな先生だ」「いつもの先生だ」と知り分けていったのでしょう。その先生への「心の窓」は、今度は、先生がさしだすものや用意してくれる世界に気持ちを向ける対の「心の窓」を開くことにもつながっていきます。

 発達検査の課題としては、追視やリーチング(モノに手をのばす行為)をみる時期ですが、それは決して、目の前のガラガラや積木といった刺激への反応をみるだけではありません。4か月ころになると、ガラガラや積木を追視するだけではなく、検査者の顔もよく見るようになります。「あなたは、このおもちゃで遊ぼうとしているのね」と問いかけてくれているようです。そのまなざしに「そうよ。これで遊ぼうね。面白いよ」などと対話をするつもりで、おもちゃをさしだすのと、唐突に子どもの眼前におもちゃをつきだすのでは意味が異なるし、実際、子どもがみせる姿も違うように思います。

 さて、通常、4か月での対追視は、あるときは右方の積木を目で追って、でも次の試行では左の積木を目で追って…というものですが、これが徐々に、右を見て、左を見て、また右を見返って…というような可逆対追視になっていきます。4か月ではまだ、「反対側にもいいことがありそうだ」というようなものですが、そこから2か月くらいかけて、自分で両方を確かめる力に変えていくのです。また、積木を見て、相手を見て、積木を見て…を繰り返したあとに積木に手を伸ばすというのも、可逆対追視のあらわれかたと言えます。こうして、確かめたり比べたり選んだりという主体性をより発揮して外の世界に向きあっていきます。その営みをくぐることによって、モノにつられて手を伸ばそうとするのではなく、「これをつかむんだ」という、より自分の意志をともなったリーチングに質を変えていくのです。こうしたリーチングが明確になると、モノを見比べる可逆対追視は表面的にはみられなくなります。

 また「見る」だけではなく、右にゴロンと寝返って元に戻り、今度は左に寝返って元に戻るといった寝返り運動を繰り返す姿、右手にもったものを左手に持ち替えて、また右手に持ち替えて…を繰り返す姿にもつながっていきます。寝返りの次はハイハイ、片手に持ったら今度は両手に持てるようになって…と、おとなはともすると先へ先へと急ぎがちで、こうした繰り返しの姿はもどかしくも思えるのですが、子どもたちは、たくさんの対を自分で生産しながら、世界を自分の力で確かめているのです。新しい発達の階層へ移行するという大事業を、時間をかけて行っている姿として、ゆっくりと見守ってあげたいものです。


「連結可逆操作の階層ー段階」の特徴
 次に、連結可逆操作の階層-段階の特徴を、もう少しみていきましょう。

 生後7か月ころの「示性数1可逆操作期」では、上述したように、モノに対し片手を寄せて取り込み、それを右から左、左から右に持ち替えて遊ぶ姿が多くみられます。もったモノを口に持っていって確かめる
ことも多い時期です。しかし、二つ目のモノに対しては、まだあまり関心を示さなかったり、あるいは二つ目に手を伸ばそうとして、最初のモノを落としてしまったりします。すなわち、外界との結び目が基本的に「一つ」なのです。

 9か月ころの「示性数2可逆操作期」になると、両手にそれぞれモノを持って遊ぶことが増えます。スリッパなどを両手に持って、パンパンとたたくのも大好きな遊びです。外界との結び目が「二つ」になった姿です。目の前にたくさんの積木などがあると、片手に積木を持ったまま、もう一方の手の積木を放して、別の積木を取るように次々と持ち替えて遊ぶようなこともします。

 11か月ころの「示性数3可逆操作期」になると、両手にそれぞれ持ったうえで、目の前の相手に差し出したり、見せたり、あるいは器のなかに入れたりと、外界との結び目が「三つ」になります。

 姿勢・運動面ではどうでしょうか。

 生後7か月ころの「示性数1可逆操作期」では、うつぶせになり、おなかをつけて、時計の針のように右や左に旋回する姿がみられます。これも、外界との結び目が「一つ」と言えるでしょう。9か月ころの「示性数2可逆操作期」になると、よつばいのように、右側と左側を交互に前に進めていくような、結び目「二つ」の姿になります。さらに、11か月ころの「示性数3可逆操作期」になると、伝い歩きなど、平面の世界から立ち上がって「高さ」という軸をもつようになります。これは、結び目「三つ」の姿と言えないでしょうか。

 つまり「連結可逆操作の階層」では、子どもが外界に向かってはたらきかけていくときの「結び目」(結節点)が一つずつ増えていく、3つの発達段階が取り出されます(この乳児期後半の3つの発達段階は『下巻』の53~60ページで解説されています)。


発達段階から発達段階への移行
 次に、発達段階から発達段階への移行の時期についてみていきます。前回の「もう一つ」でも触れたように、発達段階から次の発達段階への質的変化にはエネルギーや人間的な支えを必要としており、それは「発達の障害」がはっきりとしてくるときでもあります(詳しくは『下巻』192~217ページ「Ⅲ 『発達の障害』と発達診断」)。

 それでは、移行のときである「示性数2形成期」と「示性数3形成期」について解説します。

・第1段階から第2段階への移行(示性数2形成期)と「人をもとめてやまない心」
 「示性数1可逆操作期」から「示性数2可逆操作期」へ向かう「示性数2形成期」(8か月ころ)では、二つ目の結び目を志向するようになります。一つのおもちゃだけではなく、もう一つのおもちゃも気になって、手を伸ばそうとします。しかし、実際には二つの結び目をつくるには至りません。また、目の前にあるおもちゃだけではなく、少し離れたところにあるおもちゃも気になります。そこに向けて移動しようとしても、坐位から伏位へと上手に姿勢を変えられなかったり、何とか伏位になって前に進もうとしても身体は逆に後ろにさがってしまったりと、ますます目標から遠ざかってしまうことも起きてきます。こうした矛盾の高まりは、子どもの心を波立たせ、泣くことが増えたり、夜泣きにつながったりすることもあります。

 二つ目を志向するのに実際には手に入れられない矛盾だけではなく、この「2」の形成期は、感受性や情動などにも変化があらわれる時期です(乳児期前半では「快-不快」でしたね)。おもちゃに手をのばしかけて、「あれ、何だろう」と、いつものおもちゃと違うことに気づいて手をひっこめたり、これまで以上によく見比べてから「こっちがいいわ」とばかりに選択的に手をのばしたりと、外界の変化やちがいにより敏感になる時期です。認知的には、ちょっと先の未来を予期できるようになり、また、目に見えない裏側の世界にも気づきはじめます。このような、違いに敏感になる感受性の高まりや予期の力は、「不安な心」をももたらすようになるのです。

 しかし、6月号でも述べたように、くすぐり遊びでは、最後の「コチョコチョ」の前に大笑いをするようになったり、イナイイナイバア遊びでは、ハンカチの向こうに大好きなおとうさんがいるとワクワクして「バア」と出てきた時に、「やっぱりいたあ」と嬉しくなったりしながら、遊びを通して、不安を期待につくりかえていきます。そうして期待につくりかえてくれるおとなのことが、ますます好きになっていくのです。「もっとして」とばかりに、相手を期待のまなざしでみることも増えるでしょう。

 もちろん、大好きな人になるからこそ、愛着も強まり、その人がいないと不安で仕方なくなるように、「期待」と「不安」はつながった関係であることもおさえておきましょう。

 自閉スペクトラム症の子どもたちの場合、変化への感受性がより強いことも多く、それが「不安」の高さとしてあらわれることも多いようです。「不安」の高さゆえに、外界の変化を受け入れにくく不機嫌さが続いたり、逆に、外の世界をシャットアウトするかのように自分の世界に閉じこもっているように見えることがあります。運動発達に遅れがみられる肢体不自由の子どもたちでも同じです。ずりばいをしかけていても、まるで、目に見えないバリアがあるかのように、そのバリアの外には絶対に出ようとしなかったり、特定のおもちゃにしか手を伸ばさなかったりします。でも本当は、人や周りの世界が気になっているのでしょう。急がずゆっくりと、子どもの「不安」を受けとめつつ、期待の心がつくられるような遊びを積み重ねていきましょう。
 

・第2段階から第3段階への移行(示性数3形成期)と「生後第2の新しい発達の力」の誕生
 「示性数2可逆操作期」から「示性数3可逆操作期」に向かう「示性数3形成期」(10か月ころ)になると、次の幼児期、すなわち直立二足歩行への準備をするかのように、立位という高さのある世界への志向性が高まります。高いところにあるモノに手を伸ばそうとし、階段などの段差も大好きになっていきます。まだ上手にハイハイできない子も、10か月ころになると、何も置いていない平面よりも、高さや段差がある方が意欲的に動こうとします。高さという抵抗を「発達的抵抗」にする力が芽生えるのです。ただ、こうした要求は、事故にもつながりやすくなるため、浴槽や、テーブルクロスなどには十分な注意が必要です。

 また、「示性数3形成期」になると、三つ目の結び目を志向するようになります。両手に積木をもってカチカチと打ち合わせるだけでなく、両手に持ったまま、机上にある3つ目の積木にも手を近づけていきます。器があれば、手に持ったものを器に近づけていきます。

 同時に、「三つ目の結び目」は相手との間でもつくられていきます。遊びはじめる前に相手をじっとみつめたり、両手を使って遊びながら、視線も相手によく向けてきたりします。それまでは、ほめられると嬉しくて、その遊びをさらに繰り返していたのが、ほめてもらうことを期待して、相手に自分の遊びを見せようとしているかのようです。また、誘いかけられてもすぐには手を出さずに、じっと相手をみつめ続けるまなざしには、相手が自分に何 を求めているのかを探っているのだと感じます。4か月児が、あやされてもすぐに笑わなくなり、相手がわかってから微笑みかけるように、10か月児もまた、相手の意図を探り、その意図がわかってから遊び始めるのでしょう。この探りを入れているときに、おとな側のペースでコトを進めようすると、うまくいきません。「やらされる」と感じて、とたんに逃げ出したくなる気持ちは、私たちと同じですよね。

 また、8か月ころに培った「人をもとめてやまない心」は、この10か月ころの、相手の意図と対等にむきあっていくところで大きな支えとなります。「ボール、ポンしてね」「ここ、ナイナイしようか」「先生にちょうだい」等と言われ、その求められていることが何となくわかっても、それに応じるためには、かなりの勇気が必要です。発達検査の場面では、相手の意図を感じるからこそ、後ろにいるおかあさんを何度も何度も見返ります。大好きなおとなとの間で育んできた安心感が、新しい世界への挑戦につながっていくのでしょう。


 この「生後第2の新しい発達の力」が誕生する時期には、戸外に出ること、おとなの生活に一緒に入っていくこと、おとなだけではない子ども同士の関係があることなどが、より重要になってきます。外に出れば自分から見つけていける世界が拡がります。おとなの生活にはワクワクする魅力がいっぱいです。子ども用に買ったおもちゃでは遊ばないのに、台所のおなべやしゃもじには生き生きと目を輝かすことがありますよね。また、おとなと子どもの違いはよくわかっています。きょうだいや友だちなどの存在もまた、「新しい発達の力」を芽ばえさせた子どもたちが、発達の主体になるうえで不可欠なのだと考えます。

 この10か月ころの発達と発達診断については『下巻』の61~70ページをご参照ください。


子育てを「自己責任」にしないで
 6月号でふれたように、1970年代前半に、全国に先駆けて乳幼児健診のシステムや早期対応のシステムをつくりあげた滋賀県大津市では、試行錯誤の末、乳児健診の時期を4か月、10か月に設定しました。なぜ、4か月、10か月だったかは、これまでの連載や「もう一つ」からおわかりいただけたかと思います。次の階層への飛躍的移行のための「新しい発達の力」の誕生に焦点をあてることで、障害の早期発見と同時に、先を見通した育児への応援をしようと考えられたのだと思います。

 4か月児健診の場では、おかあさんから「最近、以前のように声が出ないのですが大丈夫でしょうか?」という主訴が出されることがありました。以前できていたことができなくなるというのは、保護者にとって不安なことですよね。そうした主訴に対し、「大丈夫ですよ。これから赤ちゃんの後半にむかっていくための準備がはじまったんですね」とお答えしていました。つまり、それまで何気なく見ていた相手や外界に対し、よりしっかりと主体的に見つめるようになったために、一時的に声が潜(ひそ)むのだと思います。実際に、「声が潜む」時期を過ぎると、今度は自分から相手に呼びかけるような、自ら人間関係をつくりだしていく声に変わっていきます。

 また、10か月児健診では、離乳食を食べなくなるという主訴が増えることを6月号に書きました。これも、次の幼児期にむかう変化の兆しなのです。こうした、一見、マイナスに見える変化は、子どもたちがまさに発達の主体として自分をつくりかえようとしているからこそなのでしょう。そうした変化をおかあさん、おとうさんと一緒に共有し、子どものもっている発達の力を愛(いつく)しむきっかけになってほしいと切に願います。

 もちろん、障害や虐待の発見も健診の重要な役割です。医療機関等ですでに障害や疾患が診断されている場合には、そのことをふまえた育児の相談や、療育、福祉等について伝えていく責任が行政にはあります。

 しかしながら、こうした健診を民間委託しようとする動きが強まっています。健診の民間委託は、行政の公的責任を後退させ、育児や障害を「自助」「自己責任」の対象にするものです。もちろん、保護者のなかには、自分で調べ、情報を得て、様々な機関をコーディネートして使おうとする方もいらっしゃいます。しかし、多くの保護者はそうではありません。日々起きる子どもの変化に、とまどい、たじろぎながら、子育てをしているのです。一人ひとりの子どもは親の一部ではなく、一人の人格をもった存在なのですから当然のことです。そうしたとまどいやたじろぎに共感し、親が親になっていく道すじを応援するのは行政と社会の役割です。

 かつて一緒に仕事をしていた保健師さんが、家庭を訪問するときは、できるだけ電車やバスを使うと話されていました。電車やバスのなかで聞こえてくる会話から、その地域に住む人たちの健康や子育てに関する不安やねがいを知ることができるから、という理由でした。もちろん、時代も変わって、今はSNS等が主役になっているのかもしれません。しかし、この保健師さんの姿勢は、住民からの訴えを待ってそれに応えるだけでは、本当に住民一人ひとりが暮らしやすく子育てしやすい地域づくりにはならない、自分から地域に分け入り、声にならない声を拾いながら仕事や施策に結びつけていくのだということなのだと思います。そうした努力の積み重ねでつくられてきた自治体の仕事を、安易に民間に委託するということがあってはならないと考えます。

子どもの発達の権利を守る国に
 折しも、「こども家庭庁」設置、「こども基本法」制定が国会で審議されています。子どもの権利を守り育てることは、国のありかたとして当然のことであり、先進国中で最下層というあまりにも不十分なこれまでの施策と予算を、一気に塗り替えるだけの方針転換が必要です。

 しかし私たちは、その法案を読んでかえって大きな心配をもちました。子ども施策が、虐待や少年犯罪などの事象への対策に偏重し、根本の問題でもある子ども施策の貧困を改めようとする姿勢がありません。そして、将来の労働力の確保のために、子どもの「自立」を図ろうとする意図が透けて見えてしまいます。社会防衛、社会効用のために子ども施策を考えないでほしいと率直に願います。

 また、「こども基本法」案には多くの賛意も寄せられていますが、国連・子どもの権利条約第6条の定める子どもの基本的権利、「生命」「生存」「発達」を明記せず、「発達」は「成長」にすり替えられようとしています。全障研は、「発達の権利を保障する」ことを目的とする研究運動の団体ですが、その立場から出された声明には、力強い願いが表明されています。学び、子どもの未来のためにみんなで力をあわせていきたいと思います。

声明「日本国憲法と子どもの権利条約を遵守し、子どもの発達の権利を真に保障する基本法を」(2022年5月26日) 

 また、「こども家庭庁」の設置にともなう児童福祉法の改定法案のなかで、児童発達支援センターの「福祉型」と「医療型」の一本化などが提案されています。これは、現在の児童発達支援センターのありかたに大きな変更を迫るものであり、内容を検討して意見表明が必要だと思います。全障研「みんなのねがいWEB」のなかのリンク「子どもの支援」をクリックしていただくと、「障害乳幼児の療育に応益負担を持ち込ませない会」のサイトに到達できます。それらを学びつつ、私たちの願いを形あるものにしていきましょう。

今回の学習参考文献
・白石正久・白石恵理子編(2020)『新版・教育と保育のための発達診断・下巻』全障研出版部
・稲沢潤子(1981)『涙より美しいもの―大津方式にみる障害児の発達』大月書店(本書は古書サイトからの入手になります)


「もう一つ」の第3回PDF版

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2022年06月01日

声明=日本国憲法と子どもの権利条約を遵守し、子どもの発達の権利を真に保障する基本法を

声明
日本国憲法と子どもの権利条約を遵守し、子どもの発達の権利を真に保障する基本法を

  2022年5月26日
  全国障害者問題研究会常任全国委員会


 私たちは、障害者の権利を守り、発達を保障するために、自主的・民主的研究運動を発展させることを目的としている研究運動団体です。
 現在、「こども基本法」案が国会で審議されています。基本法の制定は、子どもの権利条約批准(1994年)以来、国内法の中軸として待ち望まれていましたが、今国会で審議中の法案のままでは子どもの発達と権利を保障することができないと考え、意見を表明します。

 「こども基本法」案は第1条(目的)で、「児童の権利に関する条約の精神にのっとり」といいます。しかし、法の重要な位置にある目的規定には、単に「条約の精神にのっと」ることではなく、「条約を遵守する」ことが明確に示されるべきです。このことは、締結した国際条約を「誠実に遵守する」ことを定めた日本国憲法第98条に照らしても当然です。子どものための基本法の前提として、子どもの権利条約が示す諸権利を実現する立場を明らかにすることを求めます。

 政府は、「こども基本法」案や児童福祉法等の子どもに関する現行の法律において、「発達」をしばしば「成長」(growth)、「自立」(independence)にすり替え、あるいは並列して用いています。「こども基本法」案第一条(目的)の「ひとしく健やかに成長すること」、同第二条(定義)の「健やかな成長に対する支援」、同第三条(基本理念)の「成長及び発達並びにその自立」などです。
 一方、子どもの権利条約第6条は、条約の一般原則として、生命、生存、発達の権利を定めています。この条項を構成する発達(development)は国際的議論において、一人ひとりの潜在的可能性を実現するという概念として発展してきました。そのための条件を保障されることが子どもの重要な権利なのです。また、「発達」の概念には、差別や戦争、搾取などの権利侵害から民主主義的な過程を経て、権利として勝ち取ってきた歴史が内包されています。このようなものとしての「発達」を軽んじ、成熟という意味の「成長」、独立・自活という意味の「自立」を打ち出すことは、子どもの政策を社会の存続や経済成長を志向する人材づくりに従属させることになります。現在の「こども基本法」案は、「発達」を軽んじるという点において、人類が獲得して豊かに発展させてきた発達の権利に逆行しています。

 「こども基本法」案第三条(基本理念)の五は、子ども施策において、養育における父母等の第一義的責任を認識するよう求め、「家庭での養育が困難」な場合に「家庭との同様の養育環境を確保する」と定めています。子どもの権利条約第18条は、どんな場合も保護者がその責任を果たせるように施策を講じることを締約国に求め、国の責任を明確にしているものであって、養育困難に限定するものではありません。だれでも第一義的責任が果たせるよう、すべての子育てに支援がゆきわたる施策を講じることが国の責任であると明記した条文に書き改めるべきです。

 発達を権利としてとらえ、そのための条件を積極的に講じることに対する消極的な姿勢は、子どもの福祉及び教育のための予算がOECD加盟の先進国中最低レベルであることにも表れています。
 全国障害者問題研究会は、すべての人の発達の権利が保障される社会をめざしています。日本国憲法と子どもの権利条約を誠実に遵守し、一人ひとりの悩みや発達へのねがいを大切なものとしてとらえ、権利を保障する核となる子どものための基本法を望みます。

 wordデータです


2022年05月26日

連載<もう一つの「発達のなかの煌(きら)めき」>第2回解説版

白石正久・白石恵理子連載の解説版
〈もう一つの「発達のなかの煌(きら)めき」〉第2回

第2回 乳児期前半の発達の階層‐段階

 「もう一つの『発達のなかの煌めき』」(以下では「もう一つ」)の第1回をお読みいただいた方から、『みんなのねがい』連載といっしょに「読みあわせ」の学習会を開催したら、議論が具体的になり、学習の深まりを実感する時間になったとの感想をいただきました。

 この「もう一つ」への私たちの願いは、そういった学習会や読者会が職場や地域で拡がって、『みんなのねがい』がみなさんの共有の財産になっていくことです。わが家の書庫には、学生時代から読みつづけてきた『みんなのねがい』が大切に並べられています。そこには、その時々の全障研サークルの仲間との語りあいがいっしょに記憶されているのです。

