第55回全国大会(静岡2021)基調報告

全国障害者問題研究会
第55回全国大会(静岡2021)基調報告

 常任全国委員会    2021年8月7日




はじめに

昨年来の「コロナ禍」と呼ばれる状況のなかにあっても、たくさんの人が、それぞれに困難を抱えながらも、障害児者の発達保障・権利保障のために、知恵を集め、力を注いできました。

 一方で、日本の政府は、新型コロナウイルス感染症に対して、必要な対策を怠るだけでなく、「GoToキャンペーン」を展開するなどして感染のリスクを高めました。社会生活に欠かせない「エッセンシャルワーク」の重要性が鮮明になるなかでも、保健医療・福祉・教育等を軽視し続け、病院・病床の削減すら狙っています。東京オリンピック・パラリンピック開催に固執する姿に象徴されるように、人間の健康・命よりも経済の活性化を優先する姿勢、私たちの生活よりも大企業の利益を優先する姿勢を露わにしています。

 全障研は、5月、「コロナ禍の下でのオリパラ強行ではなく、すべての人々のいのちと健康、くらしを守ろう」と声明を発表し、「いのちと健康を守ることを自己責任とする政策がむき出しになれば、障害のある人、なかんずく重い障害があり複合的な権利保障を必要とする人のいのちと健康は守られません」と訴えました。いま、コロナ禍の中で生じている、さまざまな困難は、菅首相の言う「自助・共助・公助、そして絆」では解決できません。

 日本の社会は、多くの歪みを抱えています。福島第一原子力発電所の事故から10年以上が経過しましたが、未だに原発から脱却できていません。政府は「脱炭素」を口実に原発を推進しようとしており、運転開始から40年を超えた原発の稼働まで認めています。また、貧困が依然として深刻な問題であるにもかかわらず、国の軍事費の増大は続いており、2016年度以降は5兆円を上回る額に及んでいます。日本学術会議会員の任命拒否や、「コロナ禍」のもとでの「憲法改正」の策動のように、政府が物事を強硬に押し通す動きも目立ちます。

 世界的にみても、私たちの社会は、新型コロナウイルス感染症に加えて、いくつもの脅威に直面しています。ロシアや米国などの国々が保有する大量の核兵器は、世界に破滅をもたらしかねません。何百基もの原子力発電設備の存在も、無数の命を危険にさらしています。また、気候危機が深刻化しており、日本においても、近年は毎年のように台風・豪雨による災害が多発し、気候変動の影響が顕在化しています。土壌の劣化、地下水の枯渇、森林の破壊、生物の大量絶滅など、人間の社会を崩壊させ、地球の生き物を追いつめていく世界規模の危機が、目の前にあります。

 課題は山積していますが、そうしたなかでも、障害児者の発達保障・権利保障のために取り組む多くの仲間がいます。自らの実践に真摯に向き合うと同時に、その実践のためにも、学び、交流しています。私たち全障研も、「コロナ禍」のもとでも、オンラインなど、新たな方法の活用も模索しながら、発達と発達保障を学び、実態や実践を語り合うことを大切にして、研究運動を進めてきました。

 また、人々の権利保障をめざす運動は、いくつもの重要な成果を生み出してきました。2021年2月には、国による生活保護費の引き下げを違法とする判決が大阪地方裁判所で出されています。2021年3月には、札幌地方裁判所が、同性婚を認めないのは憲法違反であるとしました。そして、学校教育に関しては、公立小学校の学級人数の上限を35人に引き下げる法律改正が2021年3月になされ、少人数学級化が前進しました。特別支援学校の設置基準の策定に向けた動きも進んでおり、過大・過密の解消など、教育条件の改善が望まれます。医療的ケア児支援法(医療的ケア児及びその家族に対する支援に関する法律)の成立、民間事業者における合理的配慮を努力義務に止めていた障害者差別解消法の改正(施行日未定)も障害分野における現状改善への一歩であり、実効性のある施策の具体化につなげたいと思います。