 定期購読の読者の輪を拡げつつ、ぜひ学習会、読者会を始めてみてください。もちろん、全障研サークルでもOKです。「みんなのねがいWEB」の「発達診断セミナー」を開いていただくと、その最下欄に「サークル活動の手引き」があります。そこには、全国のサークルや読者会のようす、さらに品川文雄さん(元全障研委員長)による「実践記録を記録し、実践報告を書き、学び合おう」が掲載されています。


発達の階層と3つの段階
 今回から、発達の道すじにそって解説を進めていきます。連載第2回(5月号)の「あなたといっしょに、もっと生きたい」のハルちゃんの発達は、乳児期前半の発達の階層‐段階にありました。

 前回の「もう一つ」で書いたように、階層とは大きな発達段階のことであり、乳児期前半の階層は出生から生後6、7か月ころにあたります。そのなかに、1か月ころ、3か月ころ、5か月ころという3つの段階が含まれます。田中昌人さんは、この階層を「回転可逆操作の階層」、そして3つの段階を、「回転軸1可逆操作期」「回転軸2可逆操作期」「回転軸3可逆操作期」としました。こういったむずかしい言葉を目にして、心が引いてしまうかもしれません。しかし、この発達段階の名前の意味がわからなければ発達がわからないということではありません。それぞれの発達段階のことを理解していくうえで、ヒントになることがその名前には隠れているらしい(・・・)という気持ちで相対(あいたい)してください。「可逆操作」については、前回の「もう一つ」で簡単に解説しています。これも、最初に定義を行なうよりも、具体的な子どもの発達の姿のなかから意味をつかんでいただけるようにと考えています。

 前回の「もう一つ」で解説したように、「回転可逆操作の階層」につづく乳児期後半の「連結可逆操作の階層」は、6、7か月ころから1歳前半までの大きな発達段階であり、そのなかに「示性数1可逆操作期」「示性数2可逆操作期」「示性数3可逆操作期」という3つの段階が含まれています。この発達段階については、次回解説する予定です。そして1歳半から7、8歳ころまでの幼児期・学童期前半の大きな発達段階は「次元可逆操作の階層」であり、そのなかに「1次元可逆操作期」「2次元可逆操作期」「3次元可逆操作期」という3つの段階が含まれています。「1」という数字のつく段階は、可逆操作の質が大きく変わる「飛躍的移行の時期」、すなわち「大きな発達の節」であることを前回述べました(前回の「可逆操作の高次化における階層?段階理論」の項では、「飛躍的以降の時期」となっていました。以降→移行と訂正いたします)。すぐには理解しにくいことでしょう。『新版・教育と保育のための発達診断・下巻』(以下では『下巻』)の6ページの図2「発達段階の説明図」を、何度もたどってみてください。

 田中昌人さんの「可逆操作の高次化における階層‐段階理論」は、3つの発達段階が、どの階層においても見出されるところに、ひとつの特徴があります。つまり発達はそれぞれの階層において3つの段階をのぼりきり、次の階層に入っていくのです。次の階層でも3つの発達段階が待っているということです。それは、まるで螺旋(らせん)階段をのぼっていくようです。なぜ「3つ」なのかと思われるかも知れませんが、その問いはしばらく保留していただいて、各階層の「1」「2」「3」という数字の意味を理解することから入りましょう。
 

「回転可逆操作の階層-段階」の特徴
 生後1か月ころの「回転軸1可逆操作期」では、まだ四肢が躯幹(くかん。からだから四肢を除いた部分)と一本の軸のように一体化しています。四肢を屈曲させた姿勢をとっていることが多く、顔の向いた側の上下肢を伸ばし、後頭部側の上下肢を曲げるATNR(非対称性緊張性頸反射)、びっくり反射とも言われるモロー(Moro)反射、手のひらに触れたものを握り込む手掌(しゅしょう)把握反射などの原始反射が現れます。そのために仰臥位(ぎょうがい。仰向けのこと)では、非対称姿勢をとっていることが多いでしょう。思い通りにはならない姿勢なので、この姿勢でいるときには笑顔にはなりません。手指は、親指を内に折り込んでおり、他の指と向きあってモノを握ることはありません。光や音などの刺激は「点」のように認知しており、線を引くように追視したり、音源を探そうとする動きはみられません。

 3か月ころの「回転軸2可逆操作期」になると、四肢が躯幹という軸から自由になり、もう1つの軸として動くようになって、緩やかに曲げたり伸ばしたりをくりかえします。親指は手のひらから離れて、ガラガラを持たせると自分で握り、やがて自分の手と手を触れあわすこともできるようになります(hand-hand coordination)。躯幹から四肢の運動が分離するようになって、原始反射はしだいに減っていきます。その結果、仰臥位は、対称姿勢をとっていることが多くなるでしょう。左右、頭足方向に追視して戻り(往復追視)、外界(がいかい)を連続した「線」のように認知しており、音源を探すように頸(くび)と眼球を動かすこともできるようになります。

 5か月ころの「回転軸3可逆操作期」になると、四肢がさらに自由に動き、そこから指の動きが分離して、第3の軸として外界に向かって開閉するようになります。ですから、追視のようすを確認するために胸の前に赤い輪などを提示すると、手を伸ばし手指を触れてつかもうとします。見る(追視)だけではつまらなくなり、見たものを把握することが子どもの欲求になっていきます。音源を探索して、それを見つめながら手を伸ばそうとする目と手の協応ができるようになります。

 つまり「回転可逆操作の階層」では、子どもが外界に向かってはたらきかけていくときの運動の「軸」が一つずつ増えていく、3つの発達段階が取り出されます。子どもには失礼ながら、躯幹を一本の丸太としてみるならば、その中央をタテに貫く基本の軸(これを正中線とよびます)を中心として、運動は軸を増やし、対称的に回転するように自由度を増していくということです(この乳児期前半の3つの発達段階は『下巻』の36~38ページ、往復追視の課題は、同43~44ページで解説されています)。


発達段階から発達段階への移行
 この「回転可逆操作の階層」の3つの発達段階は、はっきりと区別される特徴をもっていることがおわかりいただけるでしょう。言うまでもなく、段階から段階に移っていくときに、大きな発達の変化があるということです。それは前回の「もう一つ」で説明した階段を一つあがる質的な変化があるということです。その質的変化にはエネルギーや人間的な支えを必要としているので、「発達の障害」がはっきりとしてくるときでもあります(詳しくは『下巻』192~217ページ「Ⅲ 『発達の障害』と発達診断」)。

 それでは移行のときである「回転軸2形成期」と「回転軸3形成期」について解説します。

・第1段階から第2段階への移行(回転軸2形成期)と「途切れてもつながる」
 「回転軸1可逆操作期」から「回転軸2可逆操作期」へ向かう「回転軸2形成期」(2か月ころ)では、快と不快の情動が分化して、心地よい色彩や音に引きつけられるようになります。ミルクなどの美味しいものを与えてくれ、あやしてくれる人の表情や声がわかって、その人の顔を探すようになります。その人の抱き方もわかって、それ以外の抱き方に対して、不機嫌になることもあるでしょう。そして、その人の顔に近づこうとするように手足を動かすようになります。だからATNRがあって非対称姿勢になっていても、一生懸命に頸を動かし、手足が躯幹から分離した動きをするようになっていきます。


 追視は、左右いずれかが上手で、まだ往復(可逆)追視が確実にできるわけではありません。しかし、視線が途切れても、もう一度それを見つけることができるようになります。そして、日ごろはたらきかけてくれる人の顔を追跡するようにもなります。見失っても、もう一度見つけようとすることでしょう。そのような「途切れても戻る」という復元性があるから、外界への意欲的な探索がたしかになっていくのです。やがて「行って戻る」という自由度のある往復追視へと発展していきます。

 この過程では、心地よい世界を創ってくれる特定の他者への「人を求めてやまない心」が、感覚や運動の発達を牽引(けんいん)しているようにみえます。すでにこの段階で、「人」は特別な意味をもちはじめているのです。

・不快や機嫌の悪さからの復元
 「回転軸2形成期」では、おとなが一方的に名前を呼んだり、歌いかけるだけで、心のキャッチボールをしてくれないときには、機嫌が悪くなって泣き出してしまうことがあります。小さいけれども、ちゃんと心の動きを受けとめてくれる関わりをしてほしいのです。

 このように「2」のつく発達段階の準備のはじまる「形成期」では、乳児期前半の「快と不快」、乳児期後半の外界への「興味と不安」というように、まるで硬貨の表裏の関係で結びついている相反する情動・感情が生まれます(情動と感情は明確には区別されず、情動は喜怒哀楽などとして分化していく社会的感情の原初のレベル、短時間で生じる強い感情のことを言います。乳児期前半の発達の階層における快と不快は、ここでは情動としました)。肯定的な情動・感情が妨げられたり、状況が変化することによって、快から不快が、興味から不安がというように、情動・感情が変転していくのです。

 このときの情動や感情の不安定さの背景には、聴きたい、見たいという外界への欲求を高めながら、そのための感覚や運動が思い通りには使えないという矛盾があります。このときに、子どもの機嫌の悪さや不安の強まりを我がことのように受けとめ、その感情をなんとか元に戻そうとしてくれたり、思い通りにならない運動に手をさしのべてくれる人がいることによって、子どもは不快や不安から、情動・感情を復元させていくことができるのです。

・第2段階から第3段階への移行(回転軸3形成期)と「生後第1の新しい発達の力」の誕生
 「回転軸2可逆操作期」から「回転軸3可逆操作期」に向かう「回転軸3形成期」(4か月ころ)では、外界をとらえる視覚や聴覚、躯幹、四肢、手指の運動の自由の拡大によって、少し遠くにあるものも欲しがるようになります。伏臥位(ふくがい。うつ伏せのこと)では、肘で支えて頸を挙げる肘支位(ちゅうしい)ができるようになり、左右方向にあるものを取ろうとして寝返りにも挑戦します。自分では座れませんが、膝の上で支えてやれば頸はすわっており、支座位で、左右、上下の追視をし、音源も探すようになります。

 正面に2つのおもちゃを出すと、一方だけではなく他方にも視線を向けて、一つだけではないモノに手を出そうとします。これが『みんなのねがい』5月号(28ページ下段)で解説した「可逆対(つい)追視」の芽生えである「対追視」です。そのことによって一方だけではない、さまざまな方向やモノに注意を向け、そのなかから選択的な関わりをするようになるのです(「対追視」は『下巻』42ペーシと46ページで写真とともに解説されています)。

 このころ、相手の顔をまじまじと見つめ、それが誰であるかわかったように、子どもから微笑みかけるようになります。つまり、一つではないものを視野に入れることができるようになって、人と人を区別し、その人をその人と分かったうえで、自分から微笑みかけようとしているようです。つまり、あやされたことがうれしくて微笑むのではなく、子どものなかに「わかった!」というような認識と情動が生まれて、自分から他者に向かってはたらきかけようとしているのです。これが5月号(28ページ下段~29ページ上段)で取り上げた「ひとしり初(そ)めしほほえみ」です。乳児期後半の「連結可逆操作の階層」において、発達を主導する役割をはたすコミュニケーション手段と人間関係が芽生えているのです(「ひとしり初めしほほえみ」は『下巻』41ページで解説されています)。

 こういった主体的なコミュニケーションや自らモノをつかもうとする活動などが、仰臥位だけではなく、支座位や伏臥位という楽ではない抵抗のある姿勢でもなされるようになります。さらに、他児が離乳食を食べさせてもらっている姿や、それを援助しているおとなを見比べて、自分にも食べさせてほしいというしぐさをするようになります。人と人の「対」の関係をとらえて、それを欲求の対象とするようになっていくのです。


ハルちゃんの発達から学ぶ
・追視の応答にみる復元性
 さて、5月号のハルちゃんは、どのように発達の道すじを歩いていたのでしょうか。重症児の場合には脳性マヒ、中枢性の視覚障害、さらには難治性てんかんや抗てんかん薬の副作用による覚醒のふたしかさなどがあり、運動、感覚、コミュニケーションなどの応答が安定しないことがほとんどです。そのときに、たとえば往復追視ができないからと言って、「回転軸2可逆操作」を獲得していないとは言えないでしょう。

 ハルちゃんも、視覚障害があって「見えにくい」と言われていました。しかし、丹波養護学校亀岡分校の先生方の教材への強い思いによって創られた『三びきのやぎのがらがらどん』の授業のなかで、ハルちゃんは緊張や非対称姿勢に打ち克って、「やぎ」の動きを追視したのです。それは「やぎ」への追視でしたが、歌い、語りかけ、そしてからだを包みこむように受けとめてくれていた先生方への「人を求めてやまない心」が、見たい、聴きたいという思いになって結実したのだと思います。事実、朝の「呼名」では、「まるで細い糸で結ばれたように」先生の顔を追いつづけました。「途切れても戻る」という追視の復元性が、たしかになっていったのです。もちろん、視覚障害ゆえに、よどみなく追視しつづけられたわけではありませんでした。しかし、この復元性は、往復追視ができること以上に発達の本質的な力としてとらえられるのです。しかも、そのときに「もう一人」の先生のはたらきかけを待っていたように、ニッコリ微笑んでくれました。そこには、「対追視」と同じように外界を知り分け、それぞれを自分のなかに取り込んでいこうとする「心の窓」が開き始めていました。

・発達の一歩前からのはたらきかけ
 ハルちゃんの発達をたどると、教育のなかに大切なはたらきかけがあったことに気づきます。『三びきのやぎのがらがらどん』の授業では、「次の展開を予期し意欲を高めていけるような工夫」(27ページ下段)が随所になされていました。次の展開を予期することは、「回転軸2可逆操作」を獲得しようとしている子どもにとっては、まだむずかしいことです。しかし、「今」と「次」の関係が心に残るように、楽しい音楽、「おや、なんだろう」と思える登場物、心弾むような先生の声というハルちゃんの大好きなことを手がかりにして、発達の一歩前からはたらきかけていったのです。一人だけではない「もう一人」の先生が、それぞれの語り方を大切にしてハルちゃんにはたらきかけていたことも、発達の一歩前からのはたらきかけであったと思われます。

 「一歩前からのはたらきかけ」とは、次の発達段階の特徴をもった少しむずかしいことだけれど、やってみようと思える活動を発達的な抵抗として組織することで、子どもが発達の矛盾を乗り越えようとするように導くということです。その答えは、すぐに出るものではありません。しかし、長い見通しのなかで、一日一日の授業を楽しみながら積み重ねていくという日常を大切にすることによって、ハルちゃんは一人ではない、もう一人の先生の「呼名」も予期できるようになっていきました。

 予期は認識の力ですが、次をワクワク期待するという情意の力とつながっていきます。期待の芽生えは、「生後第1の新しい発達の力」(4か月ころ)として大切な役割を果たすことになります。


発達を過程として理解する
 乳児期前半の「回転軸可逆操作の階層」にある子どもを担当されている方は、多くはないでしょう。また、最重度の子どもを指導する自信がないので、担当になることは回避したいという思いも、現場にはあると聞きました。しかし、このテーマを5月号において選択したのには、私たちなりの願いがあります。

 5月号で書いたように、「ともに生きる」あるいは「いのちを守る」営みへの想像力の大切さを、みなさんと共有したいという思いがありました。しかし、それだけではありません。

 発達の学習は、担当している子どものことを理解するために大切だと思われていることでしょう。だから、その子どもが「今」歩んでいる発達の道すじに焦点を当てて、その発達段階の特徴から学ぶことはよくあることですし、そうすることで子ども理解のヒントが得られることはたしかです。しかし、目の前にいる子どものなかには、その発達段階にいたるまでに歩んできた発達の道すじが、見えないけれども存在しているのです。そして、これからまだ長い発達の道すじを、一生懸命に歩いていくのです。

 たとえば今回解説した「回転軸2形成期」(2か月)ころの「切れても戻る」復元性や快・不快の情動を調節することは、やがて「生後第1の新しい発達の力」の誕生において、コミュニケーションの主人公になり、外界に自らはたらきかける力に発展していきます。それは、伏臥位や支座位でもその力を発揮しようとする、抵抗に立ち向かう姿につながっていくことでしょう。そして、その子らしい人格の特徴として、一人の人間のなかに積み重なっていきます。そういった過程を遡(さかのぼ)り、その子の歩いてきた発達の道すじのすべてを知ろうとすること、そしてその道すじに関わってきた保育や教育、生活のありようを知ることは、きっと子どもの理解に深みを与えてくれます。それは、子どもの発達を目に見える技能、能力において理解するだけではなく、情動や感情、意欲や意志、自我のありようなど、一人ひとりの人格を形づくる大切なことに目を向けることにもなるでしょう。

 そして、発達の道すじのすべてを知ることは、目の前の子どもの理解を深めるだけではありません。人間は、発達において挫(くじ)けそうになっても、人とつながりながら自らを復元させ、やがて抵抗に立ち向かい、螺旋階段をのぼろうとするのです。そういった発達の道すじを貫く発達の法則を生き生きと認識することは、「人間というもの」、つまり人間の普遍性を理解していくことにつながると私たちは考えています。発達を通して「人間というもの」を知ることは、他者を慈しみ、そして自分を慈しみながら、共に生きていくための大切な「心の目」を与えてくれるはずです。

今回の学習参考文献
・白石正久・白石恵理子編(2020)『新版・教育と保育のための発達診断・下巻』全障研出版部



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2022年04月27日

連載<もう一つの「発達のなかの煌(きら)めき」>第1回解説版

白石正久・白石恵理子連載の解説版
〈もう一つの「発達のなかの煌(きら)めき」〉第1回


第1回 「障害のある子ども・なかまの発達」を学ぶために

 4月号の「生きる・つながる・発達する」はいかがだったでしょうか。私たちのもとで学んだ卒業生たちのしごとの日常を紡ぎあわせて、一つの手紙にしてみました。

 さて、この「もう一つの『発達のなかの煌めき』」は、『みんなのねがい』の連載、「発達のなかの煌めき」をお読みいただいている皆さんに、学習や討議を進めていくための手がかりを提供したいと企画したものです。連載の目的の一つである系統的な発達の学習が進められるように、私たちが編集したテキスト『新版・教育と保育のための発達診断・上巻―発達診断の基礎理論』(以下『上巻』)、『新版・教育と保育のための発達診断・下巻―発達診断の視点と方法』(以下『下巻』)を活用し、解説していきます (『上巻』は、今夏の刊行をめざして準備しています)。

発達の学習に王道はない
 私たちが発達理論を学び始めた学生時代、授業で学んでも、テキストを読んでも、大切なことは頭に入らず、理解が進まないことへのイラだちばかりを味わっていたものです。「学問に王道はない」のたとえ通り、テキストを100回は読み込まなければならないのだと自覚しました。そのころのボロボロになったテキストを学生たちに見せて、学習は苦労の多いものであり、本がきれいなままでいるはずはないと説いています。しかし、もっと大切なことは、理論と実践の間を何度も往復し、実際に向きあっている子どもやなかまのことを思い浮かべたり、指導・支援のありかたを問いながら学習していくことです。そうすれば、実践のなかでの子どもやなかまの姿から教えられ、学んだことが自分の奥底に染み渡るように、生きてはたらく力になるときがやってきます。楽ではない学習の過程だからこそ、一人ではなくみんなで、知恵や意見を出しあいながら学んでいくことが大切なのでしょう。

発達とは何か
 それでは連載第1回「生きる・つながる・発達する」の解説編に入ります。

 発達は、人がよりよく生きるために一生懸命に事物や事象(自然や文化)にはたらきかけ、創造、変革しつつ、自分をも変革していく過程です。さらに、他者と向きあい葛藤しながらも、手をつなぎあうことの大切さを知り、そのつながりや集団を通じて、みんなが幸福になれる社会を創ることにも関わっていく過程であることを、今回の「生きる・つながる・発達する」では素描してみました。一人ひとりの発達は「閉じた」道すじではなく、社会とその歴史、集団、生活や労働、教育や支援のありかたとつながった「開いた」道すじであり、そのつながりのなかで、人格の輝きをもつようになるのです。

 そして発達は、子どもやなかまのことだけではなく、私たちのことでもあります。

 このことを念頭におきつつ、ここでは、これからの連載第Ⅰ部「障害のある子ども・なかまの発達」のために、「発達とは何か」ということを中心に整理したいと思います。

 まず、私たちが参加する全国障害者問題研究会(以下では全障研)の結成大会(1967年)の基調報告を紹介します。『下巻』の192ページから引用します。

「これまでわたくしたちは、はやく、たくさん、たくみに答えを出すことをめざす体制の中で育てられてきたので、発達とは、できないことができるようになる、上へのびていくことだという理解のしかたをしてきました。(中略)機能別あるいは領域別に比較し、ちがいとおとっている点をかぞえあげることを発達研究とよび、細かい尺度をつくって、できないことができるようになることをおいもとめたりします。つまり発達とは個人が連続的、調和的に上へのび、社会に適応していく過程だと理解していたわけです。

 しかし教育実践の中で発達とは、そのような受身的、連続的な適応の過程ではなく、主体的に外界にとりくみ、外界を変革していく過程としてとらえなければならないのだということをしり、討議をすすめることができてきました。それによって、IQなどをすてることもできるのではないかといわれたりしています。しかも、発達はたとえば、獲得した操作のしかたが高次化するという、一つの方向へのびるだけではなく、獲得した操作のしかたを、志向的に、豊かな自由度をもって高めていく、いわばヨコへの発達を必然的に内包しているのだということも討議することができだしました」。

 当時、発達は「できないことができるようになる」「できることが増える」という成長の事実とその量的な拡大として理解されていました。知的障害がある場合には、IQ(知能指数)やDQ(発達指数)を用いて、機能・能力のアンバランスを描き出し、障害に固有な傾向や、人格の特徴をも説明しようとされていました。障害のある人びとを人間としての普遍性や共通性において理解しようとする視点は、当時の発達研究には乏しかったのです。

 また、このような視点は、「できないことをできるようにする」「遅れている機能・領域を引き上げる」「障害の宿命的特徴として教育を放棄する」ような教育の方法と結びついていました。そこでは子ども本当の思いである、感情、意欲、意志などは見過ごされ、ただ受動体としてとらえる見方が支配的になっていました。

 教育制度においては、全障研が結成された当時、「精神薄弱児」と呼ばれた知的障害のある子どもは、1953年文部省通達「教育上特別な取扱を要する児童生徒の判別基準について」で「精神発育が恒久的に遅滞」したものであるとされ、1957年通達「精神薄弱の学齢児童生徒に関する就学について」などによって義務教育から実際に排除されていました。

 一方、その社会の一隅において、「精神薄弱児」入所施設・滋賀県立近江学園では、文部省の「判別基準」に対して、「育ちのなかにねうちを発見して、そのみちすじをたしかなものにしていく」という姿勢に立って、「発達しないとみられている人たちの発達を研究し、発達の道を拓こう」という意志をもった研究が取り組まれ始めていました。後に全障研の初代全国委員長となった田中昌人さんが、近江学園研究部に就職したのは1956年のことです。

 さらに1963年に開設された重症心身障害児施設・びわこ学園などにおいて、「障害のある子どもの再発見」と言うべき事実が見出されていきました。「寝たきり」と言われた重症児が、粘り強い実践のなかで生涯においてはじめての笑顔を花開かせた姿、介護の保育士のオムツを換える手を助けようと、あらん限りの力で腰を浮かそうとする姿、「動き回る」といわれた多動な子どもが、すくってはこぼし、押しては戻す動きのなかで、「…ではない…だ」という1歳半頃の力を自分のものにしようとしている姿、そしてマヒのある不自由さに打ち克って、友だちの動きにあわせながら食事を食べさせようとする姿がありました(「びわこ学園」の療育記録映画『夜明け前の子どもたち』1968年。また『上巻』第Ⅲ部・第1章「乳児期の発達段階と発達保障」)。これらの実践は、どんなに障害の重い子どもも自ら外界や他者にはたらきかけ、そうすることで外界、他者との関係、自分自身を創造し、それを取り込みながら自分を変革していこうとする発達の主体であることを見出してきました。

 その頃、こういった施設実践と呼応するように全国各地で広がっていた障害児の不就学をなくす運動と実践のなかで確かめられた多くの発達の事実が、近江学園などでの研究と一つに練り上げられ、先の全障研結成大会「基調報告」に書かれた発達観・教育観となっていきました。これらの経過は、『上巻』の第Ⅰ部「子ども・障害のある人たちの権利と発達保障」で解説されています。ぜひ、お読みください。

「発達段階」と「発達の節」
 この「もう一つ『発達のなかの煌めき』」の連載では、「障害のある子ども・なかまの発達」について、発達の道すじにそって解説していきます。今回はまず、「発達段階」と「発達の節」について説明します。『下巻』6ページの図2「発達段階の説明図」を参照してください。

 発達とは、坂道をのぼっていくようなものではなく、どちらかというと階段をのぼっていくような変化です。階段の横面(踏面)にあたる部分が「発達段階」、縦面(けあげ)にあたる部分が「発達の節」ととらえていいでしょう。言い換えると、発達には量的変化を中心とする時期と、質的変化を中心とする時期が交互に訪れるということです。ある発達段階において、量的蓄積が少しずつ進んでいき、それが一定の限度を超えると新しい質の獲得に至ります。これは、人間の発達だけではなく、自然や社会の様々な事物や事象においてみられる変化であり、あらゆる事物や事象はこうした変化、すなわち運動を続けます。氷、水、さらには水蒸気への変化をイメージしてもらってもよいと思います。

 発達をこのように量的変化と質的変化の両面からとらえる見方は古くからあったのですが、障害のある子どもたちに対しては、なかなかそのようにとらえられてきませんでした。すでに述べたように、子どもの発達をとらえる指標として、基本的にIQ(知能指数)やDQ(発達指数)が用いられることが多いのですが、これは知能検査もしくは発達検査から得られた結果(精神年齢、発達年齢)を実際の年齢(暦年齢)で割って100倍した数値です。たとえば、5歳の子のIQが60であるということは、精神年齢が3歳ということになります。その子が10歳になったときに再度、知能検査を受けて結果(精神年齢)が4歳であったとします。「3歳」から「4歳」に変化していますから、きっと話しことばでのやりとりが広がってきたのだろうな、色や数などの抽象的なことにも興味をもって、わかりかけてきたのかな…と大きな変化を実感できるはずですが、IQでみると、60から40に低下することになり、療育手帳では「軽度」判定から「中度」判定に変わることになります。発達的に変化していると思うのに、検査を受けたらより数値が低くなっていたということで親御さんがショックを受けたというような話はよく聞かれるのではないでしょうか。IQやDQ、さらに言えば精神年齢、発達年齢でとらえることの問題点については、『下巻』第Ⅰ部「発達保障のための子ども理解の方法」(14-32ページ)で説明されています。

「可逆操作の高次化における階層-段階理論」
 戦後、「教育勅語」は否定され、教育は国家や天皇のためのものではなく、一人ひとりの子どものためのものとして大きく価値転換がなされました。学校教育法に障害のある子どものための学校や学級も位置づけられました。しかし先に述べたように、障害が重い子どもについては、IQが低い=障害が「重度」であるという理由で、教育の対象とはみなされず、学校に行きたくても行けない「不就学」の時代が続いたのです。そうした子どもたちを受け入れていた近江学園で、1950年代後半から田中昌人さんを中心に、IQによってではなく、子どもの「内側から把握する」ことをめざして発達研究が取り組まれました。その後、その発達過程を「可逆操作の高次化における階層-段階理論」として提起していきました。

 ここでも、『下巻』6ページの図2「発達段階の説明図」を参照してください。この理論では、発達の基本単位として可逆操作に注目しました。可逆操作については、あらためて詳しくとりあげますが、ここではとりあえず、発達の主体は子ども自身であり、子どもが外界や自分自身にはたらきかけながら自分自身を変革していくプロセスが発達であるという発達観にたち、そのはたらきかけのしかた、外界や自分自身の認識のしかたを示すものとして可逆操作なるものをとらえたとおさえておきます。そして、通常、生まれてから9,10歳にいたるまでに、3つの種類の可逆操作をとりだすことができるとし、それを「回転可逆操作」「連結可逆操作」「次元可逆操作」と名づけました。その後、9,10歳以降についても仮説的に提起されていきますが、この連載では、9,10歳ころまでをとりあげます。「回転」「連結」「次元」の意味するところは、これからの連載でふれていきます。

 通常、生後半年間は「回転可逆操作」を特徴とする時期で「回転可逆操作の階層」(通常の「乳児期前半」にあたります)、生後半年をこえて1歳前半までが「連結可逆操作の階層」(「乳児期後半」にあたります)、さらに「1歳半の節」からが「次元可逆操作の階層」となり、この生後第3の階層は7,8歳ころまで続きます。この「階層」という用語も難しいですが、複数の段階を含み込んだ、より大きな段階ととらえればよいと思います。階層のなかには複数の段階を含むと書きましたが、上記理論では、それぞれの発達の階層に3つずつの発達段階があるとします。第1段階、第2段階、第3段階と進んでいき、次は第4段階かと思いきや、第4段階ではなく、新しい質をもった次の階層の可逆操作の獲得に進んでいくとしたのです。発達は「4」にはならず、「3」を積みあげていく螺旋階段の構造であることについては、『上巻』第Ⅲ部・第1章「乳児期の発達段階と発達保障」で説明しています。

 「回転可逆操作」から「連結可逆操作」、「連結可逆操作」から「次元可逆操作」などと可逆操作の質が大きく変わる「飛躍的以降の時期」、すなわち「大きな発達の節」として取り出せるのが「6、7か月の節」「1歳半の節」「9歳の節」ということになります。

 先ほど階段をのぼるような変化と書きましたが、この「大きな発達の節」さらには、それぞれの階層内の「発達の節」は、決して簡単なものではありません。質的な変化が行われるということは、言い換えると、それまでの「古い自分」を崩して「新しい自分」をつくりあげるという至難のプロセスでもあるのです。4月号に登場したリョウちゃんは「4歳の節」にあると書かれていましたが、この「節」においても、それまで「お兄ちゃん」「お姉ちゃん」と言われることに嬉しさを感じてきた子が、おとなから押しつけられる「お兄ちゃん」「お姉ちゃん」に抵抗して、自分なりに「大きくなる」ことの中身をとらえようとして反抗を強めたり、それまで以上に周囲や自分がみえてきて、思い通りにならない現実に自分を否定的にとらえイラだちを強めることがあります。こうした姿を単に「問題行動」とみるだけではなく、子どもの内側にどのような葛藤があるのか、どのようなねがいがうまれているのかを考えること、そして、その葛藤を自分で乗り越えていけるようなエネルギーを蓄えられるようにすることが教育に課せられていると言えるでしょう。そのために、『みんなのねがい』4月号32ページの写真のような子どもの後ろ姿から、その内面を理解できるまなざしを、私たちはもちたいとねがいます。なお、「4歳の節」については、連載第7回と第8回で、あらためて取り上げることにしています。

卒業生への返信
 最後にこのページを借りて、4月号に手紙を寄せてくれた卒業生に、一言の返信をしておきたいと思います。

 お便り、うれしく拝見しました。私たちは元気にやっています。今年は、卒業生の皆さんとお会いできる日があることを楽しみにしています。その前に少しだけご返事を書きます。

 リョウちゃんのお母さんから、「真紅の車を見ると先生のことをいつも思い出した」と聞いて、お母さんのなかにずっと留まり苦しめていたあなたのかつての未熟さを、「謝らなければならない」と思ったのですね。学生時代、いつも他者への気遣いをしていたあなたのことを思い出しています。でも、あなたの言葉から察するリョウちゃんのお母さんは、違う思いで赤い車を眺めていたのではないかと私たちは思います。

 中学部2年生のリョウちゃんの担任になったあなたは、お母さんから見れば「一回り」以上も歳の違う新任の先生だったのです。そのときには、「この先生、大丈夫だろうか」と心配になったかもしれません。お母さんも感じていたであろう学校という職場の大変さのなかで、この若い先生が教師として育っていってくれることを、祈るような気持ちで見つめていたのではありませんか。だから、同じ色の車に出会うと、あなたのことをいつも想ってくれていたのだと私たちは感じました。10年ぶりに、教師としてがんばり続けているあなたに出会えて、お母さんは安堵したのです。私たちも「発達相談員」としての駆け出しのころ、同じようにお母さんお父さんたちに見守られ、ときに叱咤激励されながら、一歩一歩を重ねてきたことを、昨日のことのように思います。

 もう一つ、これは私たちからの質問です。お手紙には、リョウちゃんが両手で慎重に卵を割るときの、手先を見つめる真剣なまなざしに、「4歳の節」を乗り越えているという実感をもつことができたと書かれていました。この「実感」とは、どんなことだったのでしょうか。卵に注意を集中しながら両手で割る、あるいは左右の手のそれぞれに注意を向け協応させながら卵を割るという、「…しながら…する」2次元可逆操作の獲得のことは、理解してくださっているようですが、このくだりを読んで、それだけではない「4歳の節」の大切なことがあると私たちは直感しました。それは、生活のプロセスのなかに、その能力を自らの必要によって取り込んでいこうする発達要求が発揮されるときがあったということです。きっと家庭生活において、リョウちゃんが「真剣なまなざし」になって、卵を割ろうとした瞬間があったはずです。その場面は何であったのか、そのときの発達要求とは何かを、私たちは知りたくなりました。今度お会いしたときに教えてください。宿題のようですいません。

 この冬は寒かったですね。重い空気に包まれたこの世界にも、春の花は咲いてくれました。

「みんなのねがい」4月号紹介ページへ(*「PDF版」はこちらです)

2022年04月01日

当面する全国事務局態勢について 2022年3月22日

◆当面する全国事務局体制について  2022年3月22日


新型コロナの感染は2月のピーク時からは下がりつつある感じですが、一日数万人の新規感染者が発生し、100人をこえる死者が出る日もあります。「まん延防止等重点措置」は21日で解除されましたが、東京に事務所を置く全国事務局は、なによりも職員のいのちと健康を守り、感染リスクを減らしながら事務所機能の維持をはかりたいと考えます。当面、つぎのような対応をつづけさせていただきます。

1)通勤時の感染リスクを減らし、時差通勤もしやすいように 事務所の開所時間を10時~16時とします。
2)職員は出所日以外は在宅勤務とします。そのため、出版物などの配送には時間をいただきます。
   ご用件は事務局メール( info@nginet.or.jp )にお願いいたします。


◆当面する全国事務局体制について  2022年2月14日
新型コロナ・オミクロン株の感染がおさまりません。 なによりも職員のいのちと健康を守り、感染リスクを減らしながら事務所機能の維持をはかるため、 1月25日~2月13日までつぎのように対応してきましたが、さらに3週間(2月14日~3月6日)以下の対応をつづけさせていただきます。 1) 水曜日は閉所 します。 2)通勤時の感染リスクを減らし、時差通勤もしやすいように 事務所の 開所時間を10時~16時 とします。 3)職員は出所日以外は在宅勤務とします。そのため、出版物などの配送には時間をいただきます。    また、 ご用件は 事務局メール( info@nginet.or.jp ) にお願いいたします。


◆当面する全国事務局体制について  2022年1月24日
新型コロナ・オミクロン株の感染が増大しています。なによりも職員のいのちと健康を守り、感染リスクを減らしながら事務所機能の維持をはかるため、 今後3週間(1月25日~2月13日 、以降は今後の状況を見ながら検討します)つぎのように対応させていただきます。 1) 水曜日は閉所 します。 2)通勤時の感染リスクを減らし、時差通勤もしやすいように 事務所の開所時間を10時~16時 とします。 3)職員は出所日以外は在宅勤務とします。そのため、出版物などの配送には時間をいただきます。  また、ご用件は 事務局メール( info@nginet.or.jp ) にお願いいたします。


◆当面する全国事務局態勢について  2021年10月4日
 新型コロナウィルス感染に対する「緊急事態宣言」は解除されました。
 しかしながら、医療や検査体制含めた政府の対策は依然として不充分です。
 こうした状況を踏まえ、全国事務局は、職員の健康と安全を第一に、ついては仕事や意志疎通のしやすさを大切にして、当面つぎのようにとりくませていただきます
 事務所は通常通り開所しますが、職員の勤務は合理的な「在宅勤務」や「時差通勤」も継続します。
 物流関係の滞りもあり、書籍発送などにつきましては遅れてしまうことをご了承ください。
 なお、今後の情勢により、適時変更させていただきます


◆当面する全国事務局態勢について  2021年8月26日
 新型コロナウィルスの急激な感染拡大と「医療崩壊」は深刻です。 なによりも職員の感染リスクを減らしながら、かつ最小限の事務所機能の維持をはかるため、当面、緊急事態宣言の期間(~9月12日)(その後は今後の状況を見ながら検討)つぎのように対応させていただきます。 1) 水曜日は閉所 します。 2)通勤時の感染リスクを減らし、時差通勤もしやすいように   事務所の 開所時間を 10時~16時 とします。 3)職員は分担して開所につとめますが、出所日以外は在宅勤務とします。 そのため、出版物などの配送には時間をいただきます。 また、ご用件は、 事務局メール( info@nginet.or.jp ) にお願いいたします。


◆当面する全国事務局体制について 2021年7月14日
 7月12日から8月22日まで、東京は新型コロナウイルス感染に対する4度目の「緊急事態宣言」が出されています。全障研は、「コロナ禍の下でのオリパラ強行ではなく、すべての人々のいのちと健康、くらしを守ろう」と声明(http://www.nginet.or.jp/posts/news20.html)しましたが、政府は、「無観客」としながもオリパラ開催に固執しています。
 こうした状況を踏まえ、8月7、8日に開催する第55回全国大会(静岡2021)オンラインの準備等がもっとも集中する時期でもありますが、全国事務局は、なによりも職員の健康と安全を第一に考え、ついては仕事や意思疎通のしやすさも大切にして、当面つぎのようにとりくませていただきます。
 合理的な「在宅勤務」や「時差出勤」などを継続します。首都圏などでは物流関係の滞りもあり、書籍発送等につきましては遅れてしまうことをご了承ください。
 ご連絡窓口は、電子メール=info@nginet.or.jpにお願いいたします。
 なお、今後の情勢により、適宜変更させていただきます。


◆当面する全国事務局体制について  2021年6月21日
 新型コロナウイルス感染に対する「緊急事態宣言」は解除されましたが、首都圏では「まん延防止等重点措置」が講じられています。東京の場合、高齢者を対象とするワクチン接種が1回目46%、2回目12%をこえたところです。新規感染者数は依然として高い傾向にあり、新しい変異株による感染増も懸念されています。
 全障研は、「コロナ禍の下でのオリパラ強行ではなく、すべての人々のいのちと健康、くらしを守ろう」と声明しましたが、政府は、オリパラを観客を入れて強行しようとしています。
 こうした状況を踏まえ、全国事務局は、なによりも職員の健康と安全を第一に、ついては仕事や意思疎通のしやすさを大切にして、当面つぎのようにとりくませていただきます。
 「原則在宅勤務」体制から、合理的な「在宅勤務」や「時差出勤」なども継続します。首都圏では物流関係の滞りもあり、書籍発送等につきましては遅れてしまうことをご了承ください。
 ご連絡は、できるだけ 電子メール=info@nginet.or.jp にてお願いいたします。
なお、今後の情勢により、適宜変更させていただきます。


◆当面する全国事務局体制について  2021年4月26日

 新型コロナウイルス感染に対する「緊急事態宣言」が解除されて一月余りですが、東京、大阪、京都、兵庫に三度目の「緊急事態宣言」が発出されました。変異株による感染拡大も懸念されます。こうした情勢を踏まえ、なによりも職員などの安全と生命を守るため、全国事務局は当面、原則在宅勤務体制とします。
 そのため窓口は、電子メール=info@nginet.or.jpを基本とさせていただきます。
 書籍などの発送等につきましてはたいへん遅れてしまうことをご了承ください。
 なお、事務所運営の基本方針は、今後の情勢により適宜変更させていただきます。


◆当面する全国事務局体制について  2021年3月24日
 新型コロナウイルス感染に対する「緊急事態宣言」は解除されましたが、首都圏などでは新規感染者数は増加傾向にあり、変異株による感染も対応が求められています。政府の対策は極めて不充分なままです。こうした状況を踏まえ、全国事務局は、職員の健康と安全を第一に、ついては仕事や意思疎通のしやすさを大切にして、当面つぎのようにとりくませていただきます。
 「原則在宅勤務」体制から「開所」としますが、引き続き合理的な「在宅勤務」や「時差出勤」も継続します。「フィジカル・ディスタンス」などに留意しす。書籍発送等につきましては遅れてしまうことをご了承ください。なお、今後の情勢により、適宜変更させていただきます。


◆当面する全国事務局体制について  2021年1月6日

 新しい年を迎えましたが、「一都三県に緊急事態宣言発出を検討」という政府の対応が報じられています。首都圏の新型コロナ感染拡大の情勢を踏まえ、なによりもスタッフなどの安全と生命を守るため、全国事務局は当面、原則在宅勤務体制とします。
 そのため窓口は、電子メール=info@nginet.or.jpを基本とさせていただきます。書籍発送等につきましてはたいへん遅れてしまうことをご了承ください。
 なお事務所運営の基本方針は、今後の情勢により適宜変更させていただきます。


◆当面する全国事務局体制について 2020年6月4日

 新型コロナウイルス感染に対する「緊急事態宣言」の解除、東京の「アラート発令」などの状況を総合的に検討し、当面つぎのようにとりくませていただきます。
 全国事務局は「原則在宅勤務」から「開所」します。状況に応じての「時差出勤」や「フィジカル・ディスタンス」などに留意します。 なお、今後の情勢により、適宜変更させていただきます。


◆全国事務局の臨時体制について 2020年4月2日
 新型コロナウイルス感染による緊迫した情勢の下、なによりもスタッフなどの安全と生命を守るため、全国事務局は当面、原則在宅勤務体制とします。
 そのため窓口は、電子メール info@nginet.or.jp  を基本とさせていただきます。物流は遅れることもお許しください。
 なお事務所運営の基本方針は、今後の情勢により適宜変更させていただきます。
2022年03月22日