 国際的には、核兵器禁止条約が2021年1月に発効しました。障害児者の発達保障・権利保障は、戦争と両立するものではなく、核兵器の存在と相容れません。日本政府は条約の批准に背を向けていますが、平和を願う声を集め、核兵器の廃絶に向けての歩みをさらに進めなければなりません。

 一人ひとりの発達保障・権利保障のためには、一人ひとりのための具体的な実践とともに、地球規模の問題を含めた社会的課題への取り組みが必要です。しっかりと社会に目を向けつつ、日々の実践を大切にしていきましょう。


Ⅰ 乳幼児期の情勢と課題

 乳幼児期の療育の今後を左右する二つの動向に注目する必要があります。一つは2021年度からの障害福祉サービス報酬における子どもにかかわる改定であり、もう一つは児童福祉法改正に向けた障害児通所支援の見直しの議論です。

1)療育の土台を掘り崩す報酬改定

 2021年度報酬改定において、児童発達支援の加算が変更されました。これまで基準以上の職員配置に認められていた加算が部分的に削られ、代わって個別の子どもの通所に対応した個別サポート加算と、特定の資格をもつ職員を配置した場合の専門的支援加算が新設されました。前者は子どもの状態によって報酬に高低が生じる(公費の給付額が変わる)という点で、後者は特定の専門性を報酬に反映させたという点で、今後の療育のあり方にかかわる重大な問題をはらんでいます。

 個別サポート加算には、障害の状態などの聞き取り調査の結果による加算Ⅰと、虐待などの可能性のある要保護・要支援の子どもが利用したときの加算Ⅱがあります。加算Ⅰを判定するための「乳幼児等サポート調査」は「5領域11項目」からなります。障害についての診断が確定せず苦悩する保護者に「行動障害及び精神障害」に関する具体的特徴の有無を問うことは、育児の希望とわが子の成長・発達への信頼を奪うことになります。「食事」や「排せつ」などの身辺自立に関する介助の状態も、障害ゆえのできなさなのか、発達途上の課題なのかを見極めて答えることは困難です。発達科学の知見を踏まえず、乳幼児の実態からかけ離れた調査は、保護者の困惑をひきおこすものであり、「できる」「できない」を問うことは子どもの尊厳を踏みにじるものです。

 一方、加算Ⅱは、虐待などの可能性や養育上の課題のある要保護・要支援児童で関係機関との連携を行っている場合の加算です。利用契約を前提とした現行制度では、加算Ⅱの適用を支援計画に明記して保護者に同意を求めることになりますが、これは保護者との信頼関係を損ない、子どもの療育を受ける権利を奪いかねません。実際に要保護・要支援児童の支援をていねいに行っている事業所はありますが、個別の加算の手続きは現実的ではないとの意見があがっています。

 発達のつまずきや障害のある子どもの乳幼児期において、保護者がその事実を受けとめながら子育ての喜びを感じて生きていくためには、療育などの支援と出会う場面からのていねいで心のこもった支援が必要です。二つの加算の調査や手続きはそのことに逆行し、子どもと保護者の尊厳、基本的人権を侵害するものです。

 また専門的支援加算については、「専門的支援を必要とする児童のための専門職」として、理学療法士や心理指導担当職員の配置がこれまで以上に強調されています。保育士・児童指導員も併記されているものの経験年数「5年以上」という限定つきです。理学療法士等を配置し、個別指導をする事業所が「専門性が高い」と見なされ、加算を得ると、療育を個別の支援や訓練に狭め、発達保障のための療育実践を制約することにならないかが懸念されます。子どもの発達や生活を丸ごととらえ、乳幼児期にふさわしい遊びを保障することで、育ちの土台を築く。こうした実践を重ね検証しながら、療育の専門性の議論を深めてくことが求められています。子どもへの働きかけ一つひとつに値段をつけるような加算方式や日額報酬制をやめて、安定して児童発達支援の実践がすすめられる制度的基盤をつくっていくために、ひきつづき職員と保護者がともに学び、運動していく必要があります。