声明=ウクライナにおける武力行使と戦争に反対し、障害のある人と家族のいのちと安全を守ろう

声明
ウクライナにおける武力行使と戦争に反対し、障害のある人と家族のいのちと安全を守ろう

 2022年3月10日
 全国障害者問題研究会常任全国委員会

 このたびのロシア政府によるウクライナへの軍事侵攻は、国連憲章に反する侵略行為であり、武力により他国の主権を侵害すること、戦争によって人々の生活を破壊し、子どもを含めた多くのいのちを犠牲にすることは、いかなる理由によっても正当化できません。さらにロシア軍は原発施設を占拠し、プーチン大統領は、核兵器の先制使用も示唆しています。核兵器の使用は、人類の生存を脅かし、地球環境を破滅に向かわせる、決して歩んではならない最悪の道です。わたしたちは、全世界の人びとのいのちとくらしを危機に追いやる核戦争へとつながりかねない軍事侵攻の即時中止を強く求めます。

 一方、日本政府は、ウクライナへの自衛隊の「防衛装備品」の供与を決定しましたが、これは紛争当事国への「武器輸出」に相当し、容認できません。さらに、この機に乗じて日米が共同で管理・運用する「核共有」や憲法9条改正の議論を押し進めようとする動きすら出ています。唯一の戦争被爆国であり、戦争放棄を掲げる憲法9条をもつ日本が、ウクライナにおける武力行使や戦争の拡大に加担することは決して許されません。

 戦禍を逃れて周辺国に避難するウクライナの人びとへの人道的支援がはじまっています。ウクライナ国内では、食料品の不足をはじめ、深刻なライフラインの危機に陥っており、障害のある人びとと家族が生き延びるうえでいっそうの困難が予想されます。ウクライナの障害のある人びとと家族が、障害者権利条約第11条(危険のある状況及び人道上の緊急事態)に則して保護されるとともに、食料と住居、移動と情報手段の確保、医療とリハビリテーションの提供などが、国際機関や諸国の連帯によってすみやかになされるよう求めます。

 第二次世界大戦後の国際社会は、戦争の歴史を深く反省し、平和と民主主義の実現にむけて共同の歩みをすすめてきました。そのなかで、戦争を含む、あらゆるかたちの暴力が障害を発生させる最大の要因であること、戦争の悲劇を繰り返すことなく、平和な社会が実現されてこそ、障害のある人びとの人権が保障されることを歴史の教訓として、すべての人の権利保障の道を一歩一歩切り拓きながら、障害者権利条約を手にしました。

 全国障害者問題研究会は、戦争がもたらす惨禍への反省のうえに「全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免れ、平和の内に生存する権利を有すること」を謳った日本国憲法の理念を、障害のある人びとの権利において実現することをめざして研究運動をすすめてきました。わたしたちは、生命・生存・発達の権利を保障しようとする発達保障の理念に立ち、ウクライナにおける武力行使と戦争に強く反対します。


 PDFデータです


2022年03月10日

JD=投票における合理的配慮欠く問題事例等の提供をよびかけ

JD(日本障害者協議会)からのよびかけです 


JDでは、障害のある人の投票に関して、先の衆院選でもみられた合理的配慮を欠く事例は、国民に等しく保障された参政権を侵し、障害者権利条約第29条(政治的及び公的活動への参加)実現の妨げにつながる重大な問題であるととらえ、問題の改善を国や自治体などに求めていきたいと考えています。国選・地方選での投票における合理的配慮を欠く事例(体験)やご要望を募っています。専用のフォームより2月末日までにお寄せください。


投票における合理的配慮を欠く問題事例の改善を求めるとりくみにご協力ください
 日本障害者協議会(JD)代表 藤井克徳

 2021年10月の衆議院選挙では、投票率は56%と低く、そのうち期日前投票数は約19%にあたる2000万人を越えています。いうまでもなく、投票はきわめて重要な政治参加の権利ですが、障害のある人びとへの合理的配慮を欠く事例が寄せられています。すべての投票において、合理的配慮の提供を欠くという差別は許されません。これは障害者権利条約(第29条 政治的及び公的活動への参加)に反し、その実現を妨げるものです。

 私たちは、投票における合理的配慮を欠く問題事例を寄せ合い、それを整理し、問題を改善するよう国や自治体などに要請したいと考えます。ぜひ、多くのみなさんにこのとりくみのご賛同をいただき、投票における合理的配慮を欠く問題事例や改善要望をお寄せください。

つぎの専用フォームをご利用いただき、
問題と思われる事例やご要望を、2022年2月末日までにお寄せください。
 https://forms.gle/t6GbpT4m8QWMugXv6

または、以下の内容をメールにて事務局にお寄せください。
①メールアドレス、②お名前、③所属団体名または「個人」、④障害の有・無、
⑤1)情報に関連する問題事例、ご意見/2)投票所の環境などに関連する問題事例、ご意見/3)投票方法、投票用紙などに関連する問題事例、ご意見/4)その他の問題

担当事務局=薗部英夫(JD副代表)、白沢仁(JD理事)、内田邦子(JD理事)、山本忠(立命館大学法学部教授)
連絡先=日本障害者協議会(JD) メール:office@jdnet.gr.jp TEL:03-5287-2346

現在寄せられている問題事例や改善要望など
1)情報のバリアフリー
○「期日前」がはじまっているのに「選挙公報」が届かない。「裁判官国民審査」の「公報」はじめ、「期日前投票所」には電子データでの提供含め「選挙公報」を掲示して欲しい。
○選挙公報・選挙通知を点字版・音声版・拡大版、デジタル版、ルビふり版で提供して欲しい。入院・入所中の障害者にも確実に届けて欲しい。
○知的障害のある人へのわかりやすい「選挙公報」が欲しい。

2)投票所の環境などに関するバリアフリー
○低床の投票記載台で「イスに座って記入したい」と希望しても「車いす専用です」と断られた。投票用紙に安心して記入できる場所を確保して欲しい。
○カラーユニバーサルデザインに基づく投票箱の色分けや誘導矢印表示が欲しい。

3)投票方法、投票用紙などに関するバリアフリー
○原則自書のみとする公職選挙法第46条が、自書の困難な障害者の投票権の行使を妨げている。
○「裁判官国民審査」用紙のマス目はめちゃくちゃ狭く、不随運動がある人には記入困難。
○視覚障害者は、審査で×をつける場合は、一人一人の裁判官の名前を、自らが点字で打ち、バツ(×)を打つ。投票方法を改善して欲しい。
○代理投票について、補助者を投票所事務員に限定する公職選挙法が、通訳介助者を介して自らの意思を伝える必要がある盲ろう者や、自らの意思を家族・支援者に対してであれば伝えられる障害者の投票権の行使を妨げている。自らが選んだ同伴者による代理投票を実現して欲しい。

4)その他の問題
○フィンランドではすべての病院で投票をやらなければならないという法がある。より身近な場所でもできるように施設・病院等に移動投票所を開設して欲しい。
○「筋ジス病棟で暮らしてます。期日前投票を代理投票で投票しました。代理記載人の管理課員に、指さししてもらって投票しました。立会人には投票内容が知られないようにするためカーテンの外で立ち会ってもらいました。他所ではどうしているか知りたいです」(大分・筋ジス患者)。
○障害者手帳取得が非常に困難で、障害者総合支援法の対象にもなっていない難病の人には、投票所まで歩いて行くことができなくても車いすは支給されず、期日前投票することもできない人がたくさんいる。改善して欲しい(筋痛性脳脊髄炎の会)


◆参考資料 障害者権利条約第29条 政治的及び公的活動への参加
 締約国は、障害者に対して政治的権利を保障し、及び他の者との平等を基礎としてこ
の権利を享受する機会を保障するものとし、次のことを約束する。
(a)特に次のことを行うことにより、障害者が、直接に、又は自由に選んだ代表者を通
じて、他の者との平等を基礎として、政治的及び公的活動に効果的かつ完全に参加する
ことができること(障害者が投票し、及び選挙される権利及び機会を含む。)を確保す
ること。
(i)投票の手続、設備及び資料が適当な及び利用しやすいものであり、並びにその理解
及び使用が容易であることを確保すること。


◆参考資料「みんなのねがい」リレー連載「障害者権利条約の最前線」
(「みんなのねがい」2020年4月号~2021年3月号)

第1回=人権の発展と障害者権利条約/中村尚子(全障研副委員長)
第2回=権利条約のいまの到達点/薗部英夫(全障研副委員長・JD副代表)
第9回=アクセシビリティ(accessibility)は条約の”肝”/薗部英夫(全障研副委員長・JD副代表)
第11回=人権水準の評価と向上に向けて/中村尚子(全障研副委員長)
最終回=パラレポⅡの意義と今後の焦点/薗部英夫(全障研副委員長・JD副代表)
2022年02月18日

「障害者問題研究」49巻3号 特集=教育実践における教材 読む会1月21日

「障害者問題研究」49巻3号
特集教育実践における教材 読む会のお知らせです


◆障害者問題研究49巻3号を読む会
日時=2022年1月21日(金)19時~21時
■話題提供■
■1 猪澤由起子さん(奈良教育大学附属小学校)
絵本を楽しみ,なかまと学ぶ「ことば」の授業づくり
■2 越野和之さん(奈良教育大学)
障害のある子どもの学校教育と教材・教具
■参加者の意見交流
Zoomによる開催
 申込は https://forms.gle/yHFVKXSnr8r8gkQ89


詳細案内・「ちょっと見」やオンラインでのご注文は以下のホームページへ
 「障害者問題研究」49巻3号 特集=教育実践における教材

2021年12月19日

実践の本刊行!どんどんひろがれ 学びのわ

「学びの”わ”プロジェクト」にご参加ください!

 本づくりを支え、学びの”わ”を広げるプロジェクトです

待望の刊行です! 

 越野和之(奈良教育大学・全障研委員長)・河合隆平(東京都立大学・全障研副委員長)編
 『子どものねがいと教師のしごと
    ―障害のある子どもと創る教育実践の記録』
 第1章=障害の重い子どものねがいを聴き取る(鈴木輝子、南有紀、阿部直俊)
 第2章=からだと心をひらき文化を手渡す(野津保、鶴町喜代子、松本将孝、大前学)
 第3章=仲間とともに学びあう子どもたち(小島貴子、箕浦啓太、与倉麻美)
 第4章=子どもと向き合う教師たち(塚田直也、村上徹、鈴木こずえ)
詳細案内のページへ

 


出版記念オンライン学習会 
日時:2021年12月4日 (土)講師=竹沢清さん 全国から50人の参加で盛況でした


 


全障研「学びの“わ”プロジェクト」

コロナ禍で教育実践を深く学びにくくなった方、自分の近くに語り合える仲間が見つからずサークル活動に一歩が踏み出せなかった方、この機会に一緒に学びの“わ”を広げませんか。

このプロジェクトのコンセプトは、
学びの機会をつくる  ◯学びの仲間をつくる 学びのうねりをつくる
です。

具体的には、別紙資料にあるように「本づくりを支える」こととその本にかかわった「学びあいの“わ”を広げる」活動を行います。

◯書籍を刊行します=障害者問題研究の「実践に学ぶ」コーナーに掲載された教育実践報告の出版の資金援助を行います。
◯オンライン学習会を開催します=出版前から、そして出版後も障害者問題研究の「実践に学ぶ」コーナーに掲載された教育実践報告をもとに、オンラインでの学習会を行います。限られた誌面では語り尽くすことのできなかった実践者の思いや実践の背景なども学び尽くし、普遍的な教育実践として大切にしたい視点を学びあいたいと思っています。
◯仲間と学習の“わ”を広げます=仲間とつながって、自分たちで学習の企画を立て、学びの“わ”を広げましょう。

ぜひ、みなさんプロジェクトメンバーになってください。
プロジェクト参加希望者は専用の申込フォームからお願いします。
https://form.run/@sakurai-hiroaki--1611202867

2021年12月19日

佐藤比呂二『出会いはタカラモノ』  大好評増刷へ

佐藤比呂二(特別支援学校)『出会いはタカラモノ 子どもから教えられたことばかり』

大好評増刷へ



「はじめに」より
 思うようにいかない子どもとのかかわり。考えても考えてもわからない子どもの気持ち。そんな先の見えない子どもとの日々を繰り返しながらも、(あっ、そんなふうに思っていたのか)(えっ、そんなねがいがあったのか)と気づかされる瞬間がありました。
 こだわりの強い自閉症児が自分のこだわりを食い止めようと必死に葛藤したり、不登校になった子が自分の居場所を見つけて変わっていく姿を目の当たりにしたとき、彼らの本当のねがいは何かを教えられた思いがしました。


「つまずいても、そこから自分を変革していく教師の姿は、本来、学校とは、教師とはという問いに、答えを与えてくれる本。ぜひ、幼児期のお母さん、お父さんだからこそ、読んでいただきたい」(白石正久さん)


「『みんなのねがい』の連載で大変好評で、私も楽しみに読んでいたものの単行本化です。子どもに学ぶということの大切さを教えてくれます」(大迫より子さん)


詳しい目次へ(「ちょっと見」できます)

 

2021年11月11日

田中智子『障害者家族の老いる権利』大好評2刷!納品しました

田中智子(佛教大学)『障害者家族の老いる権利』大好評2刷 納品されました

大好評につき2刷が本日納品されました

<書評より>
『障害者家族の老いる権利』は、著者が障害のある人・その家族との楽しい経験も共有してこられ、心から寄り添ってこられたからこそ、そして今を受けとめ、課題を引き寄せて考えられるからこそ、その調査の視点、分析に説得力があり、私たち家族を励ましてくれる稀有な著書であると思います。
 障害のある子どもの黒子として生きてきた多くの母たちが、自分のことを語り始めてきた今「家族から社会へのケアの移行を考える」の章の、それぞれの立場からの視点は、立場を越えて考えあい、共有しあう、そんな機会を持つ上で大切な提起をいただきました。

詳しい目次へ(「ちょっと見」できます)

2021年7月12日 出版記念トークイベント100人こえる参加ありがとうございました

2021年09月27日

大会アピール 2021年8月8日

大会アピール  2021年8月8日


大会アピール


 私たちの国の政権は、新型コロナウイルスの度重なる感染拡大により、かけがえのない命が危機にさらされ、人間らしい生活が脅かされる現実に目を背けながら、オリンピックの開催に踏みきりました。国民の命と健康を守る責任を投げ打ち、経済的な富を求めてやまない政治がそこにあります。命の切り捨てを許さず、政治への不信によって損なわれた社会への信頼を回復することなくして、障害のある人びとの発達保障は実現しません。

 全国障害者問題研究会は、2021年8月7日、8日の2日間、第55回全国大会(静岡2021)をオンラインで開催しました。開催地である静岡・浜松のなかまたちによるオープニングや文化行事は、「ひとりひとりのたいせつないのちにスポットライトを~RightsandLights~」という大会テーマと響き合って、いのちを輝かせ、平和に生きるための文化のねうちと力を伝えました。

 すべての人の命が脅かされることなく、豊かな発達が保障される社会を実現するためには、人間の命を破壊し、多くの障害者を生み出してきた戦争の歴史と向き合い続けなければならないことを、記念講演から学びました。

 分科会では、障害のある人びとの命を守り、ねがいを大切にしようと倦まず弛まず営まれてきた生活や実践の事実を語り合い、日々直面する悩みや困難をていねいに聴き合いながら、一人ひとりの足元から発達保障への道すじを明らかにしようとしました。そのなかで、はじめて全障研大会に参加された多くのなかまのことばにも脈打つ発達保障へのねがいを分かち合いました。

 新型コロナウイルスの感染爆発による危機は世界規模で広がっています。わたしたちの研究運動は、国際社会における権利保障の努力と歩みをともにし、障害のある人びとのねがいに学んで、すべての人の発達と権利を保障する社会をめざしたいと考えます。

 2日間で学び蓄えた力、確かめたつながりを糧に、それぞれの地域や職場で「ひとりぼっち」をつくらせず、みんなのねがいを語り合い、明日への希望を分かち合いましょう。「この子らを世の光に」。障害のある人びとの人格発達の権利を徹底的に保障するとりくみのうちに、だれもが生きるに値する平和な社会の発達を展望しましょう。互いに結び合った手を離さず、発達保障の道をともに歩んでいきましょう。

  2021年8月8日
  全国障害者問題研究会 第55回全国大会(静岡2021)

 

2021年08月08日

第55回全国大会(静岡2021)オンライン ありがとうございました

全国障害者問題研究会第55回全国大会(静岡2021)オンライン
ありがとうございました

 

全障研第55回全国大会(静岡2021)オンラインは、全国各地、北欧やアジアなどから800人をこえる参加のもとに実践にもとずく学び合い、語り合いにとりくみ、大きく成功しました。ご協力いただいたすべてのみなさんに感謝申し上げます。

なお、「なんらかの事情で視聴できなかった」みなさんには、開会全体会と学習講座の録画を8月9日~8月31日まで配信する予定ですので、全国事務局に必ずメールにてお問い合わせください。

 

▶全国大会(静岡2021)オンライン 特設ページ

2021年08月08日

第55回全国大会(静岡2021)基調報告

全国障害者問題研究会
第55回全国大会(静岡2021)基調報告

 常任全国委員会    2021年8月7日




はじめに

昨年来の「コロナ禍」と呼ばれる状況のなかにあっても、たくさんの人が、それぞれに困難を抱えながらも、障害児者の発達保障・権利保障のために、知恵を集め、力を注いできました。

 一方で、日本の政府は、新型コロナウイルス感染症に対して、必要な対策を怠るだけでなく、「GoToキャンペーン」を展開するなどして感染のリスクを高めました。社会生活に欠かせない「エッセンシャルワーク」の重要性が鮮明になるなかでも、保健医療・福祉・教育等を軽視し続け、病院・病床の削減すら狙っています。東京オリンピック・パラリンピック開催に固執する姿に象徴されるように、人間の健康・命よりも経済の活性化を優先する姿勢、私たちの生活よりも大企業の利益を優先する姿勢を露わにしています。

 全障研は、5月、「コロナ禍の下でのオリパラ強行ではなく、すべての人々のいのちと健康、くらしを守ろう」と声明を発表し、「いのちと健康を守ることを自己責任とする政策がむき出しになれば、障害のある人、なかんずく重い障害があり複合的な権利保障を必要とする人のいのちと健康は守られません」と訴えました。いま、コロナ禍の中で生じている、さまざまな困難は、菅首相の言う「自助・共助・公助、そして絆」では解決できません。

 日本の社会は、多くの歪みを抱えています。福島第一原子力発電所の事故から10年以上が経過しましたが、未だに原発から脱却できていません。政府は「脱炭素」を口実に原発を推進しようとしており、運転開始から40年を超えた原発の稼働まで認めています。また、貧困が依然として深刻な問題であるにもかかわらず、国の軍事費の増大は続いており、2016年度以降は5兆円を上回る額に及んでいます。日本学術会議会員の任命拒否や、「コロナ禍」のもとでの「憲法改正」の策動のように、政府が物事を強硬に押し通す動きも目立ちます。

 世界的にみても、私たちの社会は、新型コロナウイルス感染症に加えて、いくつもの脅威に直面しています。ロシアや米国などの国々が保有する大量の核兵器は、世界に破滅をもたらしかねません。何百基もの原子力発電設備の存在も、無数の命を危険にさらしています。また、気候危機が深刻化しており、日本においても、近年は毎年のように台風・豪雨による災害が多発し、気候変動の影響が顕在化しています。土壌の劣化、地下水の枯渇、森林の破壊、生物の大量絶滅など、人間の社会を崩壊させ、地球の生き物を追いつめていく世界規模の危機が、目の前にあります。

 課題は山積していますが、そうしたなかでも、障害児者の発達保障・権利保障のために取り組む多くの仲間がいます。自らの実践に真摯に向き合うと同時に、その実践のためにも、学び、交流しています。私たち全障研も、「コロナ禍」のもとでも、オンラインなど、新たな方法の活用も模索しながら、発達と発達保障を学び、実態や実践を語り合うことを大切にして、研究運動を進めてきました。

 また、人々の権利保障をめざす運動は、いくつもの重要な成果を生み出してきました。2021年2月には、国による生活保護費の引き下げを違法とする判決が大阪地方裁判所で出されています。2021年3月には、札幌地方裁判所が、同性婚を認めないのは憲法違反であるとしました。そして、学校教育に関しては、公立小学校の学級人数の上限を35人に引き下げる法律改正が2021年3月になされ、少人数学級化が前進しました。特別支援学校の設置基準の策定に向けた動きも進んでおり、過大・過密の解消など、教育条件の改善が望まれます。医療的ケア児支援法(医療的ケア児及びその家族に対する支援に関する法律)の成立、民間事業者における合理的配慮を努力義務に止めていた障害者差別解消法の改正(施行日未定)も障害分野における現状改善への一歩であり、実効性のある施策の具体化につなげたいと思います。

 国際的には、核兵器禁止条約が2021年1月に発効しました。障害児者の発達保障・権利保障は、戦争と両立するものではなく、核兵器の存在と相容れません。日本政府は条約の批准に背を向けていますが、平和を願う声を集め、核兵器の廃絶に向けての歩みをさらに進めなければなりません。

 一人ひとりの発達保障・権利保障のためには、一人ひとりのための具体的な実践とともに、地球規模の問題を含めた社会的課題への取り組みが必要です。しっかりと社会に目を向けつつ、日々の実践を大切にしていきましょう。


Ⅰ 乳幼児期の情勢と課題

 乳幼児期の療育の今後を左右する二つの動向に注目する必要があります。一つは2021年度からの障害福祉サービス報酬における子どもにかかわる改定であり、もう一つは児童福祉法改正に向けた障害児通所支援の見直しの議論です。

1)療育の土台を掘り崩す報酬改定

 2021年度報酬改定において、児童発達支援の加算が変更されました。これまで基準以上の職員配置に認められていた加算が部分的に削られ、代わって個別の子どもの通所に対応した個別サポート加算と、特定の資格をもつ職員を配置した場合の専門的支援加算が新設されました。前者は子どもの状態によって報酬に高低が生じる(公費の給付額が変わる)という点で、後者は特定の専門性を報酬に反映させたという点で、今後の療育のあり方にかかわる重大な問題をはらんでいます。

 個別サポート加算には、障害の状態などの聞き取り調査の結果による加算Ⅰと、虐待などの可能性のある要保護・要支援の子どもが利用したときの加算Ⅱがあります。加算Ⅰを判定するための「乳幼児等サポート調査」は「5領域11項目」からなります。障害についての診断が確定せず苦悩する保護者に「行動障害及び精神障害」に関する具体的特徴の有無を問うことは、育児の希望とわが子の成長・発達への信頼を奪うことになります。「食事」や「排せつ」などの身辺自立に関する介助の状態も、障害ゆえのできなさなのか、発達途上の課題なのかを見極めて答えることは困難です。発達科学の知見を踏まえず、乳幼児の実態からかけ離れた調査は、保護者の困惑をひきおこすものであり、「できる」「できない」を問うことは子どもの尊厳を踏みにじるものです。

 一方、加算Ⅱは、虐待などの可能性や養育上の課題のある要保護・要支援児童で関係機関との連携を行っている場合の加算です。利用契約を前提とした現行制度では、加算Ⅱの適用を支援計画に明記して保護者に同意を求めることになりますが、これは保護者との信頼関係を損ない、子どもの療育を受ける権利を奪いかねません。実際に要保護・要支援児童の支援をていねいに行っている事業所はありますが、個別の加算の手続きは現実的ではないとの意見があがっています。

 発達のつまずきや障害のある子どもの乳幼児期において、保護者がその事実を受けとめながら子育ての喜びを感じて生きていくためには、療育などの支援と出会う場面からのていねいで心のこもった支援が必要です。二つの加算の調査や手続きはそのことに逆行し、子どもと保護者の尊厳、基本的人権を侵害するものです。

 また専門的支援加算については、「専門的支援を必要とする児童のための専門職」として、理学療法士や心理指導担当職員の配置がこれまで以上に強調されています。保育士・児童指導員も併記されているものの経験年数「5年以上」という限定つきです。理学療法士等を配置し、個別指導をする事業所が「専門性が高い」と見なされ、加算を得ると、療育を個別の支援や訓練に狭め、発達保障のための療育実践を制約することにならないかが懸念されます。子どもの発達や生活を丸ごととらえ、乳幼児期にふさわしい遊びを保障することで、育ちの土台を築く。こうした実践を重ね検証しながら、療育の専門性の議論を深めてくことが求められています。子どもへの働きかけ一つひとつに値段をつけるような加算方式や日額報酬制をやめて、安定して児童発達支援の実践がすすめられる制度的基盤をつくっていくために、ひきつづき職員と保護者がともに学び、運動していく必要があります。

2)特別なケアと子どもらしい発達の保障

 このように、今回の報酬改定は、報酬の上げ下げにとどまらず、障害児支援の質の変更を迫る内容を含んでいます。振り返ると、2006年の障害者自立支援法施行から障害のある子どもの福祉にも利用契約、応益負担、日額報酬のしくみが導入され、その骨格を維持したまま、2012年からは児童福祉法のもとで子どもの福祉が「障害児通所支援」として再編されました。

 本来、発達的な変化の著しい乳幼児期は、障害がある場合も含めて、すべての子どもに「よく遊んで、たっぷり食べて、ぐっすり眠る」という当たり前の生活を保障することが何よりも大切です。発達や障害のつまずきがある場合には、保護者へのていねいな支援も求められます。療育を商品とみて、利用料の対価として相談・支援が行われるしくみでは、職員と保護者がともに子どもの成長・発達を喜び合い、じっくりと時間をかけて話し合いながら、ねがいや悩みを分かち合うことが困難になります。こうした観点から、障害児通所支援の各事業の役割を見直す必要があります。

 しかし、6月から厚生労働省内で始まった「障害児通所支援の在り方に関する検討会」は、利用契約や応益負担など障害を自己責任に帰す制度の根本にふれないまま、利用者増の抑制や支給決定のあり方、保育所などの一般施策の利用促進などについて「検討」しようとしています。

 また、子どもの状態を聞き取る「5領域11項目」調査が個別に加算をつけるために用いられるようになったことは、成人の「障害支援区分」により類似したしくみになったことを意味します。利用契約、応益負担、日額報酬のしくみは、発達しつつある子どもの支援に大きな矛盾と困難をもたらしてきましたが、これを改善しようという方向とは逆行します。

 子どもの生活や人間関係を切り刻むようなしくみを改め、障害があっても「子どもは子ども」として尊重されるためには、制度の根本が見直される必要があります。子どもが育つためには、当たり前の生活と安心できる人とのかかわりが必要です。遊びにくさがあったり、生活リズムを整えることが苦手な子どもたちにとって療育の場は、安心して自分を出し、友だちと一緒に遊びを楽しみながら、自信をたくわえていくことのできるかけがえのない場所です。子どもが思わず手を伸ばしたくなるような、心がぐっと動く遊び、子どもを自然と巻き込んでいくようなクラスの雰囲気、その一つひとつに、子どもの育ちをねがう療育者たちの意図が込められています。「コロナ禍」にあっても、感染を防ぐためにさまざまな制約がありながらも、子どもらしい当たり前の生活を保障しようと努力や工夫が重ねられています。ところが、こうした発達のつまずきや障害のある子どもと保護者が、毎日安心して楽しく通える療育の土台や入り口が大きく揺るがされているのです。

 子どもの権利条約(1994年批准)や障害者権利条約(2014年批准)に照らして、障害があっても、障害のない子どもと同等に、毎日の生活の拠点があり、そこで障害への特別なケアを受けながら、子どもとして発達することを保障する施策が求められます。児童発達支援をはじめとする障害児通所支援の改善とともに、保育所、幼稚園、認定こども園などの一般の子ども支援制度から排除しない制度がつくられなければなりません。

3)地域療育づくりの歴史に学び、総合的な発達保障を

 障害乳幼児に療育を保障するための運動と実践は、住民自治と結びつきながら、乳幼児健診や母子保健と一体となった自治体の療育システムをつくりあげてきました。そうした地域療育づくりの歴史にも学びながら、障害乳幼児の発達保障としての療育の理念を確かめたいと思います。親子教室をはじめ、障害の診断の確定にかかわりなく、子どもの必要に応じて療育が受けられるよう、保健師、療育・保育の関係者が連携して、地域のすべての子どもの発達保障に責任をもつ、ゼロ歳からの系統的な発達支援・子育て支援のシステムが求められています。『障害者問題研究』第49巻1号の特集「乳幼児期の発達保障と児童発達支援の課題」も活用しながら、乳幼児期の総合的な発達保障にむけた地域療育のあり方を話し合っていきましょう。


Ⅱ 学齢期の情勢と課題

1)「コロナ禍」のもとでの学校教育の困難と新たな展望

 この春、「コロナ禍」のもとでの2回目の新年度を迎えました。昨年初夏の学校再開以後、各地の学校では、感染拡大防止に細心の注意を払いながら、子どもたちの当たり前の生活を取り戻し、発達へのねがいに応える教育実践を創り出すために、実にさまざまな工夫が行われています。

 その一方、ソーシャルディスタンスの一方的な強調とGIGAスクール構想の強行のもと、実践の工夫が、オンライン授業でどんなコンテンツを提供すれば子どもたちの興味をひけるのかといったことに一面化する危惧もあります。「オンラインでは、子どもたちの心の動きがほとんどわからなかった」、「そばにいるから感じること、触れているからわかること、働きかけるから気づくことがある」。再開後の学校から伝わるこうした声は、子どもたちのことを深く知りたい、子どもたちとつながりたいというねがい、だからこそ、子どもたちの内面に思いを寄せ、子どもとのかかわりから学ぶことを大切にしてきたいという、実践者としての切実なねがいの表明でしょう。

 こうしたねがいは、困難が大きい今だからこそ学び合いたい、仲間とつながりたいという要求を生み出します。コロナ禍のもと、これまでの学習活動を継続することが困難な中でも、オンラインなどの新たな形態を取り入れながら、さまざまな学習活動が力強く進められようとしています。

2)中教審答申と「新しい時代の特別支援教育」有識者会議報告
 
2021年1月、中央教育審議会は「『令和の日本型学校教育』の構築を目指して」と題する答申を公表し、それと前後して、「新しい時代の特別支援教育の在り方」に関する有識者会議もその最終報告を公表しました。

 中教審答申は、従来の「日本型学校教育」を高く評価する一方で、子どもの多様化や教師の長時間労働、情報化への対応などの課題を指摘し、「個別最適な学び」と「協働的な学び」の双方を「一体的に充実」するとしていますが、その背後には、よりストレートに「学びの個別最適化」を主張する経済産業省「未来の教室」創出事業や、それと呼応する「Society5.0に向けた人材育成」(文部科学省2018年)などの動きがあります。これらは、学校における「一人一台端末」の実現などを強行するGIGAスクール構想などとも相まって、子どもたちの学習の個別化を促進するとともに、学習成果に対する「自己責任論」を押し進める危険性の強いものです。学校マネジメントや持続的で魅力ある学校教育の実現といったスローガンも、政治による学校及び教師への管理統制の強化につながりかねません。

 「新しい時代の特別支援教育」を掲げる有識者会議報告も、ICT環境の充実と教師の活用スキル向上を強調しますが、実現が急がれる「自校通級」のための環境整備や、学校数の少ない盲学校・聾学校からの専門的指導などを「ICT・遠隔技術の活用」に委ねるなど、本来必要な予算措置や教員配置に背を向け、安上がりに済ませるための方便という性格が色濃いものとなっています。
 急ピッチで進められるGIGAスクール構想にかかわっては、学校施設の補修などの切実な課題には予算措置がないのに、ICT環境の整備だけが行われるといった矛盾も報告されています。
 有識者会議報告では、特別支援教育を担う教師の専門性の向上も謳われていますが、特別支援学校における特別支援学校免許の所持に関する特例は放置され、ICTを活用したより効率的な研修の実施を求めるなど、現場の教師の実感とはかけ離れたものとなっています。

3)教育条件整備の課題

 一方で前進もあります。「新しい時代の特別支援教育」有識者会議と中教審は、政府のこれまでの方針を転換し、特別支援学校の設置基準の策定を表明しました。

 「教育環境が非常に劣悪なのに、それを正す指標としての設置基準が特別支援学校にだけないのはおかしい」「よりよい環境で学ばせたい、学びたい」という保護者・教職員・子どもたちの思いを背景とした、十数年におよぶ運動の成果です。形式的な策定に止めることなく、教育条件を実質的に押し上げるものとしていかなければなりません。全日本教職員組合などでは、実効性のある設置基準とするために、多くの教職員・保護者の声を集めた設置基準案を提起しています。教育条件が劣悪なのは、特別支援学級も通級による指導も、通常学級もしかりです。設置基準策定を実現させた運動の底流にあるのは、どの子にもゆきとどいた教育条件の下でゆたかな教育保障を、という要求です。その実現のためには、現在の教育条件の劣悪さと、そのもとでの教育実践の制約をリアルに明らかにし、より広範な人びととの連携をつくり出していくことが必要です。

 一方で、特別支援学校では小学部の段階から、将来の一般就労を目標とし、実践をその目標に従わせようとする傾向が広まっています。日々の学校生活を、常に「できる―できない」で評価されるなかで、自信と自尊の感情を持ちづらくさせられたまま卒業していく子どもたちの姿も報告されています。現在の教育現場では、「働き方改革」の名のもとでタイムカードでの勤務時間管理が導入されたり、授業や教育課程は学習指導要領と整合しているかどうかだけが問題にされたり、実践が、数値で測定できる短期間の変化だけで評価されるなど、教師の仕事に対する管理・統制が幾重にも強められています。教育条件の整備は、学校増設などの教育環境の改善に留まるものでなく、一人ひとりの教師がしっかりと教育実践に向き合い、子どもとともにゆたかな教育内容を創り出していくことができる条件につながらなければなりません。子どもたちの教育権を実質的に保障していくためには何が必要なのか、視野を大きく持った総合的な検討と改善に向けた運動が必要です。

4)ゆたかな生活のための放課後保障

 拙速な休校要請によって障害のある子どもと家族の生活にはさまざまな困難が生じました。学校での教育活動が大きく制約される中でも教師によるさまざまな努力が各地で行われましたが、休校の間、子どもと家族の生活を支えたのは放課後等デイサービスであったことも事実です。公園や公共施設などの閉鎖で場が狭められ、職員も感染の危険にさらされながら、活動を続けました。こうした困難はたびたび報道され、「コロナ禍」のなかで、放課後等デイサービスは障害のある子どもにとってなくてはならない社会資源として知られるようになったといえます。

 しかし、4月からの報酬改定では、「収益を上げている」という数字を根拠に、放課後等デイサービスの報酬は引き下げられ、今後の活動継続を見通すことが困難だとの報告も相次いでいます。

 放課後等デイサービスに代表される学校外の障害児支援の場は、学校とならんで、障害のある子どもたちの生活と発達保障に欠かせない大切な場です。3ヵ月以上にわたる非科学的な「臨時一斉休校」の経験は、これら放課後保障のとりくみの大切さと、そのおかれている制度的基盤の脆弱さに加えて、学校教育と放課後等デイサービスなどとの相互理解と緊密な連携の必要性も明らかにしました。障害のある子どもたちとその家族のゆたかな生活を実現するために、行政による分断を乗り越え、学齢期の発達保障にかかわる幅広い人々の連帯をつくり出していくことが求められます。


Ⅲ 成人期の情勢と課題

1)他の者との平等を基礎とした生活・人生の確立を

 成人期において暮らしの質を追求するためにも、ライフサイクルを通じてのノーマルな経験の保障は不可欠です。乳幼児期の保育・療育の保障に始まり、学齢期の生活、さらに、青年期には同年代の多くの市民が高等教育機関に進学するのと同様に、学びの場を保障すること、その後の成人期においても生涯学習を保障するとともに、親離れ、結婚、親になることなどを含めて、多様な人生の選択肢を、障害者にも平等に開くことが重要です。

 また、障害者が家族に依存しないで生きることを考えることと同時に、障害者の介護に専念せざるを得ないために家族が貧困リスクを高めることになるのではなく、家族も自立する視点をもつことが必要です。障害者がいることが要因となって、きょうだいや夫婦、祖父母といった家族の関係が緊張を強いられるのではなく、相互に尊重しあって生活するために何が必要か、それぞれの就労や休息など家族の要求に基づく運動、社会的支援のあり方について検討することが求められています。

 入所施設で暮らしている人の外出支援や、グループホームや入所施設の中で家族が過ごすスペースの制度化など、障害者と家族の交流を保障する手立ても必要です。「全国障害児者暮らしの場を考える会」の基本要求には、家族依存からの脱却ために「親が元気なうちから社会的支援への実質的な転換」ということが掲げられています。障害があっても、本人も家族もゆたかな人生を追求することを諦めない社会づくりが求められています

2)成人期施設の安定した運営を支える制度を

 新型コロナウイルス感染拡大状況下では、成人期障害者施設においても休所や利用者による通所自粛があり、居宅支援では移動支援や訪問介護の利用のキャンセルなどが相次ぎました。不測の事態であっても事業所への報酬は日割りで実績払いのため減収になり、事業の継続自体が困難になっている施設も多くあります。

 加えて、2021年度の報酬改定においては、就労移行実績や月額工賃の高低によって報酬に差をつけ、生活介護事業では利用者に行動障害や身体障害がない場合には報酬を減額するなど、成果主義と障害支援区分偏重がさらに露わになりました。グループホームにおける夜間体制の弱体化を招くような報酬では暮らしを守ることはできません。その他にも事業基盤の不安定化につながるような施策がつづいています。成人期障害者を対象とした施設は、多くの利用者にとって、有期限ではなく長期にわたり、仕事や暮らしなど人生を支える拠点ともいえる場所であり、安定的な運営が欠かせません。人生に見通しをもって、仕事や暮らしの場のあり方を考えることができるような安定した運営を支える制度が求められます。

3)所得保障政策の整備を

 市場化された経済生活を営む現代において、障害のある人の自立を考えたとき、所得保障政策の整備は他の者との平等を基礎とするための前提条件です。この点では、2021年2月22日、国が物価下落に合わせて、2013年から2015年にかけて生活保護費を約10%引き下げたことは違法とした大阪地裁判決や、2021年3月から、障害基礎年金を受給しているひとり親が「児童扶養手当」を受給することができるようになったことは、私たちをおおいに励ましました。

 一方で、新型コロナウイルス感染拡大状況下において、8割以上の事業所で生産活動が減収になり工賃は大幅に下がった(きょうされん調べ、2020年7月)ことで、障害のある人たちの生活や余暇を支える経済的基盤が不安定で脆弱なものであることが改めて問題となりました。障害のある人の労働による給料や工賃保障のための社会的手立ての充実とともに、最低生活水準を大きく下回る障害基礎年金の問題などを改めて問い直す必要があります。

 その障害基礎年金さえも、障害の医学モデルに依拠した受給要件で対象者を制限するといった制度の不備によって無年金状態となっている人たちや、その救済策である特別障害者給付金制度からも対象外とされている人も多くいます。加えて、2019年10月から、消費税増税にかかる緩和措置として、低年金者に年金生活者支援給付金が支給されるようになりましたが、無年金障害者は対象外というように、何重もの排除が働いています。そもそもの問題として、生活の主要な支えである年金を社会保険という「共助」の仕組みにしていることが、大きな問題です。

 自己責任や自己努力を求めるのではなく、生活の支えは国家の責任でということへと転換を図る必要があります。

4)暮らしの場の整備を
 
 障害者家族における、老障介護、「ロングショート」(短期入所を長期間つなぐ)、親なき後をめぐっては、深刻な実態が生じています。地域で入所施設やグループホームなどの暮らしの場を求めて待機状態になっている人が多数いる現状を踏まえた喫緊の課題として、量的整備の必要があります。

 また、障害のある人たちの多くの尊い命が無残に奪われた津久井やまゆり園事件から5年が経ち、事件を振り返りこれからを展望するような関係者からの発信が行われつつあります。量的整備だけではなく、暮らしの質にも着目し、どこで暮らすかだけでなく、どのように暮らすかを考えることのできるような社会資源の整備が必要です。

5)ケアの家族依存・専門職のボランタリーからの脱却を

 新型コロナウイルス感染拡大状況下においては、成人期障害者の利用する社会資源の休所や通所自粛などが相次ぎ、ケアにおける家族役割の大きさが再認識されることなりました。グループホームや入所施設でもできるだけ帰省を求めるなどの対応がとられたところもあり、極限の状態で、高齢の親が子どものケアを全面的に引き受けざるを得ず、親子ともに行き詰まりを感じているケースも多く見られました。

 新型コロナウイルスは障害者施設をも例外なく襲い、障害があるとケアの体制が取れないので陽性であっても入院することができない、体調不良や発熱などの症状があってもPCR検査さえも受けられない事例が続出しました。

 そのような中で、家族や専門職は、まさに命がけでケアを行いました。障害児者を支える専門職は、エッセンシャルワーカーとして、緊急事態下であっても休むことのできない、社会生活において欠かせない職業として認識されはじめたものの、労働条件や環境を支える制度は、何ら改善が見られません。

 新型コロナウイルスによる危機は、これまで家族に押し付けられてきたケアの矛盾をあぶりだしつつあります。また、寄り添う専門職のボランタリーな活動に依存しすぎていることも問題です。障害のある人の命を守るということは、それを支える人たちの命も守るということです。ケアの家族依存や、専門職のボランティア性に依存している状況を構造的に見直す必要があります。