2)特別なケアと子どもらしい発達の保障

 このように、今回の報酬改定は、報酬の上げ下げにとどまらず、障害児支援の質の変更を迫る内容を含んでいます。振り返ると、2006年の障害者自立支援法施行から障害のある子どもの福祉にも利用契約、応益負担、日額報酬のしくみが導入され、その骨格を維持したまま、2012年からは児童福祉法のもとで子どもの福祉が「障害児通所支援」として再編されました。

 本来、発達的な変化の著しい乳幼児期は、障害がある場合も含めて、すべての子どもに「よく遊んで、たっぷり食べて、ぐっすり眠る」という当たり前の生活を保障することが何よりも大切です。発達や障害のつまずきがある場合には、保護者へのていねいな支援も求められます。療育を商品とみて、利用料の対価として相談・支援が行われるしくみでは、職員と保護者がともに子どもの成長・発達を喜び合い、じっくりと時間をかけて話し合いながら、ねがいや悩みを分かち合うことが困難になります。こうした観点から、障害児通所支援の各事業の役割を見直す必要があります。

 しかし、6月から厚生労働省内で始まった「障害児通所支援の在り方に関する検討会」は、利用契約や応益負担など障害を自己責任に帰す制度の根本にふれないまま、利用者増の抑制や支給決定のあり方、保育所などの一般施策の利用促進などについて「検討」しようとしています。

 また、子どもの状態を聞き取る「5領域11項目」調査が個別に加算をつけるために用いられるようになったことは、成人の「障害支援区分」により類似したしくみになったことを意味します。利用契約、応益負担、日額報酬のしくみは、発達しつつある子どもの支援に大きな矛盾と困難をもたらしてきましたが、これを改善しようという方向とは逆行します。

 子どもの生活や人間関係を切り刻むようなしくみを改め、障害があっても「子どもは子ども」として尊重されるためには、制度の根本が見直される必要があります。子どもが育つためには、当たり前の生活と安心できる人とのかかわりが必要です。遊びにくさがあったり、生活リズムを整えることが苦手な子どもたちにとって療育の場は、安心して自分を出し、友だちと一緒に遊びを楽しみながら、自信をたくわえていくことのできるかけがえのない場所です。子どもが思わず手を伸ばしたくなるような、心がぐっと動く遊び、子どもを自然と巻き込んでいくようなクラスの雰囲気、その一つひとつに、子どもの育ちをねがう療育者たちの意図が込められています。「コロナ禍」にあっても、感染を防ぐためにさまざまな制約がありながらも、子どもらしい当たり前の生活を保障しようと努力や工夫が重ねられています。ところが、こうした発達のつまずきや障害のある子どもと保護者が、毎日安心して楽しく通える療育の土台や入り口が大きく揺るがされているのです。

 子どもの権利条約(1994年批准)や障害者権利条約(2014年批准)に照らして、障害があっても、障害のない子どもと同等に、毎日の生活の拠点があり、そこで障害への特別なケアを受けながら、子どもとして発達することを保障する施策が求められます。児童発達支援をはじめとする障害児通所支援の改善とともに、保育所、幼稚園、認定こども園などの一般の子ども支援制度から排除しない制度がつくられなければなりません。

3)地域療育づくりの歴史に学び、総合的な発達保障を

 障害乳幼児に療育を保障するための運動と実践は、住民自治と結びつきながら、乳幼児健診や母子保健と一体となった自治体の療育システムをつくりあげてきました。そうした地域療育づくりの歴史にも学びながら、障害乳幼児の発達保障としての療育の理念を確かめたいと思います。親子教室をはじめ、障害の診断の確定にかかわりなく、子どもの必要に応じて療育が受けられるよう、保健師、療育・保育の関係者が連携して、地域のすべての子どもの発達保障に責任をもつ、ゼロ歳からの系統的な発達支援・子育て支援のシステムが求められています。『障害者問題研究』第49巻1号の特集「乳幼児期の発達保障と児童発達支援の課題」も活用しながら、乳幼児期の総合的な発達保障にむけた地域療育のあり方を話し合っていきましょう。


Ⅱ 学齢期の情勢と課題

1)「コロナ禍」のもとでの学校教育の困難と新たな展望

 この春、「コロナ禍」のもとでの2回目の新年度を迎えました。昨年初夏の学校再開以後、各地の学校では、感染拡大防止に細心の注意を払いながら、子どもたちの当たり前の生活を取り戻し、発達へのねがいに応える教育実践を創り出すために、実にさまざまな工夫が行われています。

 その一方、ソーシャルディスタンスの一方的な強調とGIGAスクール構想の強行のもと、実践の工夫が、オンライン授業でどんなコンテンツを提供すれば子どもたちの興味をひけるのかといったことに一面化する危惧もあります。「オンラインでは、子どもたちの心の動きがほとんどわからなかった」、「そばにいるから感じること、触れているからわかること、働きかけるから気づくことがある」。再開後の学校から伝わるこうした声は、子どもたちのことを深く知りたい、子どもたちとつながりたいというねがい、だからこそ、子どもたちの内面に思いを寄せ、子どもとのかかわりから学ぶことを大切にしてきたいという、実践者としての切実なねがいの表明でしょう。

 こうしたねがいは、困難が大きい今だからこそ学び合いたい、仲間とつながりたいという要求を生み出します。コロナ禍のもと、これまでの学習活動を継続することが困難な中でも、オンラインなどの新たな形態を取り入れながら、さまざまな学習活動が力強く進められようとしています。

2)中教審答申と「新しい時代の特別支援教育」有識者会議報告
 
2021年1月、中央教育審議会は「『令和の日本型学校教育』の構築を目指して」と題する答申を公表し、それと前後して、「新しい時代の特別支援教育の在り方」に関する有識者会議もその最終報告を公表しました。

 中教審答申は、従来の「日本型学校教育」を高く評価する一方で、子どもの多様化や教師の長時間労働、情報化への対応などの課題を指摘し、「個別最適な学び」と「協働的な学び」の双方を「一体的に充実」するとしていますが、その背後には、よりストレートに「学びの個別最適化」を主張する経済産業省「未来の教室」創出事業や、それと呼応する「Society5.0に向けた人材育成」(文部科学省2018年)などの動きがあります。これらは、学校における「一人一台端末」の実現などを強行するGIGAスクール構想などとも相まって、子どもたちの学習の個別化を促進するとともに、学習成果に対する「自己責任論」を押し進める危険性の強いものです。学校マネジメントや持続的で魅力ある学校教育の実現といったスローガンも、政治による学校及び教師への管理統制の強化につながりかねません。

 「新しい時代の特別支援教育」を掲げる有識者会議報告も、ICT環境の充実と教師の活用スキル向上を強調しますが、実現が急がれる「自校通級」のための環境整備や、学校数の少ない盲学校・聾学校からの専門的指導などを「ICT・遠隔技術の活用」に委ねるなど、本来必要な予算措置や教員配置に背を向け、安上がりに済ませるための方便という性格が色濃いものとなっています。
 急ピッチで進められるGIGAスクール構想にかかわっては、学校施設の補修などの切実な課題には予算措置がないのに、ICT環境の整備だけが行われるといった矛盾も報告されています。
 有識者会議報告では、特別支援教育を担う教師の専門性の向上も謳われていますが、特別支援学校における特別支援学校免許の所持に関する特例は放置され、ICTを活用したより効率的な研修の実施を求めるなど、現場の教師の実感とはかけ離れたものとなっています。