Ⅳ 研究運動の課題

1)脆弱な制度に分断させられることなく要求でつながろう

 「家での生活を強いられ、子どもも親も疲れきっています」。自分の責任、家族の責任で命を守れという究極の自己責任論に対して、障害や年齢を問わず、日本中から発せられた叫びです。家族が面倒をみることを当然だとする考えが根強く残るなか、障害のある人とその家族は、障害者自立支援法以来、小刻みにされた支援をつなぎ合わせて生活を組み立てることを強いられています。その矛盾は、ステイホームの強調でいっそう鮮明になりました。こうした矛盾は、ときとして障害者・家族、学校、福祉事業所などの間に溝をつくります。

 だからこそ、目の前の障害者・家族を中心に、分野をこえてつながり、語りあい、一緒に考えることが大事なのではないでしょうか。この1年余、各地で模索し、足を踏み出して展開された実践は、いずれも私たちに新たな課題を提起しています。感染に十分気をつけながら何ができるかを考え工夫した実践、感染に直面して実感した保健所や医療機関との連携など、『みんなのねがい』、『障害者問題研究』にはたくさんの報告が掲載されており、ここから学ぶことができます。

 必要な支援は「サービス」ではなく、権利保障の根幹です。制度にないことも要求に基づいて実践し、新たなつながりをつくり、自治体に働きかけるなど、制度を変え新たにつくることを展望した研究と実践、運動に取り組んでいきましょう。

2)発達研究と発達保障の実践を車の両輪として進めよう
 
 「発達の理論と目の前の子どもたちの姿がなかなか結びつかず、どうしても『~の力をつける』を考えている自分がいます」。6月の「教育と保育のための発達診断セミナー」に寄せられた声です。実践の場は異なっても、多くの人々が障害のある子どもや大人のねがいを受けとめる実践者でありたいとの思いをもって、人間が発達することの価値を学ぼうとしています。

 私たちは、何かが一人でできるようになることだけをとらえて「発達」と呼ぶような、貧困な発達観には立ちません。子どもの発達要求を無視して、同じ場所で、同じ道具や同じようなかかわりがあればそれでよいという立場にも立ちません。これまでに積み重ねてきた、人間発達の研究と、家庭や地域と手を取り合って進めてきた発達保障実践を車の両輪としてとらえ、よりゆたかに進めることが重要です。障害者が主体として生きる、その主体性を中心に据えながら、時には全身で、時には本当に小さいサインとしてあらわされる発達要求をしっかりと理解し、その要求に応える実践を創り出すこと、そこで生み出された事実をもとに研究を進めることを大切にしましょう。

 希望する子どもへの後期中等教育保障が実現してきた現在、生涯にわたる発達を展望しつつ、多様な形で広がってきた18歳以降の教育の場の実践をはじめ、青年期の発達と発達保障実践を検討しあうことが大事な課題となっています。

 実践とそれにもとづく研究の発展のためには、実践の成り立つ基盤にも目を向けることが必要です。発達保障実践をすすめる療育や放課後活動、自立訓練事業などの場の土台が日額報酬という「明日の保証がない」脆弱なしくみで成り立っていること直視しなければなりません。ゆたかな実践と結んだ制度の改善に力を合わせることにも取り組みましょう。

3)同年齢の市民と同等の権利を実現するために手をつなごう

 障害ゆえに移動や生活上の支援を利用して自分らしい生活を送ってきたから高齢になっても支援を継続してほしいということは当然の願いです。しかし、5月18日、千葉地裁は、「65歳から介護保険を優先して利用せよというのは理不尽だ」とする天海正克さんの訴えを退けました。判決は、「公費負担の制度より社会保険を優先する」のが基本だといい、障害者の生きる権利ではなく国の不十分な社会保障政策に追従した姿勢を露わにしています。天海訴訟によって「65歳問題」は日本の社会保障制度の根幹にかかわる問題だということが明らかになりました。こうした本質を幅広い人々に知らせ、輪を広げていくことが大切です。

 同じように、保育・学校教育でも、障害の有無をこえて課題を共有し、同年齢の市民と同等の権利保障を実現するすじ道を明らかにしていきましょう。
 
4)あなたも全障研へ 今こそ、発達保障の研究運動をすすめよう

 今こそ、「私たち抜きに私たちのことは決めないで」を合言葉に、声をあげ続けましょう。

 暮らしの場、学ぶ場、働く場における発達保障労働は、障害者の発達の権利をゆたかに実現するために重要です。それらの一つ一つが魅力的な労働の場でもあります。よりゆたかに発達を保障していくために、全国大会やサークルに集い、研究運動を進めていきましょう。『障害者問題研究』や『みんなのねがい』の読者会を通じて、会員が広がっています。実践を語り合うグループをつくって、仲間を広げていきましょう。全障研ホームページには、学びを深めるための「ラーニングガイド」、学びを止めないための「オンライン活用」のページも充実しています。

 地球規模の課題を視野に入れ、障害のある人の命、暮らし、発達の権利を守る研究運動を、社会全体で進めていきましょう。安心できる生活を破壊し、ねがいを分断し、他者と共に文化を謳歌することを認めず、発達権を後回しにするような動向に反対の声をあげ、発達研究に基づく権利保障の運動を展開していきましょう。個人のねがい、集団・組織のねがい、社会のねがいのそれぞれを深め、つなぎ、障害者権利条約の時代にふさわしい権利保障を訴え、平和・非暴力・民主主義を社会制度と国際社会に貫いていきましょう。
 

 

2021年08月07日

新型感染症をめぐる現下の状況を踏まえた全国大会(静岡・オンライン)参加の取り組みについて

新型感染症をめぐる現下の状況を踏まえた全国大会(静岡・オンライン)参加の取り組みについて

2021年8月2日
 各支部支部長、事務局長、全国委員のみなさま
 全障研会員のみなさま
     全国障害者問題研究会
     全国委員長 越野和之

新型感染症をめぐる現下の状況を踏まえた全国大会(静岡・オンライン)参加の取り組みについて

  全障研第55回全国大会(静岡・オンライン)の開催が間近に迫りました。静岡はじめ、各地の支部では、一人でも多くのなかまとともに、大会に参加できるよう、パブリックビューイングの設定と参加の呼びかけなど、様々な準備を進めていただいていることと存じます。

  一方で、多数の懸念や反対を押し切って東京オリンピックが強行される下、新型感染症の「第五波」と も呼ばれる感染拡大が急速に進行し、東京都に続き、埼玉、千葉、神奈川、大阪でも四度目の緊急事態宣言が発出される事態が引き起こされています。感染は近畿や東海を始め、全国に拡大する状況を呈しており、私たちは、こうした状況を十分に考慮して、間近に迫った大会に臨むことが必要だと考えます。

 今年の第55回大会は、当初、集まって話し合う従来型の開催を予定し、開催地静岡を中心に、様々な準備活動が取り組まれてきましたが、私たちは、感染の拡大によって、本来奪われなくてもよいいのちが万が一にも奪われたりすることのないように、オンラインを基本とする大会開催を決意しました。大会の成功は、障害のある人たちの権利を守り、発達を保障することを願う一人でも多くの人が集うこと、大会に参加した一人一人が、全体会や分科会での討議、学習講座などでの学びを通してお互いの努力を知り合い、自身の課題をつかんでそれぞれの地域に持ち帰り、地域での取り組みを広げることにあります。大会に参加するすべての方のいのちと健康が脅かされないことは、そのもっとも基礎的な前提です。このことは、各地で準備されているパブリックビューイングなどの取り組みにおいても徹底されなければならないと考えます。

 感染拡大には地域差があり、具体的な対応は、それぞれの地域における慎重な検討に基づいて行われるべきですが、現下の状況を踏まえ、どのような対応を行う場合にも、以下のことなどに十分に留意して大会成功に向けた取り組みを進めていただくよう、心よりお願い申し上げる次第です。


1.各地で準備されているパブリックビューイングなど、集まって・対面で開催される取り組みについては、当該地域の感染拡大状況に十分に留意し、必要な場合には、個別もしくは小規模の視聴に切り替える等の可能性も検討してください。

2.感染状況等を踏まえ、パブリックビューイングを開催する場合には、以下の諸点を厳守してください。
A)会場の定めているルールを守ること
B)隣、前後の座席を空けるなど、十分な間隔をとって着席すること
C)出入口、窓を開放しての常時の換気を可能な限り行うこと
D)マスクの着用、手指消毒、設備の清拭など、感染予防に必要な対策を徹底すること
E)必ず参加者名簿を作成し、電話連絡先を把握すること(万一の感染発生の際に参加者への迅速な連絡ができるように)
F)参加される方々に当日朝の検温を依頼し、発熱、長くつづく咳などの体調の不良がある場合には、 参加をご遠慮いただくこと

2021年08月02日

田中智子『障害者家族の老いる権利』出版記念オンライントーク 7月12日(月)開催

田中智子『障害者家族の老いる権利』出版記念
オンライントークイベント  7月12日(月)10:30~12:30

100人をこえる参加ありがとうございました。


 


障害者のいる家族に生じる生活問題をテーマに研究を続ける田中智子さん(佛教大学社会福祉学部)による、高齢期を迎えた障害者家族の生活問題を捉え、親の老いる権利を考える『障害者家族の老いる権利』が刊行さ れます。
そこで、出版を記念してオンライントークイベントを開催します!
ゲストは全国障害児者の暮らしの場を考える会の播本裕子さんです。
播本さんは大阪障害児・者を守る会の会長でもあり、ご自身の子育て・ケアの 移行の経験を通して「親の自律・子の自律」をめざす活動を続けています。

「親亡き後」の心配までしなければならないのではなく、家族が ‶当たり前” に生きることのできる社会について、高齢期の問題に直面している方 も、子どもがまだ小さくずっと先の話だという方も、一緒に考えてみません か? 日々家族を支える支援者・関係者の方のご参加も歓迎です!

詳細案内、申込みはこちらのURLへ
 https://zenshoken-event-210712.peatix.com/

案内チラシをクリックするとPDFがダウンロードできます

 

2021年05月28日

「障害者問題研究」49巻1号 特集=乳幼児期の発達保障と児童発達支援の課題

「障害者問題研究」49巻1号
特集=乳幼児期の発達保障と児童発達支援の課題

特集にあたって/中村尚子

児童発達支援の機能と役割
 井原 哲人 白梅学園大学子ども学部

自治体における障害児福祉計画の現状と課題
 ――埼玉県下40市の第1期障害児福祉計画の分析
 新井 利民 立正大学社会福祉学部

発達支援と地方自治 ――鹿児島県伊佐市を例に
 若林 隆泰 奈良教育大学非常勤講師

連帯して療育の質を高めあう地域づくり
 ――広島県東部幼児通園療育機関協議会の取り組み
 長谷川貴一 社会福祉法人こぶしの村福祉会 児童発達支援センター 草笛学園
 中塚まちい 社会福祉法人こぶしの村福社会 児童発達支援センター ひかり園

報告
「安心」「楽しい」「大好き」を大切にした療育 ――“ほんとはやりたい”思いとつながる
 安藤 史郎 大阪府・社会福祉法人療育・自立センター 寝屋川市立あかつき・ひばり園

報告
保育園と家庭の間につくるスモールステップ ――並行通園の役割を考える
 飯室 智恵子 山梨県・社会福祉法人いずみ会 児童発達支援センターひまわり

政策動向
障害児通所支援2021年度報酬改定の問題点
 中村 尚子 特定非営利活動法人 発達保障研究センター


連載/実践に学ぶ
【報告】障害の重い子どもの特別支援学校の実践
 今こそドキドキわくわく心おどる学校を
  滋賀県立特別支援学校 教員 木?澤 愛?子
【木澤実践に学ぶ】
 みんなで“あぁ楽しかった”と思える授業づくり
 鳥取大学地域学部 寺川志奈子

連載/実践に学ぶ
【報告】放課後等デイサービスの実践
 集団の中で「一緒にしたい」思いを育んだ子どもたち
 放課後等デイサービススタッフ 中嶋麻衣
  社会福祉法人おおすぎ 城山れんげの里,立命館大学大学院社会学研究科博士後期課程
【中嶋実践に学ぶ】
 放課後になかまと育ち合うことの大切さに気づくこと
 静岡県立大学短期大学部 佐々木将芳

連載/ワイドアングル
 認知症の人と家族の会のあゆみと介護・福祉の未来
 花俣 ふみ代 公益社団法人 認知症の人と家族の会副代表理事

動向
 コロナ禍における障害児教育の現状把握オンライン研究会の取組みから
 國本 真吾 鳥取短期大学幼児教育保育学科

書評
 田中智子著『知的障害者家族の貧困──家族に依存するケア』
 評者 藤原 里佐 北星学園大学短期大学部

詳細案内・「ちょっと見」やオンラインでのご注文は以下のホームページへ
 ▶「障害者問題研究」49巻1号 特集=乳幼児期の発達保障と児童発達支援の課題

2021年05月21日

声明=コロナ禍の下でのオリパラ強行ではなく、すべての人々のいのちと健康、くらしを守ろう

声明=コロナ禍の下でのオリパラ強行ではなく、すべての人々のいのちと健康、くらしを守ろう

声明
コロナ禍の下でのオリパラ強行ではなく、
すべての人々のいのちと健康、くらしを守ろう

  2021年5月9日
  全国障害者問題研究会常任全国委員会

 私たちは、昨年5月、声明「新型コロナウイルスをめぐる情勢の下で障害児者の権利を守るために」を発表し、コロナ禍における障害児者の困難や権利侵害の実態をつかみながら、障害児者とその家族、そして障害児者に関わる人たちの権利を守り、発達を保障するための施策を求めました。

 それから1年が経ちましたが、現在の感染拡大の状況下では、感染力が強く重症化の可能性が高いとされる変異ウイルスが急拡大し、各地の新規感染者数は過去最多を更新するとともに、死亡者も増え続けています。病床がひっ迫した医療機関では新たな患者の受け入れも困難となり、「救えるはずのいのち」が救えない危機的な事態が生じています。

 しかし、政府は、医療崩壊をくいとめる抜本的な施策を講じることなく、国民に「自粛」と「自衛」を求めるばかりです。医療従事者や高齢者へのワクチンの優先接種も混乱しています。にもかからず、オリンピック・パラリンピックの開催には大量の医師の募集や看護師の派遣要請が報じられています。

 いのちと健康を守ることを自己責任とする政策がむき出しになれば、障害のある人、なかんずく重い障害があり複合的な権利保障を必要とする人のいのちと健康は守られません。いのちの選別はあってはなりません。

 障害のある人のなかには、慢性疾患があり、感染すれば重症化しやすく、日常的な医療・介護を必要とする人たちが多くいます。いま、求められていることは、希望すればPCR検査ができること、希望者がワクチン接種を受けられること、適切な医療が受診できること、障害を理由に入院が拒まれないことです。本人や家族が感染した場合も、安定した生活基盤が確保できるような医療や福祉の体制が必要です。事業所や施設等で奮闘を続ける人たちのいのちと健康を守り、障害児者の発達と生活を支えるために最善を尽くすことのできる手厚いしくみが求められます。

 東京オリンピック・パラリンピック開催に固執することなく、すべての人々のいのちと健康、くらしを最優先することを強く求めます。

 PDFデータです


2021年05月10日

ラーニングガイド!『新版 教育と保育のための発達診断 下 発達診断の視点と方法』

白石正久・白石恵理子編
新版 教育と保育のための発達診断  発達診断の視点と方法』のラーニングガイドです。

ラーニングガイド(PDF) (20210414)
 *プリントの際には、A4用紙一枚に2ページ入る指定をすると便利です

<編者から>
このラーニングガイドは,本書の理解を容易にするためのものではありません.本書のなかでくりかえし登場しながら,必ずしもその解説がなされていない事項,つまり①基本的な用語・概念,②子どもの具体的な姿の背後にある発達のしくみについて補足的に説明するものです.その用語・概念や発達のしくみへの認識を通じて発達の理解が一歩深まることを願って,本書の読者のみなさんにお届けします.
 白石正久・白石恵理子

『教育と保育のための発達診断 下 発達診断の視点と方法』目次

2021年04月14日

「障害者問題研究」48巻4号 特集=地域社会へのインクルージョンと暮らしの場

「障害者問題研究」48巻4号 
特集=地域社会へのインクルージョンと暮らしの場 

特集にあたって/中村尚子 本誌副編集委員長

座談会 暮らしの場に値する障害者施設をめざして
出席者 社会福祉法人みぬま福祉会 足立早苗・植村 勉・園部泰由・野崎壮一
司会 中村尚子(本誌編集委員)

デンマークとスウェーデンにみる障害のある人たちの住まいと暮らし
薗部 英夫
 全国障害者問題研究会副委員長・日本障害者協議会副代表

グループホーム制度30年と今後の課題
伊藤 成康
 きょうされん大阪支部グループホーム部会

【手記】
サポートを受けながら私らしく暮らしたい
 社会福祉法人皆の郷グループホーム利用 相田あづさ
 きょうされん埼玉支部利用者部会WA会

【手記】
私にとってのインクルーシブな暮らしを考える
県営住宅居住 上野 耕一

報告
北の大地の仲間たち2020~グループホーム編~
北村 典幸
 旭川大学/社会福祉法人あかしあ労働福祉センター(北海道・旭川市)

報告
多様な家族の形態を支える
川瀬加代子・菅原裕子
 麦の芽福祉会(鹿児島県)

運動
親のねがいと「全国障害児者の暮らしを考える会」の結成、運動の経過
播本 裕子
 全国障害児者の暮らしの場を考える会


連載/実践に学ぶ
生徒と楽しむ理科実験
吉村 邦造
 群馬・特別支援学校中学部

【吉村実践に学ぶ】 自然の不思議さに迫り,文化や科学の面白さに迫る
品川文雄 特定非営利活動法人発達保障研究センター

コロナ禍における学生の健康と生活と学習の危機に、障がい学生支援室はどう向き合えばよいのか
龍谷大学 障がい学生支援室
支援コーディネーター 瀧本美子

【瀧本実践に学ぶ】 学生の苦しみ,悩みに心を寄せる
社会福祉法人いたみ杉の子発達支援連携室
芦屋大学特任准教授
神戸大学・学ぶ楽しみ発見プログラムコーディネーター
 河南 勝


連載/ワイドアングル
学校図書館における特別なニーズへの対応をめぐる現状と展望
野口 武悟
 専修大学文学部


原著論文
二分脊椎症児の母親のソーシャル・キャピタル醸成プロセス
古城 恵子
 帝京短期大学生活科学科

障害者問題研究2020年度(第48巻)総目次

詳細やオンラインのご注文は以下のホームページへ
「障害者問題研究」48巻4号 特集=地域社会へのインクルージョンと暮らしの場

2021年02月19日

『くらしの手帳』が教科用一般図書に選定されました

『くらしの手帳』が教科用一般図書(旧107条図書)に選定されました

2021年度の教科用一般図書(特別支援学校・学級用)として、『くらしの手帳 ~おとなとしてゆたかに生きるために』(みんなのねがい編集部編 2014年刊行)が選定され、文科省と契約を結びました。
すでに、中学の障害児学級や特別支援学校の高等部などから注文が入り、供給に入りました。定時制高校からの問い合わせも入っているところです。
「くらしの手帳」は、「障害のある青年たちの学びの場で教科書として使ってもらえるようにしたい」という願いをもっていました。柱は「くらす」「はたらく」「あそぶ」「性」「お金」の5つ。イラストやマンガで楽しくやさしく、総合的に学べる1冊です。

『くらしの手帳』のページへ

 

 

2021年02月03日

第54回全国大会基調報告(確定版)

全国障害者問題研究会
第54回全国大会 基調報告   2020年8月9日

 常任全国委員会




<はじめに>

 人と人が語りあい、向かいあって暮らすというあたりまえの日常に制限を受けた数か月でした。この間、新型コロナウィルス感染症(COVID-19)の拡大という事態の中で私たちが経験した日常とは異なる生活は、子ども、大人の年齢を問わず、障害のある人びとと家族に、はかりしれない不安と困難をもたらしました。不安や困難の背景には、この感染症に対する処方箋がないということに加えて、すべての人の生きる権利を保障するはずの社会福祉・社会保障の制度の脆さが日に日に明らかになってきたということがあります。そうであるなら、どんな困難があったのか事実を出しあい、記録し、話し合うことは、予想される次の感染への対応にとどまらず、障害のある人びとのいのちとくらし、発達を保障する土台を改善する提起につながると考えます。

 ここで3月から、私たちの周りで起こったことをふり返ってみましょう。

 またたくまに世界中に広がった新型コロナウィルスによる感染症に対して、WHOは3月11日、世界的大流行(パンデミック)を宣言、各国政府はそれぞれに人びとの社会的活動や経済活動を制限する対策を実行しました。ウィルスについて科学的解明が続けられていますが、いまだ決定的な治療薬、ワクチンは開発されていまいせん。感染の広がりは世界的規模で格差を浮き彫りにしました。医療体制の不備のもと「経済優先」に舵をきる国も増え、6月末には、世界の感染者数は1000万人を、死亡者は50万人を超えています。