3)教育条件整備の課題

 一方で前進もあります。「新しい時代の特別支援教育」有識者会議と中教審は、政府のこれまでの方針を転換し、特別支援学校の設置基準の策定を表明しました。

 「教育環境が非常に劣悪なのに、それを正す指標としての設置基準が特別支援学校にだけないのはおかしい」「よりよい環境で学ばせたい、学びたい」という保護者・教職員・子どもたちの思いを背景とした、十数年におよぶ運動の成果です。形式的な策定に止めることなく、教育条件を実質的に押し上げるものとしていかなければなりません。全日本教職員組合などでは、実効性のある設置基準とするために、多くの教職員・保護者の声を集めた設置基準案を提起しています。教育条件が劣悪なのは、特別支援学級も通級による指導も、通常学級もしかりです。設置基準策定を実現させた運動の底流にあるのは、どの子にもゆきとどいた教育条件の下でゆたかな教育保障を、という要求です。その実現のためには、現在の教育条件の劣悪さと、そのもとでの教育実践の制約をリアルに明らかにし、より広範な人びととの連携をつくり出していくことが必要です。

 一方で、特別支援学校では小学部の段階から、将来の一般就労を目標とし、実践をその目標に従わせようとする傾向が広まっています。日々の学校生活を、常に「できる―できない」で評価されるなかで、自信と自尊の感情を持ちづらくさせられたまま卒業していく子どもたちの姿も報告されています。現在の教育現場では、「働き方改革」の名のもとでタイムカードでの勤務時間管理が導入されたり、授業や教育課程は学習指導要領と整合しているかどうかだけが問題にされたり、実践が、数値で測定できる短期間の変化だけで評価されるなど、教師の仕事に対する管理・統制が幾重にも強められています。教育条件の整備は、学校増設などの教育環境の改善に留まるものでなく、一人ひとりの教師がしっかりと教育実践に向き合い、子どもとともにゆたかな教育内容を創り出していくことができる条件につながらなければなりません。子どもたちの教育権を実質的に保障していくためには何が必要なのか、視野を大きく持った総合的な検討と改善に向けた運動が必要です。

4)ゆたかな生活のための放課後保障

 拙速な休校要請によって障害のある子どもと家族の生活にはさまざまな困難が生じました。学校での教育活動が大きく制約される中でも教師によるさまざまな努力が各地で行われましたが、休校の間、子どもと家族の生活を支えたのは放課後等デイサービスであったことも事実です。公園や公共施設などの閉鎖で場が狭められ、職員も感染の危険にさらされながら、活動を続けました。こうした困難はたびたび報道され、「コロナ禍」のなかで、放課後等デイサービスは障害のある子どもにとってなくてはならない社会資源として知られるようになったといえます。

 しかし、4月からの報酬改定では、「収益を上げている」という数字を根拠に、放課後等デイサービスの報酬は引き下げられ、今後の活動継続を見通すことが困難だとの報告も相次いでいます。

 放課後等デイサービスに代表される学校外の障害児支援の場は、学校とならんで、障害のある子どもたちの生活と発達保障に欠かせない大切な場です。3ヵ月以上にわたる非科学的な「臨時一斉休校」の経験は、これら放課後保障のとりくみの大切さと、そのおかれている制度的基盤の脆弱さに加えて、学校教育と放課後等デイサービスなどとの相互理解と緊密な連携の必要性も明らかにしました。障害のある子どもたちとその家族のゆたかな生活を実現するために、行政による分断を乗り越え、学齢期の発達保障にかかわる幅広い人々の連帯をつくり出していくことが求められます。


Ⅲ 成人期の情勢と課題

1)他の者との平等を基礎とした生活・人生の確立を

 成人期において暮らしの質を追求するためにも、ライフサイクルを通じてのノーマルな経験の保障は不可欠です。乳幼児期の保育・療育の保障に始まり、学齢期の生活、さらに、青年期には同年代の多くの市民が高等教育機関に進学するのと同様に、学びの場を保障すること、その後の成人期においても生涯学習を保障するとともに、親離れ、結婚、親になることなどを含めて、多様な人生の選択肢を、障害者にも平等に開くことが重要です。

 また、障害者が家族に依存しないで生きることを考えることと同時に、障害者の介護に専念せざるを得ないために家族が貧困リスクを高めることになるのではなく、家族も自立する視点をもつことが必要です。障害者がいることが要因となって、きょうだいや夫婦、祖父母といった家族の関係が緊張を強いられるのではなく、相互に尊重しあって生活するために何が必要か、それぞれの就労や休息など家族の要求に基づく運動、社会的支援のあり方について検討することが求められています。

 入所施設で暮らしている人の外出支援や、グループホームや入所施設の中で家族が過ごすスペースの制度化など、障害者と家族の交流を保障する手立ても必要です。「全国障害児者暮らしの場を考える会」の基本要求には、家族依存からの脱却ために「親が元気なうちから社会的支援への実質的な転換」ということが掲げられています。障害があっても、本人も家族もゆたかな人生を追求することを諦めない社会づくりが求められています

2)成人期施設の安定した運営を支える制度を

 新型コロナウイルス感染拡大状況下では、成人期障害者施設においても休所や利用者による通所自粛があり、居宅支援では移動支援や訪問介護の利用のキャンセルなどが相次ぎました。不測の事態であっても事業所への報酬は日割りで実績払いのため減収になり、事業の継続自体が困難になっている施設も多くあります。

 加えて、2021年度の報酬改定においては、就労移行実績や月額工賃の高低によって報酬に差をつけ、生活介護事業では利用者に行動障害や身体障害がない場合には報酬を減額するなど、成果主義と障害支援区分偏重がさらに露わになりました。グループホームにおける夜間体制の弱体化を招くような報酬では暮らしを守ることはできません。その他にも事業基盤の不安定化につながるような施策がつづいています。成人期障害者を対象とした施設は、多くの利用者にとって、有期限ではなく長期にわたり、仕事や暮らしなど人生を支える拠点ともいえる場所であり、安定的な運営が欠かせません。人生に見通しをもって、仕事や暮らしの場のあり方を考えることができるような安定した運営を支える制度が求められます。

3)所得保障政策の整備を

 市場化された経済生活を営む現代において、障害のある人の自立を考えたとき、所得保障政策の整備は他の者との平等を基礎とするための前提条件です。この点では、2021年2月22日、国が物価下落に合わせて、2013年から2015年にかけて生活保護費を約10%引き下げたことは違法とした大阪地裁判決や、2021年3月から、障害基礎年金を受給しているひとり親が「児童扶養手当」を受給することができるようになったことは、私たちをおおいに励ましました。

 一方で、新型コロナウイルス感染拡大状況下において、8割以上の事業所で生産活動が減収になり工賃は大幅に下がった(きょうされん調べ、2020年7月)ことで、障害のある人たちの生活や余暇を支える経済的基盤が不安定で脆弱なものであることが改めて問題となりました。障害のある人の労働による給料や工賃保障のための社会的手立ての充実とともに、最低生活水準を大きく下回る障害基礎年金の問題などを改めて問い直す必要があります。

 その障害基礎年金さえも、障害の医学モデルに依拠した受給要件で対象者を制限するといった制度の不備によって無年金状態となっている人たちや、その救済策である特別障害者給付金制度からも対象外とされている人も多くいます。加えて、2019年10月から、消費税増税にかかる緩和措置として、低年金者に年金生活者支援給付金が支給されるようになりましたが、無年金障害者は対象外というように、何重もの排除が働いています。そもそもの問題として、生活の主要な支えである年金を社会保険という「共助」の仕組みにしていることが、大きな問題です。