 日本では、2月27日の夕刻、安倍首相による突然の一斉休校要請に始まり、4月7日には、改正新型インフルエンザ等対策特別措置法によって「緊急事態宣言」が出され、以後、全国的には5月25日まで、生活全面にわたる規制が強いられました。

 この事態の中で、全障研は、まず3月2日に「緊急声明」を出し、障害のある子どもと家族のもつ特別の困難に照らして、一律の休校を求めることの問題点を指摘し、要請の撤回を求めました。そして障害のある子どもと家族の健康と生活を守る方途を、国民的な英知の結集と議論によって検討していくことをよびかけました。

 さらに「緊急事態宣言」から1ヵ月を経て、「補償なき自粛要請」への批判が高まるなか、5月9日には「声明=新型コロナウィルスをめぐる情勢の下で障害児者の権利を守るために」を発表しました。この声明では、社会福祉の仕組みの決定的な弱さが障害児者・家族に困難をもたらしていることを指摘し、乳幼児の施設や事業所、学校と放課後支援、児童および成人の施設などそれぞれにおいて、障害児者とその家族、障害児者に関わる人たちの「人間的な諸権利を守り、発達を保障することが必要だ」と訴えました。

 2つの「声明」に呼応して、全国からたくさんの報告が寄せられました。

 密になる集団生活をさけるために学校は休校とされる一方で、児童発達支援や放課後等デイサービスの事業所は開所を求められ、しかも感染防止のための方策はすべて事業所任せだったこと。卒業生を送り出し新入生を迎える大事な時期であったにもかかわらず、感染対策のみが優先され、子どもの気持ちに寄り添った活動を準備することすらままならなかったこと。在宅生活による生活リズムの乱れ、活動や集団が保障されないなかでの行動の不安定化などが家族から訴えられても、十分議論できない日々を送らざるを得なかったこと。いずれも、マスコミ報道には取り上げられることのない障害児・者と家族がかかえる困難から生じた問題ばかりでした。

 「緊急事態宣言」後の4月以降は、児童発達支援、放課後デイ、作業所などの障害福祉事業所は、利用控えが顕著になり、事業継続の危機に直面しました。厚生労働省から電話などでの支援も報酬の対象となるという事務連絡が出されましたが、これにたいする疑問を感じながら、障害のある人への支援とは何か、それを支える制度はどうあるべきかという課題にいっそう向き合い、多くの事業所が事業を継続してきました。こうしたなかで、支援の対価としての日額報酬制という制度への批判が高まっています。

 以上のように、まさに「コロナ禍」によって、国民生活を守る制度の脆さから矛盾が噴出したなかにあっても、政府は社会保障全般にわたる公費抑制をもくろみ、自助・互助・共助を基本とする「全世代型社会保障改革」にもとづいて、年金法、社会福祉法などの「改正」を強行してきました。
 3月、津久井やまゆり園事件の裁判が終結しました。裁判では、「障害者は生きる価値がない」という被告の主張を正面から問うことがありませんでした。しかし、いま未解明の感染症とそこから生じた不安の拡大という状況のもとで、「すべての命は平等」であるという価値はますます重要になっていると思います。このことを基盤にした社会をめざす運動をすすめていかなければなりません。
 私たちは、どんな情勢の下でも、人間のいのちと尊厳を軽んじる考え方や社会のしくみを断固として否定します。憲法と障害者権利条約の理念を地域のすみずみに広げながら、だれもが安心して生きられる平和でインクルーシブな社会の実現にむけて、みんなのねがいと力を重ね合わせて、発達保障をめざすとりくみをさらに進めていきましょう。


Ⅰ.乳幼児期の情勢と課題

(1)登園できなくてもつながる療育
 感染が拡大するにつれて、保育園や幼稚園、児童発達支援の施設に通い、楽しい時間を過ごすという子どもたちの日常が消えていきました。3月、学校と同様に休園になる幼稚園がめだち、4月の「緊急事態宣言」以降は、保育園にも登園自粛の要請があり、子どもにとっての日中の生活と集団の基盤が揺らいでいきました。児童発達支援の施設(センターや事業所)は感染予防に努力しつつ可能な限り開所することが求められましたが、保護者の判断で登園を自粛する、事業所として登園制限や臨時休所を選択するという場合もありました。

 友だちと遊ぶのが苦手、好きな遊びが見つけられないといった課題があるから、保育園や療育の場に通っていた子どもたちです。登園できなくなったとき、子どもに対してどんな支援ができるのか、各地で模索がつづきました。一方では、コロナ禍をも好機にしようと、オンラインの個別支援と称して動画や教材を有償で家庭に提供する事業者もあらわれました。

 コロナ禍のもとにあっても重ねてきた実践の中には、今後の感染対策に引き継ぐべきことだけでなく、保護者・家庭への支援の基本として大事にしたいことがたくさん含まれています。少しでも楽しく過ごせるよう、子どもの心身の状態を把握し、工夫を凝らして試みた在宅生活における子どもへの支援について、経験を交流していくことも必要だと思われます。

(2)保護者への支援
 父親が在宅勤務になった家庭では、家族一緒の時間が格段に増えました。しかし、障害のある子どもたちにとって、ふだんと異なる日課や家庭での暮らしはストレスとなる場合もあります。保護者からは、つい強くしかってしまう、適切でない対応になる可能性もあるという切実な声が聞かれました。在宅支援は、保護者にたいしても大切な支援であり、実践的な検討をしていかなければない課題です。

 一方、厚労省や自治体が出す事務連絡では、保護者や子どもがコロナウィルスに感染することは、ほとんど想定されていませんでした。感染への不安は、障害の重い子どもや医療的ケアを必要とする子どもがいる家庭ではさらに深刻です。子どもを対象にしたショートステイの場の整備などが緊急に求められています。

 障害のある子どもを育てる保護者の就労困難は以前から大きな問題ですが、今回のコロナ問題は家計にも大きな影響を与えました。

(3)事業所を守る
 育ちを守り育てる療育の場では、まさに療育者と子どもが身体と心を通わせ働きかける場であり、「3密」状態を避けることは不可能といっても過言ではありません。療育の場が安心安全とはいえない状況が生まれました。

 感染に配慮しつつ開所し続けても通園児が5割を切った、とうとう1名になったといった事業所もあります。楽しい集団療育ができないだけでなく、通所する子どもの人数の減少は、事業所の減収に直結するので園の運営そのものが不安定さの度合いを高めました。子どもが通園した日にしか公費が支払われないこの制度は職員の雇用をも不安定にしています。

 厚生労働省の事務連絡にもとづいて電話などで支援をする場合には、支援計画等の書類を作成し、事前に1割の費用負担があることを保護者に了解してもらうことを徹底するよう求められ、自治体によっては、支援の内容や書類に細かい指示もありました。支援をしたら報酬を出す、利用料は応益負担という障害福祉制度ゆえの問題に、多くの事業所が戸惑いを感じたのが現実でした。

(4)乳幼児期の総合的な発達保障を
 今年2020年は、2021~2023年度を期間とする第2期障害児福祉計画にむけた施策の見直し期にあたります。厚生労働省は、2020年度までに「重層的な地域支援体制の構築」を目指し、児童発達支援センターを市町村に少なくとも1カ所以上設置するという目標を掲げていますが、実現に向けた特別な方針がないまま市町村にまかされています。子どもと保護者のねがいを障害児福祉計画に反映させるよう地域の自立支援協議会児童部会などで議論し、計画策定に参加していくことも重要です。

 乳幼児期の支援は、母子保健施策である乳幼児健診と結んだ総合的なシステムが求められますが、ゆとりのない職員体制のもとで保健センターにおける障害の発見から対応、療育への橋渡しの機能低下が危惧されています。全障研大会では、すべての子どもの健康と発達を保障するという視点から子育て支援の枠組みを発展させ、早期療育へつなぎ、親子を支える仕組みを充実させている自治体の取り組みが毎年報告されています。そうした実践に学びあうことを大切にしたいと思います。


Ⅱ.学齢期の情勢と課題

(1)突然の休校要請の下での子どもたちの暮らし
 2月27日の夕刻、全国の学校の職員室では大きな不安と動揺、混乱がもたらされました。首相による全国一斉休校要請の突然の発表、そこからの数日間、学校は対応に追われました。卒業や進級という一つの大きな節目を控え、次のステージに向けて期待や意欲を高めていこうとする子どもたちの気持ち、その学年、学級、学校生活の残りの日々で、子どもたちに何を手渡していくのかという教職員の思いは、まったく突然に、そして一瞬にしてやり場を失うことになりました。首相とその周辺による強行的な決定は、多くの自治体や学校から、教育的な判断を主体的に行う機会を奪い、子どもたちはその間、教育を受ける権利を保障されなくなったのです。

 3月に入ると、休業補償等の手立てに関する十分な検討もないまま強行された休校によって、多くの障害のある子どもたちとその家庭は、日中をどうやって過ごすのかという問題に直面します。休校要請に際して、厚生労働省は放課後等デイサービスに対し、「可能な限り時間を延長して子どもたちを受け入れること」という事務連絡を出しました。感染拡大予防という一斉休校要請の趣旨と大きく矛盾する課題を、福祉の現場に丸投げしたのです。放課後等デイサービスの事業所では、午前中からの体制づくりに突然直面させられ、職員の不足や職員家族の負担、マスクや消毒液の不足、公共施設が使えないなどの多くの困難と向き合いながらも、子どもと家庭の困難さに応えようと、必死の努力を続けました。4月の「緊急事態宣言」以降も、公的責任に基づく根本的な手立ては示されることなく、各地域や現場レベルでの工夫を強いられている状況が続きました。

 「緊急事態宣言」解除後にいくつかの自治体等で取り組まれた調査などでは、子どもたちの家庭での生活の困難の実態や、放課後等デイサービス事業所が直面した困難の実態とともに、学校と家庭、また学校と障害児支援事業所との矛盾が、「学校に見捨てられたような気がした」「学校は何もしてくれなかった」など、悲鳴のような表現で指摘されています。5月に公表した全障研の声明は、この間の施策が、「教育と福祉の関係性に大きな歪みをもたらした」と指摘しました。この歪み正し、障害のある子どもと家族、関係者の人間的な諸権利を守り、発達を保障するための具体的なとりくみが緊急に求められています。

(2)学校に「行く」ことの意味を問い返す
 昨年、障害を理由に、長きに渡って教育を受ける権利を奪われてきた人たちの、「学校に行きたい」「学びたい」というねがいを結実させた養護学校義務制実施から40年を迎えました。全障研しんぶんでは「義務制実施40年を考える」と題し、2019年6月から7回にわたって、義務制実施までの道のり、そして義務制実施以降のさらなる教育権保障の道のりを辿りました。すべての障害のある人たちの義務教育実現を大きな基盤としながら、さらに障害の重い人たちの教育内容の深化、後期中等教育の保障、卒業後の進路保障と作業所づくり、さらなる学校設置運動の広がりなど、教育の豊さの広がりはもとより、障害のある人たちのライフステージ全般にわたる豊かさを求め、実践と運動を地道に積み上げてきた歴史に学ぶことができました。

 どの子も学校に行けるようになってから40年を経た今年、日本の多くの地域で、子どもたちは3ヶ月もの長きにわたって、学校に「行く」ことを奪われました。そうした事態の中でも、全国の少なくない教師たちは、子どもと家庭の状況をつかみ、子どもたちが少しでも笑顔で過ごせるようにしよう、わずかながらでも発達を保障しようと、家庭訪問や電話、手紙などを用いて連絡をとり、学校生活の中で、子どもたちが好きになった歌のCDを届けたり、絵本の読み書かせや身体を楽しく動かすための動画データを配信するなど、さまざまな努力を続けました。

 障害のある子どもたちにとって、学校は「学ぶこと」をただ受け取るだけの場所ではありません。子どもたちは、「学校」という場所に毎日通うことで自ら生活リズムを作り、自分に合った環境で心身をリラックスさせ、適切な運動の機会をつくり、友だちや先生との人間的なかかわりをつくっていくのです。そうした毎日の生活の中で、子どもたちは学校でしか学べないものに出会い、自分自身がよりよくなりたいという「ねがい」を育みます。学校でしかできないこととは何か、子どもたちにとって、学校の価値はどこにあるのかということを改めて問い返しながら、再開後の学校と、そこで営まれる子どもたちと毎日の生活の質を吟味する必要があります。

(3)「再開」後の学校の「学び」をめぐる問題と教育政策
 しかし、登校が再開されつつある今、学校は、子どもたちの「ねがい」に応えうる場所になっているでしょうか。学校行事の中止や縮減の一方で、7時間授業や土曜登校、夏休み登校など、授業時数の確保や「遅れを取り戻す」ことばかりが一面的に強調されてはいないでしょうか。
 安倍政権が推し進めてきた教育改革、さらには今年から小学校、特別支援学校小学部で本格実施となる学習指導要領では、「何ができるようになったか」「学んだことをどう使えるようになったのか」という視点ばかりが重視されます。そこでは子どもや親、そして教師の「ねがい」から実践を構想するのではなく、短期での目標達成や行動の変容のみをターゲットにした実践を助長させるような「評価」と、一面的な社会からの要請の影響を色濃くうけた「教育目標」が教育現場に押しつけられ、そのことに教育実践が縛られようとしています。

 2019年度から開始された文部科学省「新しい時代の特別支援教育の在り方に関する有識者会議」は、6月末に「これまでの議論の整理(案)」を示しました。この文書には、障害のある子どもの保護者や教職員が長年要求してきた特別支援学校設置基準の策定に初めて言及するなど、ゆたかな権利保障をめざす声の高まりを反映したと見られる箇所もありますが、特別支援学級と通常学級の「交流及び共同学習の拡充」と称して、「ホームルーム等の学級活動や給食等については原則共に行う」等の一面的な方向性を示したり、「自校通級を進める」との名目の下に「ICTを活用した遠隔による専門的指導」を例示するなど、子どもたちのゆたかな学びと生活へのねがい、子どもと寄り添い、子どもの事実から実践を構想しようとする教師のねがいに背く危険性もはらんでいるとみられます。特別支援教育をめぐる今後の政策動向に直結する動きとして十分な注意を払う必要があります。

(4)自ら考え、行動できる教職員集団づくりを
 長期にわたる休校とその後の学校再開の動きの中、学校と福祉がこれまで以上に連携を深めながら、子どもたちの生活を少しでもよくしよう、家庭やそれぞれの現場の負担を軽減しあおうという動きも見られます。子どもの家庭や生活の状況をつかもうと、従来以上に密に連絡を取り合うようになった学校や福祉事業所の事例もあります。休校期間中、体制の不足する福祉事業所に応援に入った学校や、学校施設を家庭や福祉事業所に開放した自治体、学校もありました。こうしたとりくみは、行政上の障壁や教職員集団の合意形成の困難などに制約されて、いまだ多数とはなっていませんが、困難な状況の中でこそ、障害のある子どもたちの権利を守るために何ができるか、現場レベルで話し合い、考え合うことの重要性と、そうした努力を重ねることで、少しずつでも困難を切り拓いて前に進めることを私たちに教えています。

 教職員集団が「集まる」ことが強く制約された経験を経て、「集まる」「語り合う」ことの価値を、再発見している人たちは少なくありません。今年度の『みんなのねがい』の連載「出会いはタカラモノ 子どもから教えられたことばかり」の冒頭で、著者の佐藤比呂二さんは「私の教師人生は、子どもから学んだことの積み重ね」だと記しています。子どもたちの教えてくれるタカラモノを一つ一つ大事に掬い取ることができるように、そしてその「価値」を決して手放すことのないように、みんなで語り合いながら、子どもの「ねがい」に応える授業づくり、教育課程づくりを進めましょう。「働き方改革」と「コロナ対応」などの名の下、再編される行事や教育活動についても、「子どもにとっての値打ち」をしっかりと語り、現下の状況に即して創造できる教職員集団づくりを進めましょう。


Ⅲ.成人期の情勢と課題

(1)「全世代型社会保障」の動向
 成人期の障害者の権利保障を考えるうえでは、社会保障全体の動向に目を向けておく必要があります。

 政府が2019年9月に設置した全世代型社会保障検討会議は、12月に中間報告をまとめ、「年金」「労働」「医療」「予防・介護」の各分野について、改革の方向性を示しました。その内容は、第201回国会において一部具体化され、70歳までの雇用継続と結んだ年金支給年齢の引き上げなど、関係法の「改正」がなされました。さらに、2020年6月には、第2次中間報告がまとめられ、「フリーランス」の拡大のための労働関係法の改正などが準備されています。

 こうした動向の基調になっているのは、経済成長を最優先する姿勢です。昨年12月の中間報告は、「障害や難病のある方々」にも言及していますが、それは「一億総活躍社会」を語る文脈においてです。政府がめざしているのは、「強い経済の実現」なのです。日本に住む人の権利保障の観点から社会保障改革が考えられているわけではありません。

 そのため、全世代型社会保障改革は、「制度の持続可能性」の名のもとに、社会保障の抑制を図るものになっています。医療についても、窓口費用負担割合の引き上げなどが提案されています。
 そして、重視されているのは、高齢期に至るまでの就労です。人間らしく働く権利の保障は重要ですが、経済成長や社会保障抑制のために就労を強いられることは問題です。

私たちは、権利保障の観点から、あるべき社会保障を考えていかなければなりません。

(2)報酬改定をめぐる動向
 障害のある人の生活と権利に直結することとしては、「障害福祉サービス等報酬改定」の問題があります。3年ごとの報酬改定が、2021年度に予定されており、感染対策で中断していた検討チームの会合が再開されました。

 2018年度の報酬改定の際には、国が食事提供体制加算を撤廃しようとしましたが、障害者団体等の運動によってそれを阻止しました。昼食・食事は、障害者の労働や生活を支える大切なものです。次回の報酬改定で食事提供体制加算を廃止することは許されません。

 また、事業所による送迎支援も重要なものであり、送迎加算は廃止されるべきものではありません。それにも関わらず、厚生労働省のもとで送迎に関する実態調査が行われるなど、送迎加算の見直しが進められてきています。

 現実には、公費支出の水準が低い現状のもと、事業所の運営は困難を抱え、職員の働く環境も厳しいものになっています。また、2018年度の報酬改定においては、就労継続支援事業B型の報酬単価を平均工賃と連動させるという成果主義的な方式が導入され、そのなかで多くの事業所が減収に追い込まれました。報酬改定は、これらの問題を解決する方向でなされるべきものです。
 新型コロナウィルス感染症に関係して、障害者や家族、事業所が抱える困難が増しているなか、報酬改定がさらなる打撃をもたらすようなことがあってはなりません。

(3)安心できる生活の保障
 必要なのは、社会保障の拡充であり、障害者が安心して暮らせる社会の構築です。

 今年度の『みんなのねがい』の連載「高齢期を迎えた障害者と家族―老いる権利の確立をめざして」(田中智子)でも述べられているように、障害者のケアの責任は、費用面も含めて、親・家族に押しつけられています。障害者の生活を支える社会資源の整備も、家族によるケアを前提としている面があります。障害者および家族の権利保障にとっては、家族依存を当然のこととするような現状からの脱却が重要です。

 そのためには、障害者の暮らしの場の充実が欠かせません。障害者権利条約の第19条は、「障害者が、他の者との平等を基礎として、居住地を選択し、及びどこで誰と生活するかを選択する機会を有すること並びに特定の生活施設で生活する義務を負わないこと」を確保するように締約国に求めています。障害者が意に反して「特定の生活施設」で暮らさなければならないことが問題であるのと同時に、障害者が親・家族との生活を強いられることも問題です。

 遠くないうちに、国連・障害者権利委員会から、日本への勧告(総括所見)が出されることになります。その内容を吟味したうえで活用しながら、障害者の暮らしの場の保障を進めていくことが、今後の課題になります。

(4)文化的な生活の創造
 障害者の労働や生活の場を豊かなものにすることと合わせて、障害者の文化的活動が十分に保障されるようにすることが重要です。

 東京オリンピック・パラリンピックの開催が2020年に予定されていたなかで、障害者のスポーツに対する社会的関心はいくらか高まったのかもしれません。しかし、幅広い障害者がスポーツを楽しめる環境が整備されてきたとは言えません。家族による援助に依存するような状況は、スポーツについてもみられます。

 文部科学省のもとでは、「障害者の生涯学習の推進」が言われ、「文化芸術活動」や「スポーツ活動」を支援するとした「障害者活躍推進プラン」が2019年に発表されています。その背景には、生涯学習等に対する障害者の要求や、その要求に応えてきた諸実践もあるでしょう。養護学校義務制の実施や養護学校高等部の拡充などに結びついてきた、これまでの教育権保障の取り組みが、「生涯学習」を政策的課題に押し上げてきたとも言えます。しかし、高い能力をもって「活躍」することばかりに価値を置く発想がないか、特別な才能のある障害者を政策的に利用するようなことにつながらないか、といったことには注意が必要です。

 障害者権利条約の第30条では、「文化的な生活、レクリエーション、余暇及びスポーツへの参加」についての権利が明記されています。すべての障害者がこの権利を享受できるようにしなければなりません。