 自己責任や自己努力を求めるのではなく、生活の支えは国家の責任でということへと転換を図る必要があります。

4)暮らしの場の整備を
 
 障害者家族における、老障介護、「ロングショート」(短期入所を長期間つなぐ)、親なき後をめぐっては、深刻な実態が生じています。地域で入所施設やグループホームなどの暮らしの場を求めて待機状態になっている人が多数いる現状を踏まえた喫緊の課題として、量的整備の必要があります。

 また、障害のある人たちの多くの尊い命が無残に奪われた津久井やまゆり園事件から5年が経ち、事件を振り返りこれからを展望するような関係者からの発信が行われつつあります。量的整備だけではなく、暮らしの質にも着目し、どこで暮らすかだけでなく、どのように暮らすかを考えることのできるような社会資源の整備が必要です。

5)ケアの家族依存・専門職のボランタリーからの脱却を

 新型コロナウイルス感染拡大状況下においては、成人期障害者の利用する社会資源の休所や通所自粛などが相次ぎ、ケアにおける家族役割の大きさが再認識されることなりました。グループホームや入所施設でもできるだけ帰省を求めるなどの対応がとられたところもあり、極限の状態で、高齢の親が子どものケアを全面的に引き受けざるを得ず、親子ともに行き詰まりを感じているケースも多く見られました。

 新型コロナウイルスは障害者施設をも例外なく襲い、障害があるとケアの体制が取れないので陽性であっても入院することができない、体調不良や発熱などの症状があってもPCR検査さえも受けられない事例が続出しました。

 そのような中で、家族や専門職は、まさに命がけでケアを行いました。障害児者を支える専門職は、エッセンシャルワーカーとして、緊急事態下であっても休むことのできない、社会生活において欠かせない職業として認識されはじめたものの、労働条件や環境を支える制度は、何ら改善が見られません。

 新型コロナウイルスによる危機は、これまで家族に押し付けられてきたケアの矛盾をあぶりだしつつあります。また、寄り添う専門職のボランタリーな活動に依存しすぎていることも問題です。障害のある人の命を守るということは、それを支える人たちの命も守るということです。ケアの家族依存や、専門職のボランティア性に依存している状況を構造的に見直す必要があります。

Ⅳ 研究運動の課題

1)脆弱な制度に分断させられることなく要求でつながろう

 「家での生活を強いられ、子どもも親も疲れきっています」。自分の責任、家族の責任で命を守れという究極の自己責任論に対して、障害や年齢を問わず、日本中から発せられた叫びです。家族が面倒をみることを当然だとする考えが根強く残るなか、障害のある人とその家族は、障害者自立支援法以来、小刻みにされた支援をつなぎ合わせて生活を組み立てることを強いられています。その矛盾は、ステイホームの強調でいっそう鮮明になりました。こうした矛盾は、ときとして障害者・家族、学校、福祉事業所などの間に溝をつくります。

 だからこそ、目の前の障害者・家族を中心に、分野をこえてつながり、語りあい、一緒に考えることが大事なのではないでしょうか。この1年余、各地で模索し、足を踏み出して展開された実践は、いずれも私たちに新たな課題を提起しています。感染に十分気をつけながら何ができるかを考え工夫した実践、感染に直面して実感した保健所や医療機関との連携など、『みんなのねがい』、『障害者問題研究』にはたくさんの報告が掲載されており、ここから学ぶことができます。

 必要な支援は「サービス」ではなく、権利保障の根幹です。制度にないことも要求に基づいて実践し、新たなつながりをつくり、自治体に働きかけるなど、制度を変え新たにつくることを展望した研究と実践、運動に取り組んでいきましょう。

2)発達研究と発達保障の実践を車の両輪として進めよう
 
 「発達の理論と目の前の子どもたちの姿がなかなか結びつかず、どうしても『~の力をつける』を考えている自分がいます」。6月の「教育と保育のための発達診断セミナー」に寄せられた声です。実践の場は異なっても、多くの人々が障害のある子どもや大人のねがいを受けとめる実践者でありたいとの思いをもって、人間が発達することの価値を学ぼうとしています。