 そのためには、障害者の余暇活動のための制度の構築も求められます。学校に通う子どもについては、2012年に放課後等デイサービスの制度が創設されました。類似の仕組みを必要とする人は、成人期にある障害者のなかにも少なくありません。

 障害児者の生活のありようを構成する不可欠の要素の一つにセクシュアリティをめぐる問題があります。すべてのライフステージに関わる大切な課題ですが、この領域における権利侵害の実態や権利保障・発達保障の課題は、これまで必ずしも十分に論議されてきたわけではありません。全障研出版部の新刊『ゼロから学ぶ障害のある子ども・若者のセクシュアリティ』(伊藤修毅著)なども用いて、セクシュアリティをめぐる権利保障の課題についても議論と実践を深めましょう。

(5)権利保障の道を描くこと
 現状に甘んじることなく、障害者の権利保障のために必要なことを考え、取り組んでいきましょう。

 新型コロナウィルス感染症をめぐる事態は、さまざまな分野で従来の仕組みの歪みを浮かび上がらせました。保健所が統廃合によって減らされてきたことも、その一つです。余裕のない医療体制では危機的状況に対応できないことも明白になりました。障害者支援の領域においては、「日割計算」の弊害が改めて顕在化したといえるでしょう。ゆとりのある安定的な職員体制の大切さも再確認されることになりました。また、行政の責任・役割が小さなものになっていることの問題性も顕著に表れました。

 障害者自立支援法の成立から約15年が経過し、社会福祉基礎構造改革の流れのなかでつくられてきた仕組みが当然のもののようにみなされる傾向があるかもしれません。しかし、私たちは、現在の仕組みを固定的なものとして考えることはできません。障害者自立支援法違憲訴訟の基本合意(2010年)や障がい者制度改革推進会議総合福祉部会の骨格提言(2011年)などをふまえ、障害者と関係者の実態や要求を立脚点にして、あるべき権利保障の道を描いていきましょう。


Ⅳ.研究運動の課題

(1)平和的生存権を基盤に、三つの系でねがいを束ねる
 新型コロナウィルスを契機として引き起こされた情勢は、社会にもともと存在していた矛盾や格差、差別と偏見を浮かび上がらせました。近い将来人類の存続さえ脅かすような気候変動・気候危機も急速に進行しています。ウィルスがもたらす危機だけに目を奪われることなく、発達保障・権利保障の課題を正面からとらえる必要があります。

 新型コロナウィルスの世界的な感染爆発により、無数の人びとの生活が破壊され、いのちが奪われていくなか、アメリカ合衆国では、重度の知的障害、脳性まひ等のある人への治療を抑制したり、人工呼吸器を装着させないという選択肢を含んだガイドラインを作成した州もあります。障害を理由とするいのちの選別は、障害のある人びとのいのちを脅かし、いのちの切り捨てをさらに進めることにもつながりかねず、いかなる場合にも断じて容認できません。

 2020年3月31日、津久井やまゆり園事件をめぐる裁判で死刑判決が出され、その後この判決は確定しました。しかし、「障害者は不幸をつくり出すことしかできない」、「生きるに値しないいのちがある」という被告の価値観がこれ以上追及されず、事件の本質も解明されないまま、事件に終止符が打たれることがあってはなりません。今回の事件を忘れることなく、人間のいのちに軽重をつける価値観に抗い、いのちの選別をおし進めようとする動きに向き合い続けなければなりません。

 新型コロナウィルス対策をめぐり、異論を唱えることを許さない空気が社会に蔓延し、「自粛」要請による生活の統制が一気に進みました。3月半ばから4月の初めにかけて、新型インフルエンザ特別措置法改正から「緊急事態宣言」発令へと事態はきわめて急速に進行しましたが、自民党は今回の緊急事態宣言に便乗して憲法を改正し、「緊急事態条項」を創設する意向を示したことに注意が必要です。政府の判断で検察幹部の定年延長を可能にする検察庁法改正案も、国民の声に押されて頓挫したとは言え、民主主義の根幹に関わる三権分立を脅かそうとするものでした。未知の感染症の蔓延という危機に乗じて、私たちの自由を奪い、政府の意に沿わない声を封じ込め、平時には実現しにくい政策をなし崩しに強行しようとする動きが顕著であったことは決して見過ごしてはなりません。

 私たちは、障害者のいのちと権利を守り、すべての人の発達保障を実現するために、日本国憲法が定める平和的生存権を拠りどころとして、「個人-集団-社会」という発達の三つの系を統一し、民主的に発展させることをめざしてきました。「コロナ禍」の下で顕在化し、あるいは新たに引き起こされた情勢は、集団の系の展開を強く制約するとともに、社会制度の系において人類が築いてきた進歩に対しても大きな反動を招きかねないものであり、そうした情勢の下で個人の豊かな生存と発達の権利が脅かされるという構造を持っているものと見られます。発達の三つの系を断ち切らせず、それぞれの系において一人ひとりのねがいを持ちより、みんなのねがいとして分かち合うとりくみを大切にしていきましょう。

(2)本人や家族のねがいや不安を聴きとり、権利侵害の事実をつかむ
 この間、「自粛」要請による生活や行動の制限にくわえて、新自由主義改革によって弱体化させられてきた社会保障制度の矛盾が、障害のある人や家族を追い詰めています。そうしたなかで、本人や家族が困っていることや不安に思っていることを十分に聴きとり、受けとめることができないまま、不自由な生活を強いてしまっている現実があります。

 私たちの研究運動に求められるのは、そうした障害のある人びとや家族の抱える不安と、その背後にある人間的な生活と発達へのねがいをていねいに聴きとること、そのことを通して、障害のある人びとに対する権利侵害の事実を具体的につかむことです。コロナ情勢下での障害のある人や家族の実態をしっかりと記録しながら、多様かつ複合的に立ち現れている権利侵害の事実を総体として明らかにすることで、動かしがたくみえる現実に立ち向かう実践と研究の課題が明らかになります。

 いっぽう、困難な状況をていねいにつかみ、本人の要求をじっくりと探るとりくみが、関係者や関係機関を結びつけ、新たなつながりのもとで、それぞれのライフステージで安心できる生活を保障しようとするとりくみも生まれています。困難な状況下で生まれつつある新たなつながりや実践の芽をつかみ、そうした実践のなかで生み出された事実を共有することが、権利保障の道すじを見出すことにつながります。


(3)実践者のそだちと発達保障労働の専門性
 福祉や教育の現場では、感染の危険性を抱えながら困難な状況にねばり強く立ち向かい、障害のある人や家族の抱える不安に心を寄せて、一人ひとりのねがいに応えようと奮闘する実践者がたくさんいます。本人の不安を少しでも取り除き、ことばと心を通わせあうことで、障害のある人たちと家族のねがいをつかみ、それに応えようとする人たちが、お互いのの不安や悩みを聴き合うこと、障害のある子どもや仲間が示すわずかな変化のうちに実践の展望を見出そうとする努力を励まし合うことが大切です。

 いま、障害のある人びとの発達や幸福の実現に寄与する実践に力を尽くしたいとねがって現場で働く人たちが、これまでの歴史のなかで深められてきた発達保障の思想をわがものとしながら、主体的な実践者として育ち合う道すじはどこに見出されるでしょうか。実践がうまく立ち行かない原因を、自分や同僚など、個人の力量の不足に求める自己責任の発想は、実践と、それを制約する制度などに対する疑問や悩みを抑え込ませる方向に作用します。こうした考え方が幅をきかせる現場では、実践者は自らの実践に手応えを感じにくく、展望を見出しづらくなります。障害のある人びとが困難や葛藤を抱えながらも人間らしく生きようとする姿のなかに、本人たちのねがい、そして自分自身のねがいの実現を阻んでいる社会や政治の矛盾を読みとり、そうした困難や矛盾の根源に共同して立ち向かう力こそ、発達保障労働に求められる専門性であるといえます。

 とはいえ、個人の疑問や悩みを自覚することが、ただちに社会や政治への視野を開くわけではありません。身近なところから、小さな悩みや疑問、自分が実践を通して出会ったささやかな事実を安心して語り合い、聴き合い、みんなで共有し合うなかで、「個人-集団-社会」という発達の三つの系のつながりに気づき、自分や仲間の悩みやねがいと、社会や政治とのつながりへの視野が少しずつ開かれていくのではないでしょうか。

(4)障害者権利条約の水準にふさわしい制度改革を実現する
 日本国憲法にもとづき、すべての人の権利を保障することなしには、障害のある人びとの発達保障を実現するとりくみの前進はありえません。この間、2018年の生活保護基準引き下げが違憲であるとして取り組まれてきた「いのちのとりで裁判」の名古屋地裁判決が6月25日に、また強制不妊手術による人権侵害を訴えた優生保護法違憲訴訟の東京地裁判決が6月30日に出されましたが、2つの判決とも、司法が人権救済の最後の砦としても役割を果たしえない現状にあると言わざるをえない内容でした。国内の人権保障の基盤を強固にしていくことがたいへん重要です。

 そうした国内の人権保障へのとりくみと結びつき、障害のある人びとのねがい、生活や発達の事実と結びついてこそ、障害者権利条約は、「他の者との平等」を実現させる大きな力を発揮します。国連の障害者権利委員会による政府報告書の審査日程も流動的ですが、今後示される国連の総括所見などを最大限に活かしながら、国内の障害者団体が叡智を結集して完成させたパラレルレポートが示した障害者制度改革の諸課題を、権利条約にふさわしい水準で実現させていくとりくみが大切になります。

(5)仲間をつなぎ、ねがいをつなぐ
 私たちの研究運動は、「ひとりぼっちをつくらない」ことを大切にしてきました。対面で言葉を交わすことができない状況に直面する中でも、SNSやインターネット等を活用して、職場の実態や各地の情報を交流する動きが生まれました。支部やサークルでは「語りたい」「学びたい」というねがいをていねいに受けとめながら、ねがいや悩みを分かち合う仲間を求めている人と出会い、仲間とつながり合う方法を模索しましょう。

 私たちは、今年9月に予定されていた北海道・旭川での全国大会を中止するという苦渋の決断をしました。いまは、それぞれの職場や地域のとりくみを持ちより、全国の仲間と直接交流し、深め合うことは叶いません。しかし、私たちには全国の課題と地域での研究運動をつなぐための素材がたくさんあります。月刊誌『みんなのねがい』は、毎月各地の実践や運動、研究の成果などを届けることで職場や地域の課題を掘りおこし、自分たちの実践の意義や課題を語り合う場をつくってきました。発達保障の研究運動の成果を科学的に整理し、実践と理論を往還させる道すじを明らかにするための理論誌が『障害者問題研究』です。「発達を学びたい」「実践を吟味したい」という要求に応えて、学習の導き手となるような出版物もたくさんあります。それぞれの地域や職場で、これらの素材を積極的に活用して、新たに出会う人たちのねがいや悩みを分かち合い、発達保障の魅力に触れてもらいながら、研究運動をともに担う仲間になってもらえるよう働きかけていきましょう。

(2020年11月23日 最終版を常任全国委員会は確定しました)

 

2020年12月14日

「障害者問題研究」48巻3号 特集=障害基礎年金の制度的課題と生活問題

「障害者問題研究」48巻3号 特集=障害基礎年金の制度的課題と生活問題 刊行しました

特集にあたって/濵畑芳和 立正大学

障害基礎年金の現状と課題――障害のある人の権利条約を踏まえた見直しをめざして
鈴木 靜 愛媛大学法文学部

障害基礎年金の認定格差とあるべき姿
市川 亨 共同通信記者


障害基礎年金と児童扶養手当の併給へのたたかいの今日的課題
仲尾 育哉 椙山女学園大学現代マネジメント学部准教授・弁護士

障害年金の認定問題――成人先天性心疾患患者の運動から
下堂前 亨 一般社団法人全国心臓病の子どもを守る会 事務局長

報告
救済措置が取られない無年金障害者の立場から見える年金問題
原 静子 無年金障害者の会代表幹事

報告
精神障害者支援の現場から障害年金の問題を報告する
松本みを 大阪府八尾市 医療法人清心会 相談支援事業所ちのくらぶ、精神保健福祉士・相談支援専門員

報告
無年金障害者における生活問題――生活実態調査を通じて
無年金障害者の会(大阪市・障害者(児)を守る大阪連絡協議会内)・田中智子(佛教大学社会福祉学部)

◆連載/実践に学ぶ
①「学びは「教わる」から「つきとめる」へ
――子どもと対話し,子どもと共につくる授業をめざして
 長友志航 滋賀県 特別支援学校教員
 【長友実践に学ぶ】子どもと共につくる授業の楽しさ
 宮本郷子 龍谷大学社会学部

②贅沢な仕事――障害の重い人の仕事を考える
 原田文孝 兵庫県・重度障害者通所事業所さち 生活介護事業サービス管理責任者
 【原田実践に学ぶ】生活を意味づけ,新しい人生をつくる
 細渕富夫 川口短期大学

◆連載/ワイドアングル
ドキュメンタリー映画『ゆうやけ子どもクラブ!』を語る
井手洋子 映画監督

◆動向
全世代型社会保障とは何か――障害福祉に何をもたらすのか
平野方紹 立教大学コミュニティ福祉学部

詳細やオンラインのご注文は以下のホームページへ
→「障害者問題研究」48巻3号 特集=障害基礎年金の制度的課題と生活問題

2020年11月25日

『新版 教育と保育のための発達診断 下 発達診断の視点と方法』刊行しました

白石正久・白石恵理子編
『新版 教育と保育のための発達診断 下 発達診断の視点と方法』刊行しました

 

はじめに 白石恵理子

Ⅰ 発達保障のための子ども理解の方法
   発達保障のための子ども理解の方法/木下孝司(神戸大学)

Ⅱ 発達の段階と発達診断
 1章 乳児期前半の発達と発達診断/河原紀子(共立女子大学)
 2章 乳児期後半の発達と発達診断/松田千都(京都文教短期大学)
 3章 1歳半の質的転換期の発達と発達保障/西川由紀子(京都華頂大学)
 4章 2~3歳の発達と発達保障/寺川志奈子(鳥取大学)
 5章 4歳の質的転換期の発達と発達診断/藤野友紀(札幌学院大学)
 6章 5~6歳の発達と発達診断/服部敬子(京都府立大学)
 7章 7~9歳の発達と発達診断/楠凡之(北九州市立大学)

Ⅲ 「発達の障害」と発達診断

 「発達の障害」と発達診断/白石正久

おわりに 白石正久


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2020年11月18日

日本学術会議新会員候補の任命拒否に関する声明

日本学術会議新会員候補の任命拒否に関する声明

 

日本学術会議新会員候補の任命拒否に関する声明

                                  2020年10月11日
                        全国障害者問題研究会常任全国委員会

 10月1日、菅内閣総理大臣は、日本学術会議が推薦した第25期新会員候補のうち6名の任命を拒否しました。しかも、任命拒否の具体的な理由は明らかにされていません。1983年の国会では、内閣総理大臣の任命について、学術会議の推薦にもとづく形式的な任命であることを確認しており、拒否する性質のものではないことは明らかです。したがって、今回の菅内閣総理大臣による任命拒否は、日本学術会議法に違反して日本学術会議の独立性を侵害し、「学問の自由は、これを保障する」と定めた日本国憲法を蹂躙する行為であり、断じて許すことはできません。政権が多種多様な学術研究の評価に立ち入ることで、学界や社会の分断を誘発し、時の政権の見解・意向にそぐわない知見や意見を排除する空気が醸成されていくことを深く憂慮します。

 日本学術会議は、戦前・戦中に国策協力した学術界自らへの歴史的な反省に立ち、政府からの独立性を原則に、日本の平和的復興ならびに人類社会の福祉への貢献を使命として1949年に設立されました。科学研究の立ち遅れや民主主義の未成熟が、障害のある人びとの人間的なねがいを奪い、人権侵害をいっそう厳しいものとすることは、障害者問題の歴史が教えるところです。障害者問題の根本的解決をはかり、障害のある人びとの権利保障と発達保障を期すためには、思想や言論の自由、学問の自由、差別なき人権の尊重を前提とした科学的な認識と批判が欠かせません。不当な権力を行使して学問の自由と自律性を侵害し、自由な言論や対話の機会を閉ざすことは、個人の自由や権利を制限し、ひいては発達保障のための研究運動を制約するものとして見過ごすことはできません。

 全国障害者問題研究会常任全国委員会は、菅内閣総理大臣の行為に抗議の意を示すとともに、任命を拒否した6名の候補者について、任命拒否に至った具体的な経緯を説明し、推薦にもとづきすみやかに任命することを求めます。そして、真理・真実にもとづき、科学的な認識にひらかれた自主的・民主的な研究運動をたゆまず進めていきます。

2020年10月11日

15分でわかる支部・サークル・読者会などオンライン活用のヒント

15分でわかる支部・サークル・読者会などオンライン活用のヒント

この15分間のビデオは、オンライン学習会を企画する側の、必要な知識、手順を解説したものです。これを参考に、従いながら、設定できる優れものとの声も(^_-)

15分でわかる支部・サークル・読者会などオンライン活用のヒント

特設ページ オンライン活用


2020年09月14日

声明=新型コロナウイルスをめぐる情勢の下で障害児者の権利を守るために

声明 新型コロナウイルスをめぐる情勢の下で障害児者の権利を守るために

 

2020年5月9日

声明
 新型コロナウイルスをめぐる情勢の下で障害児者の権利を守るために

                     全国障害者問題研究会常任全国委員会


 新型コロナウイルス感染症(COVID-19)をめぐる問題が広がるなかで、社会保障の仕組みの決定的な弱さをはじめ、日本社会の抱える矛盾が露呈しました。そのなかで、障害児者や家族の生活にとりわけ大きな困難が生じています。
 そうした状況のもと、私たちは、少なくとも以下のようなことを確認し、障害児者とその家族、また障害児者に関わるさまざまな人たちの人間的な諸権利を守り、発達を保障することが必要だと考えます。

◎今年3月には、国会でほとんど審議されることなく、新型インフルエンザ等対策特別措置法が改定されました。そして、4月には、改定法に基づき、緊急事態宣言が発令されました。さらに、安倍首相は、緊急事態条項の創設を主張しつつ、憲法九条の改変を含めた改憲を進める意思を表明しました。感染の拡大に便乗して権利制限の仕組みを強化すること、改憲を図ることは、絶対に許されません。

◎アメリカ合衆国のいくつかの州などでは、感染が拡大した地域において、障害者の治療を後回しにする事例や、障害者や高齢者に人工呼吸器を装着させない事例が起きていると報じられています。すべての命は平等です。障害を理由に命が軽んじられてはならないことが、再確認されなければなりません。

◎慢性疾患への日常的な治療、体位変換、呼吸、摂食などの重い機能障害への医療・介護と家族への支援、施設入所しつつ通学している子どもの生活保障など、複合的な権利保障を必要としている実態の把握と施策の必要を看過してはなりません。

◎乳幼児期の発達保障の場である児童発達支援に、事業所の閉所や感染予防のために、多くの子どもが通えなくなりました。家庭内に限られた生活は、子どもの精神や生活リズムを不安定にし、その行動や健康の問題が家族を疲弊させています。子どもの活動の場の確保や家族の相談支援のための具体的な方策が求められます。

◎学校の臨時休業が続くなか、「グローバルスタンダード」や「留学」なども理由に、「9月入学」の導入が主張されています。危機に乗じて拙速に学校制度の根幹を変えることは許されません。障害児者の豊かな生活と発達をめざす立場からは、グローバル経済やエリート人材育成ばかりに目を向ける傾向も見過ごすことができません。今必要なことは、すべての子どもたちのこころとからだの状況をていねいにつかみ、そのねがいに応える学校再開の在り方を、多くの知恵を集めて考えあうことです。

◎学校を臨時休業にしながら、障害のある子どもの居場所を放課後等デイサービスや学童保育に求めるこの間の施策は、感染防止という面においても不合理であり、教育と福祉の関係性にも大きな歪みをもたらしました。子どもたちの、子どもらしい生活と権利を守るために、関係者がいっしょになって考え、それぞれの役割を果たしていくことが求められます。

◎感染の防止は必要なことですが、学校や施設を休校・休所にすれば問題がなくなるわけはありません。家で過ごすことが難しい子どももいます。毎日の通所に張り合いを感じてきた人もいます。障害のある子どもたちの学習や生活、障害者の仕事や生活を守るために、何ができるのかを考えていかなければなりません。

◎障害児者支援の領域においては、「日額報酬制度」の問題性が改めて顕在化しています。財政面を心配することなく、事業所・職員が最善を尽くせるよう、開所の場合にも休所の場合にも事業所の運営が守られるような緊急施策が必要です。また、事業所の安定した運営が可能になるよう、制度を抜本的に見直すことも、今後において求められます。

◎今、各地の障害児者支援事業所、生活施設、医療機関等では、障害児者の発達や生活を支えるために、感染の不安を抱えながらも、多くの人たちが懸命の努力を続けています。そうした努力に応える施策や、現場の努力だけに問題解決を委ねない施策が、早急に実施されなければなりません。


2020年05月10日