 私たちは、何かが一人でできるようになることだけをとらえて「発達」と呼ぶような、貧困な発達観には立ちません。子どもの発達要求を無視して、同じ場所で、同じ道具や同じようなかかわりがあればそれでよいという立場にも立ちません。これまでに積み重ねてきた、人間発達の研究と、家庭や地域と手を取り合って進めてきた発達保障実践を車の両輪としてとらえ、よりゆたかに進めることが重要です。障害者が主体として生きる、その主体性を中心に据えながら、時には全身で、時には本当に小さいサインとしてあらわされる発達要求をしっかりと理解し、その要求に応える実践を創り出すこと、そこで生み出された事実をもとに研究を進めることを大切にしましょう。

 希望する子どもへの後期中等教育保障が実現してきた現在、生涯にわたる発達を展望しつつ、多様な形で広がってきた18歳以降の教育の場の実践をはじめ、青年期の発達と発達保障実践を検討しあうことが大事な課題となっています。

 実践とそれにもとづく研究の発展のためには、実践の成り立つ基盤にも目を向けることが必要です。発達保障実践をすすめる療育や放課後活動、自立訓練事業などの場の土台が日額報酬という「明日の保証がない」脆弱なしくみで成り立っていること直視しなければなりません。ゆたかな実践と結んだ制度の改善に力を合わせることにも取り組みましょう。

3)同年齢の市民と同等の権利を実現するために手をつなごう

 障害ゆえに移動や生活上の支援を利用して自分らしい生活を送ってきたから高齢になっても支援を継続してほしいということは当然の願いです。しかし、5月18日、千葉地裁は、「65歳から介護保険を優先して利用せよというのは理不尽だ」とする天海正克さんの訴えを退けました。判決は、「公費負担の制度より社会保険を優先する」のが基本だといい、障害者の生きる権利ではなく国の不十分な社会保障政策に追従した姿勢を露わにしています。天海訴訟によって「65歳問題」は日本の社会保障制度の根幹にかかわる問題だということが明らかになりました。こうした本質を幅広い人々に知らせ、輪を広げていくことが大切です。

 同じように、保育・学校教育でも、障害の有無をこえて課題を共有し、同年齢の市民と同等の権利保障を実現するすじ道を明らかにしていきましょう。
 
4)あなたも全障研へ 今こそ、発達保障の研究運動をすすめよう

 今こそ、「私たち抜きに私たちのことは決めないで」を合言葉に、声をあげ続けましょう。

 暮らしの場、学ぶ場、働く場における発達保障労働は、障害者の発達の権利をゆたかに実現するために重要です。それらの一つ一つが魅力的な労働の場でもあります。よりゆたかに発達を保障していくために、全国大会やサークルに集い、研究運動を進めていきましょう。『障害者問題研究』や『みんなのねがい』の読者会を通じて、会員が広がっています。実践を語り合うグループをつくって、仲間を広げていきましょう。全障研ホームページには、学びを深めるための「ラーニングガイド」、学びを止めないための「オンライン活用」のページも充実しています。

 地球規模の課題を視野に入れ、障害のある人の命、暮らし、発達の権利を守る研究運動を、社会全体で進めていきましょう。安心できる生活を破壊し、ねがいを分断し、他者と共に文化を謳歌することを認めず、発達権を後回しにするような動向に反対の声をあげ、発達研究に基づく権利保障の運動を展開していきましょう。個人のねがい、集団・組織のねがい、社会のねがいのそれぞれを深め、つなぎ、障害者権利条約の時代にふさわしい権利保障を訴え、平和・非暴力・民主主義を社会制度と国際社会に貫いていきましょう。
 

 

2021年08月07